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lll小説『月迷三国志』lll連載中コミュの『月迷三国志』第二章:[周翔副将の妙計]

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小説『月迷三国志』
第一章:[巡り逢い]
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17540224&comm_id=2078651


第二章:[周翔副将の妙計]





斎慎は本名を劉義、字を斎慎という。劉義は皆に字にて呼ばせるようにしていた。その本旨はわからないが、劉の姓を名乗るのをどこかで恐れ多いことと感じていたのかもしれない。
当時支那においては政治が腐敗し漢王朝に実質的な支配力はほとんどなく
続々と各地で様々な勢力が我こそが覇者とならんとその機を伺っていた。世は乱れ、民は耐え難い貧困と飢餓にあえぎ各地の統治者の圧政に苦しんでいたのである。名目の上では帝から預かった兵であるにせよ、各々それぞれに兵力を我が物のように自由に強化増強していた。月迷軍は官軍ではなくいわゆる義勇兵であり、なんとしてもこの乱世において世を正さんという気概に満ちていたが、たかだか三千の義勇軍にて乱立する勢力に対抗する活路が見出せるなどとは誰も想ってはいなかった。
斎慎(サイシン)、趙慶(チョウケイ)、周翔(シュウショウ)を除いては・・・。この三人だけはいつからか大きく世に踊り出んばかりの気概に満ちるようになっており熱い心を燃やしていたのである。

月迷軍が長沙の治安に非常に大きく貢献していたため長沙を治める公孫庚(コウソンコウ)の元その存在は受け入れられていた。しかしいつまでも客将のようなまま居たところで何の進展も無く、しかも兵数が三千を超えだした頃から公孫庚も打って変わってその存在に難色を示しだしたのである。公孫庚の心境をうすうす感ずいていた為か、もう長くはこの地には居られないだろうと周翔は焦っていた。斎慎自身は公孫庚が警戒しだしている事に気づかなかったが周翔は副将となってより様々に情報収集に余念がなく、公孫庚にとって月迷軍の存在が治安への安心感から乗っ取りの恐れに取って代わろうとしていることを察知していたのだ。どうしても領地を持たない現状の月迷軍にとっては城を持たぬ事が最大の課題であった。

「いつまでもここにいるわけには行かん。近いうち必ずや大事になるであろう」

周翔は趙慶に独り言のようにつぶやいていた

「一体何のことだ周翔副将」

趙慶が聞いても上の空といわんばかりに一人考え込んでいる周翔であった。
たまりかねた趙慶が

「周翔殿!一体何を思い悩んでいるのだ」

と少しばかり大きな声で尋ねると周翔は我に返って

「あ、いや月迷軍はそろそろ長沙の地を離れねばならないのではと、しかし一体どこへ行くべきだろうと思い悩んでいたのだ・・。」
「なるほど、そういうことか」

趙慶はすぐに言わんとすることを見抜いていた。確かに斎慎大将は公孫庚を信頼しきっていた。それは月迷軍が旗揚げしたばかりの頃から何かと公孫庚の力添えがあってその恩義に長沙の治安の改善に充分な位応えてきた自負がある為である。まさか公孫庚が月迷軍の存在を煩わしく感じるなどとは想いもしていないのだろう。斎慎の弱みは人を信じすぎるところであるともいえる。
無論それが侯を奏すこともあったのではあるが・・・。しかし一歩引いた立場で見ている周翔や趙慶には状況がよく見えるのだ。




その心配はすぐに形となって現れだしたのである。公孫候は斎慎と周翔を呼び出し

「貴方達においては長沙の治安を重んじて頂いてることには、真にありがたく思っておる。然りとて今や治安維持に三千の軍勢は必要ではないのではあるまいか。出陣し城を攻め落とすというのならわからんでもない兵数だが、そろそろ軍の規模を半数程に減らしてはいかがであろう。兵馬の維持費も相当なものであろうし」

公孫候はこのように遠まわしに述べたが周翔の懸念は的中したのである。慎重に検討すると言い一度話しを切り上げ二人は立ち去った。


周翔は迷っていた。公孫候の真意を斎慎にありのまま伝えてもよいのだが、公孫候に信頼を寄せている斎慎にそのような事言ってしまうともしや怒りだしてしまうのは目に見えていた。日ごろの恩義に疑念を持つとはなんたることかと・・。うまい方法はないものか周翔は思い悩みつつふとさっきの公孫候の話を思い出していた。そして不意にその顔には笑みがこぼれだしていた。
周翔はすぐに斎慎の元へ出向き

