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Ayrton Senna!コミュの? do my best!

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セナの名言集です♪
セナの熱い気持ちを感じ取って下さい!

コメント(44)

『1991年 母国ブラジルGP初優勝!』



予選後、
ポールポジションを獲得して。

『地元で勝ちたいという思いが、
 力を与えてくれたみたいだ。
 ファンの応援は、
 本当にインスピレーションを与えてくれる!』



決勝レース後、
マシントラブルを跳ね除けて勝利!

『3速と5速がいっぺんにダメになって、
 6速にギアを固定したんだ。
 パトレーゼが追ってくるのが分かったし、
 勝負をあきらめかけたよ!
 でも、どうしても勝たなければならなかった。
 だから、僕は攻め続けた。
 筋肉がひきつって、
 上半身全体が痙攣していても・・・。
 神様は、ここでも僕を助けてくれた!』
アイルトン・セナのF1初優勝は、
雨が降りしきる1985年第2戦・ポルトガルGP!


レース後の記者会見でのコメント


『まったくミスがなかった訳ではない。
 実際コースアウトもあった!

 レースは神様の手に委ねられていた。
 雨はひどくなったかと思えば、
 すぐに弱くなって、状況はひっきりなしに変わっていた。

 後ろなんかまったく見えなかったよ!』
「アイルトン・セナは、幸福な男なのだろうか!?」
と質問されたときのコメント。



『私は幸せだ!
 多くの良いモノを手に入れた。

 誰であれ、
 すべてが薔薇色の人生などあり得ない。
 
 幸福を感じながら、
 問題も抱えている。

 60歳くらいになって知恵がつけば、
 完全な幸福が得られるのかもしれない。

 まだまだ、
 そうした境地に達するのには時間がかかるだろう!』
「セナのレースに対する熱い想い。。。」


レースは僕のすべてだ!
人生における挑戦なんだ。
 
治療法のないウイルスに冒されたみたいで、
レース以外のすべてに興味を失った。

見も心もレースのためにあり、
競争することが僕の血なんだ!
確かに、
他人の記録に挑む事もある。

しかし、
自分の限界に挑み、
その壁を乗り越えたときの方が、
遥かに充実感が得られる!

僕はいつまでも満足していることが出来ないんだ!

たとえば、
自分がある目標に達し満足を得たとしても、
次の瞬間にはもう・・・その到達点を越えたい!
という強い衝動に駆られてしまう。。。

僕は絶えず、
自分自身の限界に挑戦してきた。

これが僕の方法論だ!
人間、未知の領域に踏み込んでいくときは、
結局自分自身を信じて、自分の方法論を貫いていくしかない。

人間は、そうやってしか前に進む事ができないんだ!
マシンに乗るということは、
それだけで危険を冒すということなんだ。

誰でも自分がクラッシュしたり、
ケガをすると思って走る奴はいない。

しかし、
F1で走る以上、
危険とはいつも背中合わせなんだ。

僕は危険と背中合わせでいることを知っているからこそ、
自分の限界を見極めようとするんだ。

自分の限界を知るということは、
自分の身を危険にさらすことだはなく、
むしろ自分の身を守ることなんだ!
1990年日本GP。
スタート直後にアラン・プロストとクラッシュ。
『ポールポジションをクリーンサイドに変えよ!』
という主張が受け入れられなかったことについて、
セナは激しく抗議し批判した。

そして、
当時のFISAの責任者「ジャン‐マリー・バレストル」との、
正面衝突も止むを得ず、
セナのスーパーライセンス剥奪の恐れもあった頃・・・



「ロン・デニスと川本サンに僕の考え方を伝え、
 進むべき道を2つ示した。

 どちらの道をとるべきか、
 僕自身決心がついていなかったので、
 決定は僕個人のことよりも、
 もっと大きな利害を背負う彼らに任せた。

 僕にドライブを辞めさせようと思うのなら、
 そう言ってくれて構わないし、
 紛争は自動的に終息するだろう。

 僕は喜んで従うと伝えた。

 もう1つが、
 バレストルを相手に戦い続けるという選択肢だ。
 
 僕はどっちでも良いよ!と。

 2人は再び僕のところにやってきて、
 『喧嘩を続けることに決めたよ!』と言ったんだ!」
1993年 第2戦 ブラジルGP!
セナ、天を味方につけ優勝!


