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農業経営研究会 『脳の会』コミュの「食材」というブランド

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先年、世界中で人気を呼んでいる日本食に認定制度を設けて、世界に日本食のブランド力を高めよう、としたところ、「警察のように取り締まるのか」と反感を招き、計画は頓挫した。
そもそもこの計画は、料理という不定形で変幻自在のものを認定しようというところに無理があった。

だが、日本で生産される農産物の品質の高さには定評があるのは確かである。
日本の食材で食事をすることが豊かさのシンボルとして受けとめられる動きが、アジアを中心に広まりつつある。
これは歴史上画期的な出来事だと言える。
農産物は一次産品として、工業製品と比べれば買いたたかれる安物でしかなかった。
しかし今や日本の農産物は、世界史上初めて、ブランドを確立できるほどに高品質を誇るものになっている。
日本の農産物のブランド力を高めれば、農業を輸出産業として生まれ変わらせることも決して夢物語ではないだろう。

そのためには、やはり日本の農産物をブランドとして確立することが重要となる。
では、どうすればよいか。
「食材」をブランドにするのである。

料理自体はフランス料理でも中華料理でも何でも構わない。
ただし、日本の食材100%であるということを「安全・安心・おいしい・高品質」の四つがそろった高級な料理、というイメージ戦略を進めるのだ。
幸い、日本の農産物は低農薬でしかも高品質だというイメージは世界で定着している。
日本の最高級の食材でできた料理は最高の料理・・・もし、そういうイメージを確立することができれば、日本の農産物のブランド力は世界で確立されたものになり、世界中に輸出できる産業に生まれ変わるだろう。

そして、この動きが確実なものになれば、これまで、コストがかかるばかりで儲からないと思われてきた有機農業的手法が、一気に脚光を浴びることになる。
世界でブランドを確立できれば、それなりの値段で売ることができる。
実際、中国では日本のリンゴが一個800円でも飛ぶように売れる。
有機農業の「手間がかかる」というコストを十分まかなえる値段を付けることができるのだ。

有機農業的手法が軌道に乗れば、農薬や化学肥料のしようが減り、環境の悪化に歯止めをかけることができる。
有機農業は手間暇がかかるため、儲かるのであれば雇用を生むことにもつながろう。
農業は、手間をかけるだけの値打ちがある輸出産業に生まれ変わるだろう。

近年の地産地消の動きと逆行するようだが、農業が「生命維持インフラ」として捉えられるというよりは、「金儲けの産業」としての位置づけがされている現状では、儲かるようにしなければますます日本の農業は衰退し、農地は荒れ、後継者が育たなくなる。
思い切って農業を輸出産業として生まれ変わらせ、日本を有機農業大国として変貌させ、その技術的ノウハウを蓄積し、日本の将来に備えるというのも一つの手だろう。

「食材」のブランド化、これによって、日本の農産物のブランド力を高めてはどうだろう。

コメント(31)

ちょっと辛口のコメントになるのでしょうか。

有機農法は、環境に易しいと思っているのは、幻想です。
リサイクルの話と似ていますが。

また 一個800円のりんごが飛ぶように売れるというのもマスコミ操作の賜物です。

日本の農業が、関税と無関係に輸出産業になれるかは、もう少しお調べになられることをお勧めします。

ただ あなたのような考えの方が農業をされるといい方向に行くことは間違いありません。結構 日本の農業はおもろいと思っています。(だた利益が上がるかということは 違う方向性で考えましょう(^_^;))
yasufumiさん、ご意見ありがとうございます。
確かに、有機農法が環境に優しいとは限りませんね。
日本の場合、牛糞だけで、全国で使用する窒素肥料をすべてまかなえるのですから、国内で吐き出される有機資源をすべて耕地に投入したとしたら、とんでもない肥料過多となり、地下水汚染に海洋汚染が進んでしまいますね。

ただ、海外で日本の食材に人気があるのは本当だと思います。
まだ、日本の農産物が海外で密かに人気が出ていることを一般紙が全く報道していなかった頃(6年前)、上海で日本の「フジ」が800円で売られていました。
かなり人気があるようで、中国のリンゴが20円するかしないかと比べると、ビックリでした。

ロシアでは、日本のタマネギが人気です。
特にモスクワでは、日本では商品としてあまり売れないようなS玉が、ロシアのタマネギの数倍の値段で売れるようです。
日本のタマネギは甘みがあって、一度料理で使ってみるとやめられなくなるのだそうです。

現状では関税の壁や、FTAなどのつまづきなど、問題が山積していて、私の意見も絵空事ですが、20年くらいの視点で捉えるなら、一つの方向性として考えてもよいのかな、と思います。
ただ、私個人は地産地消を進めないと、地球が保たないと思っていますので、日本の農業が産業として崩壊する危険を回避できたら、その後で必ず地産地消を進めるべきだと思っています。
まだ、空想の中での考えで、しっかりしたものではないのですが。

農業はやはり、「金儲けの産業」ではなく、「生命維持のインフラ」と捉えたいですね。
そのように捉えることができる時代が、早く来ればよいのに、と切に願っています。

でも、当面は儲けないと大変なことになってしまう。
ジレンマを強く感じるのですが、そのあたり、いかが思われます?

