ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

X JAPAN画像&動画 HMコミュのTAIJIのProfile&Biograph 別館

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1966年
7月12日
千葉県市川市に3人兄妹の次男として誕生
幼稚園、小学校時代を通じて「ガキ大将」 だった
小学校2年の時、初めてのスキーで、「転ぶのがイヤだった」ため、滑れないのに思いきり直線でスピードを出し、木に激突、入院となる
その病院で、同部屋の「にいちゃん」に、クイーンやオリビア・ニュートン・ジョン、ウイングス、ビートルズなど教えてもらい、「キラークイーン」を歌う珍しい小学生となる
初めてギターを握ったのもこの頃
一番初めに買ったレコードは、公称ジョン・デンバーの「スウイート・サレンダー」だが、実は、「西城秀樹」の「ばらのくさり」
小学校、中学校通じて、サッカーをやるが、坊主になるのが嫌で途中でやめる
中学校時代、家庭の事情等もあり非行に走る
中学3年時に「バイク、女、シンナー、喧嘩全部やった」とのこと
ツッパリ全盛時のため、リーゼントやパンチパーマのヘアスタイルだった
マンモス高校へ進学して、ギターを始める

コメント(28)

1982年
アイアン・メイデンやレインボウ、ディープ・パープルなどのコピー
「プロになろう」と、高校を1年で退学
「トラッシュ」というツインリードのメタルバンドを組む 当時はギタリスト 
TAIJIの作ったオリジナル曲でコンテストに勝ち抜いた
18才の時、解散
1984年
友達のバンド(ディメンシア)のヘルパーでベースを始める
ライブハウスも初めて経験 ベースにはまる
1985年
19才の誕生日に勘当、家出
ラブホテルに数ヵ月住み込みで働いて、中目黒の2万8千円のアパートを借りる
ディメンシアを半年でやめて、「プローラー」というバンドに入るが、3ヵ月でボーカルと喧嘩別れで脱退
そのころ、Xから話がくる(当時のメンバーはYOSHIKIとTOSHIだけ)
「Xは知ってたけど、このバンドにだけは入りたくねえなとか思ってた(笑)」が、「YOSHIKI自体が面白かった」ので、ディメンシアのギタリストと入る
しかし、「音楽性が合わなかった」ため、年末に脱退
その後、元デランジェ、現CrazeのドラムTETSU(菊地哲)、元デランジェ、現ソロボーカリストのkyoらと「デッド・ワイヤー」というバンドを組む。TETSUとはしばらく同居
kyoは、TAIJIが市川から呼ぶ
解散後、この2人はデランジェへ。
1986年  
秋、YOSHIKIと偶然に再会し、一緒に酒を飲むうちに懐かしくなり、話すうちに、音楽性云々より一緒にいることが凄く大切に思え、帰宅後、「ああ、必要なんじゃねーかな」と「X」加入を決意
アレンジ面を引き受け、電気も止められ、コンビニでパンをかっぱらうような極貧の生活を続けながら活動を続ける
はじめのうちは、YOSHIKIの部屋で寝起きし、2人でメンバーを探しに出ていき、相手と喧嘩をして帰ってきたという。YOSHIKIとも殴り合いの喧嘩をした(TAIJIの顎の形が変わった)のもこの頃か?
テレビ番組(「上海紅鯨団」など)に出演 した
11月
「発狂爆発大暴れGIG」と題した鹿鳴館などのGIGでTAIJIを新メンバーとして紹介、このライブではHIDEが後に語った「Q太郎」が客席を泳ぎ回った
鹿鳴館ではアンコール時に当時サーベルタイガーのHIDEも出演する
1987年

2月
ビクターよりリリースされたオムニバスLP「SKULL TRASH ZONE 1」にXは「Stab Me in The Back」「No Connexion」の2曲を提供。ギタリストにはPATAが録音期間の1週間だけ参加
この頃、HIDEのサーベルタイガーが解散
その後、YOSHIKIの誘いでXに加入したHIDE(池袋組体操事件)がツインギターを志向したことや、新ギタリストが交通事故にあったこともあって、有名な「正月電話」でPATAが正式加入
このメンバーでの初ライブは神楽坂エクスプロージョンでのワンマン
この日は、ビデオ撮影したこともあって、TAIJIが火を吹き、客に向かって投網し、炭酸ガスを持って客席へ突入し、シンバルを燃やし、場内にはガソリンの匂いが立ちこめるというとてつもなく壮絶なライブになった 
あまりにスゴ過ぎたためか、この日のビデオは(残念ながら)出ていない
その後、TOSHIとYOSHIKIの故郷である千葉県館山市でもイベントに参加、司会の女性に「…特に、ドラムの林さんとボーカルの出山さんは、この館山出身で…」と紹介される(笑)
7月
映画「TOKYOポップ」(ダイアモンド☆ユカイ主演)にXが1シーン出演(TAIJIは「backer」と言って、主人公にタンバリン渡す) 料金が半額になる「映画の日」にメンバー全員で見にいったという(プレステージでHIDEとTOSHIが発言、YOSHIKIは「違うよ、知らずに行ったら、料金が半額だったんだよ!」と主張する)
8月
大阪バーボンハウスや鹿鳴館でプロモーションビデオ「XCLAMATION」を無料配布
もちろん、自主製作版のため、製作費用はすべてメンバーが供出
このため、TAIJIの部屋から、タンスやテレビなどの家財道具が次々と消えていったり、ビデオ屋でバイトしていたPATAの給料袋には、前借りのため2ヶ月間給与明細しか入っていなかったのは有名
京都スポーツバレーにてイベント「ロックモンスターズ」に出演
秋から冬にかけて、ライブハウスに出演
2月26日
CBSソニーの新人発掘オーディションに出場「育成アーティスト賞」を獲得
1988年
1月
記念サイン会に500人が集まりパニック状態
2月
「VANISHING VISION」レコーディング開始  
3月
ライブハウスツアー
4月14日
延べ300時間かけた「VANISHING VISION」発売 1週間で初回プレス10,000枚を完売
このアルバムは、当時のインディーズシーンを塗り替え、Xの評価を決定づけた
このアルバム制作前後からメジャーレコード会社数社が獲得に動き出したが、甘い話には一切耳を貸さず自主制作でリリース CD化された現在もロングセラーとなっている
5月
中野公会堂で初のホールでのワンマンライブ 800人動員してソールドアウト
6月
全国20ヶ所、24本にわたる「VANISHING TOUR」を敢行 延べ約6,000人動員 全国各地でライブハウスの動員記録を塗り替える
7月16日
金沢VANVAN・V4でのライブ(150人)
「ゴキブリ事件」がホテルで起こる
7月17日
新潟ウッディ(220人)での伝説的な「酸欠ギグ」では、1曲目から将棋倒し、「オルガスム」で電源も飛び、空気を吸いにお客さんと一緒にTAIJIも外に飛び出す 
HIDEの証言(「MM CLUB」での)によると、TAIJIは「ここから出せ〜!」とすごい形相で叫び、飛び出したという
7月20日
青森フリースペース1/3(100人)
この時のライブのTOSHIのMCでいったいなにが起こったか?TOSHIのMCの答えはX豆知識でどうぞ
7月25日
旭川マチイホール(150人)
この日のライブは、Xライブ史上3本の指に入るぐらいの猛烈な暑さで、アンコール後にYOSHIKIが発狂状態になって倒れ、ライブのあの格好(髪の毛を立ててメイクをした)のままで病院へ運ばれたという(さぞ看護婦は驚いただろう)
8月1日
CBSソニーと契約、スタッフルーム3rdに所属
実家に帰り、両親に契約書を見せる 義父との約束(22歳までにプロになるという)を果たす
この月、第1次作曲合宿に入る(河口湖)
9月4日
野外会場の京都スポーツバレーで伝説的な雨中ワンマンライブ(「VOS9号」に収録)
中旬 
第2次作曲合宿に入る(河口湖)
この合宿で、ある朝起きたら、メンバーの部屋のベッドが垂直に立っていたという事件が起きる
犯人は、多分、某Yだと…(前科がある)
10月8日
Xの最後のライブハウスツアー、「BURN OUT TOUR’88」がスタート
大宮フリークスを皮切りに、10月いっぱい、ほとんどオフなしで全国を回る
10月11日〜12日
このライブハウスツアーでは、会場が満員状態で酸欠で失神するファンが続出
スタッフらは、ステージ袖で見ていて、前方で眼をつぶってる女の子がいると、飛んでいって、頭を叩いて覚醒させていたらしい 
それでも眼を開けない子は、演奏中でもその場で手を伸ばしてステージに引っ張り上げた
その際、その引っ張り上げる場所がHIDEの演奏している前あたりなので、女の子を運び出す際、スタッフがエフェクターを踏みつける事故が多発
ビデオでは次々と倒れる女の子たちが運び出されていた
10月17日
名古屋に移動し、中京テレビ「ラジオでごめん」に出演するが、メンバー数人(TAIJI含む)がめちゃめちゃ酔っ払って出演、YOSHIKIに至っては、炭酸ガスを突然噴射し、スタジオ中、大騒ぎとなる(自己紹介でTAIJIは「TAIJIだよ〜ん♪」とカメラに向かって可愛く発言)
初の生でのテレビ出演だったが、プロデューサーはカンカンになった 何とか翌日も出演させてもらって(TOSHIとYOSHIKIのみ)、この時はちゃんと話が出来、中京テレビにクビがつながったという(2回目の出演時のパーソナリティーは久本雅美で、そのパワーにYOSHIKIとTOSHIは圧倒されていた)
 
