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小林秀雄読書会コミュの小林秀雄の幸せは

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初めまして、
学生の頃、小林秀雄の本は、結構読みましたが、
郡司さんの「小林秀雄の思い出」を読んだり、嘗て、カセットテープで聴いた講演集を思い出すと、
小林秀雄さんに是非、尋ねてみたい、と思う事があるのです!



それは、講演集の中で彼は、人生の目的について、語っていますね。

講演を聴いてる聴衆に向かって
「人は何のために生きるのか!」という難問題を言って

高邁な批評家が、どんな事を話すのか、とおもったら、

人は幸せになるために生きるんじゃあないのか!そうじゃあないのかい?

と簡単明瞭な言葉を言いました。

(以前聴いた講演のテープなので言った言葉は、正確ではないかもしれませんが、ニユアンスは違ってないと思います)



僕は、小林さんに聴いてみたいのです。幸せになるとはどういうことなのかと。


彼は、周知のことでしょうが、研究室に閉じ困った学問一筋の学者ではなく、若い頃から家計も苦労して、菊池寛を尊敬する実生活を人一倍重要視してた人ですね。
若い頃はもちろん、恋愛、酒、食べるもの、旅行、ゴルフ、花見、喧嘩、など、晩年に至るまで、或る意味でどろどろとしたリアルな「日常生活」を過ごしてきた人だと思ってます。
自分の実生活なんて、とても生々しいどろどろのもので、文章で語れるものではない、という趣旨の事を書いていますが、
晩年にも友人と、女性を巡っての葛藤があったり、(親友の川上徹太郎と或る女性を巡り葛藤があったり)
結婚をして、子供が出来た後に、女性が好きになって、離婚をする覚悟まで考えていたり。(奥様はそんなことは知らなかったそうですが。)

あなたの著作は、偉大なのでしょうが、僕があなたに聞きたいのは、
あなたが言った、幸せになるとはどういうことなんでしょうか!
他人はともかく、貴方(小林秀雄)が幸せになるとはどういうことだったのか?

本居宣長の中にその答えはあるのでしょうか?

何故あなたは、最後の最後まで、正宗白鳥にこだわったのでしょうか?本居宣長を書いた後にも。


あなたは、ルオーのキリストの絵を最後まで愛しましたね!


あなたの言った、あなたが「幸せ」になるとはいったいどういうことたんでしょう?


いきなり、突拍子もない事を書きましたが、
彼は、生きている、という事に人の何十倍もこだわった人だと感じるのです。最近の瀬戸内寂聴サンのように、私はもう、いつお迎えが来ても平気よ!というような悟りの言葉は言わなかった
晩年、桜の名所に行って、桜をあんなに愛したのは、短い花の命を惜しむように
自分の人生、を最後まで惜しみ続けた人ではないのではないでしょうか。

貴方は幸せになれたのでしょうか。





コメント(10)

感銘を受けました。よく読み込まれてますね。偏見もなしに、真面目に耳を傾けて、聴き入ったのが伝わりました。

講演のCDは父がもってますが、私は知りませんしそのセリフも分かりませんが。幸せになること
とは、生きること自体、その瞬間瞬間、よかれの選択をしている人間の性のようなもののことを言ってるのではないかと、思いました。
泥棒する人も殺人をする人も母を殴る人、介護する人、喧嘩の仲裁をする人…みな、自分の中の「よかれ」に従った結果です。端からは幸せには見えない人も、自分なりの幸せに従って生きているはずです。この、性は、自己の生の追求にもにているかもしれません。

だから、小林秀雄は自分という業に素直に生きたため、その意味で、悔いる余地を出来るだけ少なくできたのではないでしょうか。

そんなことを考えました。
hiromiさん
トピック立てっぱなしですか…?
若造の言葉と聞いてください。

小林氏が「幸せになる」、「なる」と能動的な表現を選んだのは、これが口頭のやり取りの中で出てきた言葉だからで、ごく一般的な表現が自然と口を付いて出た結果だと思います。喋るときには書くときほどには精密に言葉を選ばないことが多いですから。

というのも「幸せになる」という言い方は、これは少々ニュアンスが大きすぎて、こういう表現は普通文学者はしません。実際、一流どころではこのような表現を使っている人を見たことがありません。

ですからこのようなニュアンスが落ちた表現が出たときには、本来持つべきのニュアンスを拾い上げてもう一度温めないといけない。故きは温めなければいけない。問いのほうは「人は何のために生きるか」という、ある固形の解があると仮定してそれが下りてくるのを待っているわけですが、小林氏はそれには応えない。逆にどこか遠くへ飛び去ろうとするベクトルを質問者の手元にもう一度握らせるように「それは幸せになることだ」と言って返しているわけで、こういう噛みあわない部分から読み取れるものがあります。

ここからは詩人の直感によるのですが、恐らく小林氏がこの表現をもう少し精密に言い直したとしたら、
「人は幸福に出会うために生きるのではないかい」
という言い方としただろうと思います。氏が大家の仕事に触れるのはそこに高い精神との出会いがあるからだ。そしてそれに触れるとき、自らの心も高潔に高ぶるからだ。

