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SONGSコミュの第106回 原由子

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こんばんは。原由子です。
久しぶりに母校青山学院大学を訪ねました。
このキャンパスは、私の音楽の原点です。
今夜はここで、私が歩いてきた道のりをゆっくりお話しています。
「SONGS」1曲目は私の新しい歌「みんなに元気になってほしいという願いを
こめた歌です。
るんるん「夢をアリガトウ」

私の母校、青山学院大学です。
このキャンパスでの出会いが私の人生を変えました、

 こちらです。じゃぁ入ってみたいと思います。
 ちょうどこの辺で健康診断の後、歩いていたら、勧誘されたんです。
 軽音楽サークルの勧誘、
 ここに出店が出て先輩が誘ってくれたんですね。

女子校に通っていた私は、音楽に夢中でしたが友達が少なく孤独でした。
たった一人、音楽の話ができる友達とジェロニモというバンドをやっていま
した。兄の影響で、エリック・クラプトンが大好きでした。

 あ〜懐かしい。全然変わっていない。
 さっきイチョウ並木で言いましたけど、イチョウ並木で勧誘されて、説明会に
 来てって言われて先輩に。
 それで行こうと思って、この階段を上っていたら、クラプトンの「Badge」が
 聴こえてきたんです。それで、あっ、クラプトン好きな人がいるんだと思って
 上っていったら、佳ちゃんがギター弾いていたんです。
  取材者>教室で?
 ええ。たぶん、この教室で。クラブの説明会やってて。
 いいんですかね。開けちゃって。
 あ〜懐かしい。
 ここで佳ちゃんがギタ−でベースの関口がベースを弾いていて。
 ピストン桑田とシリンダーズというのをやってたんですよね。それで、このク
 ラブに入ろうと思って。

このサークルが、後に分裂してBetter Daysという名前になります。
サザンオールスターズが生まれた音楽サークルです。

 こんにちは〜。

懐かしい学食です。

 懐かしい〜。
  取材者>変わってます?
 いや、あまり変わってないですね。この柱の位置とか。
 大体この辺がたまり場だったんです。

Better Daysは、部室がありませんでした。たまり場は学食。
何かって言うとみんなここに集まっていました。

 あ〜懐かしい。

学食の上、1号館の屋上です。先輩だった桑田が初めて作ったオリジナル曲を
ここで私に聞かせてくれました。

 ここで、よく曲ができたって言っちゃ、こういうところで聞かせてもらってま
 した。その辺が何かにちょっとお尻乗っけて、ギター弾いたんじゃないかな。
 こういう所で、椅子か何か持ってきたのかな。こんな感じで。

 高校時代クラブにも入ってなかったですし、音楽の話ができるような友達も
 少なくて、すごく暗くて、未来に夢も持てなかったし、すごく絶望感に満ち
 あふれていたんですね。今だから、笑って言えますけど。
 それが青学に入ったら、同じようにクラプトンが好きだったりとか、音楽が大
 好きな人たちがたくさんいて、やっと仲間ができたとという感じで。
 そこから、やっと暗かった少女時代に光が差したような感じで、いろいろ夢も
 持てるようになったり、明るくなったような気がしますね。

ここは、初めて私が、仲間と夢を語ったところ、
青学のキャンパスは私にって、とても大切な場所です。
「いちょう並木のセレナーデ」という歌があります。
結婚した後に、桑田が作ってくれた曲ですが、学生時代の私の気持ちそのままで
大好きな曲です。
思い出のキャンパスで歌いました。

るんるん「いちょう並木のセレナーデ」

部室がなかっ私たちは、大学のそば渋谷の斎藤楽器という貸しスタジオでよく
練習をしました。

 初めて斎藤楽器で、佳ちゃんと青学ドミノスというのを結成して、練習した
 時にオルガンを運んでくれたですけど、あの辺から、頭の上にオルガンを
 載っけて、スタジオまで歩いて持ってってくれたんですね。
  取材者>優しいですね。