「大将、このままでは我が軍の規模を縮小せざるを得ません。この規模を維持するにはそれそうの大義名分が必要となります。」

斎慎は頷きつつ黙って聞いていた。周翔は続けて

「長沙の南西にはかねてより火花をちらしている陶龍(トウリュウ)軍の零陵がございます。これを期に零陵を我々で攻めましょう。ただし攻め落とした折にはこの零陵を我々が頂くことを公孫候殿に承諾していただこうではありませんか。月迷軍もそろそろ定住地を得なければなりません」

周翔が言い終わるや斎慎は

「しかし攻め落としてその土地を得ることを公孫候殿は納得するだろうか」
「大事なのはそこです。もし零陵を制圧したならば今後は公孫候殿と同盟にて決して長沙を脅かさないという約定をなされば公孫候殿も喜んで零陵攻めを賛成してくれるものと思われます。公孫候殿にしてみれば自らの軍を動かすことなくうまく行けば陶龍軍の脅威から開放される訳ですから」
「なるほど名案である。すぐ公孫候殿にその方向で話をしてみよう」

と斎慎はいい終わるやいなや、立ち上がりその足で公孫候の元へ出向いた。
公孫候はそういうことならば依存は無いといわんばかりに了承しそれどころか自軍の兵士八百と月迷軍の兵穀も支給すると言って来たのだった。
周翔副将はこの妙計により斎慎と公孫候の間に確執をつくることなくしかも、月迷軍の最大の課題であった自勢力の領土を得る活路を生み出したのであった。この妙計の優れている所は仁と義を重んじる月迷軍の威信保ちつつ
正当な名文をもって零陵を攻めることが出来る点にあった。





注)一里=約300m〜350m とします

治安維持活動と実践の戦とでは全く違うものである。治安維持隊としては名をあげていたものの月迷軍の名はまだまだ知られていなかった。いわんや零陵の陶龍軍にしてみれば農民の集まりし弱兵に毛が生えた程度の
ものとしか月迷軍を見ていなかった。いざとなれば近隣の自勢力の城より援軍を要請すれば済む話だからだ。
しかも零凌そのものは陶龍軍にとって必ずしも重要拠点というわけではなく
後々の長沙攻略の足がかりという位置づけだったのだろう。零凌にはこれといった武将はいなかったが、一応に月迷軍の不穏な空気を察知してか零凌の太守に橙丁(トウテイ)なる武将が赴任されてきていた。橙丁は好戦的な性格であり、もし月迷軍が出陣し領土内に侵入してきたならば迎撃し蹴散らしてくればいいと指示されていた。兵数も二千前後から月迷軍を二千程上回る五千程にまで増やしてきていた。周翔副将は零凌の動きを忍ばせていた間者からの報告ですぐに把握していた

「大将、陶龍軍も多少警戒しているようです。しかし零凌の守りに橙丁を置いてくることを考えますに、迎撃にて出迎えて恐れさせようと考えているのでしょう。橙丁は戦好きで目先のことしか見えない武将です。もし守りに徹する武将を置いてくるならば少々厄介でしたが、迎撃してくるならば勝算は充分にあります。」

と周翔は状況報告を斎慎にしてきた。もともと充分というほど訓練もしてきたし出陣の準備に時間をかける必要も無かった為、すぐに騎兵五百騎と歩兵二千にて長沙を発った。残りの千五百の月迷軍もすぐに出陣できるよう長沙の郊外に待機させておいた。
歩兵二千の中には公孫庚の八百の兵士も入っていた。総大将はもちろん斎慎となり周翔と共に騎兵隊を率いて先鋒にて進んでいった。斎慎は趙慶に千五百の歩兵を指揮させ、残り五百の歩兵を李雪なる武将に遊軍として指揮させた。