「何か思いがけないことが起きないかと思ってたけど、
 実は雨はあまり望んでいなかったんだ。
  
 序盤は、ペースを保つだけで精一杯。
 マシンは期待していたよりバランスが悪かった。
 
 でも、今日はスタートの大クラッシュ、
 雨、ペースカー、タイヤ交換2回にぺナルティ・・
 
 それからドライ・コンディションで、
 新しいウェット・タイヤで走らなきゃならなかった・・・。

 こんな混乱した状況を考えると、
 勝てたのは本当に良かったね!

 最高の勝利だ!
 宝くじに当たったようなもんだね。

 神が何かを起こしたい時には、
 技術的不利も問題じゃないんだ。

 2年前にここで勝った時は、
 とてつもなく興奮した!

 ちょっと違うけど、今日もそう。

 シーズン初めには、
 今年走るかどうか分からなかったんだから、
 観客には最高の贈り物になったね!

“When God wants something,
technical disadvantages do not make a difference”
まったくもう、
天にも昇る気分だよ!

実際、こんな風に勝てるなんて夢にも思わなかった。

それにしても、
路面変化がまったく予想できない、
本当にとんでもないレースだった。

僕も必死さ!

ウィリアムズの連中がペースをつかむ前に、
行くだけ行くしかないしね。
あれしかなかった。

相手の方が僕より有利だからね。

マシン的な差はハッキリとしているんだから、
あとはもう全力で走るしかないよ。

プロストが自分のマシンのことを、
ああだこうだ言ってるみたいだけれど、
だったら僕のと乗り換えたらいい。

本当のことはどうなのか、
すぐ分かるはずだ。

でもまあいい。

ブラジルの時のように、
たとえ喉を痛めようとパーティをやるよ!

もう何があっても気にならないくらい、いい気分だ!


It was the only way to go,
because technically,they are superior.
上記「14」は、
『1993年第3戦ヨーロッパGP』
で優勝した時のコメントです♪
「1993年モナコGP」

またしても、
劇的な勝利を収めたセナ!
1993年シーズン3勝目を挙げて。。。



「木曜日、
 あの日はもう100%で走れる状態じゃなかった。

 で、土曜日にその分をカバーしようとしてまた接触。

 そんな訳で、
 ここは絶対フロントローからスタートしたい状態だったけど、
 それも夢に終わってしまった。

 だからってまた、
 スタートしてすぐの1コーナーでトップを奪えるなんて、
 虫がいい考えも出来ない。

 作戦変更だ!

 ピッタリくっついてプレッシャーを与えれば、
 彼らのタイヤが消耗し、
 勝負は振り出しへ戻るって。

 まぁ、タイヤ交換こそしなかったけど、
 アランはピットストップ。

 当初の思惑とは少し違ったけど、
 結局、僕の望み通りの展開になったわけだ。

 えっ、走りながらTVスクリーンを見たかって!?

 今回はちょっとね(笑)
 88年の事故が頭にあったしね。

 振り返ればトールマンでまず表彰台に上がり、
 あれから6勝。

 僕に協力してくれたみんなに感謝したい。
 とにかく喜びは一段だ。

 モナコの勝利には格別なモノがあるし。
 これからも、僕にとってはそうだろう。

 モナコはついてるって!? 
 そう、僕は信じているんだ。

 神や運の存在を!」


“I had to cope with the situation.
  But,things went my way,I believe in God”
1993年 F1選手権第15戦 日本GP!

セナ、1993年シーズン4勝目!
またしても神を味方につけての勝利!
そして・・・日本・鈴鹿で最後の優勝。。。



『ここのスタートは難しいんだけど、
 今日は上手くやれた!

