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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの冬  苦しみから得た人生の根本について

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冬、それでも木々は来る春に向け芽を作る季節。

冬の闇の中で得た人生の何かについて語り合いませんか?

コメント(32)


自分に価値がある、そういうことを結果を求めないで、信じて生きていくことではないかなとは思うのです。

相手に求めたり自分で振り返るものでなく、自分の目標として

では何が価値かというと、それを求めているんだということも過程ではないかなと思いました。

ただその前に幼少時自分は価値がある子供だと一種の刷り込みが自然に
回りから与えられていることも大事でしょうね。

わたしの人格はあるけど、他人にも人格がある。どういう人にも。
そして理解しえないこともあるが尊重しあう。

お互い理解しあうのは「あなたにどういう価値、人生における自分を豊かにする価値があるかを温かく見出す行為から」ではないでしょうか?
自分の目標のために・・

1、自己意識の拡大

 自分の体や物的要求のような狭い世界を超えて、自分自身の外に興味や関心をもつこと。

 広い世界に関心をもっていること。

2、民主的な人格

 社会、階層、地位などとかかわりなく、すべての人と温かくかかわっていくことができる。またごく親しい関係を数人と結ぶことが
出来るが、排他的でない。

 すべての人と温かくかかわっていくということ。

 自分の行為の他人への影響がかんがえれらるということ。

3、情緒的安定

 自分の内部に生ずる種種の情緒を自分の感情として受け入れることが出来る。感情的動揺を持たないではないが、それを
適当に処理して大事件まで発展させない。
 
 いろいろな感情を持つのはあたりまえとしても、それを適当に処理して、大事件まで発展させない人。

4、課題認知ならびに処置の能力
  
 問題の所在を明らかにし、その解決をはかる能力。

5、自己の客観視
  
 自分の能力とか、限界とか、自分の性格というものを自分ではっきりとつかんでいて、それにふさわしい態度を取っていく。

最後に統一的人格

 自分の行為、思考、感情に一貫性と調和を与えるような、自由と責任に裏付けられた統一的な人生哲学を持つ。


先生の講義の一番最後がこういうお話でした。


私からすると・・これを自分なりに解釈してみました。

1、広い社会全体を見る想像力と能力、関心をけして「自分だけにとどめないこと。また抽象的、理想にも関心をもてる。

2、温かくひと、と、かかわれることだが、けして「べったり依存」まではせず、かといって「排他的」にならない。

同時に、自分の及ぼしたこと、言ったことからの反応を考えられる能力と、それの相手に及ぼす影響力が
考えられること。

3、感情はデリケートでいい。しかしデリケートであっても自己の感情を大きく発展させず
適当なところで断ち切る(悲しいとぴってもパニックまでにならない)

感情が多彩であっても、あるところで、感情をおさえることができる。

4、問題が生じた場合冷静に考え、処置できる。

1番いいという道がふさがれていたら次は2番目の道、2番目の道がふさがれていたら
次は3番目にはどうしたらいいか、もうほかに道がないなら「もう私は悩まない」と醒めた目で問題を直視できること。

誰がいったかでなく何が問題かを考慮できて対処できる。

5、自己の性格、「今の現在の性格」「今現在の能力」を知ることだが、これは同時に人に「あなたはこういうところがある」と
否定的とか嫌なことをいわれても「そんなことはない」と怒らず拒否せず、ああ、そういうところもあるんだと、ちょっと
醒めた目で自分を見ることもできる。

6、自分の行為と感情がちぐはぐでない、反対からいうと人の意見に左右されない自分の生き方をもっているが
自分をもってるからこそ人の意見も聞ける。


具体的に今実践中は【エッセイ】成熟への練習 です。
いままでの私のエッセイや文を書きました、これからはフリートークで書いてくださいね! こう生きたい、でもどうしても続かない、こう生きたい、強い意志をもちたいなど・・のことについて、愚痴も一杯ね!!
自分の悩みを書くのもよし、自分の考えについて書くのもよし、アドバイスもよし。少々トピと
はみ出しててもいいですから・・ね!!
また今年も渋柿を食べられるように作ってみようよ。
渋柿の成熟はあなたの成熟。
焼酎付けや干し柿でおいしくもなれるんだよ。
渋い柿でも・・

