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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの強い たくましい樹になりたい

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あなたにとってどういう信念をもった人間になりたいかしら?今日思ったことを
書いてくださいね。こういう仕事につきたい、将来こういうことをしたい、
こういう強い人間になりたい、など。
風にのって飛ばしましょう!!フリートークにします。!!
すべてコメントOK、よかったね、とか素敵だったねと
コメントを差し上げてくださいね!

コメント(36)

「たんぽぽ」は地味でめだたない所に咲いているけどふっと気がつくと目立たないのにどうどうとたくましく咲いているexclamation
そんなふうになりたいと思う事があります
手を差し伸べたい気持ちを抑えて、見守る強さを!
誤解されて陰口を叩かれても、すぐに結果を求めない忍耐力を!

後輩ちゃんが仕事に責任感を持ってくれますように☆
大雨になっています。夜暗い・・今日ちょっと、ブルーでした。
こういう日は「自分で自分の価値を見つけてやってもいい」んでしょうね・・
今日からここをフリートークにします。!!
すべてコメントOK、大丈夫、樹になれるよ、あなたなら。などコメントを差し上げてくださいね!
私があった人、言葉をかけた人・・・その人たちが
「自分は自分にとっても、大切な人なんだ」
と思えたらいい。そういうメッセージを送れたらいい。

緑の木が、あなたに「生きててほかった」と感じさせられるように。

こういうメッセージをひとびとに送りたいです。

自分はありのままでいいんだ。愛されるんだ。

私とあったらそういう気になれる・・

そういう人間に今からなりたいです。
秋の木、冬の木、そして今の春の木。から
秋の木、冬の木、そして今の春の木。から


謙虚に自然に耐え、春の喜びを祝い、そして毎年葉をつける、花を咲かせる。
春を信じて紅葉して葉をおとすのだから・・
【エッセイ】乗り越えられない時に強い人

 日本人は努力と根性でなにがなんでも「壁を乗り越えろ」といわれていた。
壁を乗り越えられない人は「根性なし」だった。

 私もそう思い、50年生きてて頑張ってきた。でも息切れした・・

 乗り越えられないものが多すぎる人生だった。こんなに頑張っても努力してもだった。


 努力と根性と「がんばれ」では何もできないときもあるんだ。と気がつくのが 最近だった。
ポジティブではどうにもならないことに気がついた。 努力しても負けることもしょっちゅうだった。

 それは私が根性なしでもなく「偶然」に乗り越えられない場合すらある。金銭、社会、人々。

 そのときに味わう無力さ、絶望感、孤独、これを愚痴言わずしっかりと静かに自分の中におさめる、
静かに静かに「あきらめる」とき人はもしかして内面が熟すのではないかと思った。

 進むだけでないと解った時は、寂しさ、挫折感、自分でどうしようもない絶望感を静かに静かに何年も心にもっていった。
けして運命を恨まず。 まして許せないものとかトラウマはあっても「それを
なんとかやっつけてやろう!」などは考えず。許さない許すも人それぞれ。しかし恨みつらみに束縛されず。

 本当の強さは(自己弁護かもしれないが)絶望のあdも、希望をすてずに生きることにある。

 パンドラの箱をパンドラはあけた。
ありとあらゆる不幸が飛び散った後「あけてください」という小さな声、それに耳を傾け、勇気を出し、あけてそこに
小さな「希望を」発見したことがある。パンドラは自分でほんの小さな勇気を駆使したのである。

 人間の本質は絶望のなかで、静かに、恨まず、待つ。
その「今から進めない、どうしようもないとき」にあると思う。

 乗り越えられない、どう努力しても、私たちがリストラや自然や病気に逆らえないような時がある。人生の目標すら
こなごなになるもある。理不尽・・・パンドラの箱のありとあらゆる不幸が飛び回る世界の中にいる。
 