追伸・こんなものを過去に書いたことがあります。
http://www.es-inc.jp/lib/archives/051017_164712.html
簡単なコメントになりますが、「金儲け」の部分は、大きな要素です。利益が出なければ、産業としては衰退します。これは個人経営の話ですが。

 しかし 農業をインフラと捉えれば、これはここの農業者の問題ではなく、行政の仕事です。

 まだまだ農業用の補助金?というのは、農業者支援ではなく使われたいます。私の意見としては、農業公務員制度みたいなものがあってもいいのでは、ないかと思っています。治安維持に警察があるように、農村維持 食糧生産維持のために
個人的な見解ですが、
政府(自民党)は昔からの農業自営者を保護=農業支援としてきた感があります。なので今は、高齢化・過疎化・零細化の問題解決が先行してしまっていて、そこまでのノウハウを持つには壁が大きそうですね。
反面、今元気があるのは民間(商社・商品作物取引業者でしょうか?詳しくないのですが)ですよね。利益を作るシステムとしては後者は長けています。ただ、コスト面で海外を労働市場としてきたので、既存の民間(自社利益優先)ではここまでやらないでしょう。
日本の「食材」のブランド化を第一目的にするNGOのような、新しい団体でないとできないでしょう。この両者の技術や労働力をうまく組み合わせられないものかと思います。
少数精鋭で一部の者が金儲けをするか、大々的にやって大きな労働市場とするか。パイオニアは前者でしょうね・・・。

いいものが出回るのは納得ですが、ひとつ気になるのは、日本の輸出入のバランスが崩れて諸外国から批判を受けはしないかという疑問です。今まで売れる自動車を輸出する代わりに、外国産の米や牛肉などの食料品輸入を受け入れてきたわけですよね。
自給率の低い日本が食料品の輸出をするとはどういうことなのか、気になります。
yasufumiさん、
農業公務員制というのは魅力あるアイディアですね。
ただ、社会保険庁でも問題になっているように、現状の公務員制度には多々問題を感じますから、一定の生産性を維持する場合は身分と収入を保証し、あまりにサボる人は、解雇して別の希望者に交代させてしまうという制度にした方がよいでしょうか。

食料は生命維持のインフラですから、純粋の産業として捉えるのは、イマイチ危険を感じますね。
mizmiz さん、

ご懸念の通り、もしトピックで提案したとおりのことが、思いの外うまく実現してしまった場合、奇妙なことが起きると思います。
日本の農産物は超高級化し、日本人には手の届かない高級食材になってしまい、世界の富裕層だけが楽しめるものになる。
そして、日本人は海外からの安い食料を食べる・・・。

つまり、日本の農産物の生産がフル稼働したとしても、その産物はすべて海外の富裕層の楽しむものとして全量輸出され、日本人の大半は、中国などから入ってくる安い食材で我慢しなければならなくなる、という、地産地消からかけ離れた状態(日本でできたものは海外へ、海外でできたものが日本へ)になるかもしれません。

でも私は、中期的にそういった皮肉な状態に陥ったとしても、そうした方がよいのかも知れない、と考えることがあります。
現状を放置すると、日本の農地は耕されることもなく、どんどん荒廃してしまいます。
儲かる産業にするにはどうしたらよいのか、が喫緊の課題だと言えます。
日本の農地をフル稼働させ、その地力を維持するにはどうしたらよいのか。
中期的には、海外の需要を掘り起こし、有機農業的な生産方法を推進することが日本の農地にはよいのではないか、と考えて提案してみました。

農地が荒れ、農業生産者が生活に困窮するようでは、日本の食料安全保障が根幹から揺らいでしまいます。
農地を維持し、生産者の生活を維持するにはどうしたらよいのか、という一案ですね。

他にも、全く違う方向を考えることができると思うのですが、現在の制度や現在の自由主義経済的な風潮を考えると、比較的現実性が高いのはこの方向ではないか、とも思うのです。

6: Shin さん

予期する「奇妙なこと」というのは、現実にはすでに起きているんではないでしょうか。
生産者レベルでいえば、商品になる上物は出荷してしまい、商品にならないようなはじかれたものを自家用にして口にする、というのは、農業、漁業、いずれでも普通に聞かれます。作っている人達が、手が出ないのです。それが国レベルで起きれば、Shinさんのおっしゃるような事が起こり得ます。

ただ、今回のShinさんのご提案は、現実的かつおもしろい話だと思います。
でも、

> 2: Shin さん の
>農業はやはり、「金儲けの産業」ではなく、「生命維持のインフラ」と捉えたいですね。

という意見には、満場一致で賛成、という気にはなれません。市場経済の中に、望むべき農業が実現できないか、という希望が捨てきれないからです。
Shinさん、ありがとうございます。
グローバル化は国境なき格差を生み出す事はやむを得ないんでしょうね。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/contents/brand1/1siryou6.pdf

上記の資料を軽く読んでみました。
海外の物価事情を考えると、日本産の野菜(一次産品)だと一部の健康志向の富裕層に限られるので儲かる所までいくのかどうか壁やロスはありそうな気がします。そもそも、生野菜は地産地消が望ましいと思いますし、海外の人々の価値観はどうなのでしょうか。果物の場合は、入り込める余地があるんでしょうか。
海外における日本食ブームでまず入り込めるのは、日本独特の調味料や加工食品の方が、保存性や新鮮さの安全性などでいくらか可能性はあるのではないでしょうか。
加工食品の供給が安定すれば、それに使用する原料(大豆←米に変る田の転作利用)も国産をつかうようになり、農地も活用できるというのが理想です。
日本でワインやチーズが簡単に食べられるようになった様に、海外で味噌やしょうゆをつかった料理が定着してほしいですね。(スシバーや中国人の作る焼き鳥レストランだけではなくなる)
あとは、日本酒・焼酎も入り込めると思うのですが、本題から外れてしまいますかね・・・。
(余談)
儲けの為では決してないのですが、荒れた農地を再利用する為に、農作業従事者を中国から雇い入れる方法はどうか、と父が考えた事を聞いた事があります。中国人への技術提供も兼ねての意味も込めていると思うのですが、さすがに日本の失業率改善にはなりませんが、労働コストは下がるなと思いました。
農業公務員制度、荒廃地の外国人農業者による管理
おもしろいアイディアだと思います。