 斎藤楽器、あっ・・ここかな。ここですね。
 まだありますね。こんにちは。あ!
 あ!ピアノが昔もまんまた!これそうだ〜。
 いいですかね?これ。
 同じじゃないかな。ここに置いてありました、昔も。
  取材者>ここで練習してたんですか?
 そうです。大学1年の夏に佳ちゃんのバンドが練習してるの見に来たんです。
 そしたら、「原さん、ピアノ弾けるんだって?」って言われて。
 「弾いてみて」って言われて、これ弾いたんですね。
  取材者>何を?
 「LAYLA」を。
 (映像:「LAYLA」を弾く原坊)
 そしたら、「やればできるじゃん」って言われて。それがサザンができる
 きっかけになったんですけど。
 
1978年、まだ学生だった私は「サザンオ−ルスターズ」としてデビューします。
でも私は戸惑っていました。

 とにかく自信がなかったので、もしサザンでプロになるんだったら、私は
 やめようかなって、桑田に相談した事もあったんですけど、その時に
 「テクニックがどうのこうなんて、上を見たらキリがないんだし、とにかく
  みんなで一緒にやってにきたんだから、このまま頑張ってやってみようよ」
 ・・ってて言ってくれて。
 デビューしたのが31年続いちゃったんですけど。

サザン31年のキャリアで私の転機は、デビューから7年がたちこの「KAMAKURA」
を作っていた時に子供を授かった事でした。

 私はもうこのまま引退してもいいぐらいのつもりだったんですね。実際に子供
 が生まれて育児に追われて、しばらく全然ピアノも弾かないし、音楽も聴かな
 いような、音楽とかけ離れた生活をしてた時期もあったんですけど、育児疲れ
 もあって、疲れてた。心が乾いちゃってたような時期があったんですよね。
  あるきっかけで、久しぶりにピアノをポロンと弾いてみたら、何か急に心の
 中にジワーッて何か、何だろう、幸せホルモンか何か分からないですけど、
 脳内ホルモンっていうのかな。やっぱりなくてはならないというか、
 音楽は私ににとって宝物ですね。ほんとに。

実は私は自分の声が大嫌いでした。
そんな私が初めてサザンでリードボーカルをとったたのが「私はピアノ」です。

 急になぜか、桑田から「リードボーカルとってみたら?」って言われて、
 自分でこんな声が出るのかなって、ちょっとびっくりしたんです。
 初めて自分の声が分かったっていうか。

ピアノにギター、楽器を弾いてハモってばかりいた私が初めてリードボーカルを
とった「私はピアノ」この歌で私は少しだけ自分の音楽に自信を持つことができ
るようになりました。
私の大切な歌です。聴いてください。
るんるん「私はピアノ」

私は、今50代。毎日の生活から生まれる小さな幸せをゆっくりとしたペースで
歌っていこうと思っています。
 
 子育ても終わりましたし、やっと自分の時間が作れるようになったという感じ
 ですね。

今の暮らしの大切な仲間。クロちゃんです。彼女との生活から歌が出来ました。

 クロちゃんは、私が50歳の誕生日の時に、桑田がサプライズプレゼントとし
 て、連れてきてくれたんです。
 そのクロちゃんと50才の誕生日に対面して、思わず真っ黒なんで、クロちゃ
 んって呼んでそのままクロって名前になったんですが、1ケ月ぐらいに血統書
 が来たときに「エトランゼ」っていうかわいい女の子らしい名前があるって事
 が分かったので、いつかエトランゼという言葉を使って曲を作りたいなと思っ
 て。
 クロちゃんはの顔を見るたびに、思わず顔がほほ笑んじゃうって言うか、にん
 まりしちゃうし。音楽と同じで、クロちゃんを見るとジワーッって脳内ホルモ
 ンが湧き出ちゃうって言うか。

私はずっと音楽に助けられ生きてきました。
これからは音楽からもらった幸せを、同世代にそして若い人たちにも伝えていき
たい、そう思って歌っています。最後に聴いてください。
るんるん「潮風のエトランゼ」

コメント(2)

今見てます。
なんかいい感じですね。
kimomyさん
 もう1週間がたってしまいました。すみません。返信おくれましてm(__)m

 しっかり、原坊の雰囲気でとても感じ良かったです。
 「佳ちゃん」と呼んでるんですね(^^ なんともほほえましかったです(^^
 今はサザン休止状態で、それぞれがソロで活躍中で、来年は佳ちゃんのライ
 ブあるようですけど、原坊のライブもぜひやってくれないかと思っています(^^

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