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生活保護者の集いコミュの「会いたい」仲のいい妹からの電話 バス代440円が惜しかった

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https://digital.asahi.com/articles/ASPDB52KSPD8PISC00C.html?pn=10&unlock=1#continuehere

憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しています。その「最低限度」とは何か。ある生活保護受給者の日々を見つめ、考えます。

 2016年の秋ごろだったと思う。金沢市内で一人暮らしをする真田芳弘さん(現在75歳)の携帯電話が鳴った。

 三重県に暮らす5歳下の妹だった。金沢駅前のホテルにいるという。「会いたい」。理由はよく分からないが、そう言われた。

 数カ月前に母親を失い、妹が連絡の取れる唯一の身寄りだった。小さい頃から仲が良かった。

 「小学校の時に、おれが家から閉め出されたわけよ。門限守らなくて。そしたら妹が泣いてくれてさ。『兄ちゃんを家に入れてくださぁい』って。なんか気が合ったんだよなぁ」

 金沢市内の実家は、終戦直後で貧しかった。研究者になりたい気持ちもあったが、「大学は性に合わない」と、高校を出てすぐに就職した。妹を高校に行かせるためでもあった。

 そんな妹とは時折、電話やメールでやりとりはしていたが、ここ2年ほどは会えていなかった。ただ、この日の電話は突然すぎた。

 電話があったのは昼ごろ。バスの本数は少なく、妹を待たせることになる。しかも家から駅までのバス代は、往復で440円もかかる……。

 真田さんは、09年から生活保護を受給している。国民年金と合わせた月収は、10万円程度。家賃3万2千円、築40年超の木造アパートに暮らし、食事は1日1〜2食に抑える。冬場はエアコンをほぼつけず、室内でもニット帽をかぶり、上着を2、3枚重ね着してやり過ごす。

 そんな身に440円は惜しかった。「無理だよ」。また会えると思っていた。断った。

のちに妹の元へ駆けつける真田さん。記事の後半では、暮らしぶりが一変する人生模様を紹介します。

ここから続き
 それが、最後の会話になった。

    ◇

 1年後の秋ごろだったと思う。また、携帯電話が鳴った。今度は、妹の息子だった。「明日通夜」「明後日葬式」「来てほしい」。妹は子宮頸(けい)がんを患っていた。

 「ウソだろって。思考停止だよ。とにかく行かなきゃって」。三重県での葬儀場へ、「全財産ひっつかんで」向かった。

 金沢駅へはタクシーで。数十年ぶりの鉄道は切符の買い方が分からず、駅員に行き先だけを伝えた。「とにかく早いのを」。お金は惜しくなかった。

ウソだろ……思考が止まった
 葬儀場に着いたが、飯も酒ものどを通らなかった。葬儀場に泊まり、色々と考えた。なんとなく、あの電話の意味が分かった気がした。

 「もう死ぬっていう話だったんだろうな」

 「いや、まさか、死ぬとは思ってなかったから。次会った時に話せばそれでいいと思ってたから」

 「タクシーでもなんでも使って会いに行ったらよかった。失敗したよ」

 葬式の日。喪服のジャケットを持っていなかったので、義弟らに頼んでレンタルしてもらった。

 棺の中の妹の顔は、「きれいだったよ。うまく化粧してもらってさ」。

    ◇

 妹は14年ごろ、真田さんが生活保護を受けていると知ってか、家を訪ねてきたことがある。

 「タオルとか、上着とか、こぉんな山みたいにして持ってきてよぉ。『いいよぉ』って言ったんだけど、置いてってさ。あん時は、なんでこんな悪趣味な服ばっかと思ったけど、今思うと生活保護のおれを心配してたんだな」

 妹が亡くなって4年が経った。「まあ、人はみんな死ぬからさ」。でも、「おれより先って。ちょっと早すぎたんじゃねぇかなぁ」。

おれを心配していたんだな
 寒くなるこの時期、寝る時も外出する時も羽織る上着がある。シンプルなデザインの紺色のジャンパーだ。

 「悪趣味だろ? 妹がくれたやつなんだけど、まあ、暖かいから着てるのよ」

    ◇

 真田さんは今も、同じアパートに暮らしている。生活の大部分を過ごす部屋の中央のこたつ机は、台所にも、食卓にも、布団にもなる。その上に置かれたランプと小型テレビが、部屋の唯一の明かりだ。