 完璧だったよ!
  
 それからはかなりハードに攻めたんで、
 思ってたよりずっと早くタイヤがタレてきたんだ。

 雨が近いことも、
 アランのタイヤ交換が1回だろう!
 ってことも分かっていたから、
 雨が降り出す前にフレッシュタイヤで、
 出来るだけ彼を引き離そうとした。

 で、結果は大成功!

 でも、とにかく厳しいレースだった。
 特に周回遅れを抜くような場面が、だ。

 周回遅れになったら、
 速い車を優先するってことをもっと学ぶべきだよ!

 本当にもう。。。

 だけど、
 鈴鹿の大観衆はスゴイね!

 彼らの期待がもう、
 ビンビン伝わってくる。
  
 鈴鹿と鈴鹿のファンは、
 僕にとって特別なんだ!

 当然僕のやる気も違うし、
 ぜひ勝たなくちゃ!

 ここに来るといつもそんな気持ちになるんだ。

 そして、
 こうして勝ててスゴく嬉しいんだ!』


“The fans at Suzuka,
  and the circuit are very special to me.

 So I was very motivated.

 I am very happy to have won.”
1993年 F1世界選手権第16戦 オーストラリアGP

セナ、1993年シーズン5勝目。
そして・・・F1人生最後の勝利。。。



『マクラーレンとの6年間、
 本当に色々なことがあった。
  
 そして今日、この日、
 いい思い出だけを残しておきたかった。

 これでもう、
 チームのみんなに“さよなら”って言わなきゃならない。

 そんなことを考えたら万感胸にせまるものがあって、
 とても冷静じゃいられなかった。

 だから何度も何度も、
「冷静に、冷静に。集中しろ、集中しろ」
 って自分に言い聞かせていた。

 なのにレース直前、
 チーム・マネージャーのジョー・ラミレスの方を見ると、
 目が潤んでる。

 僕も耐え切れなくなったよ。

 感情がとめどないほど高ぶりそうで・・
 それをようやく抑えた。

 走り出してしばらくは心配なこともあったけど、
 記念すべき日にこうして勝てて、本当に良かったよ。

 プロストのこと!?

 僕らはふたりともモータースポーツを愛し、
 ふたりともチャンピオンだ。

 過去に難しいことがたくさんあったけど、
 今日、彼と僕の1つの時代が終わったんだ。

 それにフランス人はみんなそうだけど、
 彼は引退したらナマケ者になって、
 きっと太ってしまうよ!』



“There were many things during the 6 years at McLaren.

 So ? wanted to leave happy memories today”
1993年10月24日・日本GPレース後 

そもそもの発端は、
デーモン・ヒルと接戦中のエディ・アーバイン。

トップを快走中のアイルトン・セナが、
この2人のドライバーを周回遅れにしようとした際、
アーバインに妨害行為をされたとして、
レース後にセナがアーバインに忠告しようとした。。。

以下は、ジョーダン・チーム・ガレージ内で行なわれた、
喧嘩の一部始終である!
 




アーバイン:
「俺を探しているんだろ!?」

セナ:
「キミは一体、何をやってたんだ!?」

アーバイン:
「レースをしていたよ!」

セナ:
「へぇ、レースだって!?
 レースをしている人間が、
 トップに道を譲ることを知らないわけかい!?」

アーバイン:
「抜きたいなら、速く走っていればいいじゃないか!」

セナ:
「抜いただろうが!
 キミの邪魔をかわして。
 馬鹿みたいに3周も、石やら何やら僕にひっかけたキミを!
 おとなしく後ろを走っていれば良かったんだ。
 キミは、僕をリタイアさせたかもしれない、リスクを犯したんだ!」

アーバイン:
「どこで俺が君を危ない目に遭わせたんだい!?」

セナ:
「ほう、それじゃキミは、僕を危険な目に遭わせてないと言うわけか?」

アーバイン:
「俺が君に接触したかい。
 一度でも当たったことがあったか!?」

セナ:
「そんな問題じゃない!
 確かに当ててはいないさ。
 だが、キミのやっていたことは、ほとんどそれと同じだ!
 僕がトップだったんだ、この僕がレースのリーダーだったんだぞ!!」