小生は農業を過去10代のころにやってきました。
(酪農ですけどね)
そこで思ったことは、変化のないいたってのんびりした仕事だ、ということです。収入は極端に少ないし、休みはないし。でも、心の安定という点では最高でしたね。(時間はあるので、本をたくさん読めましたし、趣味の電気工作にもたくさん時間を割けました)。

少ないながら、その経験で考えると、農業とは
1.経済で考えてはいけない。
2.長い時間で考えないといけない。
3.農業はインフラだ。よって政府の保護が必須だ。
4.青少年の教育の一環として農業を経験させろ。
ではないのかと漠然と思っています。

江戸時代の幕藩体制は列強に対して大きな遅れをもたらしましたが、反面、その江戸時代に行われていたしくみは、今から考えるとすさまじく効率的な循環社会を作っていたのです。

温故知新。江戸時代のテクノロジーから解決の糸口が見えないかとも思います。
農業はインフラではではないと思います。
それは消費者からみた勝手な思い込みではないでしょうか?
インフラとは、社会的生産的な基盤の事ですし、農業従事者から言わせれば儲かるからやってるだけの話です。
嫌々農業をやっている人からすると、不思議に思われるかもしれませんが、日本では就農希望人口よりも、就職口の方がはるかに少ないのが現実ですよ。

Shinさんが6で発言された奇妙な現象は、すでに国内でも起きています。
例を挙げると、小生の地元で、1個2000円で売られているメロンが、大阪では1個500円で売られています。消費力によって買い叩かれているのです。
これはShinさんが言われる奇妙な現象より、さらにおかしな現象ではないでしょうか?高く評価される所に出荷するのが当たり前ではないのでしょうか?なぜ買い叩かれてまでそんな遠方に出荷するのか…
この奇妙な現象をけん制する動きから生まれたのが、地産地消です。

上記のインフラ発言などもそうですが、あくまで消費者のご都合で物事が成り立ってきたため、このような現象が起きているとも言えるのでは無いでしょうか?

本来の農業の姿は、生産者が自分の意思で売り先を決め、売値も決める事だと思います。
そのためには「ブランド力」が必須ですね。
この努力を農業従事者が継続すれば、必ず消費力よりもブランド力が勝る日がくると思います。

また、Shinさんの言う奇妙な現象が起こるか否かは、消費者の質によるところが大きいと思います。
店頭に並ぶ安価な輸入野菜を何の疑いもなく、嬉々として購入するような消費者の割合が高くなれば、その奇妙な現象は確実に起こるのでは無いでしょうか?






森亜定さんの
「農業とは  
1.経済で考えてはいけない。
2.長い時間で考えないといけない。
3.農業はインフラだ。よって政府の保護が必須だ。
4.青少年の教育の一環として農業を経験させろ。」

 この見解に私も概ね賛成です。
 ただし、3.については、農業という様々な知恵がつまった職業はインフラではありませんが、農業生産を継続することによって生み出される環境(例えば、ダム代わりにもなる農地)はインフラだと思います。
 儲かるか儲からないかは、そのインフラをうまく利用できるかどうかにかかっているような気がするのです。

 さて、私が最も共感するのが、「4.青少年の教育の一環として農業を経験させろ。」です。大地で作物を作ることが、時に喜ばしく時に大変な苦労を伴うことか身体レベルで分かってないと、本当は食べ物について語る資格はないと考えるからです。

 極端な話ですが、石原完爾(満州事変を起こしたが太平洋戦争には反対した軍人)はこんなことを敗戦直後に語っています。
「これからの日本は農業国になるしかないだろう。すべての国民は、1日4時間は農作業に従事して自分の食べ物は自分で生産し、残りの時間で会社や役所などに勤めるべきだ」というのです。
 これができるような社会が実現したら最高だと思います。
 全員がこのような状態でなくても、人生のうちで3年間だけでもこのような生活を送れば、本当の意味で農業への理解促進が進むのではと考えます。 
 

  
話戻って 高級品(ブランド品)が輸出できるかというと、それは違います。日本ほど 高級品を購買できるところはありません。

 確かに 上海とか香港あたりで、日本の高級品が飛ぶようにうれている報道がなされますが、それはこの現場だけです。

 数量はほんのわずかです。それも補助金をつけた輸出です。

 また 海外でも日本の食材が多く手に入ります。しかしほとんどは、現地化されたものです。日本の技術はすばらしいので、「種」と共に持ち出されています。

 この現状から 日本の農業が、高級食材 輸出産業になれるというのは、幻想だということを感じていただきたいと思います。

 日本の農業を守るのは、消費者でもなければ 生産者でもない。行政の話です。消費者や生産者が賢くなれば守れるというのは、経済学者の机上の空論だとおもいます。

 私は 個人としては、のんびりとしたそこそこ利益が出る農業者として生活していますので、政治活動とは無縁です。
 海外への食材ブランドの輸出に関しては、yasufumiさんが言われている「種」の問題が確かにありますね。
日本との気候の差を利用した農産物の逆輸入や、畜産の世界では精子の持ち出しなど、現在日本でよく見かけるホルスタインも、もとは外来種が品種改良されてきたものです。
 私の知るJAでは、地元の米を台湾に輸出する事業に着手しましたが、もしこれが軌道にのっても、日本国内でしか育たない品種で無い限り、必ず現地化され、品質は向上し、そうなれば必然と価格で負けてしまう。。。
 近年では大手商社も海外生産者との契約をもとに、安全安心をデータ武装した食材を、積極的に輸入していますね。