李雪は元々長沙に蔓延していた盗賊団の一人で討伐の際、
斎慎に早々に投降していた。幼少の頃親ともはぐれ長沙の近くにて飢えていた折、盗賊団の劉延なる一人の幹部の息子に拾われていた。李雪は成り行きで盗賊団の中で育ったのだが、内心ではかねてより略奪に疑問を持っていたのだ
月迷軍の討伐にあい、そのなかで勇ましく戦う月迷軍に敵ながら心惹かれるものを感じたようだ。それがしの生き場を得たりと感じ、兄貴分の劉延を説き伏せ共に月迷軍に下ったのである。この二人は盗賊団の中にあってはなかなか武芸に精通しており、この二人の投降をきっかけに盗賊団の士気が下がったといわれるほどである。
その李雪に今回五百の兵の指揮を任せたのも、本来ならば異例の抜擢であった。
しかし実力主義の斎慎はこのような采配を時々するのだ。零凌の地理をよく知る上に機転が利き、しかも盗賊団で育ったとは思えないほど純粋な面を見て取っていた斎慎の判断であった。
李雪が純粋に育ったのは兄貴分であった劉延の影響も大きかったのだろう。劉延もまた盗賊団の一員でありながら自分なりの哲学を持ち貧しい者への略奪はせず富裕層のみに狙いをつけまた誰も傷付けずに奪うことを貫いていた。
盗賊団の生まれでありながら、慈悲深い劉延にとっては盗賊団で生きる唯一の活路だったのだろう。だから略奪しながらも心のどこかで違和感を抱き続け盗賊団の血筋を引くことを恨んでいた。今その劉延もまたその才を見初められ斥候の長として斎慎に起用されていた。皮肉にも盗賊団で養った盗みの才能が斥候として適任であったのだ。盗賊団に居た頃の劉延は鬼才の盗人と言われており警戒していても防げず家宝を盗まれると富裕層の中でしばしば悩みの種になっていたほどだ。




零凌から約二十里程(約七キロ)の地点において陣を張る事にした。軍議においては斎慎以下数名にて状況報告など行い地の利を生かせるよう、またもし橙丁が城に閉じこもり守りの姿勢に留まった場合の対策も慎重に練っていた。
軍議の空気は初陣とは思えぬほど落ち着いており適度な緊張感は漂っていたものの笑い声まで出るような空気感をかもし出していた。
とそこへ斥候の長である劉延が入ってきた。

「申し上げます。只今零凌より橙丁率いる千五百の歩兵が出陣したことを確認しました。すでにここより十二里(約四キロ)ほどの位置まで迫って着ております。」

「やはり出てきたか・・」

笑みをうかべつつ斎慎は一言発した。
劉延が細かい状況報告を終えると斎慎は

「周翔副将の推察通り、敵兵は出陣してきた。但し千五百とは実に微妙な兵数である。思うにまずは小手調べということなのであろう。ここは趙慶大隊長殿に一戦交えてもらうのがよいだろう。兵数はあえて橙丁より少なめに一千にて出陣せよ」

と初陣に趙慶大隊長を抜擢した。ところが趙慶大隊長は

「恐れながら斎慎大将。初出陣は非常に重要であります。我々月迷軍にとって大将御自らその威勢を示すべきです。大将の実力ならば五百の騎兵で充分橙丁の軍勢を蹴散らせるかと思われます。」

と辞退する姿勢を見せた。そこへ周翔副将は割って入った。

「趙慶大隊長。そこが問題なのです。大将自ら出陣すると力差が出過ぎて橙丁将軍が恐れをなし守りに転じられかねない。そうなれば月迷軍としては少しばかり厄介となることは必死です。ゆえに大将は趙慶大隊長の歩兵隊をもって微妙なる駆け引きをしてもらいたいとおっしゃりたいのです。趙慶殿は上手く相手を欺くよう押されているかのように見せかけ、徐々に橙丁軍をこちらに引き寄せ、これはいけると思わせていただかなくてはなりません」