アーバイン:
「何も起きなかったんだから、いいじゃないか!」

セナ:
「ためになることを教えてやろう。
 いいか、次のレースで行儀良くしてないと、
 キミは自分のやったことを後悔することになるぞ。絶対にな!」

アーバイン:
「審判は何も問題ない!って言ってるのにかい!?」

セナ:
「本気でそう思ってるのか!?
 オーストラリアでお偉いさんがお前に話してくれるだろうよ。
 それでやっと気づくだろう!」

アーバイン:
「言ってくれるね。
 あのさぁ、俺だってベストを尽くして走ってるんだ。
 あんたと同じなんだ!」

セナ:
「それはどうかな。
 キミがそう思いたいのは分かる。
 だがな、キミのやったことはプロの仕事じゃないのさ。
 周回遅れにされる遅いヤツは・・・。」
 
アーバイン:
「あんたがヒルをさっさと追い越してりゃ、
 俺だってあんたの後ろについたさ!」

セナ:
「トップには道を譲らなきゃいけないんだ!」

アーバイン:
「言われなくたって分かってるよ!」

セナ:
「もっと言おう。
 僕は見ていたんだぞ!
 キミが3回もヒルにぶつかりそうになったのをね。
 もしそうなったらどうする!?
 僕はキミの馬鹿な真似に付き合わされて、
 巻き添えを食っただろう!
 それがフェアなやり方なのか!?」

アーバイン:
「レースじゃ、そんなことは言いっこなしだ!」

セナ:
「キミはレースなんかしていない!
 ただ、車を運転してただけだ!
 まるでクソったれのようにな。
 キミはレーシングドライバーなんかじゃない!
 ただのクソったれだ!!」

アーバイン:
「何だと!人のことを言えた義理か!?
 いいタイミングで、いい場所にいなかったのは、アンタだろ!?」

セナ:
「僕がマズいレースをしてたと言うのか!?」

アーバイン:
「そうさ。
 バトルの後ろにつけたんだから!」

セナ:
「ああ、そうかい!?
 じゃあ、キミ教えてくれ!
 優先権があるのは誰かな!?
 キミか!?それともキミを周回遅れにしようとしているレースリーダーか!?」

アーバイン:
「レースリーダーだよ!」

セナ:
「そして、キミは何をした!?」

アーバイン:
「ああ!?」

セナ:
「だから、何をしたと言ってるんだ!」

アーバイン:
「アンタが遅すぎたから、俺は抜いたんだ!」

セナ:
「へぇ!
僕が遅いって言うんなら、どうして僕はお前に1周も差をつけてたんだ!?]

アーバイン:
「スリックなら、君の方が速かったからな。
 ウェットだったら違ったかもね!」

セナ:
「僕は最後にウェットでお前を抜いたんだぞ!」

アーバイン:
「そうだったかい!思い出せないね!」

セナ:
「そうだろう。
 覚えていられるほど、頭が良くないからな。
 何もかもその調子なんだね!」

アーバイン:
「そう思うなら、そう思ってくれて結構だよ!」

セナ:
「気をつけた方がいいぜ!
 お前、気をつけるこったな!」

アーバイン:
「ああ、そうするよ!
 これからはアンタを警戒することにしよう!」

セナ:
「キミなら、僕だけじゃない!
 他の連中とも騒ぎを起こすぞ。FIAともな!」

アーバイン:
「そうかい!?」

セナ:
「必ず、だ!」

アーバイン:
「へぇ、そりゃいいや!」

セナ:
「そう!
 知っておくとためになる!」

アーバイン:
「出ていってくれ!」

セナ:
「知っておくとためになるんだぞ!」

アーバイン:
「失せろ!!」



セナは、いったんガレージから出ようとするが・・・
クルっと身をひるがえして、
アーバインに詰め寄り、殴りかかった。



アーバイン:
「アンタに、保険の請求書を送りつけてやるぜ!」

セナ:
「間違いを素直に認めたらどうだ!!」
1994年シーズン開幕前のコメント!