小生はyasufumiさんが言われるとおり、まだ机上の論理で物事を考えています。実際の農業者の方のコメントははやり一番重みがあります^^

 最近は品種にも財産権が主張できるような制度に関する議論もたまにありますが、現実はなかなか難しそうです。
(種の持ち出しによる品種のコピーは工業製品と違って発見するのがとても難しいですし)

 せっかく小生の知る中で、食材ブランドの輸出という事をやっているので、しっかり注目してみたいと思います。
農業を商売として割り切りたくない・・・といいながら、商売人の息子としての意見を申し上げると、「ブランド」というのは品質だけでできるものではなく、半分以上イメージ。
「夢」を売るものだといったほうがよいと思います。

たとえば、日本のかばんメーカーには、イタリアのブランドのものと比肩するほど高い品質とデザイン性のものがあります。
しかし、日本の若い女性はイタリアのブランドに殺到します。
これは、ブランドが確立しているためです。
「いつかはブランド物を」という憧れが、イタリアブランドに手を伸ばさせるのです。

日本の食材は、高級感が出てきているとはいえ、まだ世界に十分確立されたイメージではありません。
ブランドとして確立するには、もう少し努力が必要です。
しかし、もしブランドイメージを定着させることができれば、資生堂が中国で成功しているように、放っておいても高値でどんどん売ることができるようになります。
ブランドというのは、そういうものです。

果たして海外に食材を売ることが日本の農業全体を救うかどうかは別として、日本の農産物をブランドとして確立するには、今しかありません。
今を逃したとしたら、ご指摘されているように、種でも精子でも持ち出しされているので、やがて品質面で追いつかれ、ブランドを確立する機会を逸するでしょう。
しかし今、ブランドを確立することができれば、海外の人々に、「いつか日本の食材」という憧れを植付け、富裕になれば日本食を食べるのがステータス、というようにすることも可能です。
飛行機につぐ飛行機を使った、二酸化炭素を排出しまくった流通コストをかけても手に入れたい、実に罰当たりなあこがれの生鮮食品になると思います。

加工品は残念ながら、広がりが小さいのではないか、と思います。
明宝村のケチャップのように、手間隙かけて丹精こめたもの、というものなら確立できるかもしれませんが、単品で終わります。
「日本の食材。生鮮食品」でいくべきだと思います。
ある作目だけでなく、日本の食材全体のブランドイメージが高めあう結果となるからです。

コメやたまねぎのような、比較的保存の利くものでブランドを確立することもできるでしょうし、イチゴの「あまおう」のような、本来輸送そのものが難しいものでも、1パック数千円で売ることができるなら、十分ペイできるでしょう。
中国やインドの成金は、日本人の考えるレベルのはるか上をいっています。
金がうなって仕方ない成金からは、お金を少々ふんだくってもかまわないように思うのですが(笑)。
ブランドというのは、残念ながら品質とイコールではありません。
必ず、ブランド>品質です。
では、品質に見合った値段設定にすればお客さんは喜んでくれるか。
品質の割りに、安く手に入れば得をした気に・・・!

これは、大間違い!
ブランドは、高くなければいけないのです。
ブランドとは、「ほかの人には手に入りにくいものを、私は持っている」というステータスシンボルだからです。
なかなか手に入らないものであるという「イメージという価値」を維持するには、値段を高く維持しなければなりません。
したがって、ブランド物は決して安売りしてはなりません。
「誰にも手に入らないものを私は楽しむことができる」という「夢」を与えることが、ブランドという「商品」の本質であり、価値なのですから。

中国では、資生堂が何とかシリーズという超高級化粧品を非常に高価な値段で売っていて、非常な憧れをもたれているようです。
化粧品というのは香料の組み合わせでしかないから、原価は非常に安いものです。
けれど、「この化粧品を楽しめるのは、それなりのお金を出せるあなただけ」というブランド戦略で、憧れがいや増しに増しているわけですね。

トヨタのレクサスも似たような戦略だといえます。
同じような機能のものをもっと安く作れるにもかかわらず、本皮を使ったりあれこれと高級感のある部品だけで組み立てているのは、「これを楽しめるのはあなただけ」という優越感をくすぐる、ブランドという商品ならではの特徴を備えているからです。
レクサスという車種自体は、スピードはスポーツカーに劣るし、燃費は別によくないし、性能で際立って特別とはいえないようです。
なのにどうして予約がいっぱいになるのか。
理由は簡単、「高くて誰でも手に入れられるものではないから」です。
ブランドとは、「そうそうは手に入らないもの」でなければなりません。
その戦略に成功しているのは、イタリアのブランド。
日本の女性はまんまと踊らされていますし、中国、インドでもバカスカ買うようになっています。

ブランド戦略というのは、いわば心理学で、客観性の乏しいものです。
最初に確立できたものが勝利し、後から追いつくのは非常に難しいものです。
今、日本の食材にはそのチャンスが巡ってきています。
しかし、チャンスの女神の後ろ頭はツルッパゲ。
このタイミングを逃せば、ブランド化はできないでしょうね。
それもまたよし、なのかも知れませんが。
「ブランド」という言葉の共通理解を得るために、もう少し。