志賀直哉先生の「リズム」という散文の中に、「優れた芸術作品というのは必ずその作者のリズムを宿している。そういう強いものに触れると、自分もこうしてはいられぬ、という気持ちになる」というような文章がありますが、こういう心的状態というのは、生きるという行為が極めてポジティブに充実している状態であると言えると思います。

小林氏の使った「幸せ(幸福)」という言葉も、志賀先生の書いたそれとおそらく無関係ではない。生きるという行為が極めて充実している人にとっては、何のために生きるかという問いは既にナンセンスだ。何のために生きるかなどという、どこへ連れて行かれるか分からぬ問題に頭を悩ますよりも、先ず自分の生きるという行為を可能な限り充実させるべきなのではないか。

かみ合わぬ回答が生まれたのにはその辺りの思いあるのではないでしょうか。
小林秀雄が、幸せにために生きると、と言った言葉は、彼自身の実生活も含めた人生の本音だと思います。
(彼が幸せ、になれたか否かは知る由もないのですが...)

私は、今までたいして本も読んできてない者ですが、

今の私にとって気になるもう一つことは、彼の最晩年の心境です。

彼は特定の宗教を信じたわけではないけれど、最晩年にルオーのキリストの絵や彫像をとても好んで、大事にしましたね。
それと正宗白鳥にとてもこだわりました。(正宗白鳥は洗礼を受けたクリスチャンだけれど、クリスチャンを捨てた男です。しかしながら、その後もひっそりと聖書を読んでいて、死期の折もキリスト教を信じて亡くなったのではなかろうか、と思っています。)

小林秀雄は自分の病気から死を覚悟して、涙を流したそうです。生きる事、この世を去ることを人一倍惜しんだのです。(人間として当然でしょう。)

悟りを開いた聖人、宗教家は死ぬのは怖くいない、「天の思し召し」として平常心でそれを迎えいれる、ようですね。死後の世界は彼には蓮の花が咲く安らぎに地なのでしょう。

小林秀雄さんは、死期目前にしてどんな心境だったのでしょう。
数多くの仕事をやり遂げたから、仕事への悔いはなかったのかもしれまん。
けれども、病床で彼の「信じる事は」何だったのか聞いてみたいです。

亡き母のことを思っていたのか?霊魂の不滅を完全に信じていたのか? 
最後にルオーのキリストを愛したのは、どんな心持ちからだったのか?
(ところで、親友の河上徹太郎もクリスチャンでしたが。)

その辺の事が書かれている著作があれば読みたい気がします。

興味のとてもあった著作の作者、その人の最後の気持ちも知りたいのです。

私も、最後に幸せな気持ちで死ねたなら、人生は幸せ、だったと思えるのではと。



> hiromiさん
人生の最期に、幸せだったと思えるとは、宗教的、倫理的な問題が重要になってくると思います。自分の生に愛着を持つことと、倫理的な側面は時に互いが互いを疎ましく思う関係になりがちだから。俺はこれで良かったのか。
人間に宿された良心というものがあると思います。人は、毎秒毎秒、善くなろうと生きるものです(プラトンにあったきがします)。そういう、欲望もある。また、自分自身に良いことをする欲望もある。

少なくとも病床で涙にむせた彼の幸せを考えるなら、こういう幸せしか思い付きません。
そして、その彼の、最期に流した涙の量は、葛藤の大きさだったのではないかと、私は思って読んでいました。

あとは彼に聞くしかありません^_^;言わないですよね、でも。言葉で説明して分かるものではないから…。
講演テープ「信じることと知ることと」の中の質疑応答の時、
小林秀雄が「それは空想かい?それとも理想かい?」と
問いかける口調が、ずっと耳から離れず、
私が迷った時には、いつもこの口調が想い出されます。

実体験の尊さ、実技を重んじる小林秀雄ですから、
各個人の幸せは、それが実感として得られた体験に基づくものであり、
観念的な議論は無為なことであることを、
氏の一見難解な論文が教えてくれているような気がします。

そうでなければ「私の人生観」でお釈迦様の話を出してこないでしょう。


何だか、興味をそそるトピックだったので、ついコメントしてみました。
幸せという言葉・概念の意味合いが各自違うと思います。

彼は彼の望む幸せは今生では大変難しいものです。
何故なら、彼の理想は人類の理想と重なっておりますから。

彼の全ての著作に流れている基調低音です。
はじめまして「小林」でなんども読みかけて挫折してます。本居より
彼のエッセはいいですよ。短文ながら小林の感性が一番素直に表現されている
ような気がします。小林は川上徹太郎の女ではなく中原中也の女と同棲していたのでは?
こんにちは、小林秀雄は
晩年に或るバーで働いていた女性をめぐって、川上徹太郎と相当の葛藤があったそうです。(結婚していて子供もいた小林秀雄はその女性といっしょになろうかと、離婚も覚悟していたそうです) 郡司勝義氏の「小林秀雄の思い出」より。

私が最近、感じるのは、小林秀雄の何事に対しても通じる「覚悟の強さ」ですね。

人生、恋愛、仕事、あらゆる事に、いい加減な者(私も含め)が多い中で...。

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