10月23日〜

札幌メッセホールで3DAYS(850人)、札幌のホテルに泊まるが一晩で追い出される
TAIJIの目撃談では、寝ていたら、下でヤクザがすごんでる声が聞こえたので、「何事だろう」と降りてみたら、フロントの態度の悪さに腹を立てたHIDEが、フロントのカウンター に正座をして、ホテルの人間に説教をしていたという 
さらに、部屋で暴れて、ごみ箱蹴飛ばしたり、窓から物を投げたりしていたらしい もちろんすべて弁償、翌日には約3名ほど(誰かは不明)が別のホテルへ移された

12月27日
ニッポン放送「ぶっ通しライブスペシャル」出演
この日、エレベーターでYOSHIKIはゴーバンズの森若香織と一緒になり、初対面なので挨拶をした
YOSHIKIは「XのリーダーのYOSHIKIと言います」と言ってきちんとお辞儀をしたのだが、自由の女神ヘアでお辞儀をしたため、ツンツンヘアが森若の身体に突き刺さったという
後日、テレビ番組で森若がその話を暴露した
12月31日
鹿鳴館にて「オールナイト・メタル・パーティ」に出演 餅つきに参加したり、パートチェンジでの演奏も披露
その後、元旦から2日にかけて飲み続け、元旦はHIDEの家が壊れ(YOSHIKIのゲンコツで押入の扉に穴があいた)、2日はPATAの家がやはりYOSHIKIの破壊行為でベランダの板が割られるという事件があった

1989年
1月6日
「BLUE BLOOD」レコーディング初日、渋谷公会堂チケット発売、2時間で完売したが、はじめは皆、信じられなかったという
1月中はずっとレコーディングが続く
2月4日
中京テレビ「5時SATマガジン」に初出演、紅を演奏 大竹まことに気に入られる
TAIJIを「かっこいいですねえ」と褒め、その後、去年のバレンタインデーにいくつチョコをもらったかまで聞く(答えは「あ、2個」)
2月25,27日
「紅」のビデオ撮影 このもようは、無料配布ビデオ「THANX」に入っている 各自のキャラクターを活かそうということで、それぞれの発想を聞いたら、TAIJIは「ハーレーダビッドソン」を借りて、外人のモデルの子と撮りたい」と言って、HIDEがインド人とヘビ、YOSHIKIはとにかく「死にたい」と…。で、PATAは酒しかないって「酒」のワンテーマ、そしてTOSHIがそれぞれを見る進行役というイメージで撮影された
TAIJIの撮影中は、外人のモデルの子と絡むシーンで何度かNGがあったのだが、それを見ていたHIDEは小声で「あいつ、わざとNG出してんだぜ〜、俺は知ってんだよお!」とカメラに向かって囁き、回りが大爆笑していた
3月6日
埼玉テレビ「SOUND SUPER CITY」出演(TOSHI欠席、YOSHIKIいわく「ちっちゃいからどっか行っちゃった」)
前半はトラックダウンとツアーのリハーサルの同時進行、もちろん音楽雑誌等の取材も受ける
メンバーの中にはスタジオで布団を敷いて寝たり(スタジオの人に「帰ってくれ」と文句を言われたとHIDEが発言)、駐車場に置いた自分の車の中で寝たりした者もいたという
3月13日
「BLUE BLOOD」ツアー開始 群馬県民会館小ホールからスタート
3月16日
「渋谷公会堂」での「爆発寸前GIG」(6月にビデオ発売)、来場者全員に「THANX」ビデオプレゼント
4月1日〜10日
メンバーが2,3人ずつで地方プロモーションに出かける ビデオコンサートも上映し、メンバーのトークがあった TAIJIも結構しゃべったという
10日以降も東京近郊のさまざまな場所でプロモーションを展開
ツアーリハーサルも同時進行

4月21日
Xのメジャーデビューアルバム「BLUE BLOOD」発売!アルバムチャート初登場6位となる
4月22日
川崎クラブチッタ
前日、HIDEとTOSHIは静岡のビデオコンサートに出演、その際、クラブチッタに行くというファンにTOSHIが「お前ら、ハチマキに『茶』と書いて来い!」と言ったら本当に当日、「茶」と書いている子がいたらしい(マネージャー談)
TOSHIはその後も各地でその土地特有のMCをし、他のメンバーを悩ませる&笑わせることになる
4月30日
名古屋での「ROCK WAVE」に出演するが、東京へ戻る途中、機材トラックが横転し、ドラムとギター数本が破損、ローディーが軽傷を負った (運転していたのはマネージャー)
5月2日
鹿鳴館で「エクスタシーサミット」開催、YOSHIKIは京都でのビデオコンサートのため、欠席
以降、ラジオやテレビ出演、ツアー、プロモーションなどが続く
5月27日
静岡第一テレビで公開ライブを収録したが、客が予想の2倍近い人数で、スタッフもプロデューサーもマネージャーも総出で客押さえをやっていた(実際、テレビで見たら凄いことになっており、TOSHIもMCで「おめえら、そんなに前に出てくるな」と客を静めていた)
6月3日
長野でのライブからツアー再開、「ROSE OF PAIN」を初めて演奏
6月7日
金沢教育会館ライブ、この夜は地元の高校生ら暴走族が街を走り回っていて、メンバーは楽しんでいたという(金沢でのテレビ出演時にHIDEとTOSHIが発言)
 YOSHIKIがタクシーを蹴飛ばしたら、空を切って転んで、知らない間にコブを作っていたらしい
タクシーの運転手にはマネージャーが1000円を握らせて帰したという

