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フルトヴェングラーコミュの史実に基づいた現代の銘書??カラヤンとフルトヴェングラー ?

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 1988年頃、音楽之友社から出版されていた

『フルトヴェングラーかカラヤンか』

ヴェルナー・テーリヒェン著、高辻知義訳という
確か、ベルリンのティンパニ奏者が書き綴った内部告発的
書物がありましたが、てっきりこの本の文庫版かと想い、
市立図書館で借りてきた本があります。


カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書 な 1-1) (新書)
中川 右介 著 (ちょうど、一年前の出版書)です。

アマゾン系の購入者からの最も参考になったカスタマーレビュー
によりますと、

世界最高のオーケストラであるベルリンフィルを巡る
大指揮者たち、つまり
フルトヴェングラー・カラヤン・チェリビダッケ等々の権力闘争の物語。
音楽家だって芸術家だって結局は人の子。
カネと権力のためならなんだってやります。

 猜疑心と嫉妬心の塊、フルトヴェングラー。
 全てを欲しがるわがまま帝王、カラヤン。
 オケとの衝突を繰り返す暴君、チェリビダッケ。

伝説の巨匠たちが目も当てられないほど「人間的」に描かれている
本書は、はっきり言って読者を選ぶと思います。
特に心の純粋なフルトヴェングラー・ファンは読むべきではないかも。

“音楽的にも人間的にも人類史上最高の芸術表現者”;フルトヴェングラー。

なんて思ってる人は、その幻想を根底からひっくり返されます。
『この本はフルトヴェングラー批判のために書かれたのか?』と思うほど
悪者に仕立て上げられているので、ショックはかなり大きいと思います。
熱烈なフルトヴェングラーは、よほどの覚悟がなければ、読んではいけません。

とありました。

コメント(20)

私も持っています。
この本は新書のワリに内容が充実していますね!
読み応えのある本です
雑誌『クラシック・ジャーナル』の連載「ベルリン・トライアングル」の頃から読んでいましたし、本になってからちゃんと通読しました。

>『この本はフルトヴェングラー批判のために書かれたのか?』と思うほど
悪者に仕立て上げられているので、ショックはかなり大きいと思います。
熱烈なフルトヴェングラーは、よほどの覚悟がなければ、読んではいけません。

ま、死んで50年以上たつフルトヴェングラーは、この本を読まないと思いますが(^^;、そんな酷い書かれ方ではなかったように思うのですが。フルトヴェングラーだって神様ではないし、カラヤンが何も完全な悪人ではない、チェリビダッケが一方的な被害者かというと、そうでもない。結局、みんな長所も短所もある人間だ、ということで、その人間ドラマを書いた本、というだけで......。これでショックを受けるとすれば、よほどナイーヴな人ということになるかと。

個人的に、この著者は嫌いなのですが、この本については、価値を認めるに吝かではありません。
フルトヴェングラーもカラヤンのこと、嫌いだったんじゃないのかなあ?
充分に考えられなくもないと思いますよ。人間、誰しも二面性はありますし。
人間、ウマが合わないというのはあるでしょう・・・が、ふたりが会ったのは滅多にないみたいですね。
人間的に合わなかった、というよりも純粋に権力争いだったんだと思います。
てなると、やはり人間の醜い部分が出てきちゃうわけで、フルトヴェングラーの演奏の秘密もそこにあるのかなぁ、と思ったりして。

あんだけの演奏をしていて、ある意味世界一の指揮者がカラヤンに嫉妬していたというのは、フルトヴェングラーにとってカラヤンの才能を感じつつも脅かされていたのでしょうね。

なにはともあれ、あまりにも人間的な物語がそこにあったわけですね。
音楽家同士の確執は激しいですね。カラヤンもフルトヴェングラーにされた仕打ちを鬼才マルケヴィッチ、サヴァリッシュにしていますし、比較的仲の良かったバーンスタインですらBPOの舞台には1度しか立ちませんでした。
他にも有名なものとしてはワルターの追放劇にクナが一役をかったという話がありますね。
誰であっても、腐れ外道のナチ野郎は嫌いなのでは?