 その絶望の後でも、生きなければいけないのだ。いかに受けるか」の中を歩んでいる、
乗り越えるなど考えず、目の前の一歩だけを、明日のパンだけを探して。
  
 ただ「これだけは譲れないんだ」を抱きながら。それがパンドラが勇気を出して開けた箱の中にあった「希望」のような
気がする。

樹でいうと冬の樹だ。
 信念ってね。続けたり頑張ったりしたら何とか達すると思ってた。

でも適わなかったことばっかりだった。人生50年。仕事もつづけた、それでも家庭も続けた。

 「信念は貫くことができない(不慮の事故、不慮のリストラ、自然の力とか)」ばかりだった。
 
 そのとき、底力を持っておくことと思った。

 そういうときに「これは守る、しかし諦めるものを諦めていく」潔さを考えること。

 後悔しても絶望してもいい。自暴自棄にならないこと。
 
 静かに時を待つ底力。時間を待つ忍耐力。
 結局ね、言いたいことは「どうやって頑張り教から外れた人に対するか」
自分で復帰できる人はいい。でも日本人「がんばるぞ!から外れた人」って
一杯ママの外来にくるの。
 「俺は○○だから」と自分を軽蔑していうの。外れたくないばかりに一生懸命体を壊してる。

 そういう一面はあるのよ。

 頑張り教から外れた人ってどうなのかしら?無宗教の日本。成功主義の日本の中で。

 俺は今では競争できない、あいつに負けた、上司にいわれた・・・

それはあなたがみなにいわれた「ひ弱い」からじゃ無いの。運が悪かっただけなのよ。努力が足らないとか頑張りが足りないからだけじゃ無い!
自分を責めないで!


 若い方は昔よりしっかり努力してるのよ。
仕事もまじめすぎるくらいなの。でもね・・、でも評価で右往左往したあげく
あんたは成績が上げられないと、上司に言われ、そうか!もっと努力するにはと
自己啓発本とかセミナーに行く。
 
 頑張る、1日寝る時間を短縮する。

 それはいいかわるいかわからないけど結局「燃え尽きてしまう」

 また時間がぽんとあいたら「俺は見捨てられてる」と思う。 孤立感に陥る。

 忙しかったら「まじめに働いてるけど成果がでない」が出る。

 俺はだめだから依頼されない、仕事の依頼すらない。自己嫌悪に陥る。

 あいつ(同僚)さえいなかったら俺は惨めにならない。 恨みがでる。

 あいつは営業先でセールスで5人とってきたのに俺はなし。

 孤独だ、誰もかまってくれない。暇が怖い!暇が怖い!!

 たまたま 仕事でなく「たまに依頼主がいなかった」「たまに日曜日!!に出勤した」「たまに台風で出勤した」暇になるのは普通ですね。

 バンクーバー五輪で金メダルを取れなかったら「根性なし」といわれるのね。それはしかたないことなのに・・・

 日本人は自分に対し「ま。いいか」という自信がないのね。

 共通一次やセンター試験の世代より2年上、外れたあたし。ちょっと上の世代のあたし。
一発勝負の一期校医学部にかけて、運よく受かった私。

 あたし、若い時数値で自分を判断したことはあまりないから、いえるのかもしれない。

で もね、自分に自信がないのはみな同じ。しかし愚痴をいうとノウハウ本から
愚痴はいうなと、かかれてるからいわない。自信をもて、自信をもて、と成功のためのノウハウ本から言われてる。

 むしろ「自分の思うようにならなくても絶望しなくて静かに時を待つ。」人は今の世界では強いと思う。自信なんか誰でもない。
しかし自信がなくても「死ぬわけじゃない」

 自分の思い通りにならない。自信がない。孤独で見捨てられたというところでも「ともかく見方を変えたり、柔道の亀になったり、
負けてみたり、愚痴をあまり言わず耐えてみよう。まだ死んだわけじゃないんだから」 頑張ったら夢適わなくなって「頑張り教」では
敗者でも、敗者のままでも「せめて自分を軽蔑しないでいく」

 それが強い人じゃないかしら?