ライブでは「ホーホー星人」が初めて発生、以後全国に広がる
また、このツアーでは「紅族」も目撃された
6月10日
日比谷野外音楽堂ライブ
6月13日
新潟音楽文化会館ライブで一区切りつく
6月21日から以後、7月中旬まで作曲期間(OFF扱い)
6月22日
YOSHIKIヨーロッパへ
6月29日
TOSHI渡米、ニューヨークへ
6月30日
TAIJI渡米、LAへ このLAで、TAIJIは右腕にTATOOを入れる
7月2日
HIDE、PATAも渡米、LAでTAIJIと合流 このLAでTAIJIにつられて、HIDEもTATOOを入れる
YOSHIKIパリにてビデオ撮影
7月7日
TAIJI、HIDE、PATAニューヨークへ、TOSHIと合流
7月8日
HIDE、PATAニューヨーク近代美術館へ、TOSHIはナイアガラへ小旅行
7月9日
HIDE、PATA、THE WHOの再結成コンサートへ、TOSHIは自由の女神観光、TAIJIは別行動
7月10日〜11日
NYでビデオ撮影
7月12日
TOSHI帰国
7月13日
TAIJI、HIDE、PATAはEZOのメンバーと会食
7月14日
HIDE、PATA、メタリカ&カルトのコンサートへ TAIJI、左腕にもTATOOを入れる
7月15日
TAIJI帰国
YOSHIKIがパリからNYへ、HIDE、PATAと合流
7月19日
3人が帰国
7月22日
「HEAVY METAL DAYS」出演(埼玉)
7月29日
TBS「有線大賞」上半期有力新人賞ノミネート
湯沢へ移動、この晩、ZIGGYらと仲良く(?)飲む。知る人ぞ知る、この夏の3大事件の一つ「湯沢の夜」
7月30日
「POP ROCKETS」に出演
8月11日
金沢入り
「金沢ひざ枕事件」が起きる
8月12日
「POP HILL」(金沢)に出演
8月16日
取材日
「HYP」の取材で、COLORと寿司屋で爆笑対談が行われた
その席上、TAIJIから「スパイク」発言が飛び出した
8月19日
「富士急ROCK KIDS」(河口湖)に出演、
8月20日
「ロックンロール・オリンピック」(仙台)に出演
8月25日
「ミュージックステーション」に出演(テレビ朝日)
8月27日
「京都スポーツバレー」公演が台風のため中止
YOSHIKIとマネージャーはGDフリッカーズのイベントを見にいく
この夜もYOSHIKIは酔っ払って、いろんなところを蹴飛ばして回り、一緒にいた大阪のパンクの友人が「よっちゃん、大阪はヤバイて 大阪はヤクザが出てくるからヤバイて」って必死で止めるが、YOSHIKIはまったくのマイペースで「だーーってさ、楽しいーんだもん」とにこにこ笑っていたという(マネージャーが言うには、YOSHIKIは楽しくなるとあちこち蹴飛ばしたくなるのだそうだ)
8月28日
「大阪アムホール」で「大魔人五人組」という名でシークレットギグ
ステージネームは、YOSHIKIがジョン、HIDEがロボ、PATAがゴンザレス書記長、TOSHIがおちゃるちゃん、そして、TAIJIがヒマラヤン五郎、だった
その後、ラジオなどでは「ジョン」と言うとYOSHIKIが「ワン!」と答え、「ロボ」と言うとHIDEが「グゥオ!」と答えていた(ヒマラヤン五郎はどんな鳴き声なのかは不明)
8月29日
鹿鳴館にて「エクスタシーサミット」開催
8月31日
ラウドネスツアー見学のため、TAIJIは韓国へ!
その間のNHKオーディションでは、TOSHIが「TAIJIは風邪で休みます」と大嘘を言って、カラオケで歌ったという
9月1日
シングル「紅」発売、チャート初登場5位!
9月8日〜9日
TAIJI、BAKIソロ用リハーサル
9月11日
TAIJI、BAKIソロアルバム「The Innergates」のレコーディング、人のレコードで弾くのは初めてで、相当気合いを入れて練習したという
9月12日〜13日
「ENDLESS RAIN」用ビデオ撮影、TOSHIの3時間かけて立てた髪が、降らせた大雨であっという間に折れ、その後は各人の前後に雨を降らせることにした、という(テレビ出演時、TOSHIが発言)
9月17日
台風のため延期だった「京都スポーツバレー」に出演
9月19日
「ビデオJAM」録画撮り(YOSHIKI欠席)
9月22日
「爆風スランプのお店」録画撮り(NTV)
この日のゲストは他に聖飢魔・だったのだが、爆風スランプとXと彼等が全員座った席で、デーモン小暮閣下が「誰がどのバンドかはっきりわかっていいなあ、こればらばらに座っても誰がどこのバンドかすぐわかるぞ」と発言(確かに、Xはカラフルな髪で、爆スラはスキンヘッドなどで、聖飢魔・は悪魔メイク…)
9月23日
「5時SATマガジン」出演(中京TV)「紅」演奏
登場の時、客席の子たちがクラッカーを鳴らしたため、彼等の髪に紙テープが絡まり、髪が高く立っているため、お互いに相手の紙テープをとりあっている姿が美しかった(笑)
9月24日
ROSE & BLOOD ツアー用ゲネプロ
9月25日
「熱々クラブ」用ライブ録画(クラブチッタ川崎にて60分ライブ)全員のインタビューあり
9月26日
「バンドやろうぜ」取材、TAIJIは16:00〜、その後、リハーサル
9月28日
渋谷公会堂「エクスタシーサミット」出演
9月29日
「ROSE & BLOOD TOUR」開始 
初日は浦和市文化センター、浦和に移動する際、首都高でYOSHIKIはハコ乗りをし、HIDEが乗る車を追いかけたらしい(相当疲れているというのに…)
また、このツアーからYOSHIKIはキーボードを、TAIJIはベースを持ち歩き、ホテルの部屋でもずっと弾いていたという(実際に持ち歩いたのはマネージャーだが)

10月1日
仙台電力ホール
10月2日
盛岡教育会館、IBCテレビ「5ing」コメント取材
「笹かまぼこ」の話をYOSHIKIがする
10月4日
山形県民会館
10月5日
秋田児童会館
10月9日
「SOUND GIG」(TV東京)出演 TAIJI、うじきつよしに「俺、よく有線にリクエストしてました」と発言、「あいつ、いいやつだな〜」と気に入られる
スタジオライブあり
10月10日
大阪厚生年金会館大ホール、楽屋でTOSHIの誕生日を祝う
10月12日
川崎産業文化会館
10月14日
宇都宮・栃木会館
10月15日
インディーズ時代のアルバム「VANISHING VISION」CDで再発売
10月17日
大阪厚生年金会館大ホール
10月19日
岡山市民文化ホール
10月20日
「ミュージックステーション」出演(テレビ朝日)
タモリが「あんなに叩いて大丈夫なの?なんか病気ある?」とYOSHIKIに質問し、「あ、喘息…」と答えた途端、出演者大爆笑、「喘息持ちのドラマーって大丈夫なの?」「やってて(喘息に)なったことない?」といろいろ言われ、「たまにありますが、苦しいだけで(やり続ける)」とのYOSHIKIの発言に、再び笑いの渦…
10月21日
神戸市文化大ホール
10月26日
熊本郵便貯金会館
10月30日
YOSHIKIが体調不良のため、福岡ももちパレス公演が延期
10月31日
広島郵便貯金会館
11月2日
松山・愛媛県民文化会館サブホール
11月4日
「5時SATマガジン」出演、演奏はなく、ジュンスカイウオーカーズとのクイズ大会が行われた
(好きな女性タレントをそれぞれ当てたり、野沢直子の物真似を当てたりした)
その後、12月放映分の録画撮りのTOSHIとYOSHIKIと大竹まことの対談が行われ、YOSHIKIの「紅秘話」が語られた
11月5日
名古屋市公会堂
11月7日
高崎・群馬音楽センター
打ち上げにて「焼き肉事件」があった
11月8日
水戸市民会館、公演中にYOSHIKIが演奏不能状態となり中止、YOSHIKIは病院経由で東京戻り
TAIJIも肝臓から来る腹痛を訴えて病院へ
11月11日
長野県民文化中ホール
11月13日
富山県民会館
11月14日
YOSHIKI、金沢で針治療を受けた後、福井入りするが、上半身筋肉の激しい痛みのため、福井県民会館での公演延期を決定
11月16日
静岡市民文化会館の公演を体調不完全ながら「やる」と言い張るYOSHIKIをメンバーが説得、開演前の5時に公演延期を決定
11月17日
YOSHIKI、治療
11月18日
「オールナイトフジ」(フジTV)出演、キャンセルが無理だったため、曲目を1曲ピアノに変更した「紅」と「ENDLESS RAIN」を演奏、その後、ぜいぜいと苦しそうなYOSHIKIがコメント
11月20日
「JUST POP UP」NHK出演
11月22日
渋谷公会堂
11月23日
YOSHIKIの容態悪化のため、渋谷公会堂の公演延期 その後ミーティング
取材予定もキャンセル
11月24日
YOSHIKI、駿河台病院にて精密検査の結果、「過労性神経循環無力症」により最低4週間の治療および安静を要するとの診断が下り、以後1月初旬までYOSHIKI安静療養、同時にツアー自体の延期を決定
11月28日
ミーティング
12月1日
郵便貯金会館にてTBS「有線大賞新人賞」を受賞
「11PM」で受賞パーティがあるが、皆酔っ払い状態(YOSHIKI欠席)
シングル「ENDLESS RAIN」発売
12月3日
寺田倉庫「STREET FIGHTING MEN ・」
BAKIバンドと共演、Xは元プレゼンスのHIBARIをドラムにセッション
12月4日〜5日
HIDE、TOSHI地方キャンペーンで新潟や金沢、福井へ
12月6日
ロッキンf等取材
12月8日
取材日
12月12日
ニッポン放送「元旦特番」録音
 〃   「大槻ケンヂのセニョール・セニョリータ」録音
「BASS MAG」取材(TAIJI)
12月15日
TAIJI楽器店キャンペーン(KILLA GUITAR)
12月20日
TVK/TBS「イカ天」用コメント録画(YOSHIKI出演か?)
12月24日
TOSHIとHIDE、新潟のテレビ番組「MM CLUB」出演、ライブ延期のお詫びと最近のエピソードを1時間以上に渡って語った 
12月28日
TOSHI単独LAへ渡米
12月30日
鹿鳴館「エクスタシーサミット」TAIJI、HIDE、PATA出演
TAIJIは「沢田泰司&ザ・ストリッパーズ」というセッションバンドで参加 もちろんジュリーこと沢田研二のコピーバンド(笑) 
ボーカルはGEORGE(レディースルーム)、TAIJIはギター
「歴代のサミット参加バンドのなかで一番練習した」というだけあって、非常に出来が良かった
GEORGEのボーカルがなかなかジュリーに似ていて面白い
12月31日
鹿鳴館「オールナイトメタルパーティ」TAIJI、HIDE出演〜元旦明け方まで続く
「刺激!VISUAL SHOCK VOL.2」発売
1990年

