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杉原千畝コミュのユネスコ記憶遺産候補

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国連教育科学文化機構(ユネスコ)の国内委員会は24日、
2017年度登録を目指して、第2次大戦中に「命のビザ(査証)」で、
多くのユダヤ人を救った外交官・故杉原千畝氏の資料(杉原リスト、
所在地・岐阜県)を選定した。
所在地の自治体などが来年3月にユネスコに登録を申請。
17年夏頃に開かれるユネスコの国際諮問委員会で登録の可否が審査される。

コメント(4)

現実に申請されれば、認められる可能性は高いんじゃないでしょうかね。

いずれ、「東洋のシンドラー」が「西洋の千畝」と並び立つ日が来るのかもしれません。ウインク
先週八百津町記念館に行ってきました。
小さな記念館でしたが団体さんも来ていて
世界遺産になったら、駐車場大丈夫なのかな
成り行きを楽しみにしています。
個人的には、キュラソービザを発行したオランダ領事のヤン・ツバルテンディクさんも一緒に選ばれてほしいです。^^;
杉原さんももちろん素晴らしいですが、杉原さんはキュラソービザに対する通過ビザを発行されたので、杉原さんと同じくらいに評価されてほしいです。^^
杉原さんのビザで親を救っていただき杉原さんに大変感謝されている外国人の女性が、ヤン・ツバルテンディクさんをご存知なかったのがショックでした。(;_;)
千畝少年をたどる 通学路に「人道の道」銘板
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=322151&comment_sub_id=0&category_id=113&from=news&category_list=113
中日新聞プラス 2015/11/27 夕刊

 第2次大戦中、ユダヤ難民に日本の通過ビザを発給しナチス・ドイツの迫害から救った外交官、杉原千畝氏(1900〜86年)の没後30年を前に、名古屋市は27日、杉原氏が少年時代に歩いた市内の通学路を「人道の道」として、功績を顕彰する方針を明らかにした。


◆功績顕彰で名古屋市設置へ


 杉原氏は岐阜県八百津町出身で、税務署員だった父の転勤で中区の古渡尋常小学校(現平和小)に転入。旧制愛知県立第五中(現瑞陵高)を卒業するまでの約十年間を名古屋で過ごした。

 市によると、名古屋市在住時の住まいは特定できていない。ただ、父の勤務先の税務署が現在の日本特殊陶業市民会館(名古屋・金山)の場所にあり、一帯の官舎などに暮らしていたとの説が有力。古渡尋常小や五中への通学路の詳細は定かではないが、経路にある新堀川を渡る橋は立石橋と高蔵橋だけだったため、今後、絞り込んでいくという。

 市は、市民会館周辺と両校を結ぶ五〜六キロの「人道の道」を設定。杉原氏の功績や名古屋での足跡を紹介する銘板を設置するほか、顕彰イベントの開催などを計画している。八百津町との交流も進める考えだ。

 二十七日の市議会定例会で土居芳太氏(民主)の質問に、三芳研二総務局長が「杉原氏が名古屋で学び、成長したことは市民にとってかけがえのない財産。功績を後世に伝えていくことは大切だ」と答弁した。

 平和小には生誕百周年に記念の鐘「ちうねチャイム」が設置され、瑞陵高にも平和の象徴のオリーブが植樹されており、両校ともに杉原氏の功績を語り継いでいる。


 <杉原千畝> 早大高等師範部(現・教育学部)を中退し、1924(大正13)年に外務省に入省。第2次世界大戦中、駐リトアニア領事代理として、日本通過査証「命のビザ」を約6000人に発給し、ナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人難民を救った。イスラエル政府は85年、命懸けでユダヤ人を救った人をたたえる「諸国民の中の正義の人賞」を贈った。出身地の八百津町の「人道の丘公園」には、功績をたたえる「杉原千畝記念館」がある。

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