その“腐れ外道のナチ野郎”のゆく末は、その後
続編として、一年前の春に出版された

『カラヤン帝国興亡史―史上最高の指揮者の栄光と挫折 』

へと、継続きます。

この本のあとがきで締めくくっている文面には
いささか疑問があり、50〜100年後のリスナーが
20世紀のクラシック界の帝王と呼ばれていた
この男の指揮するミュージック・ソースを
愛聴しているか否かに関しては、このコミュの
メンバーが感じている通りだと想います。
フルトヴェングラーはレコード技術が鑑賞に耐える
最初の時代にちょうど活躍できたので
評価が高いですが、同時代ではシューリヒトやクナも素晴らしいし
私にはその間に差は感じられません。
世代的にレベルの高い世代だったんでしょう。

そんな彼らも、音源が無いだけで
実は彼らの親世代である
マーラーやニキシュなんかのほうが
優れていたかもしれません。

とはいえ、資料的にフルトヴェングラーは
100年後も聴かれることでしょう。

その子供世代にあたる
カラヤンが残らないなら、カラヤンの同時代人で残るのは…?
少なくともカラヤンの同時代人でカラヤンより優れた
指揮者を探すのは結構難しい。

カラヤンが消えるのにショルテイやベームが残るだろうか?
カラヤンの同時代人でカラヤンが消えても普遍的に残る指揮者を
おしえてほしいものです(笑)
バンスタやアンチェル、ショルティは残るのでは?
少なくとも、レニーは間違いないでしょう。
第14項目に記述された

>今の指揮者で真のマエストロと言える人がいるかどうか?

私は、真のマエストロと言える人はいないと明言致します。

20世紀の三大指揮者と言われたトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーの御三家
をはじめ、その周辺の巨匠達が演奏した黄金時代(ゴールデン・エッジ)に活躍された人
を真のマエストロを伝授してきました。

アンチェル、ショルティーは、仰る通り弱い気がしますね。

チェルビダッケ、ベーム、ムラビンスキーはいいとしても、私はバーンスタインは真のマ
エストロと呼んでいません。

真のマエストロとは、音楽の魂を発信させ、音楽の真髄を再現でき、強いいい意味での
アピール力が備わった人であると思っています。

ニキッシュは指揮棒を振っているビデオを見たことがありますが音は出ていませんでし
たので、力量が判断できませんでした。

マーラーの自作自演の音源が存在していれば、その弟子(ワルター他)との差が検証でき
たことでしょうが、マーラーの伝記史等々をみれば、20世紀の三大指揮者よりも優れて
いると推察できそうですね。

R.シュトラウスも自作自演の録音があり、当時のオーケストラ・サウンド&オペラの
雰囲気がチョッピリ匂って参ります。

フルトヴェングラーがベルリン・フィルハーモニーを去って、チェルビダッケが引き継ぐ
はずであったと想っていますが、カラヤンの横やりが入って、ベルリン・フィルを維持
し、ベルリン・フィルを駄目にした張本人とカラヤンを仕立てまくってきました。

フルトヴェングラーの死去後のメモリアルコンサートで、カラヤンがバッハのG線上の
アリアを演奏し、カラヤンの死去後、小沢征爾が同じ作品を振っていましたね。

カラヤンは、音楽をビジネス化し、金儲け・稼ぎに没頭し、音楽本来の中身のない「カラ
ッポ」の「カラ」ヤンとして、サーカス的な見せ場を強調し過ぎたカラヤン・サウンドを
クラシック初心者に提供してきたと伝授してきました。

フルトヴェングラーは、全く音楽をビジネス化することなく、音楽の真髄(魂)を表現・
歌いあげてきたと言いたいのです。

カラヤンのいいところは、音楽ソフトを多く造り、我々貧乏人にLPレコード&CDで、
クラシック音楽が容易に反復して聴くことができるようになった恩恵を感じます。
1970年以前の帝王になる前のゆっくりしたカラヤン・サウンドは好きなのですが、
帝王後の早すぎるカラヤン・サウンドは、一寸待ってよ!!もっと音楽の真髄をゆったり
と聞かせてよ!!と聞くたびに叫んでおります。