 でもね、全員そういう頑張り教から外れた人が「こんな頑張ったら夢適う宗教はどうでもいい」と悟るまでは大変。
 刷り込まれているからね・・・でもね。

 必要なのは「自分は頑張らなくてもたった一人の唯一の俺だ、私だ」、もちょっと考え方を変え、
「唯一の裸一貫の俺でもいいんだ」をなんとか持ってもらえないかな・・・というのがあたしの生きがいになりそうな気がするの。
 
 どういう年齢でも。
日本人の特有の宗教ー頑張り教

私「ママ思うの、ママはクリスチャンでしょ。でも教会はめったにいかないけど、実の父母が洗礼名までつけてくれて。
それがマルガリータ。マーガレットなのね」

その人「へえー。」

私「あのね、実の母が昔言ってたの。(もう今はいない)「教会へ週1回いって、あー、後は神さんにおまかせしますから
好きなようにしてください。この繰り返しなんですって。」

その人「クリスチャンってもっと深刻なものかと」

私「でもね。やっと50歳にしてわかったの。


私「今日本もアメリカも自分が頑張ればなんとかなる。タイガー・ウッズでも
イチローでも。あれは頑張った成果だ。俺は夢破れた敗者だ」とか。
「頑張りや努力が効かず・・」とか。

バンクーバー五輪でもけっしてメダル取った人しか本気で賞賛してくれないでしょうしね。

今日本もアメリカも自分教なのね、または自分「努力教、このくらいやったんだから証をください。お金ください。
地位ください」って。「おれはナンバーワンになりたい」「努力すれば夢かなう」とか。


 でも日本人、勤勉には努力してるのね。夢かなえようとしてるのね。でも、成功したといっても運がいい人とかじっと待つ人しか
それも少数派で、適わない。結局能力とか運命の限界を悟り。ああ、俺は負け犬だとか。挫折とか。」

その人「ふーん」

私「実母いわく。ここまで努力はしたけど、あとは神様、あんたのすきなようにしてください。(まあ、宗教用語で
いったら「ゆだねる」らしいけど)後は野となれ山となれ・・・・」

その人「え?それだけ?」

私「そう思ったら楽になったのね。努力が成功にならなかったとしても、あ、これは神様(かみさん)がされたことだから
仕方ないわ。わはは・・と諦めることができるって。」

その人「・・・・楽観的」

私「そうよね。日本人にしろアメリカにしろ努力すれば成功、成功とか目標が適わないと、ああ、俺はまだ努力が
足りなかったんだ」って落ち込むでしょ。

ところが「ああ、努力してもどうにもならないことがあるねん。神様(かみさん)がそうしたんだからしょーがない」

その人「じゃ。神様のせいにしちゃう?」

私「その出来なかったことで、神様を恨まなかったらええんじゃない?でもね、せめて必死に努力はして見るの。でも適わないときは自分のせいに
しないの。えせクリスチャンかもしれないけどママ思う。かみさんが(神様)がそう思ってたからなんだって、さっさと神様にゆだね、
じゃ、この適わないことで神様は何か別の道を探せっていってるのかなあ?と一生懸命考える。」

その人「確かに日本人は落ち込むよね」

私「ママだって1日に何回も落ち込むわ。でもひどい絶望でも、あ、いつかかみさん(神様)が救ってくれるだろうし、
頑張っても夢適わないなら、この夢はかみさんが「適わないように」してるんだ」っと、ひどい話が神様のせいにしてもいいのよ。

その人「そういえば日本人は宗派問わずに、神社とかお正月参りに、どこでもいいからお寺さんにまわり『第一志望に合格しますように』ならともかく
『目標が適いますように(結婚、企業、金銭、地位)』よね。でもかえってくるのは努力したら夢適うだろうって・・


その人「努力したら夢適うだろう・・・クリスチャンにはないの?」

私「それはあるわよ。夢のために努力しなさいってこともクリスチャンはある。

 でも夢破れたときにえーかげんでいいんだ。クリスチャンは「あ。これはイエス様、神さんが別の道をいけということだろな。
 あるいは精神的に落ち込んだときは神さんが落ち込めということだろな」で、最後の最後の最後で踏ん張りが効く。

 
最後って目標を達成する最後でなく、達成できなくて絶望したときに、「神さんが生かしてくれるし神さんが導いてくれるだろう」
せめて「死なない。自暴自棄にならない。」

「達成できないのは神さんがそうしたほうがいいからさせたんだろうなあ。しみじみ・・(ああ、責任転嫁を神様にしてしまう・・)」
母の「あのー、後は神さんにおまかせしますから好きなようにしてください。」って笑顔でいうのと同じなのね。