私の成熟って・・

1、待てる人
2、変わらないことを変わらないと悟れる人(他人の心と過去とは)
3、変わるものは変えようとする人(自分の思いやりや、自分の意思)
4、思いやりを持続できる人
5、信頼を持続できる人
6、結果を期待しない人
7、たとえ、今不要かとかどうでもいいというつまらないように見えるものですら
愛情を注げる人


これは渋柿なんです。もうすぐとって、焼酎付けにします。
数ヶ月おきます。

1、じっと待ちます。袋を破らずに。
2、今の渋さは「変わりません」すぐに変えようとしません。
3、でも変えようとしたら「渋を抜けて美味しくなります」
4、そのためには冷蔵庫に入れたり、涼しいところに保管して「思いやり」、そうその上からものを入れたり、その上に積み上げたりせずひたすら待ちます。
5、渋が抜けておいしくなるだろうとひたすら信じます。
6、結果おいしくなくても、渋が抜けてなくても、いいんです。
7、渋柿は甘がきと違って、捨てられたり無視されます。でも・・
やはり見てあげたい。なんとかしてみたい。
すことができない自分を優しくすること。
許せない自分でも優しく攻めないこと・・
精神的外傷を受けた人はそんなに簡単に許せません。
許そうとしたらこちらが苦しい。
そのくらいくるPTSDもあります。わたしもそう。

せめて自分を苦しめない方法を・・
そうですね、たぶん50歳近い私でも、25年仕事してる、子育て24年の私でも
「この場に及んでの自信」なしです。

そういう弱い自分も、います。
努力しても弱い自分もいます。

その「まだ自信を語れるほどではない」という心をもって
そこでとどまらないことでしょうか。

私は自信というより自芯、つまり芯をつくりたいのです。
いつも信じてる私にすら裏切られる、いつも努力しても
揺れ動く、それなら自分の芯を創る、草冠の下に心、
いわゆる草、地面の下の根ですね。

自分が信じられない、信じた自分すら弱いなら
せめて「自分で根っこ、花咲くための根っこの芯は創っていこう」自芯・・というべきでしょうか。 自信 がほしい。 信念・・・
今の心を信じるということですね。今のゆれる心を信じるほうに持って生きたい。


信じる。自らのどこを信じるのかってことですよね。

私はいつも自ら震えます。小さいこと、言われたこと、すぐに
傷つき、すぐに臆病になります。自震ですね。

まず自身があって、それからいろいろな自震がある。
それからいろいろな事柄に対し、ゆれながら、そして震えながら。

でも、次に希望を持とうという新を信じれるようになる「自新」新たに
変われる自分を信じれるようになる。

どういうときでもへこんでもこれだけはという芯を持つ。
自芯。

自芯と自新を信じるようになって、それから、人のいうことに
震えるだけでなく、ありがたきものを、あるいは言われても、自分と違う意見でも見方でも。自分の思いがけない展開の運命でも、
謹んでありがたくうけいれる、慎重にかつ慎んでという、自慎が出来る。

自新。自慎、自芯・・

それからこれだけは自分をいつわりたくない、
虚偽をしたくない自分の真ができる、自真。

自震から・・

自新・・変わりつつある自分を受け止める
自慎・・思いもかけない事実、意思に反したことも受け入れる。
自芯・・自分の中で芯をつくっていく
自真・・卑怯なことだけはしたくない。

そして自信過剰にならないよいうにしながら自信を自然に作っていきたいと思います。

できないわたしですが。まだまだゆれるゆれる自震の私ですが。

自信。自ら人(人偏)の言うことをどういうふうに受け止めるか。
あるいは自らという人がどういうふうに言っていくかでしょうか。

こういうことがひとつひとつできたらどんなにいいか・・いつもゆれてる私ですから。

で、自信を目標に伸びていく。自伸になるんでしょうか?
一緒に自分をいたわる、親しくなる、自親になるのかな?
いたわることも大事ですよね・・

でも結局は芯がほしい私です。揺れ動いていますから。

私は弱いから書けたんでしょうか。心。

芯も心が草冠の下。芯って草の下の根なんでしょうね。 結局は芯がほしい私です。揺れ動いていますから。

私は弱いから書けたんでしょうか。心。

芯も心が草冠の下。芯って草の下の根なんでしょうね。

人見るも人見ざるもよし我は咲くなり

好きな言葉ですがなぜ咲けるのか?根っこが水脈に届いているから。

まさに草の下に根っこ、心があるからでしょうね。

草冠の下に根っこ、心、それが芯。不思議です。象徴みたいですね。土の下のねっこ。しっかりはってる根っこ。草の下に見えないけど、木や草で一番大事なものがある。

草冠の下に心で芯。草の下に心。ひととしての芯。

草の下には根っこがある。強く張ると花も木も強く張れる。
ゆれてもかれても根っこが残る限り。

目に見えない根っこ。それは草の下の心。それは芯・・・

だから花を咲かせられる。

芯。私もほしい芯・・

人見るも人見ざるもよしわれは咲くなりの花の下にも根っこ。
草の下に・・

芯があるんだろうな。

小さな花でいい。しっかり地面の下に根っこ、心、芯がある人になりたい。

芯は見えない。根っこも見えない。
あなた方を襲った試練は何一つとして人間に耐えられないようなものではありませんでした。神は信頼に値するかたです。
耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず
むしろ耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも
用意してくれたのです。

(コリント10・13)


むしろ今直面した問題から抜け出る時、直面してることはあっても
横道からも抜け出せる、そして横道から(あ、悪い意味でない)たくさん得たものもあるんだ・・4年悩んでよかったのではないだろうかと思っているんです。

気がついたら「抜ける」というよろ「ゆたかになってた」気がします。
問題やトラウマ、いやな過去、いやな人は「まだいる」のに・・・

いやなことがあるから、むしろそれを乗り越えようとする力が
忍耐力や知識や愛、とともに抜け出るように私自身を作ってくれたのかもしれない。
とても耐えきれない悲しみがあった場合、それを乗り越えようとして、乗り終えたあるいはなんとか昇華できた気がする・・これも御題としてお願いします。

その乗り越えたことにより。あるいは乗り越えようとしてることにより
得たものはありますか?
私は・・・今の晩秋の雨のような天気の気持ちがづっとずっと続いていた
4年間でした。

夏にミクシイでいろいろなところで語り合い、気持ちの整理もつきだし
10月に秋の自然の中で「あ、あの暗いくらい、ある人を許せない気持ちから
ふっと抜け出せた」と思ったのでした。

よくは解かりません。

生きてるだけでいいんだ。生きてるだけで太陽が当たってるんだ・・・

許しってなんだろう。昇華するってなんだろう・・

もちろん相手はまだ「好きでない」です。でもあれほどの「憎しみへの
とらわれ」からは少し脱皮できたようです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24421352&comment_count=9&comm_id=2743394

過去は石垣であり石の階段。

それをはずすことはできない。

今私はまだそこにひとつづつ石を積もうとしている。
より強く、よりしっかりとした石段になるため。

しかし、その上を人は踏みつけるが踏みつけられるほど、石段は堅固になる。
石段は崩れなくなる、

また石を積み、また踏みつけられて、また石を積む・・・

いつかその石段も風化するかもしれない。雨に打たれてるかもしれない。

でもその強固な石段だからみな歩いてくれるようになるだろう・・。

そう思うと、人に踏まれることがつらくなくなる。
この私の心の石段。
もっと強く大きな石を載せて、もっと強く踏みつけられ、そして
人が安心して通れる階段になりたい。

その踏みつけられることを名誉に思いたい。
先日、わたしを数年前にいやというほど踏みつけた人とすれ違った。
あの傷は一生癒えないと思った・・・

がなぜか私は(そのひとに対してではなくても)微笑んでいた・・・

私は過去から一歩抜け出たのかもしれない。

石垣に一輪の小さな小さな花を自分で咲かせることが、いやかみさまが
咲かせてくれたのかもしれない。

苦しんだのも無駄でないと解かった・・
dolceさん こんばんは。

<小さな花でいい。しっかり地面の下に根っこ、心、芯がある人になりたい。>

願っていた通りねぴかぴか(新しい)
ホントよかったですね。。。ほっとした顔
ありがとう、でも・・まだわかりません。
すくなくとも何歩か成長できたのかもしれません。
わたし、不器用だから、一歩一歩しかあるけない。
でもその足あとはすっすっと飛ばした雪上車の線よりふかくふかく雪の上に
残る気がする。
冬至がおわったから・・・毎日日が一日一日長くなるんですよ。
いくつもいくつも修羅場を越える、いくつもいくつも眠れない夜と戦う・・

でも正面から立ち向かう。

負けてもいい。ただ正面から立ち向かう・・

自然なくらい微笑みがうかぶ、顔になってくるんです。


逆説的にいえば・・
自分に不遇を与えた人、自分をだまそうとした人、自分を泣かせた人・・

今となってはみんな懐かしい。

そういう苦しみや修羅があって、今の私は歩いている。

正面からぶつかったことで。
悲しみは

その数分後、数時間後、数日後、数年後には・・・

なんでもないこと、普通にあること

すら

不思議な幸せ感と微笑みを作るものとなります。

その悲しみがふかければふかいほど・・

その数年後にうかぶ微笑みをより強くします。
あなたが笑顔を見せる。
相手が幸せな気持ちになるかは、残念ながらわからない。
相手は自分の変えられない感情を持つ人だから。

あなたが笑顔を見せる。
相手があなたのことを覚えてくれてるかどうかはわからない。
相手は自分の変えられない感情を持つ人だから。
少しだけ相手の心が明るくなる。それがあなたの笑顔かどうかも記憶してないかもしれない。

それでも笑顔でいたい。

相手のきもちを変えようとしてつくるものではないから。笑顔って。
自分を覚えてもらえるとおもって作るものではないから。笑顔って。

小さな花のように一瞬で忘れ去られるものが笑顔かもしれない。

でもそれでも私は微笑む。だれに期待することなく。だれもなにも期待することなく。

その笑顔が一瞬で忘れ去れたとしても。

それでも笑っていたい。誰に対してもなく・・

私の笑顔は神さまが下さった雑草の小さな花。
いつか知らない人の足で踏みつけられても。
無視されても・・

それでも立ち上がりまた咲く。また咲く。また微笑む。


目のまえに何も見えない、何もないと嘆きたいとき
道の前に何もみえない・・悲しいときは
ただ足元だけを見る。
今は夜道だから、暗いから、危ないから・・・と言い聞かせ。
ただ、自分が歩く足もとだけをみて、転ばないように確かめる。
それでも、一歩ずつ歩く。

見えない誰かがきっと横についてくれると信じて。

少しずつ回りが見えてくる。
ときに「わたしが」背伸びしすぎてるなと感じる優しさもある。
ときに「あなたが」背伸びしすぎてるなと感じる優しさもある。

 背伸びしないで、素直に、ここまでが私の優しさです、と謙虚になれたらどんなにいいだろう。
それ以上優しくできない自分もいうるんだと素直に認めることも大事じゃないだろうか?
愛はずっと心の中で続けても、優しさを形に出せない一瞬だって、そういう相手だっているんだ。
そういう一瞬に対しては、背伸びしないでいよう。

 見返りも期待も評価も求めず、ただ放つ優しさも大事だが無理はいけない。

 理性をもてて、理性で「ここまでしかできない」ときちんと謙虚に制御できる優しさ。
謙遜であっても卑下しない自分をもった優しさ。

 人間だから、これ以上は自分の気持ちから背伸びしてるなと思うといすらある。
優しくできないと卑下しちゃいけない。このくらいまでが私の「できる」優しさだと謙虚に認め、背伸びしないことも
大事なこともあるんだ。

 少し制御してもいい。行動にださなくても、「こころ」をそちらを向かせ、ただ微笑む。
それしかできなくても「ほほえむ」ことも優しさなんだ。
「心の」目をそむけないことも大事、でも「心の内面」に逆らわないことも大事なことなんだ。
そのバランス感覚をいつももっていたい。


 高ぶらず、無理に背伸びしない等身大の「これが私です」といえる。自分から「すなおに」出せる
優しさ。かつ、自分を尊重しつつ、相手を思いやれる理性をもった優しさを持ちたい。


 自己本位でないながら、自分の気持ち、相手の気持ち、うつる時をゆっくりと微笑みながら考える、そういう形に出さない
優しさもあるんだ。
寒さが1週間続くと体調も悪くなる人も多いです。
そのなかでせめて私たちは「笑顔」というかけがえのない薬をお渡ししたいと
思っています。

あの大雪から5日、まだ雪がとけないまま次の寒波到来です。

せめて笑顔だけでも。せめて言葉だけでも「ああ、温かい気持ちになった」と感じてくださるように。いえ、感じてくださらなくても「あのひとにあって
余計に寒くなった」とならないように・・
10日ぶりに天気がよくなり太陽の光が見えました。まだ
この下の雪は残っていますがシーツを外に干せました。

ちょっとした当たり前のことでも幸せになるのが冬でした。
他人は変えられない。

自分の心は変えられるけど、どうしても生理的に受け付けないいやな人もいる。
嫌いは嫌いと割り切ってもいい。

すべての人を好きになろうとしてはいけない。無理しない程度に。

またすべての人に好かれようとしてもいけない。あなたを好きなのは別のこころを持った人、人の心を変えることはできない。

時間を稼げ、今は嫌いなひとを無理に「いますぐ」好きにならなくていい。

今あなたにいやなことをする人に「いますぐ」やめてもらわなくてもいい。

しばらく「にげてみる」ことも必要。

そのうち何かが変わってくる。あなたのこころか、あいてのこころに。
その変わるなにかが大事なこと。
それを見逃してはならないってことなんだ。
雪のなかの一歩一歩のように
じっくりと踏みしめて歩く・・・

じっくりとじっくりと。
冬が冷たいほど
つるしているところが風とおりがあって寒いほど
日に当たらないところほど・・

渋柿があまくなる。

過酷な条件がそろうほど
渋柿が甘い
こころゆたかになるには・・

自分が苦労すること。ままならないことがたくさんあること。
それでもままならないことがこの世の中にいっぱいあり、自分でどうにもならない不自由なことがあることをいっぱい経験し、
あきらめず、自分がやれるだけのこともやりつつ、周りのどうにもならないことは、卑屈にならず、うらまず、変わらないものとして
素直に受け取る・・自分のこころが豊かになる気がする。
我慢するかしないかも、決めるのはあなた自身。

その我慢が思いやりからかどうかを決めるものあなた自身。

我が慢心するか・・・我が自慢するか・・

それとも我が満足する「我満」が我慢につながるか・・

ひとつひとつ場面によって違うから。でも結局は決めなくてはいけないのは自分。

積極的に「私は私が決めて我慢してるんだ」というならそれは正しいと思う。

正直に正直に・・・
我慢強いから相手にいわない、これはたくさんあります。

でも逆に・・・相手に「いわなければいけないことってある。それが相手への
思いやりだって・ 」
なるべく穏便に言っても、相手は・・・理解してくれないときすらある。
そのことで相手から逆に「あたしはそんなんじゃない」と逆ギレされることもあるかもしれない。

その逆ギレされたり誤解されたりするときあなたが思うこと、いやなこと、いやな感情、それを我慢するものも我慢ですよね。

いわない我慢はできる。

でも・・言ってしまったあとでも、我慢はある。
そのつらさとか後悔を受け入れるのも我慢じゃないかしら。
自分で自分ひとりの花を咲かす。それは生きる上で一番大事なこと。

しかしほかのものにも、ほかのひとも花を咲かせてきたのだ。

その花を見つけること。自分だけでなく、他のひと、他のものごと、他の言葉の
中に花をみつけること。
ときどき自分のこころのなかすら、つめたい風が吹くような
闇が起こることがある。
いつ光が来るのだろうか。ということもある。

考えてみれば人生って光の道でなくて、闇と風の道かもしれないと
思うとほっとする。

そうすると光があたることが「あたりまえでなく」「ありがたい」と
思うことがある。
あきらめるなという言葉は誰でもいわれる。

でも上手にあきらめることによって別の道が開けることもある。

上手にあきらめることによって。

でもあきらめていることは投げ出したことではない。

新たに別の道を行くためには、今まで歩んだ道のコースをあきらめなくては
ならないことすらある。

今まで歩んできた道に未練もある。でも「ありがとう」といいながら別の
道をあるく。それが諦めるということ、

諦めるという言葉は締める、言を締めること。

言い訳せずに、きっぱりとあきらめて、別の道をすすもう。

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