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[異説] 超古代文明 [オカルト]コミュの「大ピラミッドの建造者はクフ王ではない」説

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 ギゼの大ピラミッドは、エジプト古王国・第4王朝のファラオ・クフ(前26世紀)が建造したことはよく知られています。しかし、一方で、その建造者をクフ王以外に求める説も絶えません。
 中世には、旧約聖書『創世記』に登場するエジプト宰相・ヨセフとする説がありましたし、近代アトランティス説登場以降は建造年代を1万2000年以上前にさかのぼらせてのアトランティス人説、宇宙人説、太古日本人説、未知の超古代文明人説、建造年代を下らせて第18王朝のツタンカーメン王の霊廟とする説などがあります。

 この説に一大画期を与えたのはゼカリア・シッチンという人物です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3
http://www.genpaku.org/skepticj/sitchin.html


 大ピラミッド内のいわゆる重力軽減の間という空間の天上部分にピラミッド建造に携わった石工が書いたとされるクフ王を讃える文があります。シッチンはその文におけるクフ(kh・w・f・w)のkh音を表すヒエログリフが、実は太陽神ラーを表す表意文字だと主張しました。そして、その文字は重力軽減の間に史上最初に入った探検家ハワード・ヴァイスが捏造したものだと主張したのです。彼がその説を発表するや、「ヴァイスがピラミッドの中にペンキを持ってはいるのを曽祖父が見ていた」と名乗り出た証人?まで現れたとのことです。

 また、シッチンはイベントリー碑文といわれる古碑文に「クフ王はピラミッドの女神イシスに祈りを捧げた」と書いてることに注目、大ピラミッドがクフ王の在位以前からあった証拠とみなしました。これらシッチンの主張はグラハム・ハンコックによって引用され、世界中に広まられました。

 さて、シッチンが主張したkhとラーの誤記という問題ですが、現在では考古学者のみならず観光客(エジプトファンにはヒエログリフが読める人はけっこういます)も多数入って書き込みがたしかに「クフ」と書かれていることを確認していますし、鮮明な写真で見ても冒頭の文字が「ラー」ではなく「kh」であることはわかります。
http://55096962.at.webry.info/200808/article_10.html

 このクフ王を讃える文は石を積む前に書かれたものであるため、碑文の続きが石の間にまで入り込んでいることは小型カメラでも確かめられています。ヴァイスが後から書き込もうとしたなら、いったんピラミッド全体を解体し、書き込んでからまた組み立てなおす必要があったでしょう(文章全体の構文からいって前からあった文にクフ王の名だけ書き込むというのも無理です)。

 イベントリー碑文には実際には「ピラミッドの女神イシスに祈ってクフ王がピラミッドを建てた」とあります。これは大ピラミッドの事と考えるのが妥当ですし、考古学界でもこの碑文はシッチン、ハンコックの解釈と逆にクフ王がピラミッドを建てた証拠の一つとみなされています。
http://pubweb.cc.u-tokai.ac.jp/haruta/hancock/fog_a003.html

 クフ王のピラミッド建造については、古代ギリシャの歴史家ヘロドトス、ローマ時代の歴史家マネトーも著書に明記しています。ピラミッドの近くには建造に従事した労働者たちの集合住宅もあり、作業員のローテーション表や食料など生活物資の搬入記録まで出土しています。ピラミッドの付属施設から出た「太陽の船」という木造船のC14年代測定もクフ王の建造を裏付けています。

 古代文明には無文字文化が多いこともあって、巨大建造物の建造者の名が特定できることの方が珍しいものです。現に日本でも古墳の被葬者は特定できない方が普通です。その点、大ピラミッドは文献資料、金石文、考古学上のデータと建造者の名前を特定するデータがみな一つの方向を指し示すという貴重な事例です。それでもなお、建造者がクフ王ではない、という説が絶えないあたりに、この建造物が現代人の想像力を(妄想を含め)いかに刺激するかが示されているのかも知れません。

コメント(10)

ナショナルジオグラフィック ニュース

ギーザの大ピラミッド、着工日特定かAndrew Bossone in Cairo
for National Geographic News
September 23, 2009

 エジプトにある“ギーザの大ピラミッド”の建設はいつ始まったのだろうか。その正確な日付を特定しようというプロジェクトが最近調査を終え、紀元前2470年8月23日という結果を発表した。

今回調査を行ったエジプトの考古学チームは、“ソティス”と呼ばれていた恒星(現在は「シリウス」)の出現記録を基に、大ピラミッドの建設着工日を算出したという。

 ソティスは毎年、ナイル川が氾濫する時期になると、明け方の空に突然姿を現したと言われている。

 調査チームを率いたエジプト最高考古庁前長官のアブデルハリム・ヌール・エルディン氏は次のように話す。「当時ソティスは、氾濫期の始まりを告げる星だった。大きな建物や墳墓、寺院などの建設工事もそれに合せて着工された」。ナイル川が氾濫すると肥沃な土砂が運ばれ、流域に豊かな恵みがもたらされる。古代エジプトでは、氾濫期が始まる頃は縁起の良い時期とされていたのである。

 一方、歴代のファラオは、即位と同時に自らの墓の建設を始めたと言われる。エルディン氏らによれば、ギーザの大ピラミッドに埋葬されたと考えられているクフ王がファラオに即位したのは、紀元前2470年だという。

 そこで調査チームは、紀元前2470年にソティスが姿を現した正確な日付を特定するため、現代の暦と古代エジプトの暦、それにソティスの公転周期とを比較した。

 その結果、ソティスが現れたのは7月17〜19日で、その35日後の8月23日に氾濫期が始まったという結論に達した。

「ソティスの出現時期を基にして、毎年訪れるナイル川の氾濫時期を特定しようというアイデアは理にかなっている」。こう話すのは、アメリカ、シカゴのアドラー・プラネタリウムで天文学を研究するマーク・ハンマーグレン氏だ。