周翔は斎慎の意察する才を持っているようにみえた。あまりにも的確に自身の意を汲まれた斎慎は一瞬苦笑いを浮かべ

「周翔の言うとおりである。説明不足で申し訳ない」

と付け加えた。策を聞くと趙慶は納得し、そういうことならばとむしろはりきって早速出陣の準備のため退出した。

「さて劉延よ。橙丁の動きをしっかりと見定め零凌から追加の軍勢が出てきたら早急に知らしてくれ」

と斎慎は指示し、軍議を解散した。




劉延の束ねる斥候の隊は八人という少数ながら極めて優れていた。その働きは機敏でありしかもなかなか正確に必要な情報を探り当ててくる。さすがに鬼才の盗人といわれただけあって劉延と行動を共にしてきた元盗賊団の熟達された情報収集能力は並外れていた。無論長沙に蔓延していた盗賊団のほとんどは無能で横柄でしかも卑劣な連中であったのだが劉延の率いていた一団だけは異質の存在であったのだ。その一団の中から斥候部隊として劉延は選りすぐった七人選び出していた。
純潔な精神とこれほどの才を持ちながら盗賊団の中に生まれたことは実に皮肉なことであると斎慎も時々思うのであった。淡水魚が海水の中で生きていたようなものだ純粋であるが為にどれほど苦しんできたか、察っせずにはいられない。ゆえに自身の能力が大義のもとに生きるとあって今は非常に遣り甲斐をもって斥候の任を負っているのだろう。
劉延は五つ年下の李雪をとても可愛がって幼少より寝食共にしていたが劉延は斥候部隊に李雪を含めなかった。斥候としてよりも武人として戦場に立つ方が李雪の才を生かせると考えてのことだろう。無論李雪は最初落ち込んでいたが、斎慎にその才を見初められ今は立派に中隊長としての自立心を見て取れるようになった。
そもそも李雪は斥候としての活動をするには目立ちすぎるのだ。それだけ李雪は指揮官向きといっていいだろう。声も大きく憎めない性格が斎慎の目を引いたのかもしれない。劉延はというとさすがに存在感を消すことがとてもうまかった。劉延を静とするならば李雪は動といっていいだろう。どちらも武勇に優れているが性質がまったく違うのだった。月迷軍に新たな風を吹かしてくれる事を斎慎は密かに期待していた。
このように一時はどうなることかと思われた月迷軍だったが徐々にまた新たな人材が集まって来たといえる。しかし旧月迷軍の大将と副将の相次ぐ離脱の頃はさすがの斎慎もその痛手に混乱を隠せなかった。もし趙慶と周翔がいなければ今ここに月迷軍は存在してはいなかっただろう。それが今や領土を持つことを視野に入れた戦を始めようとしているのだ。





早速劉延の者が、趙慶がうまく橙丁の歩兵隊を引き込んでいると報告してきた。
しばし乱戦の後一旦両方とも退きここから六里(約二キロ)のあたりで対峙している状態なのだという。また橙丁も零陵へ援軍を要請し、一機に月迷軍を蹴散らそうと考えているようだ。なんと追加五千ほどの兵が零陵から出てきたとのことである。つまり守兵はたったの五百程なのだという。こんな簡単に計略にはまって来るとは思っても見なかった。とはいえ必ずしも楽観視してるわけではない。兵数では確実に月迷軍は劣っているのだ。橙丁軍は追加の援軍五千を加え総勢六千五百の歩兵隊に対し月迷軍は騎兵が五百とはいえ全体で三千五百なのだ。橙丁は援軍の到着を待っているのだろう。我々が趙慶の歩兵隊の後方に着いた頃もまだ対峙して動きは見られなかった。

さて我々はうまくやれるのだろうか。もちろん自信はあったが、とはいえこれほど大規模な戦は初めてなのだ。実践は訓練とはまったく違うのだと分かっている。また盗賊団と違って曲がりなりにも組織的に訓練された兵士との戦いである。だが今ここで思い悩んでいても仕方は無い。どのみち蓋を開けてみればすぐわかることだった。
そうこうしているうちに敵陣営に援軍が到着したようだ。どっちが先にでるだろうか。我々も趙慶の陣に合流し陣形を張っている。最前列は弓をいつでも撃てるようにし、橙丁軍が突っ込んで来るのをまった。斎慎は騎兵を歩兵に囲まれるように真ん中に集めあまり目立たぬように待機している。いつ始まってもおかしくない。両陣営が静まり返っている。しかしすさまじい緊張感が両陣営のわずか二百メートルの間に張り詰めていた。少しずつ両陣営ともじりじりと距離を詰め橙丁の姿も見て取れる。

ついに橙丁の方が待ちきれず一気に突撃してきた。弓の射程圏内に来ると趙慶の指示の元前線の兵が弓を射始めている。橙丁の歩兵との距離が二十メートル程になった瞬間趙慶の歩兵は合図と共に左右二手に分かれ騎兵の通り道を作った。その間を斎慎率いる騎馬隊は猛突進を始めた。

「一気に突っ切るぞ。我に続け」

斎慎が叫ぶ。
橙丁の軍は突然現れた騎馬隊の猛突進に驚き早くも混乱し始めている。斎慎はとにかく陣形をかき乱すことに集中した。周翔もぴったりとついてきている。ばたばたと歩兵を散らして突き進む。相次いで混乱する敵が陣形を立て直す前に趙慶の歩兵が揉みに揉んで行く。橙丁も唖然としているようだ。
混乱した橙丁の兵に執拗な奮迅である。しかし後方に守られている橙丁まで今一歩届かない。もう少しなのだ。もう少しで橙丁に届く。だが橙丁は早くも退却し始めている。善戦しているとはいえ数が多すぎる。敵兵も混乱しつつも必死に抵抗している。まずい、橙丁が山道にまで退却するとまずい。道が細くなるのだ。入るまでに捉えなければ城まで捕まえることはできないだろう。そう思っていた矢先橙丁を固めていた歩兵の塊のが動かなくなった。