ブランドは高品質が大前提だが、品質とイコールではない、という点について。
皆さんご存知のことと思いますが、原産地表示が厳しくなって、「松坂牛」などは、松坂市で育てられている牛だけが認定されるようになっています。
松坂牛に負けない品質の牛肉を提供できる畜産農家でも、松坂牛の認定を受けられる地域から外れていれば、その肉はとても安くなってしまいます。
ブランドが確立されていないからです。

三重県のお茶は「宇治茶」や「伊勢茶」の原料として大量に販売されてきた歴史があり、その品質は高いものですが、これも原産地判別が厳しくなると、三重茶は安物のお茶としてしか売れません。
ブランドが確立されていないからです。

魚沼産のコシヒカリは確かにすばらしい品質を維持していますが、それに匹敵するだけの品質のおコメは、ほかの地域でも存在するようです。
しかし、なぜ同じ価格で取引されないのか。
ブランドが確立されていないからです。

ブランドとは何か。
農業の問題でもなく、品質の問題でもなく、「商売」の秘密に迫る、きわめて心理学的なテーマです。
ブランドは、高品質であることは前提条件ですが、そこに心理という伴奏者が必要です。
それがなければ、いくら高品質でも、ブランドは確立されません。

ゴッホの絵が、ある評論家から「すばらしい」と絶賛されてから売れるようになったように、千利休が「すばらしい」と絶賛したフィリピンの肥えツボが珍重されたように、ブランドとして認識されたとき、値段はどんどんつりあがり、決して下がらなくなります。
ブランドの恐ろしさであり、魅力であり、ばかばかしさでもあります。

ここ数年で努力を重ねれば、日本の農産物はブランドとして確立できると思います。
もし確立できれば、日本の農産物は「釣られ高」になると思います。
魚沼産コシヒカリのブランド力に引っ張られて、新潟産コシヒカリの値段が高いように、です。
魚沼産には手が届かないけれど、新潟産なら・・・と、セレブに憧れはあるがとてもそこまで行かない人たちの購買意欲をそそっています。
ブランドとは、確立されたものの周辺の「心理的価値」をも高めてしまいます。

ブランド物は、労働価値説でも交換価値説でもうまく説明できない、「優越心価値説」とでも言うべきもので、価値が決定します。
今、日本の農産物は、そのチャンスを迎えているのだと思います。
もえさん、ありがとうございます。
松坂牛はどうだったかなー・・・と不安に思いながら書いたのですが、やっぱり勇み足でした。
ご指摘ありがとうございます。
ブランドは、数値化できない時代の指標だと思う。
たしかに服だとかかばんのブランド志向には、驚くが一般市民まで巻き込んだ現象は、ほぼ日本だけのようだ。

 いま確かに わずかばかりの農産物でも産地化の傾向を感じるが、市場のなかでは、名前より品質が値段を大きくしている。ここでも一部の「名前」は通用するが。

 さて農産物の場合 ブランドは、機械センサーなどに太刀打ちできるのでしょうか?

 私はなしを栽培していますが、現状の糖度センサーでは、本来のうまさはわからないとは、おもいますが、次世代のセンサーがでてきることも十分考えられます。また気候の影響という半端な技術だけでは、超えられない部分もあります

 という理由で農産物のブランド化は、無理という意見であります。
6月19日の読売新聞朝刊14面社会欄に、
「農の挑戦」という記事連載が始まりました。
第1回のネタはまさしく、コメ輸出についてです。
今月下旬に、約4年半ぶりに中国向けの新潟産コシヒカリと宮城産ひとめぼれをコメ輸出を再開するとのこと。
販売価格は1キロ1000円前後。現地のコメの20倍だそうです。輸出に積極的なのは新潟市をはじめ各地の農協、生産者グループなど。
コメは比較的輸出しやすいですが、他の農産物も続くと良いですね。
うちの実家(岡山)は各戸が零細になりつつあり、
単一作物生産でもないのでブランドになりにくいでしょうか。
yasufumiさん、

>たしかに服だとかかばんのブランド志向には、驚くが一般市民まで巻き込んだ現象は、ほぼ日本だけのようだ。

20年前ならお説の通りです。
当時は、日本の女性がブランドものを買いあさっている姿が浅ましいとか、いろいろ叩かれていましたし、そんな珍妙な現象は日本だけだと言われていました。
ところが、韓国、中国、インドなど、近年台頭してきたアジア各国でもブランド志向が高まっています。
イタリアブランドの各社は、日本に匹敵する市場として中国を捉えています。
ブランドものに殺到するのは日本だけ、という認識は、ここ10年(特にここ5年ほど)では当てはまりません。

大阪の船場には、服の卸問屋が軒を連ねています。
ここには、韓国人や中国人のバイヤーが、日本製品を買いあさっています。
私も目撃したことがありますが、中年の女性が、「たった一人でこれほど担げるものなのか」というほど、背中に両手にいっぱいのワイシャツを購入していました。

日本人で意識化できている人は少ないようですが、日本製の服の生地は、イタリアブランドと並んで、超高級な素材として世界に知られています。
特に中国では日本製のワイシャツが人気で、デパートの売り場で一番よい場所に「日本製」と大書して売られています。
値段は1万円。
中国製の10〜20倍の値段がするわけですが、それでも売れると言うことです。

16の書き込みでは、ブランド志向をあえて「ばかばかしい」とくさしましたが、アジア各国がブランドに走るのには理由があります。
「自国の商品を信じられない」からです。

