ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの今日の哀しみは風に託そう

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
今日もとっても辛いことや、悲しいこともあったね。風に渡して
さようならできたらいいね。

ふわっと風に託して、不幸や哀しみを飛ばしてしまおう。大きな空が包んでくれるから。

「今日、あるいは最近あった哀しみや辛さ」を書いてくださいね。

悲しみや疲れも風にたくされて飛んでしまうことを祈っています。

もちろんコメントもOKです。そう、辛かったのですね・・・でも、どうぞ書いてさしあげてください。

コメント(77)


許そうと思っても許せない自分もいる・・
その哀しさをじっくりと受け止めてみる。

わたしも「あのことを」許せるはずがない、そんな聖人でないから・・・

その自分を「許す」ことも必要であること。

またそういう「憎しみ続ける自分」に
優しい目を向けることも必要であること。
どうぞ自分の心を大事にしてあげてくださいね。

ここに書き込み、2年半、いろいろなこともあったけど・・

許せない自分を「許そう」「哀しいけど仕方ないねえ・・・」と
思うことが一番大事だと思ったのです。

いまだ「その場所」は怖くていけない私もいます。いまだ「心で許そうとしても
感情があまりにも揺れ動くので、無理だ」と思う自分もいます。

でもそういう哀しい自分を抱え、2年半で自分が何か成長したような気がするんです。
(自分でいうのもなんだけど)

本当に大きな哀しみ、風に流せないような大きな哀しみは、もしかするとこの大雪の
木のように、じっと雪が解けるまで待っていくといいのかもしれない。
哀しみを風に託せないこともある。じっと背負わないといけない時もある。

雪をかぶってみよう。

この木のように。真剣に。そして哀しみをじっくり味わってみよう・・・

そうすると春の暖かさが解る木になる。その雪の中でしっかりと根を張れる木になる。

もっと強い木になれる。

一冬こした秋撒きの種から出来たハーブは春撒きの種より伸びは遅いが強い。

雪の中で越して越して、己の運命を享受した木や草は強い。無骨だがしっかりと根を張っている。

今日の哀しみ。大雪のように、厳寒のように、耐えられないものなら、風に託せないほど強い哀しみなら、運命と受け止め、しっかりと
受け止めよう。大雪の中で、それでも生きる木々のように。
私「不思議なことにね。私、逆境続きの50年を送ってるし今も本当に
順風ともいえないのね、今も1日何回も泣くわよ。


でもね。逆境を受け入れたら
次が見えるのね。別の面が見えてくるの。人生貧しい50年だったけど
逆境の時のほうがよく覚えてるのね。

逆境のなか、そのとき付き合った人のほうが裸でつきあってるからかしら、よく
覚えてる。

何回も何回も逆境に開きなおり、逃げなくなったほうが楽だと思ったの。

まず、その逆境に陥れた社会や他人を恨まくなってくるの。というか恨んだら
その場で凍りつくのでやめたの。

受け入れてみたら、別の目標とか生きがいが見えてくるの。

逆境上手という言葉があるのね。不幸上手とも言うわね。

ちょっと人生って人より損でもいいんじゃないかしら?

幸福なのにちっとも幸福に感じない人もいるの。だけど幸福って客観的な
ものでなくあくまで受ける人の能力かもしれない。

となると「あまり極端でない逆境」って案外受け入れていいかもしれない。

で、ママ思うの、全然逆境を知らない人って味がないと思わない?

