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水流と水神コミュの牛頭天王(スサノオ/水の神)

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牛頭天王(ゴズテンノウ)は
中部インドのシュラーヴァスティーに存在した寺院、
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神。
祇園精舎は釈迦が説法を行ったとされることで知られる。
外来の神で、疫病をまき散らす疫病神として知られるが、
一面で水をもたらす神としても祀られる。
明治時代の神仏分離で多くの牛頭天王社が
スサノオを祀る神社となった。

親称=お天王さま


《目次》
●須佐之男神社(愛知県名古屋市)=書き込み6/7
●自玉手祭来酒解神社(京都府乙訓郡)=書き込み5
●津島天王社(埼玉県志木市)=書き込み1
●末社八坂社(滋賀県大津市 日吉大社)=書き込み2/3
●祗園石(滋賀県大津市 日吉大社)=書き込み2/3

↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=35.834285,139.581052&spn=0.003031,0.003771&t=k&z=18&om=1&msid=113844027188609943916.00043afb36a9fe748f77e

コメント(7)

●津島天王社
埼玉県志木市本町2-4

新河岸川
埼玉県、東京都を流れる新河岸川と柳瀬川の集合点の
南側の路地に入って、敷島神社に向かっていたら
駐車場の隅に瓦屋根の社と素木の靖国鳥居が立っていた(写真左)。
横は細い路地になっている。
5段だけだが、石段もある。
社内には紙垂を納めた宮形や津島神社の神札が並んでいるが、
その前に
建速須佐之男尊(タケハヤスサノオノミコト)の絵がプリントされた
大きな神札が下がっていた(写真中)。
『尊』の部分に貼り紙が落ちてしまった跡らしきシミがあるから、
そこに『命』などの修正が入っていたのかもしれない。
参道脇に立っている由緒書きには祭神として

『建速須佐之男尊(牛頭天王)』

と書いてあった。
この神社は日本三大川祭りのひとつである
志木夏祭り発祥の神社と説明されているが、
それにしてはみすぼらしい状態になっている。
寛政4年(1792)に愛知県津島市の津島牛頭天王社(現津島神社)から
勧請されたものという。
本社の津島神社では祭神を『建速須佐之男尊』として、
牛頭天王に関しては語られていない。

200mほど北にある新河岸川と柳瀬川の集合点に出てみると、
流れは穏やかだが、水量の豊かな川であった。
●八坂社/祗園石(日吉大社末社)
滋賀県大津市坂本5丁目1-1

日吉大社の末社は、興味深いところが多いのですが、これもその一つ。
写真左の真ん中の社が、「八坂社」です。
祭神は、素戔嗚神となっていますが、昔は牛頭天王だったと思われます。
境内にある「祗園石」、通称「目洗石」の方の由緒書きは、牛頭天王となっています。
●同水脈環境(日吉大社境内)
滋賀県大津市坂本5丁目1-1

日吉大社は、とにかく水の豊富な神社です。
写真左は「飛竜の瀧」。
この瀧は、結構好きです。
写真右、社殿のまわりにも水路が巡らされているところがあって、清流が流れています。
橋は設けられていないので、お詣りするにはこの流れを、飛び越える(跨ぐ?)ことになります。
天王山の頂上近くに中世ごろよりあった天神八王子神(牛頭天王)を祀る「山崎天王社」であった。

天王山で毎日過ごしています、素晴らしい山ですよ。

自玉手祭来酒解神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%8E%89%E6%89%8B%E7%A5%AD%E6%9D%A5%E9%85%92%E8%A7%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE
●牛頭天王(須佐之男神社)
愛知県名古屋市中川区柳川町7-11

3月初旬の週末 晴れ。
堀川に架かる住吉橋の南西80mあたりにある 須佐之男神社に向かった。
須佐之男神社の祭神は社名に含まれているものの、
境内に掲げられた『社史』を含めて、
この神社の祭神を紹介する情報が見当たらない。
『社史』でも祭神名を出さず、
慶長年間(1596〜1615)に「津島神社より勧請したるもの」とのみ説明がある。
実際には「牛頭天王」だったと言いたいのかもしれない。

住吉橋を渡って南の路地に入ると、 須佐之男神社の側面に出た。
境内沿いに愛車を停めて、社頭のある南側に回ると、
石垣の上に森が立ち上がっていた(写真左)。
西隣には公園がある。
鳥居は石造の伊勢鳥居。
鳥居の先に藩塀(ばんべい)があり、奥に拝殿らしき建物が見える。
藩塀は庄内川以東ではこれまで、住吉神社でしか見ていない。
この神社は社務所以外は戦災で焼けているが、
藩塀にそれらしき様子は見えないから、戦後に建てられたもののようだ。
凝った浮き彫りは見られず、
津島神社と同様の木瓜紋だけが
http://p.tl/mSx5

浮き彫りされている。
藩塀を左に迂回すると、隣の公園を背景にして慰霊碑を中心として、
役行者像などを祀った塚があった。
参道の正面には瓦屋根棟入りの拝殿が(写真中)。
拝殿は腰板はあるものの、壁は無い。
ここは伊勢湾台風の被害を受けているが、
素木の拝殿はさほど痛んではいなかった。
参道両側の大きな石灯籠が神仏習合の場であったことを物語っている。
拝殿の西側に回ると、拝殿の背後には瑞垣が巡らされていた。
瑞垣は隙間が設けてあって、神域内を見てみると、
荒々しい自然石を高く積んだ石垣の上に
流れ造りの背の高い本殿が祀られていた(写真右)。
本殿の東西には同じく高い石垣の上に境内社が祀られている。
石垣の高いのは伊勢湾台風で境内が浸水したことに対応するためなのだろう。
拝殿の反対側に回ると、拝殿の壁面に『社史』の大きな板書きがあった。

「本社は慶長年間堀川べりに熱田区住吉町住吉神社と共に、川の東西に奉鎮し其の西方はこれ乃ち此の神社にして川の守護神、疫病の防御秦、家内安全、の御神として、海部郡津島町国幣小社津島神社より勧請したるものなりと口碑に残っている。」

本殿の東側には「お塚社」と呼ばれる
夫婦神(道祖神だろう)の祠が祀られていた。
●牛頭天王(須佐之男神社) 水脈環境
愛知県名古屋市中川区柳川町7-11

須佐之男神社は中川区柳川町にあるが、
「柳川」の地名由来は
「川縁に柳が生えていた」からというありがちな説はもちろん眉唾で、
柳川市の公式サイトにこんな情報があった。

「現在のところ、鎌倉時代後期の永仁4年(1296)の史料に、蒲池、田脇、間などの地名とともに『簗川』として登場するのが最も早い事例です。その後戦国時代くらいまでの史料には、やはり『簗川』あるいは『簗河』と書かれています。この『簗』とは、川に仕掛ける魚を獲る道具のことです。古い時代にはこの字ばかりが使われている」

名古屋市の柳川町は東西200mほどに広がる町で、
東を流れる堀川と西を流れる江川(MAP左/現在は暗渠)に挟まれた土地だ。
簗を仕掛けるとしたら、水深があって、
尾張の物販流通のメイン河川だった堀川ではなく、
用水路だった江川の方だったと思われる。
『泥江懸神社の宵鳴き鶏』伝承にも
「江川で網漁をしていた」という記述がある。

須佐之男神社境内を出て、
境内から50mも離れていない堀川(MAP左波アイコン部分)に出てみた。
須佐之男神社のある町名は江川に由来すると考えられるものの、
『社史』にあるように、須佐之男神社は堀川開削にともなって、勧請された。
この辺りの堀川は江戸時代から両岸に材木問屋が建ち並び、
現在も材木店や製材所が残り、堀川には丸太が浮かび、川縁には
その丸太を引き上げるためのクレーン車が設置されている(写真中)。
上流の方を見ると、100mほど先にある鉄製の住吉橋が見える(写真右)が、
名称と異なって、風情の無い橋だ。
向こう岸には住吉神社の杜も見えている。

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