1月中は、YOSHIKIがいない間だけでも取材を受けようということでスケジュールが組まれたが、あまりの多さにここでは割愛する。
 
1月6日
TOSHI帰国
1月8日
TAIJI、TOSHI、HIDE、PATA衣装ミーティング、その後FM795に出演するが、TAIJIは風邪のため欠席
1月9日
TAIJI、名古屋にてギターキャンペーン
1月10日
TAIJI、若松町にて楽器キャンペーン
1月12日
マリオン東宝にて映画「ZIPANG」の試写会(テーマソング「ENDLESS RAIN」)、全員出席
1月13日
TAIJI、長岡にてギターキャンペーン
1月14日
TAIJI、金沢にてギターキャンペーン
1月16日〜17日
全員リハーサル
1月19日
TAIJI個人リハーサル
1月20日
「爆風スランプのお店」録画撮り
スタジオライブあり
1月26日
「ミュージックステーション」出演(テレビ朝日)
「ENDLESS RAIN」を演奏、復活したYOSHIKI、演奏中に涙を流す
1月27日
TAIJI個人リハーサル
1月29日
ツアー用ゲネプロ
2月4日
日本武道館にて、YOSHIKI復活!及び「ROSE & BLOOD」ツアー再開
武道館をやる前に「某日に横浜アリーナで」という話もあったのだが、やぱりどうしても武道館で復活をしたいというメンバーの希望が強くて、武道館での復活となった
その武道館のコピーを決めるのに、まだ安静中だったYOSHIKIにHIDEが電話をして、出てきたコピーが「今度倒れる時は死ぬ時だ」というものだった
この武道館ライブで、TAIJIは初めて両親を招待、和解する
また、TAIJIは10分以上に及ぶベースソロを展開した
2月5日〜6日
武道館ライブ、トラックダウン
2月7日
「SOUND GIG」(テレビ東京)録画撮り
2月8日
TAIJIキラーギター用ポスター撮影
2月9日〜13日
「WEEK END」シングルレコーディング
2月15日
「WEEK END」用ジャケット撮影
2月16日〜17日
武道館ライブ、シングルB面トラックダウン
2月19日
「TOP 10」(日本テレビ)撮り
「VIDEO JAM」撮り
2月23日
TAIJI、BAKIバンドのライブ用リハーサル、取材「PLUM」「明星」TAIJIのみ
2月25日
TAIJI、BAKIバンドのライブ用リハーサル、全員リハーサル
2月27日
TAIJI、鹿鳴館でBAKIライブ出演
3月2日
「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)出演
3月3日
全体リハーサル
3月6日
渋谷公会堂
3月8日
TAIJI、TOSHIニッポン放送ミーティング
3月9日
名古屋市公会堂
3月10日
TAIJIベースクリニック、YOSHIKIは「5時SAT」出演
3月11日
TAIJI、渋谷でTATOO入れる
3月12日
「ゴールドディスク大賞」受賞式(新高輪プリンスホテルにて)
礼装の多い中、Xのメンバーの目立ち方は尋常ではなかったらしい。YOSHIKIの涙腺のゆるみかけたスピーチが行われた。受賞内容は「ベスト5ニューアーティスト・オブ・ザイヤー」「グランプリ・オブ・ザイヤ」
3月13日
TAIJI、TOSHI「男闘呼でNIGHT」撮り、「BURRN JAPAN」取材(TAIJIのみ)
3月15日
静岡県民会館
3月17日
「WEEK END」プロモーション用ビデオ撮影(演奏シーン)
3月19日
水戸市民会館
3月21日
TAIJI、TOSHIニッポン放送「男闘呼でNIGHT公開ライブ」に出演
3月23日
郡山市民文化センター
3月25日
「WEEK END」プロモーション用ビデオ撮影(イメージシーン)
3月28日
新潟産業センター(Xバスツアーあり)
3月31日
大阪・花の万博前夜祭にテレビ出演
4月2日
福井文化センター
4月4日
石川厚生年金会館
4月9日
札幌市民文化会館
4月11日
青森文化市民会館
4月17日
福岡ももちパレス
4月21日
シングル「WEEK END」リリース
5月7日
日本武道館
5月9日
日本武道館
5月17日
大阪城ホールにて、約半年に渡った「ROSE & BLOOD TOUR」終了
終了後の楽屋で、TAIJI男泣きに泣きながら「俺はこのバンドで死にます」発言
打ち上げは、ビールを掛け合い、大騒ぎとなった
6月
大阪城ライブ以降、Xは基本的に活動を休止 セカンドアルバムへ向けての準備にかかる
6月後半
活動休止中のXからのメッセージともいえるビデオのシューティングにかかった 
HIDE作曲の「CELEBRATION」をモチーフに都内のスタジオで撮影が行われた シンデレラ姿のYOSHIKI、魔法使いに扮するHIDE、外人エキストラによる豪華な舞踏会にTAIJI率いるバイク軍団が乱入したり、Xが演奏したりというシーンが撮影された
破壊工作を行うのはなぜかいつもYOSHIKI、HIDE、TAIJIの3人である
この撮影秘話を、XのFC会報「X PRESS 第4号」から抜粋した。
9月1日
ビデオ「VISUAL SHOCK VOL.2.5」発売
11月
Xの活動が中断したまま、すでに半年近くが経ち(PATAの行方不明事件などで)、夏に渡米する予定だったスケジュールがどんどん延びて、11月、とうとうXはLAに向けて出発
12月8日〜9日
X不在のまま、半年以上が過ぎたこの日、東京ベイNKオールでフィルムギグが開催
「ROSE & BLOODツアー」のライブ映像に向かってNKホールいっぱいのファンが熱狂
「MESSAGE FROM X」のCD入り缶が来場者全員に配られる
1991年 
LAでのレコーディングの状況がまったくわからないうちに年が明けた 
情報によると12月に入ってYOSHIKIが倒れたらしいということだった 
YOSHIKIの首が急に痛みだし、それはあの渋公がキャンセルになった時よりも数倍ひどいものだということだった
その時たまたま病院に行っていたHIDEによると、YOSHIKIが担架で運ばれてきて、泣き叫びながら「腕を切ってくれ〜!!」と絶叫、大暴れしているのを数人で押さえつけていたという
後日、なぜ腕を切れと言ったかについて、YOSHIKIは「あまりに首の痛みが凄いので、他の所を切れば首の痛みが減ると思った」と語った
その後約1ヵ月近くドクターストップのため、YOSHIKIはドラムを叩くことができなかった
YOSHIKI不在のまま、YOSHIKI以外の作曲者の曲を中心にレコーディングはなんとか進行していた
だが、他のメンバーも次々と体調を壊した
時差ボケが2週間以上続き、1ヵ月近く体調が悪かったTOSHI、日本で崩した体調がふたたび悪化したPATA、HIDEもLAに着いた途端にひいた風邪がなかなか治らず、TAIJIも虫歯が悪化して「歯がイテエんだよ!」と病院通い
入れ替わり立ち替わり病院に通うメンバーを見て、LAのコーディネイターは「この人たちは何しにLAまで来たんだろう?」と首を傾げていたという
その上、TOSHIが喉の不調を訴えて、医者に行った時「手術しなければダメ」と言われ、レコーディング前にするか、後にするかで悩むことになる
結局、これ以上レコーディングは延ばせないということで、手術はレコーディングの後になった
2月
ようやくレコーディングが開始、渡米後3ヵ月が経っていた
その頃、日本ではフィルムギグが全国34ヵ所をまわり、どこのホールも満員状態、ファンがフィルムに向かって熱狂するという状況を生み出していた
ほとんどホールクラスの会場に、バリライトや特殊効果を通常ライブ並みにセッティングした、かつて類を見ないフィルムコンサートだった
また、この時にXから全員プレゼントとして、メンバーのメッセージが入った特製CDがプレゼントされた
最終的には、4月6日川崎クラブチッタでのファイナルや追加を含めて37ヵ所で開催され、のべ8万人を動員
2月中旬
不完全な身体ながら、首にギプスをつけ、リハビリを続けながらという状態で、YOSHIKI戦線復帰

