ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

水流と水神コミュの船玉神(志麻神 静火神 伊達神)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
船玉神(フナダマ)とは紀氏の祀る(武内宿禰が祀ったとする説もある)
齋祀紀国紀氏神(紀伊三所神)のことで、
志麻神、静火神(シズヒ)、伊達神(イタテ)の三神の総称。

別称=船霊(ふなだま)
   フナダマサン
   フナダンサン
   オフナサマ

神功皇后の西征において、紀伊三所神が紀水軍を先導したように、
紀伊三所神は住吉大神と関係のある神であり、
紀伊三所神を住吉三神の荒御魂とする説もある。
ニニギの降臨を先導した猿田彦神と習合し、
いっぱんに船玉神社の主祭神というと猿田彦神とされている。
一説には紀伊三所神を五十猛命三兄妹の三座とするが、
最初の船(丸木船)を造ったとされる神であり、
「木」に由来する造船の神であり、船・航行を守る神とされ、
おもに漁民や船大工によって祀られる。
さらに熊野本宮大社の別称を船玉十二社大明神とする説もある。
紀伊三所神は単独の神社として祀られた場合は
それぞれ以下のように主祭神が当てられている。

・志麻神社 主祭神:中津島姫命(別名:イチキシマヒメ)
・静火神社 主祭神:火結神(ホムスビ)
・伊達神社 主祭神:イタケル

《目次》
●境内社住吉社・船玉社相殿(愛知県 洲崎神社) =書き込み1
●境内社船玉稲荷大明神(愛知県 黒龍神社)=書き込み2/3

↓MAP
http://goo.gl/maps/JIRr

コメント(7)

●境内社住吉社・船玉社相殿(洲崎神社)
愛知県名古屋市中区栄1丁目31-25

名古屋市内の中央を南北に流れる堀川は1610年の名古屋城築城開始に際して、
築城のための資材運搬を目的として
庄内川から伊勢湾の間に掘削された水路だったが、
その川沿いには複数の神社がみられる。
堀川沿いを地図でチェックしていたところ、
名古屋市のほぼ中央部に洲崎神社があるのを見つけた。
「洲崎神社」という名称の神社は東京湾周辺に見られるが、
そのすべてが海の近くに存在する。
ところがこの洲崎神社(すさきじんじゃ)は内陸部にある。
だが太古、この地は入江で洲崎になっていたという
中型スクーターで洲崎神社前に着くと、
社前は名古屋市内の中心を東西に走る、いわゆる100m道路で、
沿線に若宮八幡社も存在することから、「若宮大通」と呼ばれている。
この道路は歩道部分もスペースがたっぷりあって、
歩道に巨木が平気で伸びている。
入り口には素木の伊勢鳥居があった(写真左)。
左隣には別の入り口があり、朱の鳥居があったが、
その社号票は地図の表記にあるように「石神神社」ではなく、
「白龍龍壽社」となっている。
洲崎神社境内にはさまざまな資料が展示してあって、
その中に洲崎神社がかつて使用していたと思われる案内書きに
「社名の由来」があり、それによると、
洲崎神社と石神神社は明治45年に合祀されたというから、
その時以後、地図上の「石神神社」の名称はちょうど90年間、
改訂されていないことになる。
かつて「石神神社」だった場所の社号票は
「白龍龍壽社(はくりゅうりゅうじゅしゃ)」となっており、
白龍龍壽社本殿は洲崎神社本殿に並んだ向かって右側に祀られ、
摂社となっている。
白龍龍壽社の鳥居をくぐって参道に入ると、突き当たりに
稲荷社など3社を祀った横長の大きな覆い屋があるが、
その覆い屋の前の木陰に住吉社と船玉社を祀った祠があった(写真中)。
祠の扉の前には中央に紙垂を立てた三方が置かれ、
銅板葺き流れ造りの祠の軒には小型の白い提灯が下がっている。
祠の足元には両側に榊が置かれている。
祠の左右の柱には「住吉社」「船玉社」とあるが、
掲示された天王崎神社時代の案内書きには
「船玉神〈住吉大明神なり〉」とあった。
この祠から堀川までは25mほどしか離れていないが、
若宮大通が堀川を渡る新洲崎橋から見る堀川上流は(写真右)のようだが、
住吉大明神であれば、海の神だから、
この地がかつて入江だったことと関係があるのかもしれないが、
堀川で使用される船とその航行を守るために船関係者が祀ったのかもしれない。
堀川の水面は暗く、澄んではいないが、汚物は流れていない。
●境内社船玉稲荷大明神(黒龍神社)
愛知県名古屋市西区枇杷島2丁目25−8