1940年から1960年、或いは1970年ころまでの黄金時代の再来は期待できない
でしょうから、レコード(直訳すれば記録)でその時代の音楽風景(音楽空間)をオーデ
ィオ・システムを通して、楽しむしかないと想っているのです。

フルトヴェングラー・サウンドの魅力は、日本製のオーディオ(ハード&ソフト)よりも
欧州製のオーディオ(ハード&ソフト)の方が、断然いいですね。

フルトヴェングラーの「気」、ベルリンフィル&ウィーンフィルの「香」を味わうために
は、欧州製のオーディオ(ハード&ソフト)でなければ、クラシック音楽の「香気」が、
再現・再生できないのですから。

フルトヴェングラー・サウンドの香気を味わうために、BBC(英国放送協会)のモニタ
ー仕様のスピーカー・アンプ・プレーヤーを使用し、四半世紀楽しんでおります。

一寸、本題からずれてしまったところもあり、申し訳ございませんでした。
>>[15]

私はカラヤンを高く再評価しています。改めてカラヤンの偉大さが解って来ました。
カラヤンの盤歴は、1936年のベルリン国立歌劇場管弦楽団との魔笛序曲から始まります。当時は当然SPダイレクト録音ですが、これが嘘みたいに鮮明な音ですexclamation

これについては興味深い逸話があります。実は同じ日に同じオケで別の指揮者が録音しているのですが、カラヤンが振ると明らかに音が違ったexclamationと言います。指揮者によって録音マイクに愛される指揮者と嫌われる指揮者が居ます。科学では解明出来ないでしょう。カラヤンは明らかに前者ですexclamation
フルトヴェングラーは後者では無いでしょうか?

カラヤンは第2次大戦の敗戦により、アメリカ音楽と文化が大量に入って来て、クラシック音楽の衰退への危機感があったと思います。その為に大指揮者ならやらないポップスに近い曲を大量に録音しています。『カラヤンのアヴェ・マリア』が良い例ですね。私はこのアルバムは大好きですexclamation
その他にはカルーソーと英デッカに録音したアイーダやオテロ等のオペラ全曲録音を高く評価しますexclamation

人間的には好きになれないでしょうねexclamationバーンスタインはカラヤンが戦後アメリカで不遇だった時に、何度かニューヨークフィルを振らせていますが、カラヤンはバーンスタインにベルリンフィルを絶対に振らせませんでした。

私は、カラヤンにはマリア・カラスと『椿姫』全曲を残して欲しかったexclamationと思います。
>>[16]


おはようございます。


貴重なコメントを頂戴しありがとうございました。


私は、半世紀余り前から、カラヤンが大嫌いですが、音楽ソフトは多種収集し、維持保管しています。


1964年から2011年まで、私が独自に開催してきた種々のクラシック音楽の鑑賞会やオーディオ・セミナーで、比較演奏論をするために、デモ用として、嫌いな指揮者た演奏家も、数々収集してきたわけです。


世界初の正規ステレオ録音も、1944年、カラヤンが行いました。


カラヤンの歌劇「アイーダー」も、デッカ盤とEMI盤があり、後者は、アイーダーのファンファーレ用のトランペットをヤマハ(日本楽器)に特注させ、A=448hzのピッチで演奏・録音され、デモ用として、両者保有しています。


デモ用ですから、輸入盤のオリジナル・LPレコード&CD、日本盤のオリジナル・LPレコード&CDです。


前記したように、1970年以前の演奏には、不愉快観がありませんが、晩年の演奏には、古参のクラシック音楽・オーディオマニアにとっては、不愉快観が甚だしく想っています。


私が長年開催してきた種々の音楽鑑賞会でも、クラシック音楽を長年愛聴してきた熟されたマニア達は、インタビューした結果、カラヤンが大嫌い人が多く、初心者程、大好きとの結果が、長年続いてきております。