ブランドになる商品に共通していえる特徴、それは「品質に関する絶対保証」です。
その点、中国の人は自国の商品を信じることができません。
ちょっとお金のある人は、まがい物を掴まされるよりは、少々高くても品質を信用できる商品を買い求めたくなります。
商品の品質に対する絶対の信用。
これがブランド志向を促進する前提条件になっています。

中国やインドの人々は、「これから自分たちは豊かになっていく、なってみせる」という自信と意欲にあふれているので、今の収入からは難しいような高額商品でも買い求めます。
その際、「安物買いの銭失い」になることは避けたいので、ブランドに走ることになります。

興味深いことに、むしろ日本では、ブランド志向が薄れつつあります。
「価値観の多様化」(私のキライな言葉ですが)という言葉が象徴するのは、何か一つのものに殺到することがなくなり、「自分だけのオリジナルなものをもちたい」という、ブランド信仰の低下を示しています。
ブランド信仰の低下は、デパートの売り上げ低迷にも影を落とすようになっています。
何故ブランド信仰が薄れてきたのか?
その一つの原因として、「すべての商品が、品質について一定以上の信頼がおけるようになった」ということが挙げられます。
百円ショップに象徴されるように、百円で売られる安物でも、今の私たちは「そこそこの品質は保証されているだろう」と思うようになっています。
実際、百円でも侮れないほどの機能を持っていることに驚かされます。
日本で販売される商品のほとんどが、「買って失敗することのない、ほどほどの品質」が保証されるようになりました。
そうなると、「品質絶対保証」がブランド力の原動力だったのに、揺らいできます。
日本では、品質の保証がブランド力につながらなくなってしまい、「一人一人の顧客の好みに合わせた、オーダーメイドの商品」に趣味が移ってきました。
欧米がもともとそうでしたが、日本もようやく豊かな時代を長く過ごして、「誰もがもっているブランドものに興味が薄れ、高品質でしかも自分しか持っていないものが欲しい」時代になってきました。
韓国もその時代に入りつつあるようです。
中国、インドはまだそこまで来ていません。
品質保証のあるものへの信頼、それがブランド信仰となり、ブランドものへの殺到を促しています。
yasufumiさん、

>ブランドは、数値化できない時代の指標だと思う。

半分は同意し、半分は異を唱えたいです。
21の書き込みで、「ブランド信仰は一般的な商品、特に自国の商品の品質に信頼がおけない国で高まる」と言うことを指摘しましたが、「数値化」というのも、これに関係してきます。

いとこで料理長をやっているのがいますが、中国から仕入れたシイタケに古クギがいっぱい入っていたとこぼしていました。
一番上の箱のシイタケは立派で品質もなかなかだったようですが、クギを入れることで見かけの重さを稼いでいたようです。

こういうゴマカシのテクニックを利用される場合、「数値化」はほとんど意味をなさなくなります。
数値そのものが信用できなくなるからです。
数値化が意味をなすには、「信頼」が成立している必要があります。
中国の人は、自国の商品が「信頼」できないと考えています。
しかし、日本の商品は信頼されています。
その信頼がブランドにつながっています。
日本のワイシャツが、くたびれにくく、色落ちもしにくく、見た感じの高級感が長く失われないという「信頼」をもっているため、中国で1万円もの高額で売られています。
数値化そのものが意味をなさない国情では、数値化することを「信頼」できる国の商品に期待するところ大となります。
それが「ブランド」になると思うのです。

もう一つ、「数値化」は、生産者、商売人、消費者の3者の関係に注意する必要があります。
生産者は消費者に直接対することは少なく、多くが卸売業者や市場関係者など、「商売人」という仲介者と直接対することになると思います。
商売人は、生産者に対して「数値に従うこと」を強く求めるのが常です。
商品の品質を安定したものにするには、数値が一番手っ取り早い評価方法だからです。

そうして商売人は生産者に数値化を求めるのですが、消費者に直接対する商売人は、数値だけで商売するとは限りません。
そこに「信頼」という付加価値をつけるのが常です。
もっとも高品質なものを一番の高値で売るのは当然としても、その次くらいの品質のものとは、値段の差が大きくなります。
なぜか?
そこに「信頼」を付加するからです。

商売人は、消費者に信頼されなくなったら、不二○や雪○のように、商売全体が傾くというリスクを負っています。
高品質なものを実質以上に高値で売るのは、「この商品の品質は絶対に保証します」という、「信頼」という保証書をつける覚悟があることを映しています。
安くなれば成る程、「商品の品質はそれなりだと思って買ってください」と、「信頼」の保証限界が小さくなり、ジャンク(がらくた)品になれば、「品質に関して一切保証しません」となるかわりに、タダのような値段で売ります。
商売人は消費者に対して、「信頼」という増幅装置(アンプ)を通して販売するわけです。

関係を図式化すると、こんな風になるでしょうか。

生産者-(数値)->商売人-(数値×信頼)->消費者

商売人は、品質に信頼をかけ算して売るわけですから、高品質なものは信頼をかけ算してより高く、低品質なものは保証が一切できないから低信頼をかけ算してタダみたいに安く、ということになります。
ブランドものが高値になるのは、「数値」に「信頼」をかけ算するという、商売という特質が表れていると見た方がよいと思います。
「労働価値説」でも「効用価値説」でもなく、「信頼価値説」とでもいえばよいでしょうか。
日本が食材のブランド化を可能にできるかどうかは、ここ5年ほどで決まってしまうと思います。
もし5年以内にそれなりの実績の積み上げを行わなければ、永久にブランド力確立のチャンスは失われてしまうでしょう。

