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水流と水神コミュの河神(かしん)

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別名:河童(かっぱ)
   河伯(かはく)
   兵主部羅神
   ヒョウスベ
   猿猴(えんこう)
   淵猿(ふちざる)
   シバテン
   etc.

「河童」という用語がもっとも一般的で、各地でその姿や性格は異なり、
神と見られる例は少ない。
河童は河川、沼、海で目撃される日本の代表的なUMA(未確認動物)だが、
霊力を持っていることから、妖怪に分類されるが、
水神として祀られている場合があるように
水神の零落した姿とする解釈もある。
頭頂部に皿を持つ姿が基本だが、その皿が湿っていることが、
霊力を発揮する条件とされている。
具体的な霊力として、人や家畜を水中に引きづりこんだり、
肛門内にあるとされる臓器、尻子玉(しりこだま/尻小玉)を抜く力が
あるとされる。
皿が乾いたり割れたりすると、衰弱し、死亡する。
河童の相撲とキュウリ好きは
相撲とキュウリが水神に奉納されてきた風習が根拠になっている。
ほかに、多くの場合、河童は泳ぎが得意で、子供と遊ぶのが好きで、
魚も好物とされている。

《目次》
写真●無三殿大神(西日置鹽竈神社境内社無三殿社) =書き込み1/2

コメント(2)

●無三殿大神(西日置鹽竈神社境内社無三殿社)
愛知県名古屋市中川区西日置1-7−10

2月下旬の週末 晴れ。
名古屋市内を縦断する堀川に架かる日置橋(ひおきばし)から
300mほど西にある西日置鹽竈神社(にしひおきしおがまじんじゃ)に向かった。
江川が暗渠になっている市道江川線を越え、社頭に出た(写真左)。
社前の一方通行の道が旧鎌倉街道ということだ。
入り口の石造伊勢鳥居をくぐり、藩塀を迂回すると、
正面に妻入りの拝殿があった。
掲示された案内板によれば、祭神は以下。

・塩土老翁命(しおづちおじ)
・武壅槌命(たけみかづち)
・経津主命(ふつぬし)

西日置鹽竈神社本殿の西には同じ向きに祀られた境内社群があるのだが、
本殿から2所目には まだ新しい、妙に笠木の太い伊勢鳥居が立ち、
その鳥居の前に
『無三殿社(むさんどしゃ:かっぱの神様)』の案内板が立っていた。
「無三」はここから南東400mほどの場所にある
堀川に渡された山王橋あたりにあった屋敷の主、松平図書康久の法名で、
このあたりにあった水門は「無三殿圦(むさんどいり)」と呼ばれた。
無三殿社案内板の『由来』にはこうあった。

「江川・笈瀬川の合流地、無三殿いり辺りの江川、清澄にして深からずといえども古来、霊鼈(亀または河童の意)のすむところなりと称し、畏敬して汚す者なし。樋辺一巨石あり、無三殿主神と刻す。昭和九年鹽竈社へ移され今日に至る。」

「樋辺一巨石アリ」と山王橋あたりに巨石があったことが説明されているが、
それが無三殿社の奧に祀られている無三殿神石とのことだ。
無三殿社の案内板には
「水神様(無三殿大神)は魚介類の商いの神様」ともあり、
かつては魚介類の商いがこの地域で盛んだったものと思われる。
無三殿大神には「根(痔)抜き」の霊験もあるらしく

「昔からむさんど・山王橋の西北角の橋上から着物のすそを端折ってお尻を堀川に映すと、痔の悪い人は川神様が治してくれると言い伝えがあります。」

とある。
無三殿社の本殿は平入りの大型の石祠で、
根抜きを祈願する人によるものと思われるキュウリが、
まな板に奉納されていた(写真左)。
無三殿社の本殿の正前には石造の水桶があって、無三殿大神の石像が
水桶の中央に浮かぶ岩に半跏趺坐で座っている(写真中)。
この神域すべてを覆うようにテントが張られているが、
台風シーズンには畳んでるんだろうか?
ヒシャクが置いてあるのは、無三殿大神のお皿に水をかけるためだろう。
無三殿大神は手に稲穂と玉(魂)を持っている。
無三殿大神の後ろに回ってみると、頭にちゃんとお皿があるのが確認できる。
(写真右)
背中には甲羅を背負って、尻尾は長寿を意味する亀毛になっている。
案内板には

「夏の暑い盛りには、堀川の土手で子供達と水遊びや甲羅干しをして一緒に遊んだと言い伝えあり、水泳上達、子供達の守護神様です。」

とあった。
●無三殿大神(西日置鹽竈神社境内社無三殿社) 水脈環境
愛知県名古屋市中川区西日置1-7−10

西日置鹽竈神社(にしひおきしおがまじんじゃ)のあるあたりは
堀川とその西を平行して流れる江川(現在は暗渠)がもっとも接近する場所で、
その距離90mほど。
鹽竈神社は暗渠になっている江川の西にある。
この社地は現在、南西に中川運河の行き止まりもあり、東に江川と堀川、
西に中川運河北支線、南を江川と中川運河を結ぶ東支線と、
三方を水脈で囲まれている(MAP左)が、
中川運河は名古屋港と旧国鉄笹島駅(貨物駅)を結ぶため
1930年(昭和5年)に掘られた運河なので、
それ以前は中川運河とその支線は存在していなかった。
中川運河の無かった時代には庄内川から引かれた笈瀬川(おいせがわ)が
北部から鹽竈神社の西を通り、
無三殿社参道脇の『無三殿神石之由来』石碑によれば
江川と笈瀬川は高低差が大きく、笈瀬川は江川の樋下をくぐって
堀川に合流していたと説明されている。
そして、笈瀬川と堀川の合流点に
無三殿圦(むさんどいり)と呼ばれた水門があった。
「笈瀬川」という川は現在の地図に表記はないものの、
ここから1.5kmほど北西の名古屋駅西口を東西に抜ける太閤通に
「笈瀬通」という交差点がある。
笈瀬通交差点から南に向かう通りが「笈瀬本通」だが、
最初の210mほどが、通称「かっぱ商店街」と呼ばれている。
笈瀬本通は途中で軽く折れ、 笈瀬通交差点から670mほどで、
JR、名古屋鉄道の複合線路にぶつかっているが、航空写真で見ると、
鉄道線路の反対側に 線路敷設前に続いていたと思われる道があり、
その道は鹽竈神社西の現在の中川運河河北支線も突き抜けて、
山王橋あたりで江川に到達していたようだ。
案内板の「江川・笈瀬川の合流地」という記述からすると、
この笈瀬本通とその延長線が笈瀬川だったものと思われる。
商店街名に冠されている「かっぱ」は「客の足を引く」といわれ、
集客の縁起かつぎの意味もあり、
水商売(厨房を使用する商売)の守護神でもある。
これはおそらく東京の合羽橋商店街(かっぱばし)も同じだろう。

後日、無三殿圦の痕跡を探しに山王橋に行った。
橋上から堀川の上流を見下ろすと、
この部分だけ、川の中にせり出している設備が多く、川幅が狭くなっている。
(写真中)
水は不透明なモスグリーンで、流れはほとんど無さそうだ。
反対側の下流を見下ろすと、こちらには材木商の浮かべる材木が浮かんでいた。
(写真右)
無三殿圦の痕跡らしきものは特に見当たらず。

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