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X JAPAN画像&動画 HMコミュのYOSHIKIのProfile&Biography

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YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹 - はやし よしき、1965年11月20日 - )は、ミュージシャン、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、ドラマー、ピアニスト、キーボーディスト、シンセシスト、クラシック奏者、プロデューサー。千葉県館山市出身。血液型はB型。X JAPAN時代の愛称は「姫」、「大将」、「よっちゃん」。EXTASY RECORDSでは「組長」。1997年に解散した伝説のハードロックバンド「X JAPAN」のリーダーで、ドラムとピアノを担当していた。X JAPAN解散後は表立った音楽活動はしなかったが2002年、globeに加入している。音楽活動以外にも、アメリカ・ロサンゼルスにレコーディングスタジオを2つ所有し、またEXTASY RECORDS(現在は活動終了)を筆頭とした音楽関連の会社を経営する実業家としても知られている。

他の活動として、自身のプロジェクト「VIOLET UK」を長年手掛けており、X JAPAN解散から丸8年に当たる2005年9月22日にVIOLET UKを「始動」(公式モバイルサイト上では「デビュー」)させ、アルバムをリリースする予定であった。しかしCDなどのリリースは一切無く、VIOLET UK名義の楽曲「SEX & RELIGION」TEST MIXをiTunes Music Storeにて有料配信したのみで、事実上デビューが延期した形となっている。

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略歴
YOSHIKIは、千葉県館山市に呉服屋の二人兄弟の長男として生まれた。4歳からクラシックピアノのレッスンを受け、9歳でドラムをはじめる。小学5年生の時に母親に頼み連れていってもらった「キッス」のライブを見て、ロックに目覚める。そして幼少の頃からの友人であったTOSHIと、中学生の時に初めてのバンド「DYNAMITE」、後の「NOISE」を結成。また、中学時代にはブラスバンドに参加しており、トランペットを担当していた(中学3年の時には、サッカー部との掛け持ちをしている)。

千葉県立安房高等学校に通っていた1982年の夏、TOSHIとその他同級生でX(後のX JAPAN)を結成、TOSHIと共に当時あった青山レコーディングスクール入学のため上京する(当時18歳)。一部のメンバーは卒業と同時にバンドを辞め大学に進学した。この頃より、メンバーの入れ替わりが激しくなるが、最終的にはYOSHIKIが気に入らなければそこに定着することが出来なかったそうなので、本当のメンバーは数人程度しかいないようである。

その後、TAIJI、HIDE、PATAの順に加入し、1987年4月よりメジャーデビュー時のメンバーとなる。

1989年、アルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビュー。「ヴィジュアル系」という言葉を一般に認知させたモンスターバンド「X」をリーダーとして率いた。秒間13発を超えるバスドラムを踏み(テンポ200で16符音符の連打等)激しいドラムプレイをする一方、ピアニストとしても才能を発揮した。その後の活躍振りは、X JAPANの項を参照。

1997年12月31日のX JAPAN解散以降は、VIOLET UKのレコーディング作業を中心に進めていた。時折、新人アーティストのプロデュースをこなすも、YOSHIKI本人が表立って音楽活動をすることは殆どないのが現状であった。

2002年9月1日にglobeに電撃加入しているが、globeでの活動はマキシシングル「seize the light」のリリースのみである。

※YOSHIKIのglobeにおけるスタンスについて、2005年8月8日に行われた「globe2 pop/rock」リリースパーティーの席上、YOSHIKIを加えた活動時にはユニット名が「globe extreme」になる、と発表されている。

2007年現在はロサンゼルスに在住し、時折日本に戻ってくる。ちなみに帰国時には必ず新聞に「緊急帰国」と見出しがつく。愛車はMercedes-Benz、Ferrari、Lamborghini、Bentley。普段乗る車はLEXUS。好きな作曲家はバッハ。「ROSE OF PAIN」ではバッハ作曲の「フーガト短調」が使われているほど。

2006年8月、親交が深いミュージシャンのGacktと、プロジェクトの結成を発表。活動拠点は主に海外としており、他メンバー等、これからの動向が注目されている。

2006年12月、上記のプロジェクトのギタリストとして、LUNA SEAのSUGIZOが参加することが決定。また2007年にはバンド名なども正式に発表される予定である。

2007年5月 更に上記プロジェクトのギタリストとして元Due'le quartzの雅-miyavi-が加入することが決定。バンド名は“S.K.I.N.”に決定。
VIOLET UKデビューの延期
X JAPAN解散から丸8年にあたる2005年9月22日、自身のプロジェクト「VIOLET UK」が始動するはずであった。