 ランプに照らされて、心臓病の薬や、電気コンロとともに、「一般相対性理論」と書かれた大判の本が無造作に置かれていた。

 「小難しい本が好きなんだよね。なにか分からないことがあると、とことん突き詰めちゃうんだよ」

 2台の本棚には、200冊を超える本が詰め込まれていた。アリストテレスの入門書や太平洋戦争をテーマにした書籍……。

 とりわけ目につくのが「C言語」や「プログラミング」といったコンピューター関連だ。

 「高校の頃は、技術者か研究者になりたかった」

 1946年、終戦直後の貧しい時代に生まれ、市内の工業高校に進学した。友達と自家製のアンプを作り、卒業制作には、レーザー装置にも挑戦した。

 高校卒業後は大手電機メーカーに就職し、県外へ。7、8年働いた後、石川県内に戻り、内線工事の会社に入った。5年間の修業を積み、その後独立。30代後半で、ロケットなどの製造も手がける大手企業と個人契約を結んだ。工事現場で、車を輸送するベルトコンベヤーのシステム管理や、現場の安全管理も任され、60歳ごろまで働いた。ある程度の貯蓄もできた。「C言語」はこの時学んだものだった。

 「有名な会社のでかい仕事をもらえて、誇れる仕事だったね」

リーマン・ショックで一変した
 そんな生活を一変させたのが、2008年のリーマン・ショックだった。

 本棚には、「株」や「金融」の本も30冊ほど並んでいる。現場の仕事と平行して10年ほど勉強し、「株で食っていこう」と決めていた。

 しかし、全財産を当時ブームの不動産ファンド1社につぎ込んだ結果、リーマン・ショックで株価が大暴落。その後、会社は上場廃止となった。

 「そこにおれの全財産も入っていたって訳さ。バカやっちゃったよ。はは」。

 そう笑い飛ばすが、当時は「仕事も、生きる希望もなかった」。家賃の取り立てに来た大家に言われ、生活保護を受けるようになった。

 読書は、お酒とともに数少ない楽しみの一つ。ただ、酒は食費を切り詰め、スーパーで一番安い2リットル600円程度のものを3日かけて飲めるが、書籍は買う余裕はない。本棚の本も、全て2回ずつは読んだと思う。

    ◇

 最後のセーフティーネットとされる生活保護。その基準額は、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」のために国が定める金額だ。

 国は、2013〜15年、この基準額を最大10%引き下げた。この引き下げの取り消しを求めて、全国29地裁で訴訟が起こされ、真田さんも金沢訴訟の原告団の一人として参加している。

訴訟原告団の一人に
 だが、金沢地裁は11月、真田さんらの訴えを棄却した。これまでに、引き下げを取り消した今年2月の大阪地裁判決を除き、5地裁で棄却されたことになる。

 金沢地裁判決は、原告4人の生活状況に触れ、「切り詰めた中でも食事の内容が社会的に許容し難い程度とまでは認められない」と言及した。

 「高収入のエリート裁判長には、分からないでしょうね」。真田さんは、どこか納得したように言う。

 自分もかつてはそうだったからだ。実際に「最低の生活」を始めて、やっとそのつらさが分かった。

 自分自身は独り身で仕事をすることもなく、「このままでもいい」と思う。でも、家族連れの失業者やシングルマザーを思うと、この生活は「あまりにも厳しい」。

 生活保護制度は、施しのような印象を与える「保護」ではなく、当たり前の権利であることを強調して「保障」と呼ぶべきだと考える。

 「事故や大けが、不景気。いつ、なにが起こって、みなさんがここに来るか分からないんですよ」

 金沢訴訟の原告団は8日、地裁判決を不服として控訴した。

 「判決が先か、寿命が先か分からない。でも、人のためになにかしたい」(平川仁)

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