あのとき逆境の時覚えた手話が助けてくれてるし、何よりものすごい読書家になったしね。


時々つらいときなぜ生きてるの?と考える

生きる意味を全然考えてない人もお付き合いは表面的になるけど。

生きる意味が「こうだ!」と断定できる人って友達になりたくない!
「なぜ、このようなことをするのか。それは、答えに反論し、それに反論し、またそれに反論する・・・これを繰り返していくうちに、僕なりの生きる意味を発見できるのではないか・・・そう思っているのです。 」それが一番健全ですよ。ごく普通。

毎日毎日生きる意味を考えてそれでも解決できなくて、それじゃないといわれて落ち込み、でも、結論できない!でもそれでも考えて。それが
人生により深みを出すと思う。


ニューヨークのある病院の病室の壁に患者が記した 感謝の詩 (詠み人知らず)
(10年あまりパーキンソン病で入院されなくなられたご婦人の死に際して紹介された。
 ご婦人はクリスチャンであった)

「大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった

偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと
病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
求めたものは一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべで叶えられた

私は最も豊かに祝福されたのだ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

こうやれば成功する、こうやって健康になる・・いっぱいMIXの若い方は書いています。たぶん。。。。までは理解できますでしょう。しかし
最後の6行は深いふかい絶望「病気、貧困、努力が報われない、」しかし
自分は幸せだった、という心からの述懐だったと思う。
心の中の言い表せない祈り、絶望の中での深い深い沈黙と静けさ、洞察、しかも
数年も十数年もの歳月の結果であったのではないかと思うのです。この
最後の6行は。
人生ってね、ババ抜きのジョーカーを一生もってもいいんだと思うの。
少し人より幸せでなくて
少し人より損して
少し人より悲しい思いして

それでも結構幸福なんだよ。ありがとうの気持ちさえもっておけばね。

だって人はババを持たなくてもいいわけじゃないか?

幸せになろうと思わなくてもジョーカーを持ってても結構人生って歩めるんだよ
ひめつるそば   


駐車場の砂利にも咲く強い花。

家の前の川のわずかなスペースに必死でへばりつき、咲いていた花。

無残に全部刈り取られていた・・

つらかった。しかしこの花、根を深く残してくれてるはず、きっと咲いてくれるだろう。
毎日毎日ある嫌な思いがあるから
今日また「ちょっとした気持ちがいいこと」すら
幸せに感じるんだろうなと思うことが多い
相田みつをさんがかかれた
憂い・・・がないのではありませ。
悲しみ・・が無いのでもありません。

語らないだけなんです。

語れないほど深い憂いーだからです。
語れないほど深い悲しみーだからです。

という詩がありました。

今私があった人々の心の深遠にどれだけ哀しみ、憂い、そして
その人がじっとこらえているかを考えたことがあります。
辛いとき

突き詰めないこと。

自分を追い込まないこと。

泣くことを恥ずかしいとおもわないこと。

時間がたつのを「本当に心から」信じること。

そして最後に「○○のせいで」「○○だったから」「○○だったらよかったのに」
せい、だったら、のに は心の中でだけです。いってしまえば愚痴。

それを胸に秘めるから「人間はいつも哀しい」もの
とても大切にしているものを、あっさりと切り捨てられたような
そんな出来事がありました。

事は感情が入りすぎて遅々として進まず、事務的に済ませるのがベストだと。
私もそのことには賛成なのですが、その先にある、私が大事にしているもの、
そこにはまだ触れて欲しくなかった。
とても・・・哀しい気持ちです。

でも、いつかはそうなり、そうしていかなければいけないのだと思うから。
哀しい一言も、許していかなければいけないのだろう・・・・。
できないかもしれないけれど。
知り合いの息子さんが海でなくなった。
まだ18歳・・・やっと社会人になったばかりだ。

お友達と元気に出掛けたんだろうに・・・
何もしてあげられないし、
ご冥福を祈ってあげることと、
ご両親の悲しみが少しでも癒えることを祈るだけ

逆縁なんて・・・やり切れないです。

みぃのしっぽ さま

返すお言葉もありません。ただ1日の中でその方のために「祈る」ことだけでも、
ご大切と存じます
私、最近「わかちあえる医師になりたい」と思う。
患者さんの中には「病気だけ治してくれたらそれでいい」と言われる方が多いが
むしろ「話を求め、手の暖かさを今だから求め、話を聞いてくれる人を求めている」(それはけして医師でなくてもいいのだが)
人がなんと多いのだろう。
いわば、「自分の生きてる感触」を私も求めているように、目の前の患者さんも
求めていらっしゃるのだ。