VIOLET UKのデビューに向け、既に製作された楽曲は300曲を超えており、レコーディングには12億円もの費用を投じているにもかかわらず、ここ数年来YOSHIKIは「今年こそデビューする」という発言を繰り返しては何もアクションを起してこなかった。結局、公式モバイルサイト「YOSHIKI mobile」上や各種媒体において「2005年9月22日デビュー」と公言したにもかかわらず、当日は所謂世間一般が認知する「デビュー」、即ちVIOLET UK名義のCD発売は一切無かった。YOSHIKI mobileでは、9月22日にアルバム発売が計画されていたことを認めているので、実質的にはデビューは延期されており、その時期も現在は未定である。

その代わり、同日iTunes Music StoreにてVIOLET UK名義の楽曲「SEX & RELIGION」のTEST MIXを有料で配信を開始している。

この事について、YOSHIKI mobile上でYOSHIKI本人は「全て僕が悪い」とは述べてはいるものの、VIOLET UKの正式なデビューの日などはまだ明確に決まっていない。

X以外での活動履歴
1991年
小室哲哉とのユニットV2を結成。
12月12日 「YOSHIKIが愛するクラシック集」という形でアルバム「Yoshiki Selection」リリース。
12月18日 東京ベイNKホールでV2のLIVE「V2 SPECIAL LIVE VIRGINITY」開催。
1992年
東芝EMIとソロ契約。
1月18日 V2でシングル「Eyes of Venus〜背徳の瞳」をリリース。
タカラから、リカちゃん人形シリーズ初の実在する人物の人形「スターライトYOSHIKI」発売。
1993年
YOSHIKIブランド「Larme(ラルム)」香水、下着を発売。
4月21日 ソロアルバム「Eternal Melody」リリース。
11月3日 ソロシングル「AMETHYST」リリース。
11月3日 YOSHIKIプロデュース・NOAシングル「今を抱きしめて」リリース。
1994年
6月1日 GLAYデビューシングル「RAIN」プロデュース。
6月1日 クイーンのロジャー・テイラーとの共演でシングル「Foreign Sand」を日本とイギリスでリリース。
6月14日 KISSトリビュートアルバム「KISS MY ASS」に参加。アメリカンシンフォニックオーケストラThe American Symphony Orchestraとの共演で「BLACK DIAMOND」収録。
1996年
11月4日 「YOSHIKIが愛するクラシック集」第二弾としてアルバム「Yoshiki Selection 2」リリース。
1997年
西城秀樹のシングル「moment(8月6日)」プロデュース。
1998年
アメリカ映画「in god's hands」(1998年、ザルマン・キング監督)にVIOLET UK名義で「sane」を提供。
北野井子のシングル「Begin(10月28日)」「薔薇と緑(6月6日)」プロデュース。プロデュースだけでなく作詞・作曲、ギター、ピアノ、アレンジー、エペックトまで担当した。。
1999年
Dir en greyのデビューシングル「アクロの丘」「残-ZAN-」「ゆらめき」、後続シングル「cage」「予感」プロデュース。
5月2日 hideトリビュートアルバム「SPIRITS」でイントロの「psycommunity」とラストの「GOOD BYE」をピアノカバー
天皇在位10周年奉祝曲「Anniversary」プロデュース・記念式典でピアノ演奏。
2000年
セブンイレブン日本法人の企業イメージCMトータルプロデュース、自ら出演。CM楽曲はVIOLET UKを使用。
メディアファクトリーと組んでEXTASY JAPAN設立。
