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ゴスペルハウスコミュの「喜びなさい」2026.02.07

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ゴスペルハウスメッセージ 2026.02.07
「喜びなさい」ピリピ3:1-11

1 最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。
2 犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい。
3 神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。
4 ただし、私には、肉においても頼れるところがあります。ほかのだれかが肉に頼れると思うなら、私はそれ以上です。
5 私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
6 その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
7 しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。
8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、
9 キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。
10 私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、
11 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

パウロ書簡であるピリピ人への手紙は、「喜びの手紙」としても知られています。
4章4節の「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」は、特によく知られていますね。
これほど「喜び」を強調した手紙を書いたのですから、パウロはきっと喜べる状況、ふさわしい状況にあったのだろう、と思いがちです。

しかし実は、パウロはローマで裁判を受けるために幽閉されていました。
いわゆる牢屋の中、獄中です。
そのため、このピリピ人への手紙、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙の四つは、「獄中書簡」とも呼ばれています。

パウロは、特に用事もなく、思いつきで手紙を書いたわけではありません。
二千年前、手紙は決して手軽なものではありませんでした。
ですから、この手紙も、もちろん必要があって書かれたものです。

パウロは、ユダヤ人以外の人たち、いわゆる異邦人に向けて福音を伝え続けました。
ピリピも、ユダヤ・イスラエルではなく、マケドニアの主要な都市です。
パウロの第二回伝道旅行のとき、彼は牢屋に入れられましたが、主の御使いによって地震が起こされ、助け出されました(使徒16章参照)。
そして、この町に教会が建つきっかけが与えられたのです。
ピリピの教会は、ヨーロッパで最初の教会とも言われています。

教会ができ、人々が集うようになり、その噂はきっとエルサレムにまで伝わったのでしょう。
そこで、当時の一部のユダヤ人クリスチャンが「行ってみよう」と、ピリピに来るようになりました。
なぜなら、エルサレムのユダヤ人たちは、自分たちの方が先輩であり、本家であるという意識を持っていたからです。
そして、善意から、あるいは時には支配的な意図をもって、こう言うのです。
「あなたがた、割礼は受けたかな?」
「清い食べ物と、そうでない汚れた食べ物を、ちゃんと分けていますか?」
「ユダヤが大切にしてきた風習や習慣、お祭りを教えてあげよう」
「律法が分かってこそ、神の民であることが分かってこそのクリスチャンでしょう」
などなど、さまざまなユダヤ的な価値観や、ユダヤ人としての誇りを押し付けてきたのです。

今のようにスマートフォンがあれば、パウロはZoomですぐに対応でき、顔を見て話せたのかもしれません。
しかし当時は、スマホはもちろんのこと、電話も高速道路もありません。
だからこそ、パウロはこのような状況にあるピリピの教会へ手紙を書いたのです。
そして2-3節で、ピリピ教会の人たちに、注意と励ましを与えました。
「犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい。
神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。」(2-3節)

「あなたがたは喜んでいいのだ。喜ぶべきなのだ。喜びなさい。なぜなら、イエス・キリストの救い、十字架の赦しと愛は、確かにあなたのものだからだ」と、パウロは強調するのです。

4節から、パウロは自分自身のことを語ります。
かつてのサウロとしての自分自身です。
割礼も生後八日で受け、ベニヤミン族の出身で、パリサイ人として学び、だれよりも熱心に生きてきた。
しかも、彼は、生まれながらにローマ市民権を持っていました。
当時のエリート、選ばれし人、それが、パウロのこれまでの人生でした。
それらは、生きていく上では「得」であったかもしれません。
しかし今や、それらは「損」でしかなくなったと、パウロは言います。
ちりあくた(塵芥)のように、何の価値もないものになった、とパウロは言うのです。

イエスさまを知る前のパウロは、人が残したもの、人が与えたものに支えられていました。
親や家系、民族、そして自分の努力や実績です。
しかし今は、神様が残してくださったもの、神様が与えてくださったものに支えられています。
そう、イエスさまを地上に送り、十字架ですべての罪を負ってくださったという事実です。

しかも、教会を迫害していた自分が、完全に赦され、受け入れられ、愛され、使命を与えられたというのです。
この使命は、自分勝手な正義や使命ではありません。
神様から与えられた使命です。
そのパウロに託された使命、それは福音でした。
そしてそれは、完全な福音です。
割礼も、血筋も、日常生活の規定も超えて注がれる愛です。
あなたはすでに赦されている。だから、安心して喜びなさい。
言葉の惑わしに振り回されず、その愛の中で心から喜びなさい。
イエスさまの覚悟の愛、その恵みを受け取るのは、あなたなのです。
主にあって、主の十字架にあって、その赦しにあって、その愛にあって、喜びなさい。
信じることで与えられる義は、あなたを「喜んでいい存在」、「喜ぶべき存在」にするのです。

パウロの時代から二千年が経った現代でも、「〇〇しなければ救われない」と言う人がいます。
「十字架が赦すのは、〇〇の罪だけだ」「赦されない罪もあるから」と言う人もいます。
彼らは彼らなりに、一生懸命なのかもしれません。
しかし、きつく聞こえるかもしれませんが、パウロ自身の言葉に従うなら、2節にある「悪い働き人」という表現を使わざるを得ません。
そのような惑わしの言葉に心が揺れ、あなた自身が振り回されてしまうこともあるでしょう。
そして、つられて自分も「悪い働き人」のようになってしまうこともあるかもしれません。
それが人間の弱さです。
だれにでもある弱さであり、だれにでも起こりうる危険なのです。

私たちは、どうしたらいいのでしょう。
そんな時こそ、イエスさまの十字架のもとに行くのです。
あなたのために流された血潮が滴る、その十字架のもとに。
そして、あなたへの愛を、あなたのための赦しを、あなたのための血潮のぬくもりを受け取りましょう。
愛に立ち返るのです。

イエスさまの十字架は、あなたが今日も、そしてこれからも喜びの中を歩むための、揺るがない土台です。
人が与える評価も、自分の努力や実績も、時に変わり、揺れ動きます。
しかし、キリストがあなたのために流された血潮と、その赦しと愛は、決して変わりません。

だからこそ、あなたは喜んでよいのです。
状況がどうであれ、心が波立つ日であれ、あなたの喜びは「あなた自身」や「あなたの状況」ではなく、イエスさまの十字架という、永遠に変わらない愛に根ざしているからです。

これは、無理に笑いなさい、という命令ではありません。
元気なふりをしなさい、という言葉でもありません。
泣いていても、立ち止まっていても、それでもなお、あなたには帰る場所がある、という福音です。

パウロは牢獄の中から、「喜びなさい」と書き送りました。
それは、どんな状況でも奪われることのない喜びが、イエスさまの十字架にあるからです。
この愛に根ざした喜びこそ、あなたを支え、あなたを立たせ、あなたを導きます。

この確かな愛と喜びの中で、今日も、そしてこれからも、主とともに歩んでまいりましょう。

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