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水流と水神コミュの蟾渭神(水の精霊)

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蟾渭神(せんいしん)は井戸や井水を祭祀対象として聖水祭祀された神。
蛙の姿をした水の精霊であると言われ、
4世紀末期(縄文末期)、井伊谷(いいのや:浜松市)一帯を統治した
井の国の王の祀った神とされる。

●渭伊神社=書き込み1

↓《MAP》
http://www.google.co.jp/maps/ms?f=q&hl=ja&geocode=&time=&date=&ttype=&ie=UTF8&msa=0&msid=113844027188609943916.0004392be08cb7cdc28a6&ll=34.85889,137.551575&spn=0.780913,0.837708&t=k&z=10&om=1

コメント(2)

●渭伊神社 境内
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1150

井伊家の支配した地、井伊谷(いいのや)の旧名は渭伊であった。
渭伊神社は表通りから脇道に入った場所にあった。
鳥居が見当たらなく、最後まで見つけることができなかったので、
正式な参道がどこにあるのかわからなかった。

路地に面した開口部脇にバイクを停めて杜を眺めるも、
境内はただの杉桧林にしか見えない。
杉と桧はどれも良く伸びているものの、
巨木と言えるものは見当たらない。
拝殿は2層に分かれた石垣の上にあった。(写真左)
驚いたことに、拝殿前には3種の石灯籠があるのみで狛犬が無かった。
調べてみると、
ここを井伊氏は神仏混交の井伊八幡宮として、
現在も祭神には品陀和気命(ほんだわけのみこと)が祀られ、
主祭神は母親の
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)となっている。
井伊八幡宮は明治初年度の神仏分離令でもとの渭伊神社に戻った。

井伊谷は「井の国の大王」が聖水祭祀の場としていた。
拝殿裏にある薬師山(標高41.75m)にまつわる祭祀の推移は以下のようだ。

1 縄文末期(4世紀末期)〜平安時代、祭祀の場であった
2 貞観8年(866年)井戸や井水を祭祀対象とした蟾渭神が祀られ、
  渭伊神社となる
3 12世紀末、経塚が設置される  
4 南北朝内乱期(1321〜92)に伊井氏、
  龍潭寺境内から八幡神を当地に移して神仏混淆の場とし、
  蟾渭神を氏神として名称を井伊八幡神社と変更する
  ※旧渭伊神社神域にあった
   共保出生の井(龍澤寺=現龍潭寺近くの田圃に現存)には
   井伊氏の祖、共保出生にまつわる伝承が存在する
5 江戸時代初期、近藤氏所領となり、崇敬を受ける
6 明治元年(1868)神仏混淆は廃止され、
  龍潭寺隣に宗良親王(後醍醐天皇息子)を祀った伊井谷宮が創建される
  ※これは天皇家を使って井伊氏を押さえる意図もあったろう

渭伊神社(いいじんじゃ)社殿の左脇の山肌を少し登ると
岩が散らばっている場所に出る。
そこが薬師山の頂上だった(写真中)。
岩はどれもほとんど丸みというもののないものだ。
境内の説明書きによると
40m四方に総数約20個の1〜7mの岩が散らばっているという。
岩の間には樹木の根が張って、地面は枯れ葉で埋まっている。
岩の周辺の樹木だけ枝が払ってあるようだ。
渭伊神社の磐座は1コの大岩が砕けて散らばったかのように見える。
調査でも当初、信仰の対象になっていたのは息子の左に立っている
ここでもっとも大きい岩だけだったとされている(写真右)。
元は風化で砕ける前のこの岩1コしかなかった可能性がある。
なぜなら息子の立っている大きな岩No.1から大きな岩No.3までの間の
トライアングル部分からのみ
ここでもっとも旧い縄文時代後期の縄文痕土器が発掘されているからだ。
つまり縄文時代後期にはすでに3つの岩があったことになり、
もし、岩が砕けたことがあったとしたら
それは縄文時代後期以前に起きたことになる。

現在、大きな岩No.1とNo.2の間に注連縄が渡されており、
大きな岩No.1の頂上にだけ小祠が祀られている。
この大岩と同質の岩がこの薬師山全体に散らばっており、
なぜ、ここの大岩群だけが山に埋没しないで、
山の上に乗っているのかが不思議だ。
こうした大岩はこの頂上から転がり落ちて、
崖の縁で留まったかのような『鳴石(写真右)』と呼ばれているものや、
麓に流れる神宮寺川縁まで転がり落ちているもの、
神宮寺川中に水没しているものもある。

4世紀末にこの地を統治した『井の国』の王は
薬師山の岩を依代として蟾渭神という水神を降ろしたらしい。
これはこうした縄文期の祭祀の場で見つかる
縄文痕土器の基本的な模様が水流であることと関係あるだろう。
蟾渭神は蛙の精霊だが、縄文痕土器の模様にも
『半人半蛙(はんじんはんあ)』という

http://www.alles.or.jp/~fujimi/idojiri/ido005.html

蛙を擬人化したような模様が見られる。
この蛙の身体は女性性器のように見える。
この身体部分のデザインは出水の酒船石の

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=543702908&owner_id=350761
《写真中》

デザインと、あきらかに共通点がある。

半人半蛙の縄文痕土器は山梨県、長野県に集中して見られるというから、
天竜川の水源である諏訪湖とのつながりから、
蟾渭神と半人半蛙は関係がある可能性がある。

ところで、渭伊神社は拝殿の裏山に磐座があるのだが、
三輪明神のように
裏山が神体となっているわけでも岩が神体になっているわけでもなく、
拝殿の後ろには本殿が存在する。
●渭伊神社 水脈環境
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1150

磐座のある薬師山頂から中腹を通る山道まで下ると、
『鳴石』と呼ばれる、もしかすると山頂の大岩よりも大きな岩が
一部地面にめり込んだ形で断崖の縁に留まっている。
その脇から下を望むと、杉林を通して川が流れていた(写真左)。
それは神宮寺川、別名宮川だった。
鳴石に沿って、脇に獣道のような通路があるので、
下って川を見に行った。
川面は不透明なエメラルドグリーンで、
細かな小波が立っていることや、
川床の砂利が露出している場所があったりすることから、
浅そうなのだが、川底はまったく見えない。
対岸には磐座と同質の岩が露出しているのが見える。
少し下流に移動すると、
そこには波ひとつ立っていない沼のような非常に静かな水面があり、
その色はエメラルドグリーンのパステルカラーをしていた。
水面にやはり磐座と同質の岩が1コのぞいている(写真中)。
この部分がの水流が静かなのは
すぐ下流に堰が設けられていることが原因であることがわかった。
逆に少し上流に移動すると、水底が水面に近い場所があり、
水底に細かく砕けた石が透けて見えた(写真右)。
この小石や対岸の岩も磐座と同質のものだ。
このあたり一帯が同質の鉱物で組成されているようだ。

神宮寺川はここから1kmほど東南で井伊谷川(いいのやがわ)に合流し、
井伊谷川は2kmほど南西に流れ、都田川(みやこだがわ)に合流している。
都田川は2kmほど南西に流れ、浜名湖に流れ込んでいる。

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