アメリカに所有していたEXTASY RECORDS INTERNATIONAL(EXTASY INT'L)が米ワーナーとディストリビューション契約、レーベルとして始動。
工藤静香のシングル「深紅の花」プロデュース。
Shiroのシングル「Pearl」プロデュース。
BEASTのシングル「LR-7」「chemical」プロデュース。
Revenusのシングル「Happy Driving」トータルプロデュース。
広島テレビ(HTV)のエリアコードドラマ「BUS STOP」のエンディングテーマに、自らがプロデュースした女性アーティストShiroの曲が使われる。その縁で「BUS STOP」の中に1カットだけ、本人役としてカメオ出演している。
2001年
BEASTのシングル「VISION」、アルバム「IMagination ∞ lenS」プロデュース、エグゼクティブプロデュース。
Revenusのシングル「千の瞳」「Flower」プロデュース、エグゼクティブプロデュース。
abandoned poolsなど、EXTASY INT'Lレーベルアーティスト、エグゼクティブプロデュース。
2002年
2月22日~2月27日 X JAPANフィルムギグとVIOLET UKのプロモーションで韓国・ソウルを初訪問。
2月22日 マイクロソフト「Xbox」発売イベントにビル・ゲイツと共に参加。
3月24日 渋谷と恵比寿にて、握手会開催。
携帯電話向けコンテンツ「YOSHIKI mobile」スタート。
渋谷で車上荒らしに遭う。
愛知万博公式テーマソング「I'LL BE YOUR LOVE」プロデュース。
11月27日 globeに加入、シングル「seize the light」リリース。
コロムビアミュージックエンタテインメントとソロ契約。
パルコのクリスマスキャンペーンCMに出演。
12月3日 東京国際フォーラムにて「YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 featuring VIOLET UK」開催。
2004年
avex傘下のaxev(現・エイベックスエンタテインメント)とマネジメント契約。
宝塚歌劇花組公演「TAKARAZUKA舞夢!」で使われた「世界の終りの夜に」を作曲。
“カレーが辛い事件”にちなんだ「YOSHIKIカレー『キレ辛』」を通信販売。(現在は販売終了)
12月1日 東京国際フォーラムで開かれた映画「僕の彼女を紹介します」プレミア試写会で2年半ぶりにピアノ生演奏を披露。
YOSHIKIプロデュースの韓国のロックバンド「TRAX」がマキシシングル「Scorpio」で日本デビュー。
2005年
3月23日 ソロクラシックアルバム「ETERNAL MELODY II」をリリース。
3月24日 愛知万博開会式において、自身がプロデュースした万博テーマソング「I'LL BE YOUR LOVE」のオーケストラ演奏でタクトを振る。
3月26日 TOKYO FM「TOYOTA SOUND IN MY LIFE」渋谷・スペイン坂スタジオからの生放送にゲスト出演。
3月30日 DVD「Yoshiki Symphonic Concert 2002 With Tokyo City Phillharmonic Orchestra」をリリース。
4月20日 YOSHIKIプロデュースの「TRAX」マキシシングル「Rhapsody」リリース。
5月30日 フジテレビ「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」にゲスト出演。
6月26日 テレビ東京「ソロモンの王宮」に出演。
9月22日 同日に発売が予定されていたVIOLET UKのデビューアルバム、発売延期。「SEX & RELIGION」TEST MIXの有料配信開始。
11月18日 PC向け公式サイトがリニューアル。
これ以降(2006年〜)は、後述の「最近の活動」参照。

レーベル主宰としてのYOSHIKI
1986年、Xのレコードを出す為にEXTASY RECORDS(エクスタシーレコード)を設立、後にLUNA SEAやGLAY、ZI:KILLを輩出する一大インディーズレーベルとなる。また、アメリカでの活動がメインとなると、ロサンゼルスにEXTASY RECORDS INTERNATIONAL(EXTASY INT'L)を設立しているが、その当時は所有するスタジオの運営会社であった。

1994年にはポリグラムグループとプロデューサー契約を結び、PLATINUM RECORDS(プラチナム・レコード)を設立。GLAYなどがこのレーベルからメジャーデビューした。

2000年にはメディアファクトリーの出資を受けEXTASY JAPANを設立、イーストウエストジャパン(当時)と流通契約する。同時にアメリカのEXTASY INT'Lがワーナー・ブラザーズ(現在のワーナー・ミュージック・グループ)と流通契約をし(※ワーナーグループの日米協業は、これが初となる)、本格的にメジャーレーベルでの活動も始めた。

[編集] エピソード
プロフィール
X JAPAN解散までYOSHIKIのプロフィールは生年月日、血液型、本名が全て不詳で、それぞれ「X」と表記されていた。しかし、X JAPAN解散発表の際に上記のプロフィールが公表された。
作曲
YOSHIKIが作曲をする際には楽器の類を用いることはほとんどなく、楽譜に頭の中で鳴っている音を書き留めている。よって、この事実から絶対音感の持ち主であることを示している。レコーディングの際には完璧な状態にある頭の中の音に現実の音をいかに近づけていけるかがポイントになっている。
プライベート
「指を痛めてはいけない」と少年期にピアノの先生から教えられていたらしく、指を怪我させないため包丁を持ったことがないらしい。そのため料理ができない。かつては同居していたTAIJIに料理を作ってもらっていた事もあったが、YOSHIKIが作れる料理はカップラーメンくらいのようだ。現在は専属の料理人を雇っているらしい。
お礼参り
中学生時代は所謂「不良」であり、喫煙が発覚し丸坊主にされるなど何かと教員のお世話になっていた。中学卒業式終了後、木刀を持って職員室に乱入した。
ミュージックステーション
1993年、テレビ朝日の「ミュージックステーション」(Mステ)の年末恒例「スーパーライブ」においてX JAPANは「Tears」と「X」を演奏。その時、YOSHIKIはドラムセットを破壊。YOSHIKIの一番初めに投げた椅子がテレビカメラに直撃、使用不能にさせた。その他、HIDEはギターを振り回し、最終的にはギターを股に挟んで腰を振っていた。現在もMステのスペシャルでたまにそのシーンが放送される。
ライブ
ライブの一曲目で、他のメンバーやスタッフがたるんでいる事にキレたYOSHIKIは、いきなりドラムセットを分解し始め、ばらばらに解体するとライブを切り上げて帰ってしまった。映像としても残っており、唖然とするYOSHIKI以外のメンバーが印象的である。一応、30分後には戻ってきてライブを再開したらしい。
山手線
X時代ライブの打ち上げで飲み終わった後YOSHIKIとPATAは朝7時に山手線に乗りそのまま寝てしまい、起きたのはなんと午後4時。ずっと寝たまま山手線を回っていたことになる。その事についてPATAは「オレなんてまだいいほうだよ、ただ座って寝てただけなんだから。どこかのバンドのドラマーのYOSHIKIとかという人は座席に寝転がりながら寝てたんだから。」と語っている。
その他
あまり知られていないがギターを弾くこともある。かつてLUNA SEAのライヴ中にX JAPANの5人が乱入した際YOSHIKIはギターを持ってきた。他にはXの5人が“大魔神5人組”名義で登場した際、白鳥瞳(YOSHIKI)がギターを担当した。92年の東京ドームライブ「破滅に向かって」初日ではファンサービスとしてメンバーがパート交代して「20th CENTURY BOY」を演奏し、その際にもHIDEのギターを使って演奏した(ちなみにTOSHIがドラム、HIDEがヴォーカル、TAIJIがギター、PATAがベースだった)。薔薇がペイントされたモデルのギターは実際にフェルナンデスから発売された事もある。
芸能界でYOSHIKIにオセロで敵う者がいない程、オセロが得意。また酒に強い(友人のGackt曰く、「酔っ払うのが速くて、酔っ払ってからが長くて」)。得意なスポーツはマラソン、空手。また高校時代はストレス発散の理由でサッカー部に所属。
好きな食べ物は「朝マック」(「HEY!HEY!HEY!」出演時にHIDEが発言)、寿司(1996年12月18日に「笑っていいとも!」で本人が発言)。他にはもずく(2007年1月24日「世界バリバリ★バリュー」)、フグ、ウニ、醤油ラーメン(インスタントラーメンだとチャルメラ)、チョコレート、プリン、メロンなど。
1980年代にはハードコアバンド「MASAMI & L.O.X」でドラムを担当している(名義は「白鳥瞳」)。MASAMIが亡くなったとき、白鳥瞳は「遠い空を眺めた」そうである。
数多くのクレジット名を持つ。上述の白鳥瞳の他に、白鳥麗、白鳥龍、五十嵐美由姫、立花香流、橘朋美など。
[編集] 主なYOSHIKI事件簿
ロサンゼルスで飲酒・スピード違反での逮捕歴有り(収監1日)
この時、助手席に乗っていたのが工藤静香で、二人の交際が発覚した。
篠山紀信との写真撮影の際、浴びたシャワーが熱くて帰宅
世に言う「シャワーが熱い事件」。収録などの直前にシャワーを浴びるYOSHIKIは篠山紀信との撮影の際も、「現場にシャワーはあるのか」と聞いた。スタッフからは「あります。完璧です。」との返答だったが、実際、シャワーを浴びようとしたところ、何をどうやっても熱湯しか出てこなかった。全身半火傷を負ったYOSHIKIは怒って帰ってしまった。
昼食に出されたカレーが辛くて東京ドームライブのリハを切り上げ帰宅
同じく世に言う「カレーが辛い事件」。YOSHIKIは初めての東京ドームのライブのリハーサル時に、昼食に野菜カレーを注文したが、届いたのは激辛のポークカレーだった。それを知らずに食べてしまい、頭に来たYOSHIKIは机をひっくり返し、リハーサルを切り上げて帰ってしまった。後のテレビ出演でこの件に触れられた際「辛かった上に、体調管理で食べ物に気を使ってるので野菜カレーの予定がポークカレーだったことが頭に来た」と語っている。
体の不調を理由に、出演番組を切り上げて金沢からタクシーで東京まで帰る
マネージャーもタクシーで追いかけたが、何故かマネージャーはYOSHIKIのタクシーに乗り移ろうとしなかったため、結局東京に着いてしまった。ちなみにタクシー代は60万円だった。YOSHIKI曰く「東京に帰りたい事件」。
酒癖が悪く、日本ホテル協会等にブラックリスト掲載されている。
ホテルでの悪行
ワインをホテルの廊下にばら撒いたり、就寝中のメンバーの部屋のドアが叩かれ、YOSHIKIが「おまえら、何寝てんだよ!」と入ってきて、メンバーが寝ていたベッドを垂直に立てかけたり、「俺は飛び降りて死ぬ!」と叫び、ホテルの窓から飛び降りようとするなどの自殺未遂を行ったり、果ては「部屋が狭い」という理由でTAIJIと共に室内のテレビや家具を窓から投げ捨てるなど。それで70万円という請求書が来て以来、TAIJIは止め役に回るようになった。
ロックイベント出演時、YOSHIKIはリハーサルに遅刻しながら謝らず、誰もそれを咎めなかった。この扱いに、共演者の布袋寅泰が怒って文句を言ったことが発端になり打ち上げ後の騒動に発展した。酒に酔ったYOSHIKIは、ホテルに戻っていた布袋の部屋のドアを叩きまくった挙句、外に追い出されても怒りが納まらず、『出て来いよ! 何が布袋だよ!』と大声で叫んだ(後に、布袋を尊敬していたhideが布袋に謝罪している)。BOØWYが全盛期の時にXが駆け出しだったため、元から布袋寅泰が気に入らない存在だったという憶測もでている(布袋は後に著書にてこの時の様子を説明)。
ホテル以外での悪行
とにかく酒が入ると危険であり、破壊行為の犠牲になった歓楽街では「YOSHIKIお断り」の店が現れた。これは他のロッカー仲間にも飛び火し、入店する際に「そちらにハヤシヨシキさんはいらっしゃいますか」と聞かれ、いないと答えなければ店に入れなかったらしい。中には「金髪・ロッカーお断り」という店まであったという。
ZIGGYとの飲み会の時、酔っぱらったYOSHIKIが、森重樹一と喧嘩したこともある。
インディーズ時代、正月明けにメンバーの家で酒を飲み、初日はHIDEの家の押入の扉をゲンコツで破壊。2日目はPATAの家のベランダが犠牲になった。
示談、損害賠償のためにマネージメントは年間1000万円単位で別枠用意していたと言われる。
酒に絡む噂を聞いていたTAKUROは、当時無名であったGLAYがYOSHIKIに直接スカウトされた際、「一升瓶を一気飲みしないと殴られるって本当ですか」とYOSHIKIに訊ねている。
そもそも、なぜ酒を飲むと暴れだすのかというと「酔って気分が良くなると何かを蹴飛ばしたくなる」から。
このような経緯もあってか、ロサンゼルスでは、酒を控えている。
2002年8月、globeの打ち合わせ中に渋谷で車上荒らしに遭いVIOLET UKなどのマスターテープが盗まれた。
パスポートまで盗まれた為、ロサンゼルスに戻れなくなった。
持病
X時代、YOSHIKIの激しいドラムプレイは何度もライブの中止・延期を引き起こした。頭を激しく振りながら叩く為、代償として頚椎椎間板ヘルニアや神経性無気力症候群などを相次いで発症。これらの症状の為、回復後しばらくは首にコルセットを巻いてドラムを叩いていた。今度倒れたら車椅子生活になると医師から宣告されたYOSHIKIは、再発防止の為に首をはじめ全身に筋肉をつけるよう勧められる。自宅にジムを作りトレーニングに励んだ結果、デビュー当時とは反対の筋肉質な身体と化している。
ピアノの弾きすぎで慢性的な腱鞘炎になっている。
極度の不眠症であり、自身の不眠症を治すため音楽療法の研究もしている。
幼少の頃は病弱で、喘息持ちであった。
最近の活動
2006年
4月10日、長編アニメーション映画「ベルサイユのばら」の音楽を担当することを発表。
4月19日-21日、ニューヨークの友人から「楽曲を聴きたい」と言われたことから、音楽配信サイト「MySpace」で音楽を配信。 そこから口コミだけで広がり、ダウンロード数は約20万件にも達し、そのうち日本からのアクセスはわずか1割足らずという。
5月29日、来日したマイケル・ジャクソンが青山の高級仏料理店で開催したプライベートパーティーに参加。
8月5日、メリーランド州ボルチモアで開催された、東海岸最大のアニメコンベンションイベント「OTAKON 2006」に特別ゲストとして招かれる。
9月24日、2007年夏日本公開のアメリカ映画「カタコンベ」で、VIOLET UKが歌う主題歌「Blue Butterfly」などの音楽を担当することを発表。
2007年
1月2日、TBS「新春もズバリ言うわよ細木 vs 超豪華有名人!炎の3時間!衝撃鑑定大連発SP」にゲスト出演。
1月24日、TBS「世界バリバリ★バリュー」に出演。
5月25日、26日にロサンゼルスのWiltern Theaterで開かれたイベント『J rock festival』を主宰。新ユニットS.K.I.N.の4人目のメンバーが雅-miyavi-であることを発表。
6月4日、X JAPANの復活をYOSHIKIが明らかにしたとの報道がされる。報道によると、年内にロサンゼルスを皮切りに日本国内においても復活ライブを行い、hideへの追悼曲「Without you」を含めた新曲も年内にリリースする予定とのこと。
6月4日、ダイナマイトUSAを観戦していたYOSHIKIが一瞬放送され、カメラを向けられるとピースをしていた。
使用楽器
ピアノ
KAWAI クリスタルグランドCR-40A。主にステージで使用。自宅でもKAWAIピアノを愛用している。
スタインウェイ フルコンサートピアノ。カーネギーホールで使われていたものを買い取り、所有スタジオで使用している。
他にもロスアンゼルスのスタジオに様々な種類のピアノを約30台所有している。
TAMA ドラム
基本的に2バス・2フロア・4タムタムである。クリスタルモデルとレッドモデルとシルバーモデルがあり、(レッドが前期に、シルバーが後期に使用されていた。)後者2つはライブでよく破壊された。所有スタジオではブラックモデルを使用。クリスタルモデルは、ライブで『ライトによっては何色にでも光る』という理由でTAMAに作ってもらった。スティックの色は黒であり、TAMAから「YOSHIKI」のロゴが入ったスティックが販売されている。
エクスタシーレコーディングスタジオ
YOSHIKIはアメリカ・ロサンゼルスにレコーディングスタジオを2つ所有している。X時代にレコーディングで使用していた、ノースハリウッドにある「One On One Recording」を買収し、後に「EXTASY RECORDING STUDIO」と改称(現在の「〜NORTH」)した。このスタジオはメタリカやボン・ジョヴィ、マドンナなど有名アーティストが使っていたが、YOSHIKIがX JAPANや自身のレコーディングでほぼ占有状態にしている。X JAPAN「ART OF LIFE」完成時の打ち上げではYOSHIKI達がスタジオを破壊、アメリカ音楽業界で噂になった。なお、ロス市内のビバリービルボードにも「EXTASY RECORDING STUDIO SOUTH」を所有しており、前述のEXTASY INT'Lの本社もSOUTHにある。YOSHIKI談によると、EXTASY RECORDING STUDIOで使われている、又は所有しているレコーディング機材とキーボードなどの楽器を合わせると10億円を越えるという。

家族関係
10歳の時に父親が借金苦で自殺している。この事がトラウマとなり、彼の人生を大きく左右させることになる。「Tears」など彼の楽曲の多くは、亡き父を想って書かれた曲であるとされる。
その後母の一人手で育てられた。中学高校と素行が荒れた問題児であったが、家ではプロの音楽家を目指し練習に没頭する子供であり、母親はこれに投資を惜しまなかった。Xの自主制作レーベルEXTASY RECORDS(エクスタシーレコード)立ち上げに際しても出資し、ライブにもコスプレして応援に駆けつけるなど、YOSHIKIの音楽活動を支える強力なスポンサーであった。YOSHIKIは2000年春に招待された皇室主催の園遊会を母と共に出席している。
5歳年下の弟に林光樹がいる。田辺エージェンシー所属の俳優であるが、現在は主に兄YOSHIKIのマネージメント業務をしている。2002年、元新体操日本代表でNHKの番組で体操のおねえさんとしても活躍した「ちかおねえさん」こと松野ちかと結婚する。2005年に娘が誕生。

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