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備後の歴史を歩くコミュの注連縄(しめなわ)について

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注連縄(しめなわ)について

神社では必須である注連縄は,俗世と神域とを隔てる結界を意味する。それは鳥居も同意であるが,神が宿る依代を示す場所に張られる場合もある。正月,民家の玄関先に飾られる注連飾りも依代を表す。出来れば福の神に降臨していただきたい。

☆注連縄の材料
一般的には稲ワラが使われている。特に餅米の稲ワラは,柔らかくて腰があって注連縄作りに適している。

☆注連縄の作り方
作り方は色々あると思うが,一般的にはワラ束に撚りをかけて縄を作る。ワラ束を3束用意する。当たり前だが太い注連縄を作ろうとすると太い束が必要となる。まず,束に右回しで撚りをかける。右撚りがかかった2束を左回りに巻き付けて2束を合体させた縄を作る。つぎに,出来た縄に3本目の束を同様に左回りで巻き付けて出来上がり。左回りで巻き付けるのを「左綯(な)い」という。普通の荷造り縄は「右綯い」で綯われているが注連縄は「左綯い」が一般的であるが例外もある。

☆注連縄の掲げ方
稲ワラの根元を指す「本」と,先を指す「末」で表す。向かって見て「末」が左で,「本」が右が一般的な掲げ方とされ,それを「左末右本」と称する。出雲大社のようにそれとは反対の「左本右末」で掲げられる神社もある。

こういった目で注連縄に注目すると意外におもしろい。有名な神社は注連縄専門の人がいて,古式が間違いいなく伝統的に今に伝えられていると思うが,地域の小社などは作り手がいなくなり荒縄で代用しているところも見受けられる。また,間違って左右逆に取り付けたり,いつの間にか綯い方が逆になってしまった神社もあるだろう。注連縄もその神社が持つ伝統として,後世に引き継がれていって欲しいものである。

コメント(22)

写真

左:荷造り用に市販されている縄(右綯い)

右:京都,北野天満宮(左綯い)
左:美作 中山神社(左末右本・左綯い)

右:備中総社(右綯い)
左:熊本県 阿蘇神社(左綯い)

右:米子市 大神山神社(右綯い)
左:有名な出雲大社の大注連縄 左綯いだが「左本右末」で掲げられている。

右:備中総社 注連縄は七五三縄とも書かれる。その訳はここにある。この注連縄に2つの御幣と3本のワラが飾りとして下げられているが,下げられたワラは右から順に7本・5本・3本を束にして下げられている。これを七五三縄という。
ちょっとおもしろい話を聞いたのですが…

神様はこの紙垂の間をくぐられるので、
紙垂の数-1が祀られている神の数だということです。
つまり、5枚あったら4柱、3枚だったら2柱という具合に。

どうなんでしょうか?
祭神の数と紙垂の関係は知りません・・・。

宮司に聞いてみます。
実は,今年(2011年)の秋祭りで,山手八幡神社に新しく掲げられた注連縄の綯い方が逆だというクレームがついた。山手町内6支部で「はね踊り保存会」を構成し,毎年の秋祭り前に,6支部が順送りで山手八幡神社に掲げるすべての注連縄を新調する。その年の順番が回ってきた当番支部は,古い注連縄を全部外して持ち帰り,それを見本にして太さ,長さ,数量が全く同じにように製作する。もちろん綯い方も同様である。したがって昨年と異なることは絶対にない・・・はずである。それが逆だということは,お手本とした昨年のが逆だったということしか考えられない。

私は毎年のように山手八幡神社の写真を撮っており,その中から注連縄の綯い方が確認できるものを選りだすと,直近の6年分ほどが確認できた。結果は何ら問題はなかったのであるが,数年前,クレーム主の当番年のときに左右逆にして掲げられていたことが新たに判明したという落ちがついて終結した。

さて,それでは山手八幡神社の注連縄はどういう綯い方・掲げ方が正解なのであろうか。山手八幡神社の由来は,貞観元年(859),僧行教が大分県宇佐神宮の御分霊を京都男山に勧請したおり,その行程で山手の地に神泊した跡地に創祀された。この平安時代,九州から京都を結ぶ山陽道が山手を通っていたのか?それはここでは問わないでいただきたい。京都男山は現在の石清水八幡宮である。その後戦国時代,山手銀山城主杉原氏により三宝寺を菩提寺,山手八幡神社を武運長久の守護神として京都男山から石清水神を勧請し再興している。なぜ石清水かというと,源平合戦に勝利した源氏の守護神が石清水八幡宮だった。全国の戦国武将達は,源氏の武運を我が手に入れようと,こぞって石清水八幡宮を身近に勧請したのである。このことが神社の中で八幡神社が一番多い理由になっている。

こうした由緒からあらためて宇佐神宮の注連縄を見てみると,これが不思議なことに宇佐神宮には注連縄が皆無なのである。この疑問は宿題とし,石清水八幡宮を見ると「左末右本の左綯い」であった。したがって山手八幡神社もこれに習い,今までがそうであったように「左末右本の左綯い」を踏襲すべきというのが私の考えであり,異論はないはずであろう。また,山手八幡神社の注連縄がなぜ「左末右本の左綯い」なのかという理由も簡単に説明がつく。

写真
左:今年(2011年)新たに新調された山手八幡神社の注連縄
中:京都石清水八幡宮の注連縄
右:京都石清水八幡宮の注連縄を拡大したもの

変わり種

福山市神辺町
式内社 天別豊姫神社

基本的には「左綯い」である。
左:備中一宮 吉備津神社

中:備後一宮 吉備津神社

右:備後一宮 吉備津神社

「左綯い」


変わり種

備前一宮 吉備津彦神社

左:随神門 上側「左綯い」と下側「右綯い」とを上下セットにして「左末右本」で掲げてある。

右:拝殿 随神門と同じ

山手八幡神社

今年の秋祭りで、注連縄の件を周知徹底させようと、山手八幡神社の注連縄を改めて観察してきた。すると、左綯いと右綯いが混同して掲げられていた。整理すると次のようになる。

左綯い
○石鳥居の大注連縄
○ニノ鳥居
○拝殿
○本殿の外陣


右綯い
○御輿蔵
○手水社
○本殿の内陣
○随神門
○注連柱

本殿が外陣と内陣とで綯い方が違っているのはおかしいのではないかと思う。


先日開催された山手八幡神社総代会では、私自身がこの事実に気がついていなかったので発言できなかったが、4月7日に「はね踊り保存会」の総会が開催される。この席で発表し、今年の当番町内会に徹底して「左綯い」を進言しようと思っている。


八幡神社の総本社は大分県宇佐八幡宮である。清和天皇の時の貞観2年(860)、行教に命じて宇佐の八幡神を京都男山に勧請した。これが石清水八幡宮で、清和天皇が清和源氏の祖であったため源氏の守護神となった。源平合戦を制した源氏の武運にあやかろうと戦国武将たちはこぞって石清水を我が地に勧請し守護神とした。全国に八幡神社が散らばった所以である。

したがって、全国の八幡神社の注連縄の綯い方は宇佐を基準にすべきである。


と考え、宇佐神宮の注連縄を写真で確認しようとしたが、どういう訳かその中に注連縄は一つも写っていなかった。では、石清水はどうだろう。これは楼門に吊された注連縄がしっかり写っていて「左綯い」が確認できた。

どうしても宇佐の注連縄を確認したく行ってきた。


結果はというと、それまでの写真に写っていなかったように、宇佐の社殿に注連縄はなぜかまったく掲げられていないのだ。ただし、ご神木、祈祷殿、宇佐神宮庁、神主宅の4カ所に「左綯い」の注連縄が掲げられていたのが確認できた。ただ、宇佐神宮庁のだけは末右元左と向きが逆だった。

いずれにせよ、八幡神社の注連縄は「左綯い」であるといえる。

山手八幡神社の「左綯い」に統一の、これが何よりの論証になろう。

しかし、宇佐までは遠かった・・・。


ど素人な質問で恐縮なのですが、注連縄の「左末右本」「左本右末」は何と読むのでしょうか?注連縄についての知識はいろいろホームページで見るのですが、読みが書かれてなくて。
>>[14]

返信が遅くなりました。

読み方はですが不明です・・・。

ただ、「もと」に対しては「すえ」が正解のようです。

「左末右本」=「ひだりすえ みぎもと」

「左本右末」=「ひだりもと みぎすえ」






注連縄は、地域、宮によって形が様々で興味深いですね♪
注連縄の方向ですが 基本的に八百万の神様は 左縄
出雲系の神社が右縄です
出雲系が右縄の理由としては 祀っていると言うより 魔を封じていると言うのが分かりやすい
一般的な神様は 崇め・奉りご利益を賜るものですが 出雲系で祀られているのは 雨や風を操る神様で在り 多大なご利益は 天地を揺るがし大災害にしかならなず 人間の手に余るので敬いながらも 祀られている様です
1つの神社で 左縄と右縄が混在しているケースですが はっきり言えば 社の当番が注連縄に 右縄左縄の意味や存在すら知らず 縄なら何でも良いやでやってる場合がほとんどです。
この問題は 私の住まいでも 度々見られ 年長者と当番の若者とで気まずい雰囲気になっています。
だからと言って きちんと説明しないのも それを習い次の人達に正しく伝えないのも 罪だと思いますし
若い人たちも 意味のある事だと理解して後世に伝えていって欲しいものです
注連縄の「左末右本」「左本右末」問題のケースは
これも 単純に間違えたケースと意味があって そうしているケースの2つが考えられます。
間違えたケースは 19と同じく理解されないまま設置した可能性
意味があるケースは 前提として
供物を含め 右上位 左下位の法則があり 右側には自然の物 水やお酒・果物を供えます
左側には 加工した物 ご飯・お餅・饅頭・菓子等を供えます
これを 注連縄に当てはめると 左末右本が基本です。
意味のあるケース
元々注連縄には 結界としての役割と龍神を模した物とがあります。

これは 家でもそうなのだが 玄関に飾る際正面なら 左末右本で良いが 飾る場所が 玄関入って右壁に設置だと 龍神を模した物の場合家の外に龍が出てしまうので 具合がよろしくない
宝船の同様だが 福を家に招きたいのであれば 左本右末もありだと 思います。
領家八幡神社の注連縄

鳥居 左綯
拝殿 右綯

太さも長さも掲げ方も同じ。制作年も恐らく昨秋頃。ただ綯い方だけが逆です。
こうなると作った人に理由を聞いてみたくなりますね。

領家八幡神社にも節分草が咲いていました。
平成29年4月16日(日)に伊予国一宮大山祇神社に参拝してきました。拝殿に掲げられていた太い注連縄はずいぶんと細い物に替わっていました。太さが替わっただけならまだしも、綯い方が今までと逆でした。旧国幣大社ともあろう由緒のある神社なのだから、注連縄にももっとこだわりを持って欲しい。昨年の正月の写真を確認するとすでに細い物に替わっていました。神社に問い合わせをしてみましょう。

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