1月の下旬 晴れ
旧美濃街道を中型スクーターで
東から西に流れる庄内川沿いにある黒龍神社に向かった。
旧美濃街道が庄内川にぶつかった場所にはかつては橋が架かっていたが、
現在は無く、150mほど下流に枇杷島橋が渡され、
その橋を通る67号線が現在は「美濃路」と呼ばれている。
庄内川堤防にぶつかった所から、堤防下を枇杷島橋に向かって80mも下ると
右手の堤防の中腹に白い幟が立ち並んでいた。
幟には朱の神紋と 「黒體龍王大神」の墨書き。
入り口には石造の伊勢鳥居が立っている(写真左)。
一ノ鳥居をくぐって、両側に幟が並ぶ参道に入ってゆくと、
参道は社務所の脇を抜け、石造の二ノ鳥居の前に出た(写真中)。
二ノ鳥居の先は狭いが広場になっていて、正面いは拝殿、
拝殿前のかたわらに 朱の鳥居と瑞垣を持った社と素木の祠が並んでいた。
稲荷社の朱の幟には「船玉稲荷大明神」という文字が抜いてある(写真右)。
船玉神と稲荷神の習合は庄内川で操船した人たちが祀った稲荷社なのか。
●境内社船玉稲荷大明神(黒龍神社) 水脈環境
愛知県名古屋市西区枇杷島2丁目25−8

参拝して黒龍神社の参道を戻ると、社務所の先に脇道があった。
脇道に入って行ってみると、庄内川の堤防の上に出た(写真左)。
庄内川は岐阜県恵那郡山岡町の夕立山(標高727m)を水源として
岐阜県から愛知県を流れ、伊勢湾に注ぐ川だが、東から西に向かっていた川は
この辺りから南の伊勢湾に向かう。
このあたりで、川幅は200mほどあり、上流に名鉄の鉄橋が見える。
下流には美濃路(67号線)の渡る枇杷島橋とJRの鉄橋が見える(写真右)。
北海道釧路市は、船玉神がたくさん祀られています。
どんな神様かよくわからないでいましたので、とても興味深く拝読いたしましたクローバー
ありがとうございますぴかぴか(新しい)
>雪月花さん

>釧路市は、船玉神がたくさん祀られています

そうなんですか!
ぼくは今年になって初めて遭遇した神です。
釧路市では漁業関係者が祀ったんでしょうかね。
機会があれば、ご紹介ください。
はい、そうなんです。

わたしは2年前、釧路から関東に引越してきて、
この春、また釧路に引越しすることになり、
タイムリーなトピに感謝していますクローバー

新居のすぐそば三吉神社にも、船玉神様が祀られています。
オオナムチ神・スクナヒコナ神・サルタヒコ神・船玉神、だったかと。
釧路市の大きな神社さんといえば、厳島神社、鳥取神社です。

故郷が宮城なので、伊達の字に反応しますし、
住吉神といえばシオツチオジ神。奥州一宮・塩竈神社にはずっとお世話になっています。
熊野本宮社の近くに、塩竈神社があり、うれしくお参りさせて頂いたのを思い出しました。




>雪月花さん

>新居のすぐそば三吉神社にも、船玉神様が祀られています。

周辺に「船」地名。「住吉」地名がありますね。

「船・鮒」地名は「フン族(FUN)」関係地とする説があります。
敵の首を取ったりするのはフン族の習慣が源流にある可能性があります。
ハンガリー(フンガリー)で日本文化が人気があるのは、
同族と考えてるからといいますね。
「フン=匈奴説」がありますが(MAP)、
Wikipediaに
「白鳥庫吉は、「奴(ヌ・ド)」の字が古代中国では「ナ」と発音していて、「Hu-na」・「Hun-na」であったと論考した。」
とあり、バイカル湖が含まれているもが気になります。
DNA調査は
バイカル湖からアムール川(黒龍江 )を下った民族がいた可能性を示していますから、
ウラジオストックからリマン海流に乗って北海道西岸に上陸した人たちがいたのか、
あるいは単に「船」族が釧路に入植しただけなのか。

匈奴(きょうど)=クヌ=狗奴

狗奴国につながっている可能性もありますね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

水流と水神 更新情報

水流と水神のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。