中国山東省の野菜生産現場を見たことがありますが、その技術の向上には目を瞠るものがあります。
「日本の野菜に品質では絶対負けない」と豪語していましたが、その言葉にふさわしい出来映えであったことを申し上げておかなければなりません。
つまり、ブランドを維持するための前提条件である「高品質」に関しては、日本との差はなくなりつつあるというわけです。

ですが、いまだ日本にあって中国にはまだないもの、があります。
それが「信頼」です。

日本の食材への「信頼」が厚い今のうちにブランド化を進めれば、中国の富裕層、あるいは富裕層にあこがれる中間層に「いつかは日本食材」というブランド信仰を確立することができるでしょう。
しかしモタモタしていると、中国本土の農業法人の中で、地道に信頼を確立していくところが出始め、日本の食材の出番は失われるでしょう。

それはそれでよいのかも知れません。
中国、日本で地産地消が進む結果となるのですから。

ただ、短期・中期的には日本の農業の荒廃が懸念されています。
農業経済が潤わなければ、荒廃はますます進みます。
この機会を逸することは、農業の荒廃が長期的なものになってしまうことを意味するかも知れません。
mizmizさん、

私がもし現場の方でしたら、次のような戦略をとるかも知れません。
中華航空のファーストクラスおよびビジネスクラスの機内食の食材として採用してもらえるよう、営業しにいきます。
食材はもちろん、無農薬、無化学肥料の有機農産物として作った、品質も最高レベルのものを用意します。
それを半年間ほど、試験的に使ってもらえるように説得し、採用になった場合には妥当な値段で購入してもらえるように交渉します。

ファーストクラス、あるいはビジネスクラスの搭乗員には、機内食の配膳の際に「○○県○○村の有機農産物を使用しています」と言ってもらえるようお願いします。
それがムリな場合は、箸袋やスプーン・フォーク入れの紙袋に「本日の食材は○○村の有機農産物を使用しています」と書いたものを提供し、そこには品質への自信と栽培にかける意気込みを簡単に記しておきます。

座席シートにある商品紹介にも「○○産のタマネギ」などを紹介し、アピールに努めます。
ビジネスマンの目にとまれば、商談が舞い込むことも起きてくると思います。
その際は、高品質を保証するかわり、値段に一切の妥協をしないようにします。
高品質を保証できない場合は、十分な量を供給できないことも伝えます。
そのかわり、提供するものの品質は絶対保証する。
それによって、品質への信頼を図り、ブランド力の向上を目指してはどうでしょう。

航空利用客へのアプローチというのは面白いアイディアですね。ターゲット層を絞っているところも。
実際に食べられるし、中華航空に限らず全ての航空業界の日本便で可能でしょう。
ただ機内食の調理の仕方によって評判良し悪しが分かれると恐いので、料理の評判のあるところが良いと思います。
ちょと的外れなコメントかな(^_^;)
ファーストクラスにらいになると、機内食食べないのが、おおいです。高級ワインをいっぱい引っ掛けたらすぐ寝る。所詮は機内食とみています。

 食材に関しては 日本産だからという信頼は、私のよく行く東南アジアでは、全く感じません。所詮 日本人向けの食材です。(現地のスーパーめぐりが趣味であります(^_^;)

 例外はお米だけです。これは高いのを承知で購入しています。しかし 現地米(日本人がつくった 日本米)がほとんどです。でも食文化が違うので、購入量は、多くありません。
農産物のブランド化には大賛成です。
各ご意見も非常に興味深いお話です。
具体的に、地域なのか法人単位なのかブランドの
範囲を決めていくのは難しい部分はありますが、
今後の日本農業に必ず必要になる部分かなと思います。
農産物のブランド化が非常に難しいのは生もの故の不確かさ、高品質を一定に保つ技術の取得、それらをクリアしようとする時に発生するあいまさだと思います。
逆を返せば、そこをクリアできる方法をしっかりと確立すれば
地域、栽培方法、土地条件etc・・・を超えた農産物ブランドを確立できるかも知れないですね。

mizmizさん、
料理人の選択も非常に重要になりますね。
ブランドイメージ定着には、細かいところまで神経の行き届いた営業が大事だと思います。
yasufumiさん、
私はいつもエコノミーなのでよく分からずに発言しております(笑)。
中国やアジアなど、近隣の国だと早くに到着してしまうので、機内食を提供せずじまいも多いかも知れませんね。
でも時間帯や、近隣国以外の行き先の飛行機(中国から欧米行きの便など)を選べば、食事の給仕はあるのではないでしょうか?

>食材に関しては 日本産だからという信頼は、私のよく行く東南アジアでは、全く感じません。所詮 日本人向けの食材です。(現地のスーパーめぐりが趣味であります(^_^;)

商売人のムスコとしては、ここが営業センスが問われるところだと思います(笑)。
スーパーに並べるだけでは、ブランドイメージを高めることはできないでしょうね。

もし私が日本の食材の営業マンならまずは、中国に進出を考えている高級レストランに営業に行きます。
日本でもフランスの五つ星レストランが進出しているように、成長著しい上海ならば、海外の高級レストランを誘致する動きがあるはずです。
そのレストランに、食材として採用してもらえるよう営業しにいきます。
高級レストランは食材の品質に妥協をしませんから、高品質のものであれば、値段に関係なしに採用してもらえます。
高級レストランへの納入実績があれば、それをもとに営業を仕掛けることもできます。
また、高級レストランのブランドイメージの支えを得て、日本の食材の高級感を高めることもできます。
この過程をはしょって営業しても、相手にしてもらえないのは当然だと思います。

