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Sports Barでサッカー観Ciao♪コミュの★Gabriel Batistuta★

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フルネーム★ガブリエル・オマール・バティストゥータ (Gabriel Omar Batistuta)

ニックネーム★バティゴール,レ・レオーネ(獅子王)

国籍★アルゼンチン

生年月日★1969/2/1

出身地★レコンキスタ(サンタフェ)

ポジション★FW(CF)

身長★185cm

体重★73kg

代表デビュー★1991/6/27vsBRA(通算78試合,56得点)



 彼の放つシュートは重力や空気の抵抗をまるで無視しているかのようだった。ゴールまでの距離などお構いなしに右足を振り抜き、次の瞬間ボールはゴールネットに突き刺さる。打点の高いヘディング、パワフルなFKも得意とし、パスにおいても一級の能力を備える。金色の髪を振り乱し咆哮こだますその姿は獅子王そのものだった。
 ガブリエル・オマール・バティストゥータは1969年2月1日、アベジャネダにて父オスマールと母グロリアの間に生を受け、彼が生まれて間も無くレコンキスタへと移住する。兄弟のエリサ、アレハンドラ、ガブリエラは何れも女の子で、ガブリエルは兄弟の中でただ一人の男の子だった。小さな頃からバスケットが大好きな少年で、将来の夢はバスケットのアルゼンチン代表としてオリンピックに出場することだったそうだ。その一方で学業でも優秀な成績を収め医者を志しもした。
 1978年、9歳の時にヒーローとの出会いが有る。同年アルゼンチンで行われたワールドカップでのマリオ・ケンペスのプレーを目撃し、サッカーに対してもほんの少しの興味を抱き始める。それでもサッカーを本格的に始めるのはなんと17歳になってから。地元のレコンキスタ・サンタフェに加入し並外れた運動能力で頭角を現すと、1987年にニュエルス・オールドボーイズから誘いを受けキャリアをスタートする。
 プロサッカー選手としての道を歩み始めたバティストゥータだったが、当初はさほど活躍できずに苦しむ。リバープレートではダニエル・パサレラとの確執が噂されボカ・ジュニアーズへと移籍。しかし1990年12月のイリーナとの結婚が契機になったのか、ボカでは得点を量産し1991年6月に代表デビュー。迎えた南米選手権ではチームのエースとして活躍し7ゴールを挙げアルゼンチンを南米チャンピオンに導き、大会終了後にフィオレンティーナへと引き抜かれた。
 バティストゥータは自身の祖父が生まれた地、イタリアで大きく成長を果たす。初年度から13得点を挙げポジションを手中に収め、翌シーズンは16得点を記録。バティストゥータの活躍の甲斐無く1993年にチームは2部に降格してしまうが、彼はフィオレンティーナに残留しチームに忠誠を示す。ワールドカップを翌年に控えた大事な時期にも関わらずの残留だっただけに、ティフォージはこの決断を喜びバティストゥータはフィレンツェの英雄となった。
 1994年ワールドカップではギリシャ戦でのハットトリックを始め通算で4得点を挙げる。アルゼンチンはベスト16で姿を消し満足のいく結果を得られなかったが、1994/95シーズン、開幕当初からゴールを挙げ続け、11試合連続ゴールという新記録を樹立しシーズン通算26得点を記録。得点王に輝くなどそのプレーはスケール感を増していった。その間にも様々なビッグクラブからのアプローチがあったが、バティストゥータはことごとくこれを退け頑なにチームに残留。彼の活躍もあり、フィオレンティーナはセリエAでも屈指の強豪として知られる存在となった。ビオラにとって至福の時が続いた。
 しかし、その幸福な時間は急に終わりを告げる。フロントの無理な経営が祟り財政難に陥ると、チームは多くの主力選手を放出せざるを得ない状況へと追い込まれる。クラブの目玉商品は言うまでもなくバティストゥータだった。バティストゥータ放出にあたりティフォージからは「ポンテベッキオを売り飛ばすようなもの」との強い反発があったが、2000年に約40億円という当時の2番目に高い移籍金でローマへと移籍。2000/01シーズンは20得点を挙げ夢にまで見たスクデット獲得を成し遂げるも、そのゴールの中にはフィオレンティーナを相手に挙げたゴールも含まれており、その際は喜びを表す事無く、ただ目頭を抑え悲しみを堪えるような様相を呈しフィオレンティーナへの愛情を示した。
 当然のようにその翌シーズンも活躍が期待されたが、膝の故障の影響もあり全盛期のプレーは蘇らず。2003年1月から半年だけインテルでプレーした後、高額なオファーを受けカタールのアル・アラビへと移籍。2003/04シーズンこそ25得点を挙げリーグ得点王に輝くなど力の違いを見せつけたが、2005年3月、クラブとの契約を打ち切り現役引退を発表した。引退声明文の中には「今後も違う形でサッカーに関わっていく」との一文も含まれており、監督、フロントとしての顔を見せる日もそう遠くないものと思われる。

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