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水流と水神コミュの宇賀神(宇賀弁財天/宇賀福神)

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『宇賀』は梵語の『ウガヤ(白蛇)』を語源とすることから「白蛇」を意味する。
中世以降信仰された民間信仰の神。
稲荷神である宇賀御魂神(ウカノミタマカミ)と
古代インドの河神(女神)である弁財天(サラスヴァティー:Sarasvati)が
習合した神。
陰陽道では屋敷八神(ヤシキハッシン)の一神とされる。
人頭蛇身の老翁の姿をしている。

古事記の表記=
 宇迦之御魂神(ウカノミタマカミ)
日本書紀の表記=
 倉稲魂命(ウガノミタマノミコト/ウカノミタマノミコト)
別称=
 宇賀御魂神(ウカノミタマカミ)
 宇賀弁才天(ウガベンザイテン)

《目次》
●宇賀福神(神奈川県横浜市港北区)=書き込み11
●宇賀御魂命(兵庫県西宮市 西宮神社 末社宇賀魂神社)=書き込み9
●宗像三姉妹(東京都 江島杉山神社 岩室)=書き込み1/3
●若宇加能売命(奈良県北葛城郡 廣瀬大社)=書き込み4/5


↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/mm?ie=UTF8&hl=ja&ll=35.691385,139.792791&spn=0.001409,0.001196&z=19&om=1&msa=0&msid=113844027188609943916.0004437f8172b4c6afcae

コメント(11)

●宇賀御魂神(江島杉山神社 岩室)境内
東京都墨田区千歳1-8-2

東西を隅田川と荒川に挟まれた地域で、
隅田川で言えば言問橋から東京湾の間には
碁盤の目になった人工河川が張り巡らされていることにこの新年に
東京の地図を見ていて気づいた。
年末の最終週末の夕方にバイクで、
月島から北上してその人工河川のひとつ、堅川と隅田川に近い
江島杉山神社に向かった。

一旦、通りすぎてしまい、
堅川に架かった一之橋を渡って、見落としてしまいそうな、
江島杉山神社の一ノ鳥居前に到着した。
一ノ鳥居は真西を流れる隅田川に向いている。
愛車は鳥居の真ん前に停めた。
石製明神鳥居には提灯、しめ縄、神籬(ひもろぎ)の
鳥居より背の高い笹竹と松の苗木が飾り付けられ、
初詣の準備はできているようだった。
鳥居をくぐって、住宅の隙間にまっすぐ伸びる
細い参道を30mほど進むと、
開けた場所に出て、真正面に石柵で囲まれた拝殿があった。
入り口にも石製明神鳥居。
その二ノ鳥居をくぐり、拝殿前に進むと、
拝殿には紫の大きな幕が掛かっており、
左側に浪に囲まれた九星紋、
右側に浪に囲まれた三つ葉葵紋が白く抜かれている。
徳川家と千葉一門がらみか?
浪からは、
「江島」が江ノ島の「江島神社」と関係があるのだろうとは思ったのだが、
境内に説明板が無く、確認できなかった。
ところが、拝殿の右脇奥に稲荷社があり、さらにその脇には水路があり、
その奥を見ると岩室があることに気づいた(写真左)。
穴稲荷でもあるのだろうと、深紅の寒椿の前を通り、
しめ縄をくぐってその岩室に入ってゆくと、
7mほどの穴の突き当たりに、神像。
後で調べてみると、
それはこの地に弁財天を祀った
杉山和一扶持検校(すぎやまわいちふちけんぎょう)の神像だった。
杉山検校像の右手には祭壇。
反対側、杉山検校像の左手に3mほど伸びた突き当たりには
宇賀御魂神の祭壇があった(写真中)。
ここには

宇賀御魂神=弁財天

という説明書きがあった。
この岩室内で人頭蛇体の宇賀御魂神の神像を撮影しようとしたところ、
バッテリーが上がったり、ストロボが発光しなかったりして、
撮影ができなかった。
岩室から出てくると、すでに外は暗くなっていた。
ぼくはその日は撮影を止して、新年に挨拶に来いということだと解釈した。
2008年の新年は生まれて初めて東京で迎える予定になっていたので、
それは可能だった。

年が明けた5日目、
やはり夕方に江島杉山神社に到着。
今度は南口の鳥居前に愛車を停めた。
前回よりも遅くて、すでに外は暗くなりはじめていた。
今回は拝殿に祀られている神々がわかっていた。

・市寸嶋比売命
・倉稲魂命
・大国主命
・杉山和一大人命
「江島杉山神社」の「杉山」は杉山検校の「杉山」なのか、
神奈川県に多く見られる杉山神社に由来しているものかは不明だ。
現在地(旧本所一つ目)に弁財天が祀られたのは、
杉山検校が綱吉に欲しい物を問われ、
「目がひとつ欲しい」と答えたからというエピソードが残っている。
「一つ目」という地名の由来は
万治2年(1659)に竪川が堀割りされた時に架けられた橋に
隅田川よりから順次、
「一ツ目橋」「二ツ目橋」「三ツ目橋」と名付けられたもので、
現在はそれぞれ「一之橋」「二之橋」「三之橋」という名称になっている。

ところで、杉山検校神像の左手の通路にある宇賀御魂神に
ロウソクと線香を上げ、ふたたび撮影させていただいところ、
今回はストロボ無しでなんなく写った(写真右)。
前回よりも時間帯が遅く、暗いはずなのに、なぜなのかわからない。
「新年に明るい蛍光管に取り替えられるから、それまで撮影は待ちなさい」
ということだったのだろうか。
現場に居る時よりも写真で見るほうが形態がよくわかるのだが、
岩屋の中にいる宇賀御魂神の姿は
ムチャリンダ龍王に守られて冥想する釈迦の姿を
アレンジしたものであることに気づいた。
釈迦はムチャリンダ龍王のとぐろの上に座して7日間の冥想をしたのだ。
●宇賀御魂神(江島杉山神社 岩室) 水脈環境
東京都墨田区千歳1-8-2

江島杉山神社の北50mには人工河川の堅川(たてかわ)、
西220mあたりには隅田川が流れる。
堅川堤防は私有地沿いででられないので、
堅川に架かる橋の中で一ノ鳥居にもっとも近い
一之橋(旧一ツ目橋)に出てみた。
堅川には全面、上方に首都高速7号小松川線が流れており、
堅川にはその高速道路支柱が並んでいる(写真左)。
堤防沿いにはボートが係留され、並んでいる。
一之橋から隅田川水門は目の前で、
水門はボートがくぐれるくらいに上がっており、
水面には200m先の対岸にある東日本橋のネオンが映っていた(写真中)。
小松川線も東日本橋側に向かっている。
堅川の名称の由来は江戸城から見て縦(東西)に流れていることによる。
一之橋すぐ上流の塩原橋のたもとには江戸時代の東都本所堅川の
浮世絵が表示されており、そこには堅川を運搬路として利用した
材木問屋で働く職人たちと対岸の住宅街が描かれていた(写真右)。
●若宇加能売命(廣瀬大社)
奈良県北葛城郡河合町川合99

廣瀬大社。
水の守り神として、五穀豊穣・水難鎮護・産業興隆・河川交通安全・安産・除災招福を司る。
元は、廣瀬坐和加宇加賣神社(ひろせにいますわかうかのめのじんじゃ)と呼ばれていた。
主神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)で、別名、豊宇気比売大神(とようけひめのおおかみ)、屋船豊受姫神(やふねとようけひめのかみ)、宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)、廣瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)と呼ばれ、総て同神とされる。
相殿は、櫛玉命(くしたまのみこと)と、穂雷命(ほのいかづちのみこと)。櫛玉命は饒速日命(にぎはやひのみこと)とされる。穂雷命は旧記には水穂雷命とあるが、元来は火雷神だと思われる。

社伝によると、創建は崇神天皇9年(前89年)の古社である。
だが廣瀬神が正史に頻繁に登場するようになるのは、天武天皇以降だ。
天武天皇は、風水を駆使したことで知られる、古代の強力な呪術者の一人である。
天武天皇当時の風水は、現代の占いとか家相などという、チンケなものではなくて、それは国家プロジェクトであり、軍事、政治、祭祀、産業など、総ての分野に関わる最新鋭の科学でもあった。
天武天皇4年4月10日に、その呪は動いた。
龍田大社(奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1)の「風神」と、廣瀬大社の「水神」を、風水の陰陽神として用い、奈良盆地に呪をかけたのである。
その天武天皇がかけた呪術は、五穀豊穣だとされているが、はたしてそうだろうか。
天武天皇が奈良盆地にかけた呪は、本当は何だったのだろうか。
また、両神社の位置関係(ほぼ東西に位置する)と、法隆寺の関係も面白い。
聖徳太子が龍田大明神の御神託で法隆寺の建立地を決めた話は、空海と高野山の話とオバーラップする。
そして、両神社とも葛城山系の麓に位置していて、加茂氏の勢力下だったことを考えると、役行者がどう関わっていたかも興味深いと思う。



