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Boundariesコミュの目に見えない境界線と責任

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「私」と「私でないもの」
「私がなにを所有し、何に関して責任を負っているのかを知る事は、私に自由を与えます、、、責任の所在がはっきりした人生には多くの可能性があります。」
今パスドラを今一度読み直していて、自分はこの地上では寄留者であることを今朝もう一度思いおこした。自分が持っているものはすべて「与えられたもの」であたしにはそれを管理する責任がある。ま、責任とまではいかなくっても希望されている。それは物質的なものだけにとどまらない。能力も才能も、それから人間関係までも、、、関係には責任があっても相手には責任はないことをよくよく思い起こさなければ、、、

「対して」と「関して」ギリシャ語のたとえはどうだかわからないけど、確かに自分で負わなければならないことと、そうでないことがあるような気がする、、、がそれがどこで分かれているのかよくわからない。もしかしたら人からの助けを拒絶し続けて来たようにも思う。果てしない痛みが生じる、と書いてある通り、自分の人生は痛みの連続であったようにも思う。

善いものは内へ、悪いものは外へ
境界線は壁ではない、、、これは多くの人が陥っている間違いではないだろうか、、、虐待を受けていなかったとしても小さい頃から「ばかだ、のろまだ、うすのろだ、、、」というメッセージを受け続けて来た(それも立派な虐待だけどね)あたしはやっぱり自分の境界線がしっかり確立していないのだと思う。

神と境界線
これはある人々には受け入れがたい観念、考えではなかろうか、、、しかし神様は本当に幾度も幾度も自分は何が嫌いで、なにが好き、どうして欲しいとはっきりと示されている。いい加減あたしたちは神様がどんな方かを知っていていいはずなのに!
またあたしたちも神様が持っているような境界線を築く必要があるってことばはうれしい、なぜなら、そのような境界線を築く事ができるって可能性があるから!

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