「太陽暦を基にすれば、ソティスは毎年ほぼ同時期に出現するため、その時期がわかればナイル川の氾濫期も正確に特定できることになる」。

 ハンマーグレン氏は、エルディン氏らが算出したソティスの出現時期について、その他の研究者らの推定結果から判断しても、ほぼ間違いないと見ている。

 ただし、古代エジプト人がソティスを観測できるかどうかは、その時の天候にも左右されるため、年によってはソティスが初めて現れた日付が正確でない可能性もあるという。

 ギーザの古美術品管理の最高責任者であるマフマド・アフィフィ氏も、クフ王がファラオに即位した正確な年を特定する研究に関心を寄せている1人だ。

 古代エジプトでは、新しいファラオが即位するたびに、その年を0年とする記年法が用いられていた。そのため、当時の出来事が起こった年月日を西暦に換算することは難しいことが多い。

 その上、古代エジプト人は政略的動機から史実を改ざんすることが少なくなかったため、記録に残っている歴代ファラオの統治年もあまり信頼できない。

 クフ王の正確な即位年については、現在も研究者の間で活発な議論が交わされている。中にはエルディン氏の調査チームが特定した日付より139年も前だという研究結果もある。

 そんな中アフィフィ氏は、当時の大事業だったギーザの大ピラミッドには、設計に相当の期間が費やされた可能性が高く、建設着工もクフ王が即位した年には間に合わなかったのではないかと見ている。

 アフィフィ氏にとって、ギーザの大ピラミッドは依然、多くの謎に包まれた存在だという。「クフ王はなぜ、父親の墓があるダハシュールから30キロも離れたギーザ台地を選んで自らの墓を建てたのか。それすらわかっていない。ギーザの大ピラミッドについてはさまざまな学説が提出されているが、それがこのピラミッドの不可思議さを象徴している」と、アフィフィ氏は話している。
===========
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=8949788&expand

シリウスの出現記録を基に、大ピラミッドの建設着工日を算出ですかw
これは気象の予測をしただけで、クフ王が建設したという証拠ではないです。

一般人も科学者ももっともらしい数式を出されると、
本題がぼやけて、そうなんだ〜となんとなく納得させられる傾向にありますが
それは本質とぶれてることが多いですね。
>2

YOJI様

>これは気象の予測をしただけで、クフ王が建設したという証拠ではないです。<


まあ、クフ王が建造したこと自体は他の証拠で明らかなわけですから、そのことについてこれ以上の議論は必要ではないでしょう。

1のニュース本文にもある通り、クフ王の年代そのものに疑問があるという点からすれば、この期日推定も単なる一試案なんですよね。


>3

偽史学博士様

いつもご苦労様です。私も議論の必要はないと思っています。

ピラミッドは1万年以上前からここに存在していた。
それは9年という短い歳月で人類が建造した。
クフ王はそれらを利用した。

たとえこれらが真実だとしても我々の日常に何の変化も起こらないのですから。
>たとえこれらが真実だとしても我々の日常に何の変化も起こらないのですから。

過去を知ること、調べる過程によって得られる知識というものは日常にも関わってくる気がします。

それはそれとして、「クフ王以外が建てた」可能性を強引に考えてみたのですが、クフ王の名前が書かれた石が奥にあるという事はそれ以前の誰かが建てたとは考えにくいです。
でも、「イベントリー碑文によって語られたクフ王のピラミッドは別の(あるいはもっと小規模なピラミッド)で、それの石材を流用して大ピラミッドを建造した」とかなら前述の条件までは満たしているかな、と。
じゃあ誰が建てて、何故その記録が残ってないのか、とかいう辺りは全く考慮していない空論ですけど。
こたく様

トップにも少し書きましたが、ピラミッドの年代を新しくする方向で、古王国のクフ王による建造を否定する(というか古王国そのものの存在を否定する)という論者も実在するんですよ。

たとえば下記の本の著者ですね。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4404017804/

でも、この方向のクフ王建造否定論ってあまり人気がでないんですよね。
本当にクフ王の建造なら、あんな所に精度の悪い記述するのかなぁ…とずっと思っていました。
他の古代エジプトに類例あるのかな。

イスラム教権のため、建造年代を捏造していた説が説得力あるように思えました。
>7

夢巡様

すみません、文章の意味がわかりかねます。

そもそもピラミッドの建造年代はイスラムと関係ありませんし・・・・

このコミュは基本的に議論禁止なので、このトピに関する異論・疑問は類似コミュのこちらのトピに提出していただければありがたく存じます。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33857289&comm_id=2870573
偽史学博士さま

リンクとコミュニティーの主旨の説明有り難うございます。

コメントの流れで書かせて頂きますが、
エジプトが人口の多数をイスラム教信徒が占めており、教典に書かれている内容と矛盾した古代エジプトの歴史を歪曲、捏造しているという説です。

この説自体が、立証しようが無く、不毛な議論になり兼ねなかった事をお詫びします。


以後、ここでは議論になりそうなコメントは控えます。
>8:夢巡さん

その説の立証は無理だと思いますが、”検証”は可能だと思います。イスラムや歪曲・偽造の可能性については多少考察は出来ると思いますので、おそらく肯定的な結論にはならないと思いますが、それで宜しければ、その推論を何人かで検証・説明可能かもしれませんので、宜しかったら8で偽史学博士さんの紹介されたトピでもう少し詳しく問題提起していただければと思います。そちらは議論もOKですから。

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