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水流と水神コミュの倶利伽羅竜王

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※このトピックでは水行場に由来する倶利伽羅竜王のみ扱っていきます

『倶利(くり)』は堆黒(ついこく:漆を塗り重ね、彫刻を施したもの)の
唐草模様を指し、
『伽羅(きゃら)』は極上の沈香(香木)を意味し、
倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)の姿を表わしているのだろうか。
それを倶利伽羅竜王は立った剣に黒竜が絡みつき、
呑みこもうとしている様をいうが、
これは密教の仏陀、大日如来の化身である
不動明王の持つ『剣』と『索』を『剣』と『竜』に象徴させたもので、
不動明王そのものでもある。
『剣』と『竜』の意味するものは様々な解釈があるようだが、
元は密教における仏尊を梵字一音節に象徴した
『我』と『空(くう)』の種子(しゅうじ)に由来するものだという。
『空(くう)』が『我』を飲み込もうとしている様ということだ。
種子とは植物の種子に象徴されるように
やがて、さまざまな現象を起こす
短い音節のマントラ(真言)の持つ可能力をいう。
つまり真言をくり返して唱えることにより、現実を動かそうということだ。
竜王の体色は黒色のほかに金色で表わす場合もあり、
人間の姿をとる場合もあるという。

別名=倶利伽羅不動

《目次》
●大山寺(神奈川県伊勢原市)=書き込み1
●脳天大神龍王院(奈良県吉野郡)=書き込み2/3

↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&t=k&om=1&msa=0&ll=35.429176,139.239591&spn=0.003003,0.003583&z=18&msid=113844027188609943916.00000112d92cebd388a27

コメント(3)

●大山寺
神奈川県伊勢原市大山724

役行者が投げた不動明王は
現在の阿夫利神社下社の地に落ちたと言われている。
その地に東大寺大仏をプロデュースした良弁(ろうべん)僧正が
大山寺を開いた。
明治初年の廃仏毀釈により、大山寺から阿夫利神社が別かれ、
大山寺は明治18(1885)年に現在地に移転造営された。

大山の満員のケーブルカーに乗って、
大山寺の最寄り駅である最初の駅『ふどうまえ』で降りた。
この駅で降りたのはぼく一人だった。
ほかの乗車客は全員、阿夫利神社下社に向かう客ということになる。
つまり大山寺は阿夫利神社下社より低い場所にあることになる。
ふどうまえ駅から山道を3分ほど歩くと大山寺本堂である
不動堂前の階段の上方に出た。
不動堂(写真左)の前に出ると
参拝なのか、登山者なのか数人の姿があった。
堂内に足を踏み入れると秘仏とは別の不動明王が祀ってあったが、
授与所に人影は無く、本尊の厨子は閉じられていて
不動明王三尊像は見られなかった。秘仏になっているようだ。
大山寺の説明板があったので読んでみると、
役行者のことを『日本古来の予言者』という言い方だけで、
名前は伏せていた。
どうも神奈川県の南部地域には
役行者にまつわるものを隠したい何かがあるようだ。
境内を不動堂の左方にたどると、「かわらけ」投げをする場所があって、
谷下を覗くとそこから右にズレた場所に
茅の輪のような大きな輪が木に掛けてあるのが見えた。
その輪に通すようにかわらけを投げるのだろうか。
ぼくが境内にいた時間は午前中で、
「かわらけ」投げは行われていなかった。
その奥に水行場らしき池(写真中)があり、
一条の滝が落ちており、その下には 足場になるような岩があったから、
おそらくここで水行が行われるのだろう。
池には「水神宮」小祠、
池端には倶梨伽羅龍王銅像(写真右)が祀ってあった。
竜の口かは水が流れ落ちていた。
●脳天大神龍王院
●奈良県吉野郡吉野町吉野山

2007年10月7日
金峰山寺で慶讃採燈大護摩供が行われ、
二本最大の秘仏金剛蔵王権現三尊像が公開されている最中、
真夏に来た時には向かう気にはなれなかった
昔、「暗がり谷」あるいは「地獄谷」と呼ばれた深い谷底にある
脳天大神(のうてんおおかみ)龍王院に向かった。
長い石段の途中で、なまった腿をなんどか休みながら、
本宮(写真左)にたどり着いた。
この日、
蔵王堂前で慶讃採燈大護摩供が行われている時間帯にもかかわらず、
脳天大神本宮には参拝者が絶えず、
すべての人がロウソクに点火し、線香を上げていた。
本宮脇奥の屋外には
倶利伽羅龍王と白玉王子の石碑が祀られており(写真中)、
本宮を参拝した人のほとんどの人がここにも参拝していた。
●脳天大神龍王院(奈良県吉野郡) 水脈環境
●奈良県吉野郡吉野町吉野山

龍王院本宮は巾4mほどの川をまたぐ形で建てられており(写真左)、
水行場施設も川の中にある。
そのほかの建物も川に沿って建てられている(写真中)。
水量は多くなく、
境内に沿った部分では水はほとんど流れていない状態で
完全に透明な水底は細かな沈殿物がすべてを覆っていた(写真右)。

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