「僕も年を取ったね!

 でも、僕がアグレッシブなドライバーであることに変わりはないよ。
 特に、1994年はアグレッシブでありたいんだ!

 これが僕のドライビング・スタイルであり、
 僕の本来の姿だからね!

 まぁ、時にはこのアグレッシブなところが災いして、
 ミスにつながってしまうけどね。

 しかし、経験を積むごとに、
 ドライビング・スタイルはどんどん良くなっている。

 大切なのはモチベーションさ。

 僕はフランス・ワインみたいなものだよ。
 古くなるほど良くなるんだ!」
「神について語るセナ。。。」



僕は神を信じるよ!

ただただ信じている。
神が僕を救ってくれていると思うんだ。

神は創造主であり、
神の名において不可能はない。

でも、人生の中の運は自分で切り拓く。
神はただそんな僕を手助けしてくれるだけだ!
「勇気について。。。」



レース前は、
本当に細かいことまでチェックするんだ。

手は抜かない。
たまには、億劫になることもあるけど。。。

そういう時は信念でその気持ちを封じ込める。
それが僕の勇気でもあるんだ!
この世界を目指す人から、
何か教えて欲しいって言われることがある。

でも、何もないんだ。
教えてあげることなんて。


もしあったとして、
それを伝えても無駄だ。

本人が学ぶしかないんだよ!
底の奥底まで透き通った人と出会うと感動する。
人間にとって、1番大事なコトだと思う。

反対に1番ツラいのは、
信頼していた人に裏切られるコトだ。

でも、まぁ、それも人生だから。
逃げるわけにはいかない!
恐れは誰の人生にも存在するはずだ。

それに負けてしまう人もいるし、
立ち向かう人もいる。

僕は恐れと一緒に歩むタイプの人間だ。

正直言って、僕の恐れは、
恐れるコトを恐れてしまうコトなんだ!
『ポールポジションについて・・・』



「ポール・ポジション」を獲得するっていうのは、
危険だけどとてもエキサイティングな課題なんだ!

頭の中を空っぽにして、
メカニズム特有の問題を頭から追い出し、
ドライビングとマシンにだけ集中して、
限界まで行かなければならない。

すべてがうまく行った時には常に、
最高のタイムは予選の最後の周回で記録される。

その前の周回で記録されたデータが、
即座に実戦に生かされるからね。

コーナーに入っていく度、
僕はそれまでに得たものをベースに、
新しい挑戦を実現していく!

そして、
このベースとなるものは、
コーナー毎に進歩していくんだ!

これには経験と、
途方もないほどの予知能力を兼ね備えることが要求される。

とても難しい課題だ!