4月11日
LAで、音楽雑誌のインタビュー及び撮影
大作「ART OF LIFE」のドラムレコーディング中
5月7日
レコーディングのめどがついたということで、LAで記者会見 その席上で、YOSHIKIは「6月5日、成田で会いましょう」と帰国の日を発表してしまう
6月5日
X、帰国
成田国際空港には、1000人近いファンが押しかけ、警察も出動するほどの騒ぎとなった(後でクレームがついた)
この日、帰国したのは、TAIJI、HIDE、PATAの3人で、逃げるように走り去る様子が「VISUAL SHOCK VOL.3」に入っている
6月7日
YOSHIKI、TOSHI帰国 その足で、テレビ朝日の「ミュージックステーション」に出演
YOSHIKI、完全な時差ボケ状態
6月10日
YOSHIKIだけなんの片付けもしていなかったということで、LAに戻る
6月16日
8月23日の「東京ドーム」でのコンサートチケット発売、わずか2時間でSOLD OUT
7月1日
ニューアルバム「Jealousy」発売 初めは2枚組みの想定だったが、「ART OF LIFE」は入らなかったため1枚のみの発売 それに対してYOSHIKIは「共存を拒んだから」とコメント
7月31日
仙台リゾートパーク鬼首(JT スーパーサウンド)でのイベント 1年2ヵ月ぶりのステージ
8月6日、8日
「Violence in Jelousy Tour 1991」
新潟産業センターよりスタート
この日は全国からファンが集まり、市内は大渋滞していたという
8月15日〜16日
福岡国際センター
8月23日
東京ドーム!!
この日は打ち上げも凄かったという ミュージシャンが大勢集まり、朝方まで飲んで大騒ぎだったらしい

9月8日〜9日
名古屋レインボーホール
9月11日
シングル「Silent Jelousy」発売、ニューアルバムからの第1弾シングルカット
9月14日〜15日
大阪城ホール
9月24日
広島サンプラザホール
9月28日
真駒内アイスアリーナ
9月30日
LAでの映像や帰国後に撮影したプロモーションビデオ撮影の映像、東京ドームでのライブ映像などを盛り込んだビデオ「VISUAL SHOCK VOL.3」発売
10月5日
盛岡アイスアリーナ
10月17日
日清パワーステーション「Xと仲間たち」
メンバーそれぞれが自分のユニットを連れて演奏、TAIJIはこの日、寝坊してラスト近くでようやく登場(HIDEやYOSHIKI、TOSHIの華麗な衣装を見て、「俺、同じバンド?」と発言、受ける)、「God save The Queen」、「Anarchy in the UK」でギター担当、YOSHIKIとならんでギターを弾く
10月18日
日清パワーステーション「静かなX」
この日、TAIJIはトップバッターで登場、アコースティックギターを手に登場
メンバーは、バイオリン:NAKAIさん(Voiceless〜のバイオリンを弾いており、登場するなりTAIJIのほっぺたにブチュッとキスをした!D.T.Rのレコーディングにも参加してます)、ギター:ハリー吉田(Xのスタッフ)、キーボード:津田さん(Xのディレクター)らで「Longer」をしっとりと決める
PATAが登場し、「PATA'S NAP」(途中、PATAがミスをし、会場からも指摘され「たまには間違えることもあるんだよ」と開き直る)から「Voiceless Screaming」へ(TOSHIボーカル)
演奏後、総合司会のYOSHIKIの代わりに急遽居残りで司会を命じられ、TAIJIとPATAが酔っ払いながら漫才風に進行する(よくしゃべるのだ!)
その後もすべてアコースティックなステージが続く
10月19日
日清パワーステーション「変なX」
パートチェンジで登場、ボーカル:HIDE、ギター:TAIJI&YOSHIKI、ベース:PATA、ドラム:TOSHIで、「Ace of Spades」を演奏
2曲目の「Anarchy in the UK」で、ギターにTOSHI、ドラムがTAIJIで演奏
その後は、元のパートに戻り、1曲ごとアンコール形式で登場、演奏を繰り返す MCも全員がやるというサービス満点
10月20日
「Standing Sex」ビデオシューティング、YOSHIKI背中に龍の刺青を描いて(8時間かけて)撮影にのぞむ
10月23日
「Say Anything」のジャケット撮影でYOSHIKIは発熱していたが、全裸で水の中での撮影を強行
10月24日
横浜アリーナの公演で、YOSHIKIドラムソロの後、ステージ裏に戻ったところで意識を失い、救急車で病院へ
アリーナは2日間とも延期となり、ステージ上でTOSHIとイベンターが事情説明
「この借りは250倍にして返すからな!」発言
10月25日
横浜アリーナ延期
シングル「Standing Sex/Joker」発売
10月29日
武道館にて「エクスタシーサミット」開催
   YOSHIKI復帰会見
TAIJIは5番めに「TAIJI Session」で登場 
メンバーは、TAIJI(B)、ADACHI(V:RATTLE SNAKE SHAKE)、HONMA(G:VIRAS)、MINAMI(G:SIGHS OF PORTION)、KATO(D:SIGHS OF PORTION)
曲目は、M1:WE DIE YOUNG ,M2:MAN IN THE BOX ,M3:NEW YORK CITY

勢いづいたTAIJIは、この後の司会コーナーに、先ほどまでYOSHIKIが着ていたウエディングドレス姿で乱入!YOSHIKIに「TAIJI、イメージが(笑)」と言われ、「似合うだろ?」と調子に乗って、ターンするという一幕も(残念ながら、このセッション並びにウエディングドレス姿は、ビデオには収められていないが、ある人が持っている写真を見せてもらいました 凄いとしか言いようがない…)
ラストは、Xのステージでしめた
「無敵と書いてEXTASYと読む!!」というタイトルでビデオ発売
10月31日
V2記者会見(YOSHIKIと小室哲哉によるプロジェクト)
11月12日〜13日
延期振替分の横浜アリーナ公演
11月25日
寺田倉庫にて、東京ドーム3DAYSの正式記者会見 同時にXの海外進出についての可能性が発表
12月1日
シングル「SAY ANYTHING」発売 このジャケットが例のYOSHIKIの倒れる原因となった全裸に水浸しの写真
12月5日
V2スペシャルライブ (東京ベイNKにて)
12月8日
X With オーケストラ(NHKホールにて)2時間遅れで始まったオーケストラとの共演ライブ
12月20日
「Violence in Jelousy Tour」の最終日、日本武道館での「FILM GIG」
この日、スポーツ新聞に一面で「X解散!」の記事が載った
メンバーはFILM GIGでの「JOKER」で、生出演し、演奏後、解散を否定
YOSHIKIは「なんか、いろんな噂があって、新聞なんかにも載ってるんだけど…、一つ言えることは、俺達は解散する気なんかありません!」と言い、HIDEが新聞を引き裂いた
「誰が書いたんだ〜!!」と絶叫するHIDEがかっこいい!
 
12月31日
NHK「紅白歌合戦」初出場 曲は「Silent Jelousy」を演奏、会場の度肝を抜く(ついでに私の度肝も抜いた)
1992年
 
1月5日 
「破滅に向かって」東京ドームライブ1日め
アンコールで「大魔人5人組」が登場、TAIJIがギターを弾く
1月6日
SEがいつもの「WORLD ANTHEM」ではなく「DEAR LOSER」で始まり、曲目も初期のものが多い、マニアにはたまらない選曲の2日め
この日は「アコースティックセッション」はなかった
1月7日
3日め…TAIJIのXでのラストライブ 詳しくは「破滅に向かって」のビデオを見てください…
ここではなにも言えない…
1月8日
Xの取材スケジュールがドーム以降、すべてキャンセルとなる
1月11日
テレビ朝日の「プレステージ」(3時間半)にXが生出演、各自コーナーがあったが、そこにはTAIJIの姿はなく、ファンはパニックに陥った
1月31日
出演予定だったテレビ朝日の「ミュージックステーション」に、TOSHIがビデオで登場し、TAIJIの脱退を告げるメッセージを読み上げる
同日、ファンクラブ会員に向けて、Xのメンバー4名連名でTAIJIの脱退を説明する内容の手紙が送られた
 
その後、Xは、ベーシストを公募、8月アメリカ進出の記者会見の席上、新ベーシストHEATHを紹介する
 
そして、TAIJIは…
1992年
 
1月
東京ドーム3DAYSの1週間後、高崎晃(タッカン)が、TAIJIに連絡を取り、レコーディングが決定
わずか1週間後には、山中湖で合宿に入る
午前11時半起床、正午から時まで昼食をとり、スタジオ入り
ひたすらレコーディングをして、夕方7時から8時まで夕食、その後ふたたびスタジオに入り、深夜0時過ぎまで作業は続く
0時以降は、夜食をとりながら一日の反省会
テープを聞きながら、メンバーでアレンジなどの話を中心にした反省点をあげていく
深夜3時過ぎ、部屋に帰るという規則正しい生活を送る
最初はおとなしかったTAIJIも、だんだんと食欲も出て、お酒の量も増え、毎夜の宴会(反省会)となる
 
ベースの弾き過ぎで、腱鞘炎となる
レコーディングは約4週間続く
 
 
1月31日
TAIJI、Xを正式脱退
この時点ではまだLOUDNESESのニューアルバムのサポートメンバーとしての参加
 
4月初旬
ニューアルバム完成
4月中旬〜下旬
TAIJI、LOUDNESSに正式加入
各音楽雑誌の取材攻勢
アリーナ37℃で連載中の「中島和之の『俺はヘアメイク稼業』」での中島氏のエッセイに感動し、ファックスを送る(92年6月号)
対談やインタビューなどを受ける
そのフォトセッションに使われたスタジオで、PATAと遭遇、一緒に記念写真を撮る
5月25日
シングル「BLACK WOMAN」発売
5月28日〜29日
「ONCE AND FOR ALL」(クラブサーキット)ツアー開始
札幌ペニーレイン24
6月1日
川崎クラブチッタ(後にビデオ「ONCE AND FOR ALL」として発売)
6月5日
名古屋ボトムライン
6月6日
大阪モーダホール
6月10日
ニューアルバム「LOUDNESS」発売!
「Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE」ツアー開始
渋谷公会堂
6月17日
渋谷公会堂
6月19日
宮城県民会館
6月21日
神戸国際会館
6月22日
京都会館
6月23日
浜松市民会館
7月1日〜2日
中野サンプラザ
7月13日
愛知県勤労会館
7月15日
広島アステールプラザ
7月18日
福岡市民会館
7月20日〜21日
中野サンプラザ
21日のアンコールで、NASAKIがタッカンを肩車する事件勃発(もちろんタッカンはそれでもギターを弾いた)
TAIJIは「何て足腰が強い人なんだろう!」と驚いていた
この日のライブは、後にビデオ「Welcome to the SLAUGHTAR HOUSE」発売
8月3日
大阪厚生年金会館
8月中旬
初のOFF、TAIJIは実家のある市川へ
 
9月
秋のツアーへ向けてのリハーサル
ファンクラブ「LOUDICT」から会報「Jungle Gym」創刊
 
9月21日
「SLAUGHTAR HOUSE 2〜POWER STORM〜」ツアー開始
札幌厚生年金会館
9月27日〜28日
渋谷公会堂
 
11月17日
「SLAUGHTAR HOUSE2〜LOVE NEVER DIES〜」ツアー開始
浜松市民会館
11月24日
愛知勤労会館
11月26日
福岡サンパレス
11月27日
鹿児島市民文化第一ホール
この鹿児島で、TAIJIは初のゴルフ経験!ラウンドを回るが、ほとんど山登りと化していたらしい
このライブには、家主も宮崎から駆けつける。客層は、このテの音楽にうとい人が多かったせいか、しばし呆然としていたが、途中MASAKIが客席へ飛び降りて、アオり始めると、客席も爆発!
後にメンバーが音楽雑誌に「鹿児島は面白かった」と語るほどのライブとなった。
 
11月30日
広島厚生年金会館
12月1日
高松市民会館
12月4日
京都会館第2ホール
12月5日
神戸国際会館
12月9日
大宮ソニックシティー
12月14日
市川市文化会館
12月15日
八王子市民会館
12月17日
青森市文化会館
12月19日
宮城県民会館
12月21日
グリーンホール相模大野
1993年
 
1月12日
大阪厚生年金会館大ホール
1月13日
名古屋市公会堂
1月18日
渋谷公会堂
1月21日
渋谷公会堂
1月26日〜27日
中野サンプラザ
2月
「Jungle Gym」2号発刊
 
5月
LOUDNESS、事務所との契約が切れる
マサキが脱退の意を示す(後に翻意)
6月
TAIJI、「LOUDNESSに参加出来る」という条件で、個人管理会社「TAOコーポレーション」設立
「Jungle Gym」3号発刊

8月
TAIJI、渋谷のイケベ楽器店でオベーションを購入
8月4日
TAIJIのファンクラブ会報「GASOLINE COWBOY」に載せる写真を撮影するために伊豆へ!
購入したばかりのオベーションを抱えてリフトに乗るTAIJIの写真が会報に載っている
旅行には、友人でヘアメイクの「なかじ」こと中島和之も同行
8月15日
我孫子市民会館にて行われた北海道南西沖自信チャリティーを兼ねた「第9回YOUNG MUSIC FESTIVAL」のゲスト審査員として出演
チャリティーとして、サイン色紙を提供
ゲストとして、TAIJIの妹沢田雅世のバンド「CLICKET」も出演
 
 
契約が切れ、LOUDNESSメンバー同志でさえ連絡がとれない状況の中、以前の事務所が樋口の契約を続行する方向で動き、マサキにもLOUDNESSに戻るよう説得
10月
TAIJI FAN CLUB「GASOLINE COWBOY」発足
 
TAIJI、竹内光雄をソロ活動に誘う
 
11月初旬
LOUDNESS復活の知らせが樋口より届くが、その4日ほど前に、「TAOコーポレーション」ではTAIJIのソロプロジェクトを動かす決心を固めていた
 
TAIJI、LOUDNESS脱退
樋口宗孝、LOUDNESS脱退
 
 
11月8日
渋谷ON AIRで、「外道」のライブにセッション参加!
加納秀人やそうる透、関谷聡らと迫力のライブを行う
 
11月下旬
「SHOXX」vol.21に、TAIJIの撮り下ろし写真とコメントが巻頭で載る
 
12月
TAIJIの個人ファンクラブ「GASOLINE COWBOY」会報1号発刊
12月24日
「LOUDICT」閉会の通知が、Tシャツや特製ビデオとともにファンクラブ会員に届く
1994年
年明けて、レコーディングに突入、横浜のランドマークタワー内のレコーディングスタジオで、毎日遅くまでリズムとギター録り

3月15日〜18日
ジャケットとビデオの撮影のためレコーディングより1週間早くLAへ
本当は2月に出発の予定が延期になったが、そのおかげでLA地震をさけることになった
コーディネーターは、「BLACK RAIN」をコーディネートした人でLAで3本の指に入るという
撮影はPOLICEMANを護衛に行われ、日本人初のRANDSBURGでの撮影も無事終了
現地の人にも気に入られ、「アメリカでやれば」と言われていた
 
LAで、Vo録りとトラックダウン
竹内が腰を痛めてしまった時、毎日TAIJIが食事を作って運んでいたという
スタッフは、この時期、TAIJIがほとんど毎日作ってくれる夕食に感動していたらしい

 
 
4月中旬
LAでのレコーディングが終わり、ビデオ「CYBERENTIC CRIME」の撮影がLAのダウンタウンで行われた
 
 
4月下旬
ファンクラブ会員に、「D.T.R」の発表とメンバー、デビューライブを知らせる葉書が届く
この時のメンバーは、沢田泰司(B)、竹内光雄(Vo)、藤本泰司(G)、岡部俊彦(DS)、ICHIRO(G)<support>、小森茂生(Key)<support>
 
5月
ファンクラブ会報2号が届く
2号より、TAIJI個人ファンクラブから、D.T.Rファンクラブへと移行する

5月下旬
デビューライブ前日のファンクラブ限定シークレットGIGの知らせがファンクラブ会員あてに届く
    この頃、音楽雑誌でもニューアルバム等発表の記事が載る
 
6月28日
恵比寿ギルティでデビュー前夜のファンクラブ限定シークレットGIGが行われる
前座に、黒田朋幸(通称TOMO)の率いるバンドが出演、大いに盛り上げる(TOMOは、その後、D.T.Rの正式メンバーに)
その後、D.T.Rが登場すると、テンションは最高潮に達する
6月29日
渋谷公会堂にて、デビューライブ!「Drive To Revolution」
超満員の観客を前に、迫力のステージを展開
 
7月1日
デビューアルバム「DIRTY TRASHROAD」とミニアルバム「DIRTY TRASHROAD〜Acoustic」(完全限定版)を同時発売
7月23日
竹内の故郷である群馬県太田市の祭りで、D.T.Rのイベント開催
質問コーナーや、サイン、握手ありと大サービスの上、予定外のアコースティックライブまで行われた
8月初旬
会報3号発刊
黒田朋幸(TOMO)が正式メンバーに
 
8月21日
「DRIVE TO REVOLUTION」ツアー開始
新宿パワーステーション
8月28日
渋谷公会堂
9月1日
福岡都久志会館
9月2日
大阪メルパルクホール
9月4日
名古屋ダイアモンドホール
9月5日
新潟フェイズ
9月7日〜8日
札幌ペニーレイン
9月12日
渋谷公会堂(ファイナル)
 
 
10月16日
竹内とTOMOのバースデーパーティが目黒鹿鳴館でファンクラブ限定のシークレットライブとして行われた
鹿鳴館の店長も加わり、レインボーのコピーなどで盛り上がった
藤本は、1曲めでドラムを叩き、TOMOは、ボーカル、カメラマンの今井君がベースを弾いた
TAIJIはもちろんレインボーのコピーは完璧(ベースかギターかは不明)
11月26日
D.T.Rのビデオ「DRIVE TO REVOLUTION」発売
9月12日の渋谷公会堂ライブを収録
11月19日〜26日
全国各地でビデオ発売を記念したビデオコンサートを開催、ライブシーン、TAIJIやメンバーのインタビューやプライベートシーンも交えたビデオを入場無料で公開した
 
12月
2ndアルバムのレコーディングのリハーサルを都内のスタジオで開始
12月18日
大阪WOHOLでD.T.Rフェアが開催、その後、大阪HARD ROCK CAFEでKiller Criminal Phoenixの贈呈式が行われた
初のBASS贈呈で、TAIJIは「嬉しい」を連発!
12月
アリーナ37℃(音楽専科社)よりD.T.R写真集「Drive To Revolution」が発売される
1995年

1月10日
川崎クラブチッタでオールスタンディングイベント開催
岡本健一率いるADDICT OF THE TRIP MINDSとのセッションもあった
1月22日
渋谷公会堂ライブ
1月24日
レコーディング本番スタート
伊豆Kity Studioに入りレコーディングがはじまった
3月
東京にてトラックダウン開始
3月4日
渋谷ON AIR EASTで行われた神戸チャリティーコンサート「ROCK ON KOBE」に参加ACTION、ZIGGY、プラネットアース、山本恭司、寺田恵子、TUSK、西田昌史がステージに上がった他、参加できなかったイエローモンキーやガーゴイル、KENらからはオークション用のグッズが送られ、330万円が集まった
3月
藤本の誕生日より数日遅れて、六本木の「PiPS」でバースデーパーティ、オベーションのギターがプレゼントされる
3月12日
札幌シェルドンギターズでTAIJIのサイン会、アルバム完成直後のため、日帰り強行スケジュールとなるが、しっかりおばさま団体にもまれながら、カニを買って帰ったらしい
サイン会は大盛況で、泣き出すファンも続出
5月24日〜25日
「CLUB HOUSE GIGS TOUR 1995」スタート
日清パワーステーションで2ndアルバム発売記念の2daysライブ

5月25日
レコーディング時間が1000時間を超えた、2nd Album「DARING TRIBAL ROAR」と1st Single「CHAIN<絆>/ I BELIEVE…」同時発売
6月9日〜10日
福岡DRUM BE-1
6月12日
広島ネオポリスホール
6月15日〜16日
大阪WOHOL
6月24日
札幌PENNY LANE 24
6月26日
新潟フェース
6月28日
名古屋ボトムライン
この時期、青木秀一プロデュースの「Kings」のベース録りが行われる
 
7月4日
ミーティングでキーボードの清水賢治が正式メンバーに決定
7月6日
ON AIR EASTでのライブでファンに発表
7月12日
TAIJIのバースデー、スタッフ身内で集まりアットホームなパーティが行われた
8月29日
D.T.Rのメンバー全員とスタッフでキャンプへ
TAIJIの愛娘珠梨愛ちゃんも一緒
皆でバーベキューの後、夜釣りを楽しむ
9月24日
六本木PiPSでファンクラブの集い(東京編)が行われ、TAIJIは「imagine」を熱唱!メンバーとファンとのセッションも行われ、D.T.Rをバックに歌うなどファンにとって夢のようなライブとなった
11月5日
神戸学院大学学園祭でライブ予定だったが、TAIJIの事故による左手の骨折と竹内の入院のため、やむなくキャンセル、代わりにGRAND SLAMが出演した

同日、目黒鹿鳴館でTHE ULTRA SESSIONと題したライブに、藤本が参加、さまざまなミュージシャンとのセッション大会となった
11月10日
大阪バナナホールでも同様のセッションが行われた
11月19日
ファンクラブによるD.T.Rのメンバーに品のチャリティーオークション大会が開かれ、ルーマニアのエイズの子供たちに売上金と三輪車をプレゼントした
 
 
この後、しばらく情報なし
1996年

5月
竹内光雄の突然の脱退がファンクラブから発表される
4月には正式に脱退となっていたもよう
本人よりの直接は知らされず、代理人による通達
メンバー全員凄いショックを受けると同時にD.T.Rやファンクラブの活動も休止となる会報は、6号でストップ
6月8日
キラーギターズによるTAIJIのサイン会が島村楽器赤羽支店で行われる
6月16日
すみや静岡駅前店でのサイン会
7月6日
島村楽器札幌店
7月7日
エルム楽器
 

この後、情報は跡絶える
途中、TOMOのバンド結成の知らせや藤本のライブの知らせなど音楽情報誌に載るが、TAIJI自身の情報は皆無
1997年

同じく情報なし

9月22日
XJAPAN解散発表
12月31日
東京ドームにてXJAPANラストライブが行われる
1998年
 
5月2日
HIDEが不慮の事故により死亡
5月6日
HIDEのお通夜にTAIJIが現われたとの情報が大島暁美氏や東海林のり子氏によりある
5月7日
HIDEの告別式
X JAPANのメンバーが勢ぞろいし、「FOREVER LOVE」を演奏した時に、HIDEの祭壇の前にたたずむTAIJIを発見
メンバーとともにHIDEの死を悼む
7月下旬
「ロッキンf」9月号にTAIJIが樋口宗孝プロデュースによるCOZY POWELLの追悼アルバム「COZY POWELL FOREVER」に参加するという情報が載る
8月下旬
「ロッキンf」10月号の巻頭カラーページに「沢田泰司」のインタビューと写真が独占取材で載る
空白の2年間や復活への話、HIDEの話などが語られる
9月19日
「COZY POWELL FOREVER」発売
TAIJIは5曲目の「KILL THE KING」にベースとして参加
9月下旬
「ロッキンf」11月号にTAIJIのポスターがつく
読者のページの反響がすごかった
「GIGS」でもカラーページでインタビューと写真が載る
「COZY POWELL FOREVER」の全国ツアーに参加との情報が載る
10月27日
川崎クラブチッタでの「COZY POWELL FOREVER」初日、6時前に扉に「沢田泰司、急病の為、出演取消」の貼紙がでる
ベースは初代LOUDNESSの山下氏が代理出演
この後のツアーの参加も危ぶまれている
10月30日
SLYのファンクラブの情報では、全公演オールキャンセルとある

1998年

11月4日
TAIJIが、樋口宗孝プロデュースによる、コージーパウエルトリビュートアルバム「Cozy Powell Forever」の「KILL THE KING」にベーシストとして参加し、そのツアーも全日程参加する予定だったが、10月26日に緊急入院のため、この日の博多でのライブもキャンセル(と言うか、全日程キャンセル)となった
ベーシストは、山下昌良氏がつとめた
年内中は入院生活を送る
1999年

1月〜2月
入院中や退院後、ファンからのお見舞いに対して、お礼の手紙などを送る

3月27日
ベースマガジンのライブ情報で「クラシックロックジャム」にTAIJI出演と掲載されたので、オフィスTに確認をとったところ、誤報とわかる
5月
オフィスT情報によると、この時期、曲作りや3、4時間のセッションを繰り返す毎日だったらしい
また、体力増強のため、サイクリングも始めていた

7月30日
TAIJI本人により、「Be Free!!」が公認サイトとなる
D.T.RのTOMOや清水氏とセッションをしていた
また、自動2輪の免許を取り、「ドラッグスター」を購入
清水氏とともに、ツーリングをする

9月〜12月
自叙伝の準備中
2000年
2月
オフィスT情報として「今年はヤルゾッ!!」というTAIJIの声が伝えられる
3月
自叙伝のための写真撮影がある
3月22日
自叙伝「伝説のバンド『X』の生と死〜宇宙を翔ける友へ〜TAIJI」が徳間書店より4月下旬に発売決定
HIDEとの未発表曲が付録としてつく
東京でサイン会があることも発表
 
3月28日
本やレンタルビデオの全国チェーンである「TSUTAYA」の持っているiモードのサービスサイトで、TAIJI自身の声が聞けるサービス開始
のちに普通の電話からも聞けることが判明
4月7日
5月4日の東京渋谷でのサイン会の詳細が決定
4月11日
自叙伝に関するインタビューや記事が女性週刊誌、音楽専門誌等に掲載される
4月15日
オフィスT主催によるサイン会が5月5日に開催されることも決定
こちらはお台場海浜公園にて
4月19日
フジテレビのめざましテレビで、自叙伝について放送
TAIJI、HIDEの仏前に自叙伝のことを報告
4月20日
東京およびその近郊で、「伝説のバンド『X』の生と死〜宇宙を翔ける友へ〜TAIJI」が発売!
4月21日
ブックファーストでのサイン会の整理券、配布後10分でなくなる
5日のサイン会の件も詳細が決まる
4月24日
徳間書店のサイトで自叙伝情報アップ
付録CDの視聴もできる
4月27日
ロッキンfでTAIJI特集
超レアなTAIJIグッズを多数プレゼント!
5月4日
東京渋谷のブックファーストにて、TAIJIの自叙伝「伝説のバンド『X』の生と死〜宇宙を翔ける友へ〜TAIJI」のサイン会が開かれる
200名がTAIJIにサイン&握手をしてもらう
2時間の予定が4時間半かかる
詳細はこちら。
5月5日
お台場海浜公園のマリンハウスの前で、サイン会が開かれる
こちらは100名限定
海辺でのサイン会のため、サインをもらえなかった人も、TAIJIの姿を見ることができた
5月8日
TOKIO FMの公開録音番組「エモーショナルビート」に出演
渋谷のスペイン坂スタジオでの公録だったため、ファンが集まる
5月19日
中日新聞夕刊の週間ランキングで、自叙伝が8位(星野書店近鉄ベッセ店集計)
5月28日
デモテープ作りに集中
3曲入りとの情報がある
6月6日
リクルート発行の「ダ・ヴィンチ」で、TAIJIのスペシャルインタビューが掲載される
6月29日
「Fruige Vol.5」にTAIJIのインタビューが掲載される
7月3日
大槻ケンヂ氏と対談(8月14日発売、講談社「Hot Dog Press」の「ショック!人間対談(第39回)」)
7月20日
EXTASY RECORDの公式サイトにTAIJIのコメントも載る
7月27日
ロッキンfでTAIJIが表紙を飾る
TAIJI特集で、新バンドについて語る
8月3日
TAIJIの大ファンであるお笑い芸人「らくてんか弐」の強烈なオファーにより、彼らのラジオ番組にTAIJI出演
2回にわけて放送される
8月12日
「Be Free!!」主催のイベント「TAIJI's NIGHT」が、神楽坂ディメンジョンにて開かれ、ラストにシークレットバンドとして、TAIJIの謎の新バンド「Cloud Nine」が登場!
初めてファンの前で4曲を披露する
8月14日
大槻ケンヂ氏との対談が、「Hot Dog Press」誌に掲載される
8月26日
この日発売のロッキンfに、TAIJI's NIGHTの模様が掲載される
9月10日
横浜ベイホールで行われたイベント「LIGHTNING STRIKES!」に、Cloud Nineがシークレットスペシャルバンドとして登場!
9月27日
ロッキンf300号特別付録として、Cloud Nineの2nd Demo「Bastard」のCDがつく
10月19日
「Bass Magazine」に、Cloud nineの紹介記事が掲載される
10月27日
ロッキンfとGIGSに、Cloud Nineの記事&インタビューが掲載される
ロッキンfには、「Bastard」の奏法も載る
11月2日
横浜ベイホールで行われたオールナイトイベント「LIGHTNING STRIKES !〜HYBRID ROCK CLUB SPECIAL〜」に、シークレットで出演
11月14日
徳間書店より、TAIJIの写真集「TAIJI復活PHOTOGRAPH」が発売されることが決定!
付録として、TAIJI初のボーカル曲およびHIDEへのレクイエム曲のCDがつく
渋谷でのサイン会(12月20日)決定
11月中旬
「Bastard」が、MusicDeli(ミュージックデリー)およびDigiCube(デジキューブ)でダウンロード可能となる
11月23日
「Be Free!!」上で、地方でのサイン会誘致署名活動を開始
12月7日
大阪でのサイン会決定(2001年1月20日)
12月14日
「bk1オンラインブックストア」のサイトにインタビュー記事・書評が載る
12月20日
写真集「TAIJI復活PHTOGRAPH」発売!
ブックファースト渋谷店にて、写真集発売記念サイン会が開催、200名集まる
12月27日
ロッキンfとGiGSに、写真集に関しての記事が載る
2001年
1月1日
TAIJIからのメッセージ&年賀状が「Be Free!!」宛へ届く
1月15日
TOKYO FMの「岩瀬恵子のFMソフィア」に生出演
1月19日
北海道でのサイン会開催決定!
1月20日
大阪・旭屋書店なんばCITY店 特設コーナーにて、サイン会開催
2月12日
北海道・紀伊國屋書店・札幌本店(地下街店)にて、サイン会開催
サイン会終了後、雪祭り会場へ
2月13日
釧路へ移動
なかじのお店へ顔を出す
午後7時30分〜午後8時、FMくしろの番組に生出演
その後、屈斜路湖近くの温泉へ
厳寒の中、露天風呂(に近いお風呂)を楽しむ
4月19日
「オリコンウィークザ・1番」にインタビュー記事&写真が載る。
4月27日
Cloud Nineを脱退。
6月23日
北海道の有珠山復興祈念イベントに参加
7月2日
有線放送キャンシステムの番組「CANDIES MUSIC」にゲスト出演
8月19日
FM PiPi(岐阜県多治見市)生出演
8月26日
多治見市文化会館で行われるBEAT REVOLUTIONにゲスト出演(トーク)
8月27日
多治見市夢屋書店にてサイン会
8月29日
多治見市地球村にてケーブルテレビ出演 おりべネットワークで9月22日より放映
2002年

1月26日
東京国際フォーラムでのX JAPANのフィルムギグで舞台挨拶
3月15日
リットー・ミュージックより発売される「Ultimate LOUDNESS/アルティメイト・ラウドネス」というLOUDNESSの本に、TAIJIのスペシャルメッセージが載るもよう(未確認)
 
以降、TAIJIの活動は未定〜

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

X JAPAN画像&動画 HM 更新情報

X JAPAN画像&動画 HMのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング