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水流と水神コミュの祓戸大神(祓戸四神)

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祓戸大神(ハラエドノオオカミ)は「祓所に祀られる神」の意。
日本神話での神産みの時、黄泉の国から帰還した伊邪那岐が
禊をしたときに化成した神々の総称だが、

・瀬織津比売(セオリツヒメ)=穢れを川から海へ流す神
・速開都比売(ハヤアキツヒメ)=穢れを海の底に飲み込む神
・気吹戸主(イブキドヌシ)=海の底に飲み込まれた穢れを
             息吹によって根の国、底の国に送り込む神
・速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)=根の国、底の国に送り込まれた穢れを
                さすらって消去する神

以上の4神を特にピックアップして祓戸大神とも呼ぶ。
速開都比売以外の三神は紀記には登場していない。
本居宣長は4神を紀記に登場する以下の4神に当てはめている。

・瀬織津比売=八十禍津日神(ヤソマガツイ)
・速開都比売=伊豆能売(イズノメ)
・気吹戸主=神直日神(カムナオビ)
・速佐須良比売=須勢理毘売命(スセリビメ)

瀬織津比売別称= 瀬織津姫命(セオリツヒメのミコト)

●祓戸大神を祀った代表的な神社
佐久奈度神社(滋賀県)
http://sakunado.jp/
綱越神社(奈良県)
http://www.genbu.net/data/yamato/tunakosi_title.htm
日比谷神社(東京都)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/05_minato/5003.html

《目次》
静岡県
●境内内末社祓戸神社(三嶋大社)=書き込み14/15
東京都
●末社水神社(隅田川神社)=書き込み9/10
●末社祓戸神社(井草八幡宮) =書き込み1/2
長崎県
●佐久奈止神社=書き込み3
奈良県
●祓戸(宇太水分神社境内)=書き込み13
●境内社祓戸社(葛城一言主神社)=書き込み11

↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&om=1&msa=0&ll=35.715146,139.596453&spn=0.003005,0.003224&t=k&z=18&msid=113844027188609943916.000001134d0faa982b834

コメント(15)

●末社祓戸神社(井草八幡宮)
東京都杉並区善福寺1-33-1

井草八幡宮に初めて行った時は4月の初めのことで、
すでに夕闇が迫っていた。
高さ9mの大鳥居が青梅街道に面してあり、柱は高さに比して太い!
(写真左)
朱の鳥居なので比売神が合祀されているのかも知れないと思ったが、
祀ってあるのは応神天皇だけだった。
境内のスケールは同じ善福寺川沿いにある大宮八幡宮を上回るものだ。

鳥居をくぐり鍵形に参道を進むと堂々たる朱の楼門があった(写真中)。
左右に豊磐間戸神と櫛磐間戸神を配した楼門をくぐると
すぐ右にまったく同じ造りのふたつの木製の祠が建っていた。
右が祓戸神社(はらえどじんじゃ)(写真右)、
左が三宮神社(さんのみやじんじゃ)だった
両方とも水に関わりのある神を祀っているわけだが、
三宮神社には宗像三女神の1神で、
航海の安全に関わる神、湍津姫命が祀られている。
●末社祓戸神社(井草八幡宮)水脈環境
東京都杉並区善福寺1-33-1

井草八幡宮の真南140mあたりに
善福寺川が流れている。
井草八幡宮と善福寺川の間は住宅街だ。
このあたりの善福寺川は水量が少ない。
水は比較的きれいでかもが1羽泳いでいたが、
鯉の姿が見えないのは水量が少なすぎるからだろうか。
堤防の真下を覗き込んだら水底にマンホールの蓋が見えた。
なんだこりゃ。
このさらに下に下水が流れているのだろうか。
祓戸四神のうちの1神、瀬織津比売(セオリツヒメ)は
穢れを川から海へ流す神。
ということか。
>フィオさん

佐久奈止神社のご紹介ありがとうございます。
佐世保湾に近い場所ですね。

瀬織津比賣命が単独で祀られているんですね!
鳥居の閉め縄が立派で出雲系。
鳥居の手前に狛犬があるのも珍しいし、
鳥居と狛犬のスペースを取るのに、
わざわざ石垣を組んで踊り場が設定してあるのも初めて見ました。
『気軽に入ってくるなよ』と言われてる感じ。
こういうところに参拝する人にとっては
崇高な場所に入って行く感じがして好ましいものです。
●隅田川神社 水脈環境
東京都墨田区堤通2-17-1

隅田川神社は西側が隅田川堤防に面している面しているが、
堤防に沿って首都高速6号向島線の高架が通っているため、
鉄のパネルが並んでいて、
堤防には150mほど南に迂回しないと出られない。
隅田川神社前の一方通行の車道を南下して、
堤防入り口に行ってみると、柵の切れ目があり、
入れるようになっているのだが、
入り口から両側にはホームレスの人たちの手作り小屋が並び、
入り口付近には犬まで繋いであって、
よそ者(?)は入りにくい雰囲気になっている。
それでもかまわず、入ってゆくが、
犬は吠えるわけでもなく、人気も無い。
昼間だから、みんな出かけているようだ。
小屋は板やダンボールを組み合わせて、うまく作ってあり、
おもしろいのはどの小屋も屋根の押さえに、
廃棄されたバッテリーが並んでいる。
バッテリーは重いが方形で転がりにくく、
万一落ちても、表面が塩化ビニールなので、
ブロックほど危険が無いということなのだろう。
高速道路高架下に並ぶ小屋は
雨があたらないだろうから快適だろう。
小屋の間を抜けて堤防にゆるやかに登ってゆく道を進むと、
じょじょに視界が開け、対岸の航空工業高専のビルが見える。
(写真左)
このあたりの川幅は100m以上ある。
さらに進んで、完全に堤防上に出ると、
景色は完全に開け、
行く手に美しい水色でアーチ型の橋梁を持った水神大橋が見える。
12月の半ば、風はなく、雲もまったく無く、青空が広がっているが、
何故か寂しい風景だ(写真右)。
●亀神(隅田川神社)

速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)と
その夫の速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)を祀った
隅田川神社の拝殿前左右には神使の亀像があるが、
その拝殿の右脇に

●隅田川神社 境内
東京都墨田区堤通2-17-1

2007年3月初旬、
江戸期には「水神社」と呼ばれた鎮守であった隅田川神社は
その東250mほど離れて並走する 墨堤通りに面して一ノ鳥居があり、
一ノ鳥居をくぐると、巨大な白鬚東アパートのビルの隙間を抜けて、
西を南北に流れる隅田川に向かう、
幅10mはありそうな、両側が並木になっている参道がある。
参道は東白鬚公園の中を横切って隅田川沿いの境内(写真左)に至る。
境内と隅田川の隙間を首都高速6号向島線の高架が通っている。
二ノ鳥居の中は駐車場になっており、さらに内陣に向かい、
一旦南に折れた後に東向きに建つ拝殿に向かうと(写真中)、
両側には石灯籠があるのだが、その手前に
神使の亀像(写真)が向かい合っており、狛犬は無い。
神使が亀であるのは
主祭神が祓戸大神の中の一神、
速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)と
その夫の速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)であることによる。
速秋津(はやあきつ)は「流れの速い河口(開き津)」の意。
二神の組み合わせは河口であることから
「河」と「海」を意味しているようだ。

現在、隅田川はこのあたり、鐘ケ淵で荒川支流として始まり、
東京湾に流れ込んでいる。
昔はここから東京湾の入り江が始まっており、
「江戸(江の口)」の語源とされたと言われる。
つまり、隅田川は存在していなかったことになる。
当時、この地は鬱蒼とした森であり、
「水神の森」、あるいは「浮洲(うきす)の森」と呼ばれ、
荒川を下る人、
東京湾から鐘ケ淵の難所から荒川に入る人たちにとって、
格好のランドマークであったという。
葛城一言主神社 境内社 祓戸社
奈良県御所市大字森脇432

葛城一言主神社については、事代主命のトピックスに書いたので、ご参照ください。

さて葛城一言主神社の境内社として、水神系の神々が数柱祀られている。
その内の一つが、この祓戸社である。
位置としては、まず葛城一言主神社のトピの写真を見て頂きたいのだが、本殿へと登る石段の手前に、古いお社が祀られている。
そして、東面する本殿の右に、稲荷神が祀られ、その右に、各境内社が並んでいるが、ここにも新しく作り直されたであろう祓戸社が祀られている。

●写真は、石段手前の古い祓戸社です。
本殿横の、境内社の祓戸社は、申し訳ありませんが公開出来ません。
ご事情をお察しください。

さて、御祭神は瀬織津姫命。(葛城一言主神社の表記に従い、瀬織津姫命と書きます)
ここでは、祓戸四神ではなく、瀬織津姫命のみを祀り、祓戸社として祀っている。
祓戸四神は、大祓祝詞でも、普段お唱えしているので、おなじみの神々なのだが、何故かここでは瀬織津姫命のみだ。
葛城氏と大王家の勢力争いの結果が、この葛城一言主神社だから、祭神にもステロタイプにはまらない物を感じるのは気のせいだろうか。
●祓戸大神(熊野本宮大社)
和歌山県田辺市本宮町本宮1100

熊野本宮大社の参道(石段)を登っていくと、左手に石碑が祀られています。
説明書きでは、本宮に詣る者は、ここで身を浄めよということです。
手水があるわけではないので、禊祓詞などを唱えるのでしょう。
●祓戸(宇太水分神社境内)
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

