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心の中の樹を抱く、花を愛ずるコミュの晩春 結婚や子育て、日々の生活や家庭について

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晩春、
春も過ぎ、いよいよ結婚や子育て。その楽しさ、苦しさ、悩みを語ってみませんか。

ご投稿をお待ちしています。

コメント(20)

むしろ100パーセント幸せでないほうがいいんではないでしょうか。
ちょっとだけ不満、ちょっとだけからさ、憂いがあって
それを克服していこう、なんとかしていこうという「あゆむこと」が
しあわせな気がします。


もっと考えて見ます。

すべてがととのいすべてが順調ではない生活のほうがいいかもしれません。

どういうときでも自分は70パーセントくらいは幸せで残り20パーセントはまだ
未開なところがありのこり10パーセントくらいは「自分ではどうしようもない
不幸とか憂いもある」

近くに客観的に見てくれて受容(理解でなく)を暖かくしてくれる人がいる。
(でも100パーセントでない。100だと甘えるから。せめて70パーセントくらいの人がいる)

10パーセントくらいは嫌いとかちょっと苦手な人もいる。

近くに自分のいることができる「場がある」けど100パーセント受け入れてくれる場がある。
わけでなく親しき中でもある程度緊張感もある。せめて70パーセントくらい。
10パーセントくらいは嫌いとかちょっと苦手な場
もいる。

自分がいることで相手が楽になる場所がある、けどせめて70パーセントくらい。

で、あとの20パーセントは努力、あとの10パーセントははじめから
「自分は自分、他人は他人」という暖かい共通感をもった醒めた目でいられること。

残り10パーセントは運命かもしれない。自分の及ばないこともあるかもしれない。

そうはじめから割り切れることと、 割り切れることも勇気が必要なことと・・

20パーセントを埋めれる力があること。力をつけようとすること。毎日。

普通の生活?
ちょっと書き直し。生活をどうするかとか年齢とか
家族とかで慣れとか豊かとは違うけど・・要するに

人道的に「おてんとさまに顔をあげて暮らせる」 こと?
普通の生活を送るっていうことは・・・

慣れではなく、実はものすごいエネルギーが必要なのではないだろうか。

仕事も精神的にハード。

特にこの年代(50近く)仕事あり、家族ありでは

まず普通の生活のために、家族全員が、誰も不幸でなく、取り戻せるだけの
ちょっとしたスパイス不幸はあってもすぐ軌道修正できるようにしたい「いい」緊張感を保つ。

ただそういう「ぎりぎり」のみんなが「普通に暮らせる」のは
慣れでない、「心をつねに豊かにしたい」向上心かも。



まして仕事での家族3人(すでに私の娘も社会人)ものすごい緊張感で、
慣れることは一生ないだろう。

普通のお天道様に顔を向けれる生活は、水辺の白鳥が必死に足を動かして泳ぐような
何かの目に見えない必死さ、懸命さ、が必須だと思う。
それが結局「心豊かになろうということ」だろうな。

「普通の生活」には「責任」(それは言葉に出せないけど)と「健康」とまあまあの「経済力」

普通の生活を保つには慣れはないですねえ・・ぎりぎりという言葉のほうが合う。いいぎりぎり、という言葉。ぎりぎりでも
感情を爆発させないとか、大事件にさせないとか。
その「ぎりぎり」の感覚で「緊張感」を持ち、その「緊張感」から「向上心」になり、普通の生活を送りたいため「結局は心豊かになれる」んだろうなあ・・


法を犯すぎりぎりまでしてまで「金銭的に豊かになろう」というやつらもいるの。


だから社会にも、法的にももちろん良心的にも、人道的にも「普通の生活」をするため、豊かに心を作っていこうという心のステップを無視、
それをなしに作ろうというやつらもいるってことよねえ、新聞にもいっぱい載ってる・・・そいつらよりはおてんとさまに顔を向けて暮らせるほうがいいです。
そのおてんとさまに顔を向けてくらせる普通の
生活って慣れではなく「心をいかに豊かにするか」ですよね。
いい人といわれたら素直に喜びなさいな・・。
ありがとうといってくださいね。



いい人という方はあなたの中にある「未知の原石」をきっと見つけてくださったのでしょうから。

その原石は自分には見えないけど、その方には「いいひとですね」を通してあなたに見つける「きっかけを下さった」方でしょうね。
いいひとって確かに抽象的ですね。

今までおそらく(若い人は特に)君の絵はいいね、とか君のそういう頑張るとこはいいねと具体的に言われてきたのでしょうね。


 

 でも今から20代になるにつれて いい人といわれても何?解らないこともたくさんありますね。
できるだけ私もお若い方には「この優しさがいいね」というようには勤めていますが・・ 素直に喜び、原石を見つけ磨いてみなさいな。
でもはじめからぴかぴかの宝石でないのですね。

 どう思われようが俺!!でなくて、どう思われているか、その方の期待にそうようなことも大事なことです。

 だから俺はいい人でないのにいい人だといわれたくないとか偽っていい人になってるとか考えずに ただ「いい人をずっと続けると自然に原石を磨くことになるんだ」そう信じて
素直に「いい人といわれた」こと いい人になろうとしたこと、を大事にしてくださいね。
自分も尊重し、自分もしっかり意見はいうけど温かい気持ちで
お互い話をすること・・

とある会話などは?

「私、にんじんがどうしても食べられないの。体質的にだめみたいなのね。ごめんね」

「そうだったんだ。カレーにいれちゃった。ごめん!」

「でもとっても綺麗な色ねえ、悪いわね、このにんじんだけは
ちょっと除かしてもらっていいかしら?」

「いいわよ。もちろんよ!!あ、あたしが食べようかしら。もらえる?だーいすき!!」

「うん!!あたしの代わりに食べてくれてありがとう!!とってもいい顔で食べてるあなたも好き!

でもにんじんって本当に綺麗な色ねえ。アップリケにもつけてるくらいなのよ。そのくらい好きなのに食べられないのねえ・・」

「そう、それなのに、残念ねえ。でも体質もあるからねえ」

これが優しい会話かもしれませんね。

逆に

「ごめん、せっかくだけどにんじんが食べられないの」

「まあ、そんなことないわよ!食べてみなさいよ」

「ごめん、体質にあわないの」

「またあなたのことだから、お母さんがわがまま好き放題にしたんでしょ」

「そうじゃないの!理解がないのねえ!あなただってこの前
豚肉苦手って言ったじゃない!」

「また人のことを引き合いに出して!もう二度と作らないわ!
わがままだわ!!」

「もういいわ!帰る!だからあなたはみんなに強引だっていわれるのよ」

・・・

その人のいい面、悪い面も理解した上でのお付き合いか、
自分の主張だけのお付き合いか・・?
お話のコツ 人の顔色ばっかり見て話をするんです、の場合

 まず「いやなことをいわれたくない」からでしょうね。


 そうですね・・・こういう考え方はどうかしら?まず社会的に
人間だから生きてる限り、いっぱいいろいろなことを言われて言い返されて、
辛い思いをするとき。人の顔色を見て話しかできなくなってると思ったときの練習。

 ちょっとだけ横に「暖かいけど醒めた自分」をおいての練習。
客観視してみては?の練習。

「あなたって○○ね」(子供っぽいとか意地悪ねとか・・)
で、むかっときてもすぐにいったん感情を処理する(抑えないように適当に放つ)
で こういうことを言われたくないからでしょうね。でもこういうふうにもっていったら。?

「あらそう?どういうとこか教えて」
とちょっと聴けたらいいですね。たいていは「むかっとしたり
かなしかったり」なんですが

 「なんとなくね」ならそりゃ相手が悪い!!
「こういうとこ」 だったらまずすぐ鵜呑みにしない。
「すぐに」鵜呑みにしたり「すぐに」否定しない。
否定も肯定もせず次にもっていく練習。

 「あら、私はそういうつもりなかったのよ。そうかなあ。
そう思えたのかなあ」っていったん受容してみる。

 そのとき目をむいて「そんなことないわ!!」と思ったら
あときっと「気になる」し「自己嫌悪」そして会話が途切れて
どういうところが自分が子供っぽいかとか

 「じゃ、ちょっとそういうつもりなかってもそういうふうに 見えたのかもね、気をつけるわ」

 自分を嫌いも相手を傷つけもしない。

ちょっと相手も自分も突き放して暖かい心、醒めた目で見るということを渡辺和子先生の本で読んだのです。
今までの私のエッセイや文を書きました、これからはフリートークで書いてくださいね!

自分の悩みを書くのもよし、自分の考えについて書くのもよし、少々トピと
はみ出しててもいいですから・・ね!!
昨日は山へみかんなどを取りに行きました。今回は友達や親族に送るから。
昨日は大変重労働でした(あと箱詰めや、ヤフーゆうパックなどで送るので)
ヤフーゆうパックは安いけどコンビニで一杯作業しなくちゃいけない。でも実を採る手間、送る手間、入力する手間が返ってその親族を親しく感じる気がする。
もちろん本当に「何十の人に物をうけとってもらえるのはなんて幸せなんだろう・・」

これなんですよ。

そう、私が幸せになる。ゆずで北海道の方がほこほこする。
(実は複合の全日本のコーチの方。昔の金メダリストなんですが)

でもその準備に8時間・・・

あと本みかんに(今はわせだから)荷物つくりに何時間。

でもしあわせ。

ゆずなどは猿になって木によじ登り、手を傷だらけにしてとります。まさに山の「がけ」だから
今日は夜修学旅行についての親に対する話し合いが学校であります。
小さな子がもう中2(上は23・・・)
修学旅行の説明に、PTAの文化祭の手伝いに、PTAの講演会のことに・・
この2週間は大変です。
お題、今家族の輪のことがいろいろ話題になっています。
特に子供さん、あるいはだんなさん、あるいは逆に親御さんなどから
「こうしなさい」というモットーを出す、出されたことはありますか?
家族の家訓などはありますか?
明日は冬至だから・・今朝たくさんのゆずを山の畑からとってきた。
4件を残し10数件に配った。

どうぞお使いください、よろしければ・・という気持ちで・・

クリスマスの夜は毎年ミサにでかけてた。

一番象徴的なのは東西の壁が破れたときだった。

チャウシェスクが死に、ベルリンの壁が取り外された14年前か15年前だった・・

ミサでこれ以上の戦争が起こらないようにと祈った。

それからミサにはいってないけど毎年くるみ割り人形を全曲聴いている。

ムスメが小さいとき、アンセルメのスイス・ロマンド交響楽団にあわせクララの
夢を語って話した。

もう下の娘も中2.

今はアンセルメ版は愛贈版、ビデオのベルリン国立歌劇場版か、(バレンホイムがすばらしいし、音もすばらしい、振り付けもすばらしい)
あるいはアシュケナージのCDを聞くことにしてる。

しかしいつも脳裏にはアンセルメのあのすばらしい指揮がある。

ビデオ・バレエ版だけでもくるみ割り人形は6,7はあるし、CDでも全曲は
3枚もってる。

この日のこの一枚である。
古い着物、たとえば洗えるものなら洗ってもいい。
また虫干しも必要。洗えないものはクリーニング。
そうやって何代も伝えていきます。わたしも今年は(昨年から練習して)
着物で正月などを通しています。

陰干しの絵です。
昔は手間のかかることをした。
手間のかかること、渋柿をむいてつるしたり、着物の長じゅばんに襟をつけたり、御節を作ったり、つけものをつけたり。

今はすべて売ってる。すべて買ってすべて捨ててもいいんだ。

でも手間。家族と手間のかかることをする。

手間がかかる。手を使う・・手間のかかったことはなぜか手が覚えている。
だから着物を着る。だからゆずからお酒を造る。

もしかして祖先、そう、身内の誰かから少しずつ伝わってきた手が私にあるのではないだろうか?
何十年前一緒に仕事をした家族、その手の間に何かが「架かる」のではないだろうか。

手間のかかるという言葉の語源は違う。しかし手間がかかるとは、人の働く手と人の働く手との間に何かが架かるということではないだろうか?

最近家に帰ると短い、ほんの数時間だけですが着物の人となります。
母たちが残してくれたふるい綿やウールの普段着がとても役に立ちます。

母たちが残してくれたのは、けして「いいもの」だけでない。
日常として使えるものを残してくれたのがうれしかった・・

こうやって虫干しをしています。また綿やウールや紬はどんどん洗い、割烹着も作り、どんどん家事で着物を着ています
外のお付き合いのかたがたにはチョコでも買ったもの・・

でも家族にはこの甘がき(つるし)にチョコとココアをまぶして作りました。

バレンタインデイ
夜でも花は咲く。夜でも芽を出す。夜でも根を張る
私は医師ですが・・この日が仕事っていうのは何となく楽しい。

いろいろな人が来るけどお父さんが同伴という場合が多い。

お父さん、仕事で大変なお父さん、お母さんももちろん仕事してるし
(このあたりはほとんど共稼ぎ)お母さんが仕事のあと子供さんを連れてくる場合がいつもほとんど。

今日や昨日は別.お父さんもおかあさんも連休中お仕事がお休みの場合ならお父さんとお母さんがその患者さんと(子供)赤ちゃんなどを連れて一家でやってくる。

お父さんが「がんばれよ!がんばれよ!」と励ます。私はいう、「お父さんにかっこいいとこみせようよ!」

なきたい気持ちをぐっと構えて「お父さんにかっこいいとこ見せてるこどもたち」かわいい。
晩春から初夏にかけ、着物をリメイクしたり虫干ししたりの毎日です。
今日が最後に全部虫干しです。

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