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【東北限定】あなたの町の郷土史コミュの【東北】近世・近代【石碑】から探る【岩手】

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皆さん、こんにちは。
管理人のけいちゃんです。
このトピックのテーマは【東北】近世・近代【石碑】から探る【岩手】 」です。
あなたが知っているあるいは調べた【東北】近世・近代【石碑】から探る【岩手】 」について、写真や図案を交えながら、自由に記述してください

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「釜石・唐丹 伊能忠敬ゆかりの『星座石』」

江戸時代の中期、測量方の伊能忠敬という学者は、幕府の名で全国測量を行い、日本地図を作成しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC
その際、岩手の三陸沿岸も測量に訪れました。
その奇蹟が釜石の唐丹の天文地理学の学者の葛西昌丕によって、後年、1814年(文化11年)に、測量之碑と星座石が置かれ、1836年(天保7年)には、葛西の功績をたたえる嘉豚翁意愛碑が置かれました。
この星座石とは、伊能忠敬が、1801年(享保元年)に唐丹村本郷を測量し地点である39度12分に置かれました。
星座石の円の周りには【寶瓶・玄桍・磨羯・星紀・人馬・析木・天蝎・大火・平秤・壽星・雙女・鶉尾・獅子・巨蠏・鶉首・陰陽・寶沈・金牛・大梁・白羊・降婁・雙魚・娵譖】と十二宮と十二次が交互に配列されます。
この絵柄は、当時のヨーロッパから中国を経由した天文学からの記述です。
この際、葛西は、『地球の微動あらざらんか』という言葉を後世の人に残しています。
何とこの言葉は、当時ヨーロッパ最新の学説であるの天動説と同じレベルの学問的推移でした。
葛西は、後世の人が、この星座石の測量し、地球がその後、どのくらい微動したのかを測量してくれることをねがったのです。
さて、葛西昌丕とは、何者なのでしょうか。
昌丕(まさひろ)は、明和2年(1765)〜天保7年(1836)2月26日歿 72歳。
唐丹村に生まれる。
しかし、この時代・田舎でどうたって葛西昌丕は、天文地理学を勉強したのでしょうか。
一説には、仙台藩で勉強したや京都で勉強した、あるいは、この地は異国人の隠れ里であり、異国人から勉強したなどがあるようです。
しかし、その後、この星座石の存在は、世の中に忘れられてしまいました。
星座石の意味を忘れてしまった地元の方は、この星座石を〜3度移動してしまいました。
星座石の存在を復活させたのは、釜石出身の東大教授の板沢武雄と釜石土曜会のメンバーによる唐丹の古文書や史跡調査の際でした。
これは、「日本歴史第30号『岩手海濱史信』」に記述されています。
その際、小学校の校庭の脇に置かれた日時計と言われていたものを発見。
それが、星座石だったのです。
星座石が、本来どこにおかれたものかの調査が行われました。
しかし、その場所を特定することは、残念ながらできませんでした。
今、測量之碑と星座石と嘉豚翁意愛碑は、本郷の高台の上に置かれています。

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