ここの場合は、変わっています。
「祓戸」であって、「祓戸神社」ではありません。
社殿がない。
鳥居もない。
塚があるわけでもないです。
御幣すら立っていません。
柵で結界してなければ、なんのこっちゃらです。
「祓戸」とは、この柵の内側全体のことだと思うのですが・・・。
(※写真に写っている赤い社は、稲荷です。)
さらに謎は、神社のサイトでは、祭神は祓戸四神としていますが、
おそらく宮司さんの手書きだと思われる看板には、祓戸二神と書いてあることです。
どちらかが間違いです。
四神の内の、どの二神か聞きたくて、社務所に寄りました。
が、誰も出て来ない・・・、国宝、重文の神社なのに・・・。
まったく、田舎の神社の、こういうのんびりしたところが、実は好きです。^^
囲いの中には、謎の磐座もあって、これは神社のサイトにも記載がないし、
木の看板もほとんど読めない状態だったので、これも気になるところです。
御由緒書きも欲しかったな。
また、春になったら行こうと思います。

お祭の時には、拝殿に昇る前にここでお祓いをして、一同心身を清めるとのことです。

結論。
祓戸大神の古い祭祀形態は、ここ宇太水分神社の「祓戸」のようだったのかもと思いました。
●境内内末社祓戸神社(三嶋大社)
静岡県三島市大宮町1

最初にここを訪れたのは2009年7月の末のことで、偶然だった。
バイクで下田街道(138号線)を北上していたところ、
1号線を越えると、138号線はそのまま21号線となり、
石造りの明神鳥居の前を通りかかった。
引き返して、鳥居脇の駐車場に愛車を停めた。
駐車場から参道に出ると、木漏れ日の落ちる、落ち着いた参道が伸びていた(写真左)
入り口左側に手水舍があり、その屋根の下の素木の板に『御由緒』が書かれていた。
それで、初めてここが祓所神社(はらいどじんじゃ)で、
三島大社の末社であることがわかった。
「通称 浦島さん」という説明がある。
参道奥に和風の塀が見えるので三島大社拝殿はそちらにあるようだ。
『御由緒』にはここに桜川が流れ込み、国司のチョウが祓戸大神を鎮斎し、
三島大社に参拝するおりには必ず国の卜部(うらべ)にお祓いを行わせたとある。
卜(うら)は浦(うら)に通じている。
以後、桜川は祓所川とも呼ばれこの西側に裏町(うらまち)、祓所町(はらえどまち)、宮川町(みやがわまち)など呼ばれ、祓戸神社の氏子区域になったと、説明があった。
現在の地図を見ると、それらの町名は残ってなく、大宮町となっている。

参道に入るとすぐ、左手に玉垣と石造の太鼓橋があり、澱んだ池があった(写真中)。
どうやら桜川はこの池に流れ込んでいたらしい。
石橋の先は島になっていて、
橋のすぐ正面に銅板葺き屋根を持つ、素木のくすんだ拝殿があった。
島も池も木立に包まれている。
石橋を渡って拝殿前から、拝殿内を観ると、拝殿の正面は開口しており、
その外側に春日造だが素木の本殿があった(写真右)。
やはり素木の瑞垣で囲われており、そこに午後の陽光が当たり、
非常に光が美しかった。
周囲は低い木立の新緑に囲まれている。
参拝して瞑目すると、ベージュ色の光を感じた。
素木の色を感じたのだろうか?初めて感じる色だった。
実際の美しい光に比して、「地味だナ」という感想が頭に浮かんだ。
しかし、2度目にここを訪れたときに、
それは金色の光がくすんだものだとわかった。
2度目は桜川を観てゆこうとしたのだが、
祓戸神社と、もう一社の境内社厳島神社を参拝しているうちに
すっかり忘れてしまっていた。
●境内内末社祓戸神社(三嶋大社) 水脈環境
静岡県三島市大宮町1

地図で見ると、桜川は
祓戸神社の650mほど北西にある三嶋大社斎館の西にある池から
祓戸神社の池に向かって流れていたようだ(MAP左)。

3度目にここにやってきたのは5月初旬のことだった。
祓戸神社入り口前の三叉路を北東側に渡ると、
祓戸神社前交差点から600mほど北西にある浅間神社に向かって伸びる道路があり、
その道路の北側に沿って、巾1mほどの水路があった(写真中)。
水は流れているようだが、流れはゆったりしている。
この道路は桜川を暗渠にして設けたものらしく、
どうも、歩道の下が暗渠になっているようだ。
地表では祓戸神社前交差点で途切れ、
300mほど南に現れている水路につながって、大場川に合流しているようで、
桜川は三嶋大社の表参道の西側に沿って流れていた川だったのだろう。
深さ1.5mほどの水路の住宅側のモルタルの壁面には名称が不明だが、
水辺で見かける草が生えており、薄い紫色の花が前開だった(写真右)

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