「誰も見捨ててるようでも私には、神さんがいる。と思うのも強みね」

その人「日本人ってなぜ悲観的のかしら?」

私「自分頑張り教なのね。で同じくらい努力して夢達成できない人もたくさんいるのに。そうなったら自分頑張り教から
はずされる。自分頑張り教のモットーは頑張れば夢適うなの。適わない人は否認される。その夢も「社長になる」
「金をもうける」「モデルになる」
 
 でもなかなか難しいもんだ。で、結局自分頑張り教人は。達成できないのは自分が悪いんだ。努力が足りないんだって。
まじめに落ち込むのね。そうじゃないの。でもたまたま運が悪いとか、天候が悪いとか、そういうことすら抱えちゃうのね。

 頑張れば夢適うのかしら?。でも適わない時に自分頑張り教は救いがないから必死になるのね。まだ達成できないのは
自分が悪いんだ。努力が足りないんだって。また頑張って結局燃え尽きてしまう・・・。頑張れない自分を排除してしまう。
自分を嫌ってしまう。たまたま成功した隣の人を羨み、劣等感に陥る。そしてまた成功した人のノウハウ本をまねする。
でも成功とか夢適わない。でどんどん追い込んでいく。自分の努力が足りない。あいつは成功してるのに!と他人も自分も
嫌ってしまう。で、成功セミナーにいく。周りにどんどん成功したことをアピールした人がいる。ますます落ち込む。

 だけどいっぱいあるでしょ?
夢をもってても努力しても適わないことって。私、そういう頑張り教の人見て思ったの。なんとか「失敗した自分でも容認してほしい」
それが今の頑張り教祖様にはなかなか解らない。失敗=否認?「あなたはあなたであるだけでいいのに?」と私が
聞いても「俺は○○に失敗した落後者だ」って。ママはね、そういう人に「あなたはこういうところが好いんだ。あたし。好きだ」
と純粋な目で見る人間になりたい。失敗しても落後しても「自分を容認できる」若者になれるように手助けしたいの。
 これって・・まるで私みたいです。


 頑張る、1日寝る時間を短縮する。

 それはいいかわるいかわからないけど結局「燃え尽きてしまう」

 また時間がぽんとあいたら「俺は見捨てられてる」と思う。 孤立感に陥る。

 忙しかったら「まじめに働いてるけど成果がでない」が出る。

自分が悪いんだ。努力が足りないんだって。また頑張って結局燃え尽きてしまう・・・。頑張れない自分を排除してしまう。

私、今このとおりです。少し元気がでました!ありがとうございます!


絶望の中こそに強みかあ・・・ありがとうございます!
正しいと思いつつ、少しやましさとか、ちょっと間違ってるかもしれないと
思って、すぐに修正できる人は優れていると思う。
「柔軟性」がある正しさ、「前言取り消し」がいえる正直さがあれば
「この意見取り下げ」でもいいんだ。

ところが、やはり人間のなかには最初から「ためらわず、揺らがず、逃げないことこそ正しい、人の道だ」という人もいるんだよね・・・そういう人の中には
「自分の正しさ、意見がひょっとして方向が違ってるかも」と思ってもうちけしてしまうんだよね。修正することが「恥ずかしい」んだよね。
ちょっと待ってみることすら自分に許せない人なんだよね。
51年間生きてて思ったこと。
努力ではどうにもならないことはいっぱいあると思ったこと。
しかし「努力して目標が得られない」より
じっくりとかみ締め、辛さをかみ締めた時こそに、
「努力した結果思ってもみなかったこと、小さな光、人の優しさ。摂理の暖かさ」に触れたこと。

目標に向かって努力することはいい。しかし目標だけに向かいすぎて、目標に
達成できなかったら「駄目だ」の気持ちにならないことを願います。

生きることって本質的に「哀しい」ことだろうと思う。

パンドラは箱を開けたばかりに「恐怖、憎しみ、戦い、孤立・・・」いっぱい
邪悪なものが出てきた。

パンドラはあわてて箱を閉めたけど、もう邪悪なものは世界に飛び散った。

でも最後に「あけてください、あけてください」と箱の中で何かがいう。

パンドラは「勇気をもって」あけた。その中にあったのは「希望」だった。

パンドラのおろかさばかり責めてはいけない。パンドラは勇気をもって
「もしかして箱の中に邪悪なものがまだ残ってるかもしれないのに」最後に
開けた。そして希望が飛び立っていった。