そしてしばしば、
この予知能力こそが他に差をつける力となる。
絶えず進歩して行くことがどうしても必要なんだ。

わずかの停滞でも、
この高レベルの世界では後退に等しい。

他のドライバーも進歩し、
僕を追い越して行ってしまうからね!
「セナのレース哲学」


1台のフォーミュラー・1のマシンは、
ドライバーの手足の延長なんだ。

だから、
マシンを自分の身体の一部のように考えなければならない。

そのためにはマシンを守り、
マシンに触れ、気を配り、
理解するために長い時間見つめ、
そのリアクションに耳を傾けなければならない。

成功を築くためには、
これらの要素のひとつひとつが重要なんだ。

頑丈なシャシーは、事故のときに僕を守ってくれる。

そしてまた、
バイブレーションや僕の背中にある、
エンジンの様子を伝えてくれる。

コクピットは僕の身体に合わせてある。

そこは僕にとって快適で、
安心できる場所でなくてはならない。

エンジンのパワーは僕を前に推し進め、
僕が正確な加速を求めた場合には、
アドバンテージを与えてくれなければならない。

ブレーキは、
危険を感じた時やコーナーに入っていく時に、
僕のスピードを落とすためにある。

ステアリングは正確に僕の動きのひとつひとつに応え、
それによって僕は理想的なラインを選ぶことができる。

コースに僕を繋いでいるのはタイヤだ。

サスペンションはコースのどんな小さな欠点も僕に伝え、
ひとつひとつのバンプやその上を通った時のマシンの動きを僕に伝える。

それから、ドライバーが身につける道具だ。

ヘルメットは外部からの衝撃や、
砂、虫、雨、寒さ、風からドライバーを守り、
視界を与えてくれる。

シートベルトは僕とマシンを繋ぎ、一体にする。

自分のマシンを見る時、
僕はこのマシンを自分に用意するために、
何百もの人たちが働いたことを思うんだ。

だから、自分自身のすべてを捧げなければならない!
ここは、セナの言葉だけで美しくまとめるページなのですよね、きっと。書き込みしてはいけないような気がしてました。ちょっとおびえてますが、あまりの懐かしさについつい。セナのこと、随分長いこと封印していたのですが、やっと少しは考えられるようになりました。生セナ、いろいろ経験しましたが、彼は本当に特別な人間だったと思います。神様に愛されすぎたら早く逝くしかないのでしょうね、とどこかでずっと不安に思ってました。そう、イモラの2週間前岡山の英田でレースを見たときに、思わず目をそらしてしまいました。怖くて怖くてしょうがなかったんですね。事故が起こったとき、どこかで納得している自分がいたことを、今でも忘れられません。
「1990年シーズンを振り返って・・・」


いくつかあるんだけど・・・でも、
とにかく思い出すのはベルギーGP!

スパ・フランコルシャンでの予選だよ!

オー・ルージュからラディヨンにかけては、
ドライバーにとって1年で1番印象的なシーンだろうね。

オー・ルージュに向かって、
シフトアップしながら走り下りて行くとき、
頭の中はほとんど≪壁≫と思える、
ラディヨンの上りでいっぱいになる。

≪壁≫は僕たちを迎えるために、
向こうから移動して来るんだ。

去年、僕はここを全開で走り抜けることができた。

今年はエンジンが進歩したため、
スピードはもっと上がっていた。

それでも1度走った後、
僕はこう確信していたんだ。

『右足でアクセルペダルを踏んだまま、
 あそこを抜けることが出来るはずだ!』
とね!

僕の身体はそれを欲していた。

でも最後の瞬間に、
僕の頭がNO!と言ったんだ。

ただ単純に、
それによって増えるリスクが、
何か問題があった場合には大きすぎるからね。

骨折り損のくたびれ儲けになりかねないからだ。

でも・・・このコーナーが、
シーズン中で最高の瞬間であることに変わりはないよ。

それに少し慎重に行っても、
僕はポールポジションを奪うことができた。

これはとても大事なことだったね。

あの48回目のポールポジションによって、
僕は自分の目標である、
50回目のポールポジションに近づくことが出来たと思う!
自己の超越は、
レーシングマシンのコクピットの中にいる、
自分のすべての感覚を奪う。

そこでは、
僕は自らの苦しみとともにひとりになる。

もっと遠くへ、
マシンと人間の限界のもっと近くへ進むため、
ドライバーはすべてを捧げなくてはならない。

心も、身体も、思考も・・・そう、すべてを!
セナが「本田宗一郎」氏が亡くなった時に贈った詩。。。



『To me,Soichiro

My memories of you will always be of a happy
and sincere smile that shines through your eyes,
To you who loves Motor Racing so much,
I dedicate this victory From the bottom of my heart.』
フォーミュラー1に乗る真の喜びとは、
しばしばメンタルなもので、
戦いの後で総括する時になってやってくるものなんだ。

破られないような記録を打ち立てるのは、
とても楽しいことだよ。

自分自身に課した目標に到達するっていうのは、
とても大きなことだ。

逆に、レースをする肉体的な喜びは、
人体を疲れさせてしまう。

僕は自分のマシンを出来るだけ速く走らせるため、
戦わなければならない。

そして何かをうまくやってのけたと思っても、
いつもこういう声が聞こえてくる。

“そんなに良くはなかったぞ。
 絶対にもっとうまくできたはずだ!”

それでここに到達したせっかくの喜びを,
いくらか損なわれてしまう。

でもこれは永遠の闘いで、
激しい競争が繰り広げられる限り、
避けようもないことなんだ!
1988年のモナコGPのことは、
みんなが覚えていると思うけど、
あのグランプリの後、
僕は自分の信仰について率直に話した。

あのモナコでの試練に耐えられるよう、
そして特にそれを理解できるように僕を助けてくれたのは、
信仰だったんだ。

その後の僕のキャリアにおける、
困難な時期にもしばしばそうだった。

ところが、僕を幻想家だと決めつけたり、
他のドライバーに対して礼儀を欠いた、
危険なドライバーであると決めつけたりするのに、
僕のこんな言葉を利用する人間が出てきたんだ。

これは悲しいことだし、
重大な問題でもあると思う。

僕の考えていることを好きなように想像したり、
解釈したりする人間がいるんだ。

神を信じているからって、
僕が自分を不死身だと思っていると言い出す人間まで出てきた。

そんなことはまったく嘘だし、
間違っている。

僕は決してそんなことを言った覚えはないよ!

ドライバーである以前に、
僕はひとりの人間なんだ。

僕は勝ったり、負けたり、喜んだり悲しんだりする。

レースの持つ危険性も、
自分がミスを犯したり、
大きなマシントラブルの犠牲になる可能性も、
自覚しているつもりだ。

僕だって時には怖くなることもあるし、
この、自分が愛するスポーツにおいて、
怪我をする可能性があるのも分かっている。

でも確かに、
僕の精神はもっと健全な状態だ。

僕は心の底から自分の可能性を信じているし、
自分の能力を完全に理解している。

それでも、
他の人間が僕の考えていることを憶測で書いたり、
話したりするのは受け入れられない。

それは一種の破壊だし、僕の最も嫌うことだ!
神は、人間としての、
そしてプロフェッショナルとしての僕に影響を与えている。

1988年シーズン、
どのような形で神が僕たちに影響を与えることができるのか、
ということから僕は学び始めた。

そして、そこで学んだことを中心にして、
周りに自分の経験を組み立てていった。

僕は人間としての生活の中で、神の力や、
神が自分にもたらすことのできるものについて気づく、
生まれて初めての機会を得たんだ。
ただ単純に神に語りかけることによって、
神と対話するんだ。

それに僕はしょっちゅう聖書を読んでいる。

聖書の中には、
僕という人間の問いに対する、
多くの答えが含まれている。

そこに書かれた言葉やキリストを通して、
聖書は僕に知識や認識、
人生哲学などを教えてくれるんだ。

それによって、
僕はどうすれば物事を理解できるか、
どうすれば自分の疑問を明らかにする情報を得られるか、
ということを学ぶことができる。

この信仰のおかげで、
僕は自分が行なっていること、
自分が考えていることに関して、
大きな力を得ることができるんだ。

ここで敢えてはっきり言っておきたいのは、
神は僕と一緒にフォーミュラー1のシートに座っているわけではない。

神は神自身の力を僕に与えたのではないということだ。
力は、僕たちひとりひとりの中に存在するものだ。

神は、その啓示を僕に与えたにすぎない。

でももう一度だけ言うけれど、
僕は本当に他の人間と違っているわけじゃない。
これは本当に微妙な問題だし、
非常に個人的なことだ。

また、神は、
今まで僕を大きな事故から守ってくれたように、
同時にそれぞれの個人を守っているんだ。

でもこれらすべてを理解するのは本当に難しいことだよ。

僕たち人間は、
神のメッセージのすべてを理解することはできない。

神のメッセージというのは、
日々世俗的なことがらに関わっている僕たちの世界とは違う、
もっともっと純粋な、他の次元のものだからね。

地球上にはたくさんの宗教が存在する。

その多くは、
いささか簡単にそれぞれの神を創りだしてしまう。

そして様々な種類の神の信仰は、
欺瞞を生み出してしまう。

その存在の解釈の仕方は、
それぞれの宗教において多様であったとしても、
神はひとりしかいないんだ。

こう考えられない人間は、
とても危険な状態にあると思う。

信仰というとすぐに狂信に結びつける人間は、
宗教をまったく分かっていない。

たしかに、
信心深い人間は人生の価値を知っている。

僕はしばしばそう言ってきた。

でも、僕が自分自身を信じ、
自らの能力を信じていたとしても、
自分が不滅であり、不敗であるなどとは思っていない。

ましてや不死身だなんてとんでもない話だ。

神は、それを理解できる者にのみ力を与える。
神を軽蔑する人間には、特別な力は与えられないんだ。
僕は常に完璧を求めている。

あらゆる分野で進歩したいと思っているし、
自分の仕事における部分では、
限界を向こうに押しやるために時間を過ごしているんだ。

この限界の向こうに、
王国が存在することは僕には分かっている。

僕たちの肉体は、
あえてそこに足を踏み入れようとはしないが、
そこに辿りつくことは可能なはずなんだ。

これは特に、精神的な問題だ。

信仰に関しても同じことが言える。
僕は学び、すべてを理解したいと思っている。

でもこれはとても時間のかかる探求だし、
ここでもまた、
僕の頭の中のすべての事柄が調和することが大切だ。

僕がこの経験から汲み取ったことを、
他の人達に伝えることができればと思う。

人間は自分自身の中に力を見出すことができ、
その力によって、
どんどん進歩していくことができるということを、
いつか証明することができればと思うよ!
マクラーレンで走り始めて以来、
レースのプレッシャーは、
シーズンごとにどんどん強まっていく。

でも、僕たちはこの状況を受け入れなければならない。

テクノロジーが重要な位置を占めるこの世界では、
そうすることが進歩するための唯一の方法だから。

プロフェッショナル・ドライバーとして、
僕はこの仕事の負担を受け入れる。

これが成功の鍵なんだ。

ただ、人間というマシンはその負担を感じるし、
シーズン中に一息入れて回復することも不可能だ。

今週を例にとってみよう!

僕はグランプリを終えたばかりだけど、
モナコの自宅には月曜の1日だけを過ごすために帰る。

それから、
シーズン終盤に備えるため、
何種類かのオートマティック・ギアボックスをイギリスでテストする。

これは情熱を掻き立てられると同時に、
精力を消耗させる仕事だよ。

メキシコGP以来、
僕たちはクレイジーなペースで仕事をしてるんだ。

本当にブラジルはとても遠くに感じるよ・・・。

でもポルトガルGPの前後には、
少しだけヴァカンスを計画しているんだ。

いずれにしろ、
これは僕の選んだ仕事で、
この仕事を選んだ時、
僕は本当にとことんまでやることを決意した。


じゃなければ、
何にもならないからね。

僕は自分の好きなことをするチャンスに恵まれた。

そして同時に、
あまりにも多くのことが求められるフォーミュラー1では、
中途半端な仕事なんてできないということだよ!
幸か不幸か、
この世に完璧というものは存在しない。

でも、それに近づくことはできる。

そのためには、
原点に立ち戻るということを知らなければならない。

ここに1つの例がある。

スタート前の数分間、
僕はまず、週末のあいだにマシンに対してなされた、
すべての仕事を振り返る。

そして、
マシンをもっとコンペティティブにするために可能だったかもしれないことを、
頭の中から追い払うんだ。

でなければ、技術面のことで頭がいっぱいになり、
それにつきまとわれるからね!

逆に、フォーミュラー1で多くのスタートを経験してきても、
僕はすべての工程を頭の中で繰り返す。

完璧な成功のために、
やらなければならないすべてのことをね。

起こり得る危険性のあることや、
どうすればその重要な瞬間にうまく対処できるかを予測するんだ。

レースというのは、
外から見ていると単純に見えるかもