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国木田独歩コミュの独歩孝

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国木田独歩文学論 -連載1/5

「空知川の岸辺」をめぐって
       ー空知独歩の会ー                                             

はじめに
 わたしたちは昨年11月20日、北海道赤平市の常照寺(浄土真宗)において「国
木田独歩没後百年記念のつどい」を開催、自主制作映画「空知川の岸辺」の上映
会も開催した。さらに2月、「国木田独歩の足跡をたどるツアー」に参加し、国木田
独歩の文学と、その人となりを研究してきた。
 また今回、この紙面をお借りして、国木田独歩の「空知川の岸辺」という小説が日
本近代文学史上、いかなる意義をもっているのか、各界の諸先輩の研究、著作を
まとめて、その一部を掲載できることは大きな喜びとするところである。
 なぜ、今、百年前に、空知に来た、独歩の作品を、取り上げるのか、というと、
彼の作品ひとつ、ひとつが、今、生きている、わたしたちの世界の行く末を暗示し
、「生き方」の羅針盤の役目をはたしている、と思われるからである。
生前、たいした評価を受けなかった独歩の作品の中でも、まったく文壇で無視さ
れつずけている「空知川の岸辺」という小説ーしかし、鋭い問題意識をもって研究
されている各界の学者、研究者のみなさんの著作、論文を、読んでいただけれ
ば、この小説の魅力に、驚かれると思う。


「独歩名」の由来

山林に自由存す われ此<この>句を吟じて血のわくを覚ゆ
嗚呼山林に自由存す いかなればわれは山林をみすてし
あくがれて虚栄の途<みち>にのぼりしより 十年の月日塵<ちり>のうちに過ぎぬ
ふりさけ見れば自由の里は すでに雲山千里の外にある心地す
眦<まなじり>を決して天外を望めば をちかたの高峰<たかね>の雪の朝日影
嗚呼<ああ>山林に自由存す われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ
なつかしきわが故郷は何処<いずこ>ぞ 顧<かえり>みれば千里江山
自由の郷は雲底に没せんとす

北海道歌志内市公園の詩碑には「山林に自由存す/われこの句を吟じて/血のわくを覚ゆ/嗚呼
山林に自由存す/いかなればわれ/山林をみすてし/
と記され千葉県銚子市の海鹿島詩碑には
「なつかしき/わが故郷は/何処ぞや/彼処にわれは/山林の児なりき/
と記されている。       
国木田独歩が生来の勉学好きから将来政治家になるために東京専門学校(現、早稲田大学)
に入学し、在学中に植村正久牧師からキリスト教の洗礼を受け「われはいかに生きるべきか」と
いう問題に頭を悩まし政治家になることを断念した、というのは、本人も、そう書いているので事
実であろう。学校の改革委員に選ばれた独歩は当時の校長、鳩山和夫(現、鳩山総理の祖父)
への不信からストライキを提唱し、敗れて中退している。
その後、明治20年代に、その青春を送った独歩は、明治維新の政治世界に憧れ自由党機関誌
「自由社」に入社したが、政治世界の理想と現実に絶望し退社している。生前は売れない文学者
であった独歩が、明治を代表する文学者として再評価されていく過程を追いながら「独歩」名の由
来について考えてみたい。
柄谷行人という著名な評論家が「日本近代文学の起源」という著書で「日本の近代文学は、国木
田独歩においてはじめて書くことの自在さを獲得したといえる。」(94p)「「文学」の主流は、鴎外
や漱石ではなく、国木田独歩の線上に流れて行った。」(98p)と国木田独歩の文学について、好
意的な評価をしているが、これについて「国木田独歩と「風景の発見」」という仲島陽一氏の論評が
ある。柄谷氏の論文は、全体に思想的偏向が見受けられ文学論としては、あまり価値はないが、
とにもかくにも国木田独歩の文学に焦点をあてた功績は大であろう。また、1952年発行の岩波
書店「文学」に国木田独歩特集に「独歩と民衆」と題して、「独歩吟」の中の「山林に自由存す」に、
触れられている。
今回のテーマ「国木田哲夫が「独歩」と名のった由来の一考察は、学会とは無縁の一独歩ファンの
文章なので気楽に読み流していただきたい。
独歩名の由来は、実は意外にも、浄土真宗の「仏説無量寿経」と関係があるのではないだろうか。

仏説無量寿経の一節
「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り趣く
。身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし。善悪変化して殃福処異なり、宿予、厳待して当に独り
趣入すべし。」
国木田独歩が明治二十八年九月二十五日、北海道歌志内市に「空知川の岸辺」探索に来て、歌志
内に一泊したとき石川旅館の主人と歓談したことが小説「空知川の岸辺」に書かれているが、そのこ
ろ歌志内市に浄土真宗本願寺派のお寺があり、東京の人気新聞記者、国木田独歩の名は、有名で
独歩が「わがゆく道」想い、「「独歩」と自ら名のったのではないか。資料的な証拠は何もないが、浄
木田独歩も知っていたであろうし、キリスト教の洗礼を授けた植村正久から、西行の知識は得ていた
。次回では、もう少し詳しく西行法師と、独歩の関係について考えてみたい。



コメント(1)

こんばんは〜

わたしには 難しい事は分かりませんが 「独歩」と名乗るようになった 由来は分かりました

西行法師のお話も 楽しみです

田山花袋との同居生活にも 興味があります
何か ご存知でしたら 教えてください

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