李雪の率いる歩兵がいつの間に橙丁の後方で抑えているのが見えた。これで届くぞ。斎慎は確信した。敵兵の塊を蹴散らしつつ橙丁のみを見据えている。
ついに橙丁に追いついた。橙丁も振り向き挑んできた。五合ほど矛が交差し六合目には橙丁の首が飛んでいた。その瞬間この戦の勝負は決していた。




「無駄に命を落とすことは無い。降伏するものは歓迎する」

斎慎は叫んでる。それを呼応するように周翔も叫ぶ

「大将は討ち取った。無駄に抵抗するでない」

敵兵がどんどん武器を捨て始めた。大将を失った兵の士気が一気に低下し
呆然としているものがほとんどだった。
勝った。あまりにもあっさり勝った。橙丁は甘く見すぎていたのだろう。数に勝る自軍に酔っていたのかもしれない。あっという間の出来事だった。
自軍の被害は歩兵を中心に八百名程であったが敵兵の屍は莫大だった。
三千程の被害だろうか。
城に敗走できた兵はごくわずかだった。今回の功労賞は間違いなく李雪だった。
戦況をうまく把握していた。このあたりの地理に詳しかった為うまく回り込んで橙丁の退却を妨げてくれたのだ。山道の手前へどうやって回りこんだのかわからないしかしそこを必死で防いでくれたおかげでこんなにも早くに勝てたのだ。橙丁の首を取った時点で李雪の五百の歩兵は二百まで減っていた。
月迷軍は捕虜をひとまずくくり零陵の城門の近くまで移動した。しばらくすると降伏の使者が出てきた。そのまま城内に突き進んだ。

零陵を落としてより陶龍の攻撃を恐れたがやってくる気配がなかった。劉延によれば陶龍軍は零陵をあきらめたらしい。今のうちにこの零陵で月迷軍の足場を固めねばならない。終わってみれば実に思い通りの展開となっている。
初の領土だ。田舎の小さな城ではあるが紛れもなく自軍の領土なのだ。早速趙慶が民政の建て直しに駆け回ってる。無論斎慎も周翔も必死に駆け回っているのだが趙慶にこれほど民政の才があったとは思わなかった。

元々月迷軍は財に恵まれていた。公孫候の支援があったとはいえ、五千の義兵を養うには莫大な財が必要だった。だが月迷軍にはかねてより洛陽の出身だという簡隆(カンリュウ)なる大商人の支援を受けていた。その男が簡素ながら兵の防具と武器を支給してくれたし、ひょっこり現れては、軍馬を二十頭置いていったり、兵糧を持ってきたりしてくれたおかげで月迷軍は存続できたとも言える。そもそも公孫候の支援を前面的に受けられたのも簡隆の根回しの賜物でもある。時々横柄な態度になることもあるし、恩着せがましい事をいうこともしばしばあった為一部には嫌われてもいたが、表裏がないその性格ゆえに斎慎自身は簡隆を嫌ってはいなかった。
その簡隆も零陵攻めの直前に商いの為に洛陽へと発っていった。それ以来しばらく音沙汰はない。無論いつまでも甘えるわけにはいかないし当てにもしてるわけではない。言い方を変えるならもう当てにする必要がないのだ。今は自勢力の領土があるのだから・・。早急に税の徴収が出来るよう制度を整えることが最優先課題である。
初めての民政であるのでしばらくは大変だろうと腹をくくっていたのだが、思いの他早くに税制も整いつつある。趙慶のおかげだった。実にいい人材を得たのだと改めて感じる。

当初少しばかり税の負担が重いかと気になっていたが陶龍軍の支配下の頃に比べるとだいぶ楽になったと零陵の農民も喜んでいるらしい軍律も厳しくしているので兵士達の略奪もほとんど無い。聞くところによると陶龍の兵の略奪は賊と代わらないほどだったらしい。民を守るべき兵に略奪されるなんてたまったもんじゃないだろなとふと考えてしまう。やはり天下を平定するしかないのか・・・。だがそんな事が本当に我々にできるのだろうか。きっと誰かがするに違いない。だがその誰かに我々がなれるやもしれない。そんな先まで考えても仕方のないことではあったのだが、今回の零陵攻略の高揚感が天下平定なんて大きなことに気を向けさせ始めている事に気づいた。






第三章:[激動始まる三国時代]
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