本来の御祭神は、長髄彦(ながすねひこ)という説もある。
長髄彦は、大和での神武東征の抵抗勢力だった。
和邇氏(海神族)と同胞でもある。
後に戦国の名家、織田家、伊達家を輩出している。
櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)は義理の弟にあたるが、長髄彦はその櫛玉饒速日命に殺されたという。
長髄彦の義兄弟の櫛玉饒速日命は、物部氏の租であり、廣瀬大社の相殿・櫛玉命として祀られていて、社家・樋口氏はその子孫だ。
そして長髄彦の子孫の迹見赤檮(トミノイチイ)は、聖徳太子と共に物部守谷を討つ。
ご先祖の敵討ちだ。
廣瀬大社が、櫛玉饒速日命を祀るとしながらも、実は殺された側の長髄彦を祀っているならば、JRの線路を挟んだ反対側にある夢殿・救世観音のように、怨霊封じの神社なのかも知れない。
天武天皇はこのことを知っていたのだろうか。
そして怨霊封じの神社なら、貴船神社のように、今だ呪が生きているのも納得出来る。



摂社・末社。
●水分神社
廣瀬神社の位置からすると、分水嶺ではなく、水田と水田の苗に対する水分だと思う。
●祓戸社
言わずと知れた祓戸四神。
●稲荷社
伏見稲荷の分霊。
●八神殿社
皇室ご守護。
●饒速日命社
物部氏の租神・櫛玉饒速日命を祀る。お社は宮司の樋口家の敷地内にある。樋口氏は饒速日命の末裔だという。
●穂雷神社
奈良県北葛城郡広陵町安部733。
廣瀬大社相殿の穂雷命の分霊。手力男命、天照大神、武雷神、保沼雷神、栲幡千千姫命、水穂雷命、軻遇突智命を祀る。
●若宇加能売命(廣瀬大社)、水脈環境
奈良県北葛城郡河合町川合99

下記のマップURLを参照。

http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%8C%97%E8%91%9B%E5%9F%8E%E9%83%A1%E6%B2%B3%E5%90%88%E7%94%BA%E5%B7%9D%E5%90%8899&sll=36.5626,136.362305&sspn=34.773652,56.601562&ie=UTF8&ll=34.591177,135.747414&spn=0.035046,0.055275&t=k&z=14

河合町川合という地名からも分かるが、廣瀬大社は、佐保川・初瀬川・寺川・飛鳥川・曽我川・葛城川・高田川という奈良盆地を流れる総ての川が、一点に合流する地に祀られている。
合流した川は大和川と名を変え、大阪湾に注ぐ。
大和川は、往古から氾濫を繰り返してきた河川だ。
社伝によると、一夜にして沼地が隆起して陸地となり、数千本の橘(社紋になっている)が生えたという。
最初は地殻変動かと思ったのだが、河川の様子を見ると、氾濫により川だったところが陸地になったのではないだろうかと思う。
科学的にも十分有り得る話だ。
大和川の水防は、現在でも流域自治体の大きな課題である。
リアルの仕事で大和川流域自治体の水防マニュアルを作ったことがあるのだが、今でも大雨・台風の日には関係者は眠れない夜を過ごしているのだ。
未だ、龍神を科学で押さえることなんて出来ないんだね。
●若宇加能売命(廣瀬大社)
奈良県北葛城郡河合町川合99

ということで、参拝してきました。
車だと、ちょっと分かりにくい所にあって、カーナビ必須です。
駐車場を探したんですが、どうも無いみたいで、仕方なく参道に駐車しました。
結構長い参道です。
石段等はありません。
河川敷ですから当然ですよね。
鳥居は、一の鳥居と二の鳥居がありました。
周囲は市街化されてきていますが、それでも田圃が残っていて、田舎の神社って感じです。
宮司さんの家の敷地内にあるお社は、はたしてお詣りして良いものかどうか?
実は参拝しなかったんですが、社務所で聞いてみれば良かったと、後で思いました。
パンフには、「砂かけ祭」というのが載っています。
田植えの予祝呪術ですね。
砂をかけ合うみたいですが、砂は雨の象徴らしいです。
廣瀬大社、立地がかっこ良すぎる(笑)
自分が龍蛇ならここに住みたい。
●宇賀魂神社(西宮神社末社)
兵庫県西宮市社家町1-17

祭神は、宇賀御魂命。
創建年不祥、少なくとも文明年間(室町時代)には祀られていたようです。
西宮神社境内に、神池という池があり、池の中の小島に祀られています。
小島には、橋を渡って参拝出来るようになっています。
宇賀神、宇賀弁財天と同体と認識されている模様。
この神池には、市杵島神社も祀られています。

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