きちんと向き合う、きちんとその人と同じ時間を共有していく。曽野綾子先生の
本では「医師が自分の時間をその患者に捧げること」であろう。
治すというより心に留められる、しっかりと見守れる、そういう「医師」であるとともに「人間でありたい」

共有していく、時間を共有していくことで一番癒されているのは
「かくなる私」なんだ。

「一緒の時間をすごさせていただいた。あなたのおかげで。」診察室から
出て行かれる患者さんにそっと後ろから語れる医師になりたいと思う。

一番の治療とは「時間を一緒に共有させていただけたか」ということかもしれない。
ささやかな幸せや愛、自分が「おかげさま」で生きられていることに感謝できる人。
これを強く感じる人はむしろ「つらさとかさびしさ」に対しても、人一倍といってもいいくらい
感受性が強い方ではないかしら?

愛されないこと、失敗したこと、自分の思い通りにならないこと、孤立・・
それを感受性が強いゆえ、過去にたくさん受けた人ではないかしら?

哀しいけど、それが世の中だから。と淡々と悟った人ではないかしら?

あまり追い詰めず、かといって過敏になりすぎず「適度に」
感じ、適度に記憶していくのは個人差。

その哀しいことを「無意識」に「やわらかく」包んで行き、やさしさへの感受性を
作っていける人であってほしい。

辛さの真っ最中の人に「どうして生きるの」と聞かれた時、「あなたの哀しみを、あなたが生きて、
心に丸く包み込もうとするのに、時間がかかるから、その間だけでも待っててほしい。
生きて、時間を信じて、生きてみて。包みこめれるのは、あなたしかいないから」と
私は言いたいんです。


優しい目をしたあなたになるために「今は辛くても」生きていてほしい。

生きてる限り、そしてその哀しみを丸く暖かく包み込もうとしているあなたがいる限り
その後に「ささやかなことでも、ずっとずっと人より幸せと「おかげさまでいかされてる感謝」
を感じられるあなたが未来にいるから。

それが「希望」という一すじの光でしょうか?

「ヒメツルソバ」という花はコンクリートでも砂利道でも生えてきます。かわいい
花です。でも強い。おそらく「自分がいきるための水や水分」を人一倍感じ、吸い上げられることが
できるからじゃないかしら?
何かを護るとき
何かを傷つける。

何かを得るとき
何かを無くす。

それが自然の
定石だと言うなら
ごもっともと納得する。

ただ
傷つけてはならぬもの。
無くしてはならぬもの。
その見分けをキチンと
行えばいいだけの事だ。

僕は誤った。
よって罰があった。

それが自然の
定石だと言うなら
ごもっともと納得する。
大きく2つにわかれてしまった道

もう、、、
交わることなないのかな?

ううん、そんなことないよね

争いたくてわかれたんじゃない
憎しみあってわかれたんじゃない
お互いがお互いを尊重するために
お互いの成長のために

今のわたしには涙でぼやけてどちらの道もよく見えないけれど
だいじょうぶ
明日になればどちらの道も輝いて見える

あなたたちのこと
高くもなく、遠くでもないところから見てるよ




ふたつの幹、ふたつの道   

違うように見えてもあと数年たつとふとわかる。

そのとき笑えたらいい。
毎日毎日って
ちょっと辛いこと、ちょっとさびしいことの積み重ねかもしれない。

その「ちょっとだけだから」の「だから」があるから人は生きていける
今辛い、辛いこともしかしいつかは「あんなこともあった」といえる時が
来るだろう・・

今逆に幸せだと、将来「昔はあんなに幸せだったのに」と
愚痴る気がするから。

今の辛さは辛さでずっと認めておこう。

昔はあんなに辛かったから・・・と笑って言える時のために。辛いときは
辛いことだけ、足元だけを考えて生きよう。

むしろ内面磨きの時かもしれない。 つらさは成長するための場かもしれない。

つらい時、悲しい時、あるいは・・・自分の力ではどうしようもないとき、
不幸なときに
それでもその暗闇の中にひとすじの「光」を見つけられるように
そして微笑を浮かべられることができるように。


つらい時こそ自分磨きの時なんでしょうね。きっと・・・
幸という字には辛いという文字が隠され、それに1を足して(その足すものは
人それぞれ)上からかぶせていく。

かぶせるものはある時は時間でもあろうし、気持ちでもあろう。

足すものは人それぞれ。

しかし辛に足していくと幸が生まれる気がする。
辛いものを抱えていく。

それが辛抱。

でも抱えるでなくて抱くと考えてもいいんだ。いだく。と。

いただいて抱いていると。
長い間、もう半月ほど誰にも言えず待ってた「光を」

でも光は見えなかった。

気がついた。光は見つけるものなんだ。


ちょうど10年前に今の家に住み始めた。昔から金柑の木があった。
でも猛暑とか木の寿命で木が枯れて、とうとう切り倒すことになった。

昨日園芸関係の人が庭の選定をする時に切ってもらった。

いっぱい思い出は詰まってた。この自宅を作る前からあった・・・

さよならをいう8月1日だった。

そしてもう一人、さよならを言った子がいた。

高校3年の娘は昨日吹奏楽コンクールだった。結果は銅賞。
第一ホルンのソロを吹いた。
さよならのコンクールだった。

8月1日には不思議といろいろなことがある。

切ってしまった金柑の木、今からホルンとさよならして受験勉強に
入る末っ子。
価値観が違うこともある。
したくてもできないことがある。
何が正しいのか、わからないこともある。
それなのに、
「違う」と言葉にして投げられてしまうと、
どうしようもない。
ただ、じっと耐えるだけの自分。

私は、そうしないように、言葉には気遣おう・・・。
なんだか心が重い。
みんな価値観が違うから人間関係があるんですよ・・

メイモンモさん。

でも口に出さないだけ。

みな違う花を心に抱いてる。

みな違う花が山茶花の木に咲いている。

でもあなたの花は私より綺麗などと花は言わない。

私の花はあなたより綺麗と花は言わない。

思うような言葉が返ってこなくても
思うような結果が返ってこなくても・・

待つ。

それは忍耐以外の何ものでもない。
昨夜 嫌な夢をみて 叫んだらしく、息子が心配して 声をかけてくれた。
嫌な夢の嫌な気分のまま悲しくて 悲しくて小さな子供のように 号泣してしまった。

何故 あんな 嫌な 夢をみたんだろう。

確かに心配事はあるけれども 受け入れて 自分の中で解決出来てたはず。

一番悲しいのは息子に迷惑かけた事。

親として 情けない涙

もっと強くならなきゃexclamation ×2

疲れている・・・頭だけが回っていて眠れない・・・

そういうこともある。
仕事前の一瞬。

今日も過ごそう!なんとか過ごそう!
人生って、楽しいコトばかりじゃないね。
今が辛い。
森林公園で癒されたい(・ω・)
滝見たい(・ω・)
海に行きたい(・ω・)
とりあえず、大自然にふれたい

早く春になってーハート
しょこ★じゅん さま
(n。n)v さま

緑が欲しいですね・・・こちらでも雪です。でも確実に春は来る
気がいたします。
みちべに咲いてたタンポポなのに、摘み取ってしまった・・・
摘み取って花瓶に入れてもかれてしまってた。

太陽がなかったからかもしれない

ログインすると、残り44件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

心の中の樹を抱く、花を愛ずる 更新情報

心の中の樹を抱く、花を愛ずるのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング