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道元禅師コミュの道元和尚広録(永平広録)の漢詩

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永平広録の漢詩です。道元禅師のぎりぎりの教えを参求するのに重要かとおもいます。
http://ameblo.jp/yominiotu/page-1.html
      ブログ「活きながら黄泉に陥つ」より

 ご意見、ご感想等がありましたら、ご参加ください。
  (ブログの中に掲載されてあります道元禅師の漢詩を使っての感想も宜しく   お願い致します。)

コメント(12)

道元和尚広録(5−390)



【原文】

健即坐禅無瞌睡。飢来喫飯大知飽。

【訓読】

健なれば即ち坐禅す、瞌睡無し。飢来れば喫飯す、大いに飽くことを知る。

【意味】

健やかであれば坐禅し、眠ることはない。腹が減ったならば飯を食い、大いに腹一杯であることを知る。

{感想}
尽十方界真実(仏)人体にまかしての、日送りに腹を据えることが大切なのかな!
道元和尚広録(5−392)



【原文】

雪雪千里万里。片片不同不別。逐歌逐舞乾坤新。埋月埋雲火井滅。五葉六華、応時応節。不怕夜凍及歳寒。澗松山竹虚心説。

【訓読】

雪雪千里万里。片片不同不別。歌を逐い舞を逐い乾坤新なり。月を埋み雲を埋めて火井滅す。五葉六華、応時応節 。夜凍及び歳寒を怕じず。澗松山竹虚心に説く。

【意味】

雪は千里万里と彼方まで降り、その一々は同じでも別でもない。歌い舞って天地は新しくなる。月を埋めて雲を埋めて、爐が消えてしまった。五葉、六華と教えが広がるのは、その時節による。夜の寒さや寒い季節でも恐れることなく、谷間の松も山の竹も、虚心に教えを説いているのだ。

{感想}
 「時節若至というは、時節既至なり。何の疑着することかあらん」という、道元禅師のお言葉があります。
松も竹もその場所で、時節が至って尽十方界真実(仏)が現れているという事でしょうか。
『松は吹く説法度生の声』という禅語があります。
道元和尚広録(5−372)



【原文】

有心想入禅定。三十四心計会。朝四暮三用得、当中及尽(皮)袋。

【訓読】

有心想、入禅定。三十四心、計会。朝四暮三、用得、当中、及尽(皮)袋。

【意味】

心想があって禅定に入れば三十四心という原始仏教の心の有り様を明らかにする。朝四暮三のように坐禅を用い得れば、まさに自分の肉体を仏法が尽くすだろう。

{感想}
 上座仏教は、心想を用う。三十四心は、我をたてることによっていろいろな識心の状態が、あります。
 大乗仏教は、無我(我をたてない)の処から教えです。只管打坐(大乗仏教の坐禅)の時、尽十方界真実(仏法)のお互いの肉体を行じていることになるのでしょうか。
道元和尚広録(5−383)



【原文】

有箇衲僧拄杖、上堂喫飯随身、一撃自他面目、天上人間絶隣。

【訓読】

有箇衲僧拄杖、上堂喫飯随身、一たび自他の面目を撃って、天上人間絶隣す。

【意味】

ここに私の杖があるが、上堂や食事の時など、私にしたがっている。一度、自他の見え姿を撃ったならば、天上界も人間界も側にいることはなくなるのだ。

{感想}
 杖とはなんだろう。尽十方界真実(仏)のことであろう。
上堂も喫飯(あらゆる日常)もあらゆることが、杖上の事か!。

現れる事実がすべて真実(成佛)であるということか。現成公按ということか。
追伸
天上界も人間界も杖(尽十方界真実=仏)の上のことがらか。
元和尚広録の漢詩(5−362)テーマ:ブログ

道元和尚広録(5−362)



【原文】

毘盧蔵海古今伝。三転法輪於大千。千嶽万峰黄葉色。衆生得道一時円。

【訓読】

毘盧蔵海、古今、伝わる。三たび法輪を大千に転ず。千嶽万峰、黄葉の色。衆生の得道、一時に円なり。

【意味】

仏を蔵している海は、古今に伝わるものである。過去・現在・未来に、仏の教えを大千世界に伝えたのだ。千や万という多くの山々は、経典の色そのものの黄色で覆われている。生きとし生けるものが仏道を得るのは、全ての時間に行われているのだ

{感想}
あらゆる衆生(生きとし生きる存在)は、すべて仏(尽十方界真実)の海(毘蘆舎那仏=法身仏)に何時でも(時間空間を越えて)浮かんでいるということか。
華厳経の海印三昧の教えということか。
テーマ:ブログ

道元和尚広録(4−338)



【原文】

参禅求仏莫図仏。図仏参禅仏転疏。塼解鏡消何面目。纔知到此用功夫。

【訓読】

参禅に求仏、仏を図ること莫れ。仏を図る参禅は、仏転た疏なり。塼解け、鏡消えて何の面目ぞ。纔かに知りぬ、此に到りて用功夫を。

【意味】

参禅するときには、仏を求め、仏になろうなどと意図してはならない。仏になろうとする参禅は、仏から遠ざかっていってしまうものだ。瓦のような迷いが解けて、悟りのような鏡も消えてしまえば、そこに残るのはどのような姿だろうか。わずかに知るのは、ここに到って修行すべきということだ

{感想}
只管打坐は、仏を求めることを止め、仏に成ろうとすることも止めて意識を使わないで坐るということか。
道元和尚広録(4−332)

【原文】

仏子住此地、即是仏受用。常在於其中、経行及坐臥。

【訓読】

仏子住此地、即是仏受用。常在於其中、経行及坐臥。

【意味】

仏の弟子がこの地に住んだならば、つまりはこの仏が受用するだろう。仏の中に常在して、経行し坐臥するのである。

{感想}
この地というのは、どの地でもということか。

常に仏(尽十方界真実)に抱かれながら、日送りをするということか。

道元和尚広録(5−355)

【原文】

学道若鑽火。見煙未可休。驀直金星現、世間第一頭。

【訓読】

学道、若し火を鑽らば、煙を見て未だ休むべからず。驀直に金星現ず、世間第一頭なり。

【意味】

学道というのは、火をおこそうとすれば、煙を見ても未だ休まずにおこし続けることである。そうすれば、まっしぐらに金星が現れ、世間の第一番目の存在になるだろう

{感想}禅語に「ただ良く相続するを主中の主なずく」という言葉があります。
仏道も常に精進することが、大切なのですね。
道元和尚広録(4−340)



【原文】

種田摶飯家常事、明月清風富一生。

【訓読】

種田摶飯、家常の事、明月清風、富一生。

【意味】

田に種を植えて、刈って飯として食べることが、まさに日常底そのものであり、その日常に徹すれば明月にも清風にも一生事欠かないものだ。

{感想}日常の一こま一こまこそが、禅(仏道)の世界ということか。
道元和尚広録(4−333)



【原文】

無二無二分無断、摩訶般若波羅蜜。

【訓読】

二無く二分無く断無し、摩訶般若波羅蜜。

【意味】

二ということもなく二分することもなく、そもそも断じることもないのだよ、偉大な智慧の素晴らしさよ。

{感想}
尽十方界真実=仏=般若ということか。全て、般若上のことか。
道元和尚広録の漢詩(4−333)テーマ:ブログ

【原文】

無二無二分無断、摩訶般若波羅蜜。

【訓読】

二無く二分無く断無し、摩訶般若波羅蜜。

【意味】

二ということもなく二分することもなく、そもそも断じることもないのだよ、偉大な智慧の素晴らしさよ。

{感想}
尽十方界(宇宙)真実=仏=般若=智慧は絶対的一ということか

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