本当の強さとは「絶望の中にでも、少しでも何かを待つこと」ではないだろうか?
でも私たち老境に入ると、努力して得られなかったことは一杯いっぱいある。

目標もあります。夢、希望は持ちたい。けど、目標にむけて
努力しても「かなわないこともある」
ことは一杯ある。

でもそれが「とんでもない 面白さ」になることすらある。

たまたまうまくいったら「おかげさま」。「神様、運をありがとうございます。」

かなわない時でも、これは自然の流れだと思う。

予期せぬこと、それは、あるいは運命かもしれない。

自然の流れという川にたまたま落ちた時でも、「誰かが落としたからだ」とは うらまない。

それでも、おぼれないだけの泳力、体力、
とっさの判断力と力を持っておく。そしてその流れに逆らわず
どこへ流れていくか(おぼれないような努力を続けながら)楽しんでもでもいい。そして早々と岸に上がるという「あきらめの強さ」も。

むしろ今からは「おぼれない」体力を、そして「おぼれず自分で泳げ、好きなときに自分の力で岸に上がれる」

いわば「運命のどういうときにも自主的に動ける」、という力を持ちたい。

たくましい木ではない。しかし心にいつも「どうでもなれる」だけの底力が
ほしい。夢はそれだけだ。
今親族から帰宅してきた。

やはり暑さには耐えられない。年齢を重ねるごと、暑さに弱くなるなあ・・・
そうですね。まずは「瞬間の楽しみ」なんですよね。
はじめまして。

そうですよね。
物事にくつろげるようになってくると後のことは自然に起こってくる気がします。
人生を楽しんでください。
まだ暑い・・・暑さに耐えれる体力がほしい・・・
さて、せめて頑張って後片づけだわ。今から・・・
昔は根性という言葉が嫌いだった。
根性という言葉は「異常なまでの努力」「なせばなる!」

日本人が好んで使った言葉だった。目に見えて「いかにも俺はがんばっています!」というポーズにも見えた。

でも私は農業をささやかながらやってて感じた。
語源は知らないが。根性。根の性(さが)としたらどうか。
この暑さで木々も草も枯れた。しかし水脈にたどり着けた木は枯れない。暑さに強い草も枯れない。
根の「性(さが)」水を求めての長い根、広がる根。

根性というのはけして目に見えて「いかにも俺はがんばっています!」ではないと思う。むしろ暑い中しっかりと水脈まで地道に地道にたどり着こうという根っこの性(さが)一番目立たぬ努力ではないだろうか。

生きるためだけに頑張る、そういう根の性(さが)一見平凡な毎日でも
1センチ1センチ根を這わす。そうやってできるだけ目立たぬように「生きるために踏ん張ること」が本当の根性ではないだろうか?
どんなに苦しいときも疲れたときも絶望の中でも
少なくとも顔を合わせた人に
「こんにちは」と笑顔で挨拶することは
本当に大変なことと思う。

「笑顔で」
渾身の「自然な笑顔」で。

このごろ思うこと

今「したい」ことをすぐにするより
「するべきこと」をしっかり自覚できる、英知がほしい。

今何をすべきか、私は何ができるか?何をすべきなのか?
それは結局

今私に何があるのか?何が回りにあるのか?につながる気がする。

ぎりぎりに切り詰めて、それこそ木の剪定をした後残った幹、これこそ
「守るべきこと」になるんだろう。そして「そこに私のすべきことがある」

嵐の中でも
今日、病気を診断された。
不安で不安で涙が出たよ、、、。

彼に言ったら、支えてやる!って。

嬉しかった

彼のおかげで、仕事が辛くても、今日みたいに病気になったとしても笑顔でいられる。

彼に出逢えて幸せだって思えるよ。

私も、彼が辛い時、支えてあげたい(^_^)

もっと強くなりたいな、、、
誰かがいる、誰かに支えられてる、誰かを支えている。


2年前に枯れた百日紅。わき株から出た百日紅の枝が伸び、2年後に復活!

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