好き嫌いは、個人の好みでありますが、そのような傾向が診られました。


1977年夏季、ハネムーンで訪れたザルツブルク音楽祭でも、カラヤンとベームのチクルスがありましたが、一貫して、ベームのチクルスを実体験して参りました。


カラヤンのチクルスにお金を掛けるのは勿体ないと想ったから。


ザルツブルグ市内から、ヘルブルン離宮に行く際、途中に、カヤヤンの大邸宅があり、正面門扉から玄関まで100m以上あり、邸宅の背景には、アルプスの東端が見えました。


前記したように、カラヤンはオーディオを媒体にして、オーディオの全盛期をつくりあげました。


フルトヴェングラーは、録音嫌いだったので、カラヤンと比べて、少数です。


未だに、フルトヴェングラーの正規ステレオ録音は、発見されていません。


フルトヴェングラーの演奏・録音風景の写真やビデオを診て、1945年以前は「対抗配置」で、以後1954年まで、「ストコフスキー配置」で演奏されていたことが判明できました。


ステレオ録音がないため、耳(聴覚)で、オーケストラの配置を特定することが出来ず、写真やビデオの目(視覚)で、確認した次第です。


カラヤンは、対抗配置で、演奏・録音された証拠物件(甲第1号証)が一つも見当たらず、全て、ストコフスキー配置で演奏・録音されてと推察しています。


1930年以前は、全て、対抗配置で演奏されていました。


ストコフスキーが、1930年から1960年まで、試行錯誤して、この75年余り主流のストコフスキー配置に決定されたのです。


当時のマイクロフォンの性能の関係で、リスナーからみて、舞台左側に、高音域楽器を配置させ、右側に、低音域楽器を配置させると、いい録音が出来ること。


並びに、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの音合わせが容易な点が、決定した理由です。


私は、バロック時代から1930年まで、伝統的に継承されてきた「対抗配置での演奏」でなければ、クラシック音楽の醍醐味に一つである、舞台左右の音の掛け合いが楽しめないことを、オーケストラ・フル・スコアー(指揮者用総譜面)と照合しながら、検証して参りました。


バッハやモーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス、他、作曲家は、対抗配置での演奏を趣旨にして、♪(音符)描いているのですから。


フルトヴェングラーよりも、1歳年上のクレンペラーは、一貫して、対抗配置での演奏に徹してきました。


クレンペラーの全ステレオ録音を、オーケストラ・スコアーと照合しながら、チェックした結果、ワーグナーの「ジークフリートの牧歌」以外は、対抗配置で演奏されていることが判明できました。


このよな事象を、種々のクラシック音楽鑑賞会の例会やオーディオ・セミナーで、伝授してきた次第です。


1955年を境に、モノラル録音からステレオ録音にかわってきました。


1955年前後、プラス・マイナス10年あたりのクラシック音楽のゴールデン・エッジ(黄金時代)の演奏・録音は、世界知的音楽文化遺産として、消滅・滅亡させないために、音楽&オーディオの啓蒙と普及活動を、ミッション(使命感)として、尽力してきた次第です。


感謝。



本題に戻ると、カラヤンとベームは確実に残りますよ。これは断言しますexclamation

なんといっても女性からの人気は今でも群を抜いています。カラヤンの名盤中の名盤『オペラ間奏曲集』は、多くの女性の心を捕らえています。あんな素敵な演奏はフルトヴェングラーでは絶対に出来ませんexclamation

カラヤンはクラシック音楽のビートルズみたいな役割を果たしましたexclamationと思います。今後もビートルズと同様に多くの人に聞かれていくでしょう。

では次の世代ですが、では美空ひばり亡き後の歌謡界はどうでしょうか?あんな凄い人が居るでしょうか?
エディット・ピアフの後のシャンソンはどうでしょうか?

私は、不自由で貧しい時代だったからこそカリスマが現れたのでは?と考えています。ヨーロッパが世界の中心だったのは第1次世界大戦までで、第2次大戦でヨーロッパの時代は終わりました。今後はもう出ないでしょう。
ベームが'75年にウィーンフィルと来日した時にベームは「日本はヨーロッパが失ってしまった畏敬の念が生きている。素晴らしいことだexclamation」と言いました。光栄なことです。

カラヤンもベームも大変な親日家だったことを日本人は忘れてはなりませんexclamation

カラヤンもベームも0.1%のエリート風を吹かすマニア(クラヲタ)の為に演奏したのでは無いexclamation
99.9%の「普通の人達」の為に演奏したのであるexclamation
これを強調しますexclamation ×2

彼らの偉大な功績は、数え切れない人達を幸せにしたことですexclamation

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