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宮城谷 昌光の広場コミュの『王家の風日』を語るトピック

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春秋の入口を描く『王家の風日』。
商が滅ぶこの時代を、商の宰相「箕子」の目を通して語られるこの小説は、将に宮城谷氏を堪能できる傑作です。

”この小説の感想や、発見した素晴らしい言葉を紹介下さい!!”


と言うわけで、先ずは序章。
〜商王朝〜
「商王朝は文字を識るというよりも創ったがために、かえって苦悩を深めはじめたのかもしれない。」

世界史の社会の時間に、中国の最古の王朝として習うだけの「商」。
その商が、この言葉によって、活き活きとした映像として蘇ります。
文字を生み出すことは、文明と時代を一歩進めることなのに、それに伴い苦悩も生まれる。
科学を進歩させた結果で、その苦悩と戦っている現代にも通ずるような…。
人は、そういう矛盾を常に持ったまま進むのかもしれないですね。

コメント(35)

トピック立ち上げてくださって感激です!ありがとうございます。
一人で読み進めるより、何倍も楽しみが増します。

商王朝についての知識がほとんどないのですが、読み始めて惹き込まれています。

序章の
青銅器についての宮城谷先生の記述

ーこれは、商の人々の目に映った、天の色ではあるまいか。

そしてこの前後の文章、
青銅器を視た宮城谷先生の脳裏に浮かんだであろう商王朝に、ロマンを感じずにはいられませんでした。

若い頃、東京の国立博物館が大好きでよく足を運んだのですが、青銅器にそれほど想いを馳せることはできませんでした。
いつかまた行ってみたいです。
KIKOさん、早速の激励、有難う御座います。
この『王家の風日』は、商に対する知識を広げてくれますよね。

> これは、商の人々の目に映った、天の色ではあるまいか。

▼僕もこの表現が好きです。
 宮城谷小説は、「はっ」とするような表現を使いますよね。



さて、この物語は「箕子」が中心に描かれます。箕子からたくさんの深遠な言葉が発せられます。
〜王子受の日日〜
「上を怨む者はまずわが身を慙じなければならない。」

王が帝を名乗ったことを批判しての言葉ですが、ここから箕子の姿勢が判ります。
「自分のやれることはやった」と言わず、「わが身を慙じなければならない」と言う。
言い換えれば、「誰かのせい」とせず、「全員の問題である」と言っているように感じました。
常人には困難な姿勢ですが、ともすれば個人主義に走り勝ちな現代でも、多くの場面で心掛けたい姿勢と存じます。
あまり大風呂敷を広げても現実感が無くなりますが、強いて言えば、「何かを批判する前に、自分を慙じなければならない。」という所でしょうか。
すみません。ほんの少し脱線させてください。

この序章を読んでいて、あっと思い出したのが、「沈黙の王」です。
これは、商王朝が文字を創ることになった経緯が書かれていましたね。
ついこの間読んでいたので、いいタイミングで「王家の風日」につながりました。

さらに、宮城谷氏の漢字の使い方、漢字を含む言葉の使い方にしびれるのですが、宮城谷氏の漢字に対する思い入れが、この「沈黙の王」の解説文に書かれていました。
漢字に対する迷い→商王朝で創られた甲骨文字→漢字という象形文字への興味と移行し、今の魅力的な漢字での表現となったのでしょう。
それで、筆者はこの時代(古代中国)に特別な思い入れがあるのではと感じました。

もどります。
>「上を怨む者はまずわが身を慙じなければならない。」

この文章のある全体が魅力的ですね。
天は人の中にあり、人は地の上を立っている。天を高しとするも人、地を低しとするも人・・・とは。(勝手に要約してすみません)
目の覚める想いです。
今の日本の政治にも通じる気がします。
そして、そうしてしまったのは、我々国民ということなのでしょうか。
「まず、自分を慙じなければならない。」深い言葉ですね。
KIKOさんの仰り、同感ですね。
ところで、「箕子」は、”きこ”とも読めますね。ハハハ。

同じ章からもう一つ。

〜王子受の日日〜
上に仕えるに忠をもってし、人間(じんかん)におのれを処するに清をもってするも、忠は押しつければ傲になり、清は過ぎれば狂になりましょう

箕子の発言。
▼「私は貴方を、信用していますから!」って発言を聞きますが、正に「傲」。
▼最近の個人情報や食品衛生の扱い。情報漏えいは、その大小に関わらずオオゴトに。食品衛生も少しでも何かあれば、すぐに自主回収騒ぎ。正に「狂」。(ちょっと不謹慎か、、、)

何事も、過ぎたるは、なお、及ばざるが如し。宮城谷氏は、いろいろな自著のなかで中庸を讃えることが多いように感じます。僕も中庸は大切だと思います。
三度、箕子の言葉。

〜王子受の日日〜
「人としておこない易きことを天にまかせてはいけませんが、人としておこない難きことは天にまかせられたらいかがでしょうかな」


僕はこの言葉に、すごく共感します。
以前、僕は今より理屈屋で、「物事は理論的で、真実は一つ」のように考えていました。
ある時、「分からないことは、分からないし、そこに無理やり自分や人の意見を当てはめたって、胡散臭いよな〜」と思えるようになり、そのお陰で随分余裕が出来ました。
だから、この言葉が正しいかどうか、よりも、こう思っている方が安心していられます。
>ところで、「箕子」は、”きこ”とも読めますね。ハハハ。

ははは。恐れ多いですね。
でも、そう思うと親しみが増します。

>忠は押しつければ傲になり、清は過ぎれば狂になりましょう 。

この言葉は、私にも響きました。「中庸」なるほど。
しかし、この言葉を自分の中でイメージすることができませんでした。
何度か読み込むと、この大きな広がりのある言葉の本質が見えてくるのでしょうか?
豊川信用金庫さんのように。


受に、話して聞かせる干子の言葉
「武というものは、やむをえざるときにだけもちいるものであって、みせびらかすものではない、ということです。その操行にけじめを失うときは、みずからが滅ぶことになるということを、銘刻なさるべきだ」

この言葉に、今も戦争をしようとしている国々を憂い、また、自分自身の中にも、形を変えた「心の武」があり、この言葉が戒めとして響きます。

が、受が「もう少し声を抑えてくれぬものか」と内心辟易する姿に、干子がいかに声が大きく、熱くなりやすい性格なのかということが伝わって、身近に感じました。あせあせ(飛び散る汗)


それから、何度も登場してすみません。
KIKOさん、是非、何度でも登場ください。

それにしても声の大きな干子。こんなタイプって、現代にも居そうですね。
物語の中で宮城谷氏は、干子の死を以って商が滅亡した、とも言っています。
いずれにしても、とても存在感の大きな御仁なのでしょう。


> 「武というものは、・・・」

このくだりは、未だ受が一介の王子のころの話ですね。(「王子受の日日」の章、後半)
しかし、この言葉はおこなわれず商は滅びました。つまり干子の言が正しいわけで、ある意味、この後の布石なのでしょう。
〜土方の襲来〜
戦ってみなければ勝負はわからぬようでは、いずれ土方は覆墜してしまうだろう。やむをえずするいくさならとにかく、敢えてするいくさならば、かならず勝たねばならぬ。

戦いに際しての、土公(土方の首領)の言葉です。
とても自信あふれる言葉ですが、おそらく、土公はこの言葉に命をかけているのでしょう。
男ってヤツはこう言うのに弱い。。。なので、とても憧れます。
今の世なら、先見の明を持った政治家や経営者といったところでしょうか。
おふたりの熱い会話に感動です。

>▼最近の個人情報や食品衛生の扱い。情報漏えいは、その大小に関わらずオオゴトに。
>食品衛生も少しでも何かあれば、すぐに自主回収騒ぎ。正に「狂」。(ちょっと不謹慎か、、、)

食品衛生面な話で「やり過ぎじゃねぇの?」と思ったことを素直に発信して、「不謹慎」や「信用できない」などのおしかりを受けたことがあります。

でも、豊川信用金庫さんのおっしゃるとおり、まさに狂だと感じています。
渦中の中では、大半が狂に入り、世論が続々と形成されてしまいますが、
時代の目はどうあれ、いち宮城谷ファンとしても、人や時代を見る目を養い、宮城谷先生の言葉に感動、激励されながら生きていきたいですね。
ぐっぴーさん、応援をありがとう御座います。
不謹慎のお叱りは承知ですが、僕はシンプルが好きなので、こう言うルールも明文化は必要最低限にしたいと思う次第です。
僕が好きな言葉で、次の論語があります。
 之を導くに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずる無し。
 之を導くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥ずる有りて且つ至る。
あまりルール化するより、ある程度のところは皆さんの良識に任せたい!と存じます。
ちょっと脱線でした。


さて。
〜流落の父子〜
――男は死ぬべきときに死なぬと、恥辱を天下に曝すことになる。

秦を追われた嬴廉の言葉です。
「死ぬべきとき」とは言わないまでも、「退くときに退ける」覚悟はしたいものです。
これは意外と難しいのだろうな〜。
お言葉に甘えて失礼します。

なるほど確かに。「死ぬべきとき」とは言わないまでも、「退くときに退ける」ようになりたいです。
ですが、私は往生際が悪いところがあるので、なかなか潔く、、、とはいきません。
あ!私は女なので、死ぬべき時に死ななくてもいいのでしょうかね。ははは。
宮城谷小説を読んでいる時は、時々自分が女性であることを忘れて、魅力的な登場人物の臣下になりたいと思ってしまいます。

話を戻しますが、
しかしながら、この言葉を言った贏廉が

ーー生甲斐と死場所とを見つけた。

と、異邦人でありながらも、受の遺志を奉じて、周軍にたいして斃れてのち已むといった壮烈な抵抗を試みるほどの、恪勤な臣になった、、、。ということを考えると、死ぬべきときではなかったともとれますね?
いえ、内容通り、この九死に一生を得た想いが強かったため、「受」に恩返しとして尽くしたということなのでしょうが、情けは人のためならず、、、を感じました。(受にとって)

贏廉が「秦国」の君主であったことを考えると、「商」の臣として生きるのは恥辱の域をでないのかもしれませんが、恪勤な臣というのは、ちょっとかっこいいです。先が気になります。
はじめまして。
会話の内容の深さに、ついつい読みいってしまいました。
それと同時に自分の勉強不足を思い知りました〜^^;

箕子も干子もそれぞれの立場での「義」「忠」を
貫こうとする姿勢がとても心にしみました。


〜流落の父子〜
「あなたの話をきき、あなたを視ていると、天を尊ぶ心、祖霊を敬う心、子を愛する心、民を慈しむ心、どれひとつとして非はなかったようだ。それでも国は滅ぶものかと空恐ろしい気がするが、不慮の凶変に遭われたとすれば、あなたほどの人なら、こんどは不慮の吉慶に遭われてもふしぎではない。西の空に、貴国の旗、皁游(そうりゅう*1)がひるがえる日もそう遠い先のことではありますまい。たとえそうなっても、あなたと敵対することはごめんこうむりたいものだ」

長い引用となってしまいました。
流浪の贏廉を、ある部族の首長が評した言葉。
めちゃめちゃ褒めてます。褒め殺し。
贏廉は、(元)秦の王。このあと商に仕えるので、人生において2度国の滅びを経験します。
それにもかかわらず、約800年の後、その子孫によって中国の統一が実現したのは、もしかすると彼の徳が子孫を照らしたのかもしれませんね。(この本の読みすぎで、少し宗教チックになってきました)


*1 皁游の旗は黒い旗のことで、秦の国旗といえる旗。秦の先祖が舜に貰い受けたという伝説の旗。
カイさん、お褒めの言葉をありがとう御座います。
「内容が深い」なんて、とても嬉しいですね。

ただ、好きで書いているだけですので、カイさんも好きな言葉をどんどんコメントしてください。
〜(三度)流落の父子〜
「祖訓にのっとり、敬慎をわすれなければ、それでよろしいのです。庶衆を恤んでくださいよ。そうすれば民衆はかならずむくいてくれるものです」

微の国に封ぜられた王子啓(微子)へ、箕子が送った言葉です。
「この王子にはくどくどと訓誥する必要はあるまい」と思った箕子は、この言葉だけを送りました。
「あまりに保守的」と言われそうですが、昨今、「祖訓にのっとり、敬慎をわすれない」ことが余りに軽視されている気がするので、僕は、素直にこの言葉を受け止めたく存じます。
〜周への招請〜
農耕するということは、土地にしばられることであり、また族の内外をとわず、貧富の差をはなはだしくさせ、争いを生じさせる。農耕こそ平和と自由とをそこなうものだ

太公望の父親の信念です。
この信念、少し分かる気がするのです。
僕は、「所有」することがあまり好きではありません。
所有しないというのは、ある種の開放感があるんです。土地や家、株だって、所有すると色々大変じゃありませんか?
〜周への招請〜
心の歪みが、天性すぐれた頭脳からほとばしる煌くばかりの思想を、暗く塞いでしまうのである。
この傾向は年月が経つにつれていちじるしくなり、かれが凡人でないだけに、いっそう始末のわるいものになった。

なんと!
受王を指したことばです。
こういうことは、自分では気付けないのでしょう。
思わず自分を省みてしまいます。「高慢ちきになってないか?」「頑固オヤジになってないか?」
〜周の入貢〜
「なべて儀礼は、自分をあらしめてくれるものにたいする感謝の表現です。一個人がこの世にいるということは、じつに多くの恩恵によって生かされていることだとはお思いになりませんか。自らを知るということは、他を尊ぶことにほかならないでしょう。だから儀礼は与えられるものではなく、敬慎の心が産んでゆくものです」

商の尹佚(いんいつ)の言葉です。
ひとつひとつの文章が、とてもスゴイことを仰っています。

・なべて儀礼は、自分をあらしめてくれるものにたいする感謝の表現です。
 ▼こう思えるようになれば、何事にも怒(いか)ったり、腹立たしくなったりしないのでしょう。
・一個人がこの世にいるということは、じつに多くの恩恵によっていかされていることだとはお思いになりませんか。
 ▼その通りなのですが、ふとすると感謝の心を忘れて傲慢になってしまいます。
・自らを知るということは、他を尊ぶことにほかならないでしょう。
 ▼なんと!行き着くところはそれでしたか。
・だから儀礼は与えられるものではなく、敬慎の心が産んでゆくものです。
 ▼儀礼は、その形ではなく心が大事なのでしょうね。
  論語に曰く
   礼は其の奢ならんよりは寧ろ倹せよ。喪は其の易ならんよりは寧ろ戚せよ(*1)
  と同じですね。


*1 こんな意味です。「礼は物事を贅沢にして驕るのではなく、質素にして倹約せよ。
  喪(葬式)は滞りなく淡々と行うのではなく、(多少整っていない部分があっても)
  哀悼の感情を捧げよ。」
〜周の入貢〜
― ひとの親切は無にするものではない。


周公・昌の台詞です。
商へむかう途中、尹佚からの提案に対する思いです。
欺瞞や暗殺が多い時代なのに、、、さすが周公。

こんな風に考えられるのは、心が素直だからなのでしょう。
いつの世も、素直が一番ですね。


(追伸)
起動戦士Zガンダムで、アムロの台詞を思い出しました。
「人の善意を無視するやつは、一生苦しむ」・・・余談でした。
〜象牙の箸〜
いまは箸だけの贅沢である。が、物にはつりあいや調和というものがあり、象牙の箸が、土でできた食器にふさわしい、とはおもわれない。酒をのむにも、木を曲げてつくったようなさかずきではものたりなくなり、犀の角や玉でつくったさかずきをこのむようになろう。象牙の箸と犀玉のさかずきがそろえば、まめ類のすいものはやめて、かならず牛や象の肉や豹の胎児(はらのこ)の羹(あつもの)ということになろう。食がかわれば衣と住ともかわらざるをえない。いまはそまつな短衣をきていても、やがて錦のきものをかさねてきることになるであろう。とすれば、茅ぶきの小屋に住んでいられるはずはなく、大広間のある高殿で食事をすることになろう。

ふたたび箕子の言葉。
箕子の思慮深さが、よくあらわれています。
僕にとって、この物語中で、もっとも印象に残った言葉の一つです。
〜象牙の箸〜
― われその卒(お)わりを畏る、ゆえにその始めを怖る。

『韓非子』に記されている箕子の言葉だそうです。
先の象牙の箸の話をまとめる意味で紹介しています。

先見の明がなければ語れない言葉ですね。
箕子のような国家運営のレベルでは思い付きませんが、
身近なところでも「その始め」を見付けてみたいものです。
〜黎の蒐(れいのしゅう)〜
― 頭のいい者はつまらぬことで気苦労するものだ。

受王が、黎(れい)という地で蒐(狩りこと)を開催した際、伯邑考(*1)にたいしての閎夭(*2)が思った言葉です。
なるほど、考え過ぎも気苦労のもとと言うことですね。
この物語自体、多くの難しい言葉が散見されるので、少し肩の力を抜くよう、促される気分となる言葉です。
閎夭自身、どちらかと言うと武人なので、彼の人柄を表す言葉でもあるのでしょう。


*1 周公の嫡男
*2 周の臣下。武力抜群で、物語中では悪来のよきライバルとして度々戦う。
〜黎の蒐(れいのしゅう)〜
― 箕子ならどうするであろう。

受王が戦に臨んで思った言葉です。
それだけ箕子を信頼しているのでしょう。
別の宮城谷小説『管仲』でも、
「人を理解するには、〜わたしがその人であれば……。と、想像によって立場をうつしてみるのがもっとも早い。 」
と似たことを言われております。
人を多く知ることで自身がひろがる、ちょっと大げさですが、とても奥深い言葉だと思えます。
〜盂方討伐〜
― 孤立させよ。たのむものが人でなく、山や川のみになれば、人方はおのずとおちる。

商が人方(*1)との戦争で、山に寄ってゲリラを続ける人方にたいし受王がとった作戦。
個人としては、山川に返るほうがたくましい気がしますが、
国や組織は、人のつながりが大切なのでしょう。
逆の見方をすると、国や組織となるから、争いが生じるとも考えられます。
▼先に紹介した、太公望の父親が言う
 「農耕するということは、土地にしばられることであり、・・・」
 に、通じる気がします。


*1 この時代の商以外の種族の一つ。
〜酒池肉林〜
上をあざむく者が、どうして下からの信頼をかちえましょう

商への人質に、身代わりの女(むすめ)をおくった鄂公に対する周公の感想です。
波乱の時代は、古今問わず「あざむき」を含む多くの詐術詭弁が横行します。
逆に、だからこそ、清廉潔白が敬うわれます。
今の時代でも、これの法則は生きていて欲しいと存じます。
--
〜酒池肉林〜
人為を超えたものは、
― いずれ滅ぶ。
と、みた。

受王の催した祭政(まつりごと)(=酒池肉林の場)を眼前にした周公の感想。 
東京都心で働く僕ですが、高層ビルだらけのなか、空も広がらず、ビル風に悩み、コンクリートジャングルのなかで、この言葉を思い出さずにはいられません。
気候や季節を狂わせて、なお、開発を止めない現代。
これらは当に、「人為を超えたもの」なのでは??
・・・隠居の戯言でした。
〜虁(き)の社〜
王朝は内と外とから老獪なる者に蝕まれ、日蝕のように光を失ってゆく

箕子と干子の会話からの抜粋。
商の憂いて干子が放った言葉です。
別の宮城谷小説で「成功とはかならず内と外の力が合わさるもの」とありましたが、その反対の言葉。
さて、今の時代にも当てはめてしまいます。
日本だったり、自分の会社だったり。
その内と外は、、、いかがなものでしょうか。
〜虁(き)の社〜
天子を伐ったとて天子にはなれず、大邑商を攻め落としたとて天下のあるじになれるわけではない。はやい話が、人は他人を殺したとてその人になれるわけではない、ということである。


「王家の風日」は、周が商をたおす物語です。然るに、この言葉。

この後、商はたおれ、周の世になります。
それは周が商にかわったのではなく、新しい秩序をが始まったのだ、と仰るのか。。。
ちがう角度から見ると、前向きな考えかもしれませんね。
〜死と狂と〜
崇を伐つという行為を世間がどう評価するか、そうした万人の目、天の声のほうが恐ろしい。天下をとるということは、見えない目聴こえない声を、意識しつつ行動しなければならない。それができない者はおそらく弑逆者でおわるだけである。

「世間がどう評価するか」。つまり、評価はまわりがするという、この言葉。
僕は、とても共感します。
民衆の支持がなくなった国家は滅ぶ、、、。
3000年を経た現代でもそうなのだろうか?
〜牧野の戦〜
たしかに受王に非はあったろう、が、干子にも西伯にも非はなかったというのか。王の非は臣下の非であるのに、自分の非はさて措いて主上の非を匡そうとする。あってよいことではない。

商の敗戦をみた嬴廉の言葉です。
僕はこの言葉がとても好きです。
誰かの非を責めるときがあっても、是非、この言葉を思い出したい。
他人ばかりを責めるのではなく、自身に非はなかったのか、と、反省できるようになりたいと存じます。
------------------------------------------
 いよいよ商が滅び、最終章となりました。
------------------------------------------

〜王者の国〜
―お生まれになったのが、早すぎたのかもしれない。

引き続き嬴廉の言葉。
この言葉は、この物語における受王の代名詞なのだと思います。
この言葉から、受王を「悪」としない作者の思いを感じます。
〜王者の国〜
帝をはじめ神霊が商を滅ぼすことによって、神霊そのものも滅んでしまった。これからは人民と庶民とは、神霊に仕えるかわりに、人に仕えることになろう。

箕子の言葉です。
この言葉には、はっとさせられました。
時代がかわるということは、新しい何かが始まるのですが、そのかわりに失うものもあるはず。そのことを箕子は具体的に挙げたのでしょう。
めまぐるしく時が流れる現代は、まさにたくさんの「もの」が滅んでいるはず・・・と、しばし思いをめぐらせてしまいました。
〜王者の国〜
「常道とは、どこかにあるものではなく、努めて得るものです」

周の武王の問いへ箕子が発した言葉です。
正に!その通り。
この後、この常道に関する問答が展開しますが、これが、とても素晴らしい。
そして、締めくくりに、

〜王者の国〜
上下が和して、常道がつくられるのです

と仰る。
皆さんも、是非一読下さい。
〜王者の国〜
「真の王が、いま、誕生したのではありませんか。その真の王とは、箕子どの、あなたのことだ」

この物語をしめくくる、土公の言葉です。
宮城谷氏は、何をもって「真の王」と表現したのでしょうか。
箕子のように、私心無い政治家が現代にあらわれたら、
何をおもって、どんな政治をするのだろう。

この宮城谷古代中国絵巻に触れて、(エラソウニ)僕は思ってしまいます。
現代は、小人(*1)が小人のための政治をしているのでないか?


*1 小人(しょうじん)/徳の高い人を君子と呼び、小人はその反対の表現。
◆番外編◆

〜盂方討伐〜
― 箕子とは、文化そのもののようなご仁だな。

すごい人ですね。箕子。
文化ってすごく大切だと思います。
文化がなかなか継承されにくく思える今の時代、文化そのものようなご仁に、僕も是非お会いしたく存じます。

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