高級レストランへの納入に成功した後なら、上海のデパートに営業しに行っても有利にことが進むでしょう。
もちろん、五つ星レストランへの納入実績を後ろ盾に交渉します。
販売の際は、「あの五つ星レストランに納入している高級食材を、限定販売します」というふれこみで売り出します。
品質に一切の妥協をしないかわりに、値段も一切の妥協をしません。
これにより、日本の食材の高級感をイメージとして定着させます。
イメージの定着に成功させてから、おもむろにさまざまな食材の売り込みを懸けた方が、うまくいくのではないでしょうか。

こうした手順でブランド確立を図れば、食材売り場の中でももっともよい場所を占めることができると思います。
ブランドというのは既に申し上げたとおり、心理学的な要素が大きいです。
いかに心理的要素を高めるか、それが営業の腕の見せ所だと思います。
>Shinさん
営業姿勢とは、正しいと思います。売り込むためにはそれしかないと私も共感します。

 しかし 上海はまだいったことないのでパス

 中国では、高級中華と名高い(食は広州にあり)に行った折に、感じたことは、本当に中国人の所得が上がっているなーと思いました。本当にいい値段です。しかし、そこに日本の食材が売り込めるかというと、全くそのにおいも感じませんでした。

 あといろんな国で高級店は、いきますが行くほど、日本の食材とは無関係を感じます。それは、当たり前のことだと思う。
そこは、伝統的な店だからである。つまり近在の食材に強くこだわっている。日本だけではないのです。

 ちょっと変わって ブランドとはなにか
 私は基本的に 嫌いです。ただ 新婚旅行でフィージーで購入した、ビトンのバックが20年もたって日本で修理してしてくれたこてとは、感激した。服 かばんの価値は、歴史だと思う。食材にそこまでの保証は出来ないでしょう。


 ブランドとは関係ないが、バンコクで7年目にオーダーメイドで紳士服を作った。今春 息子同様のやつに作ってやった。その店は(個人経営の小さな店)は、ちゃんと私のデーターを残していた。もう息子の代になりつつあったが。

 輸出食材にもアフターサービス 本当の品質保証ができるのでしょうか。今の体制で。
30:yasufumiさんのご意見によって、議論が深化していって、とても嬉しいです。

>そこは、伝統的な店だからである。つまり近在の食材に強くこだわっている。日本だけではないのです。

確かに、そういうお店に営業しても無駄ですね。
私が「フランス料理の五つ星」を例としてあげたのは、次の特徴があるからです。

1.新たに進出するお店であるため、仕入れ先をこれから決めなければならないこと。
 #既に仕入れ先が決まっているところはそもそも営業が難しい。
2.フランス料理は、グローバルによい食材を求める料理文化である。
 #中華料理は中国文化と深くリンクしているので、他国の食材を採用することは難しい。
3.中国にとっては外国料理であるため、近在の食材出ることにこだわる理由がない。

営業戦略がきちんとしていなければ、そもそも成功しません。
日本の食材を売り込めるニオイがしないところに売り込むことをもし命ぜられたら、仮に私が営業マンだったとしても、仕事をやめてしまうと思います(笑)。

>あといろんな国で高級店は、いきますが行くほど、日本の食材とは無関係を感じます。それは、当たり前のことだと思う。

この点も重要ですね。
私が例に挙げた「海外出店を考えているフランス料理店」のうち、「海外出店を考えている」という点がミソです。
フランスで経営しているフランス料理店に日本の食材を売ろうとしても、これは失敗します。
こういうお店は、ご指摘の通り、地元の食材に強くこだわります。
しかしフランス国外でフランス料理を提供しようと言うところは、様子が変わってきます。
「料理」としての演出を最大限に可能にするためなら、どこの食材でも構わない、品質をとにかく求める、という傾向が強まってくるでしょう。
フランスで作られる食材を利用したくても、品質がダメ、流通もダメとなれば、利用するわけにいきません。
フランス料理という完成された形を守るためには、食材の由来にこだわるわけにはいかなくなります。
そこに、日本の食材が入り込む余地が出てきます。

食材の提供を、ここまで覚悟してて行おうという国はまだ少ないと思います。
だからこそ、ここ数年にチャンスがあると考えています。
しかし、それをしないまま放置すれば、チャンスの女神の後頭部はツルッパゲです。
もう、入り込む余地はなくなってしまうでしょう。

>輸出食材にもアフターサービス 本当の品質保証ができるのでしょうか。今の体制で。

日本の輸送技術は、現時点なら他国から隔絶していると思います。
魚を生きたまま運ぶ技術、野菜の鮮度を保ったまま運ぶ技術、これは国内輸送に現在は限られていますが、よくぞここまで、と驚くばかりの技術だと思います。
「今の体制」のままではいけません。
私の意見は「今の体制のままではうまくいかない」という意見なので、そこは汲んでください。
ブランド確立のための営業や、高品質を保つための流通システム、高品質食材を生み出す生産者側の体制、コストに見合う値段で販売する販売戦略、こうしたことは、「これまでの」市場を通した販売経路の発想ではできるものではありません。

ブランド確立のためには、
1.これまでの発想(既成概念)を一旦措くこと。
2.できないことを考えるのではなく、できることから積み上げていくこと。
3.いきなり大成功を考えるのではなく、段階的成功を可能にする戦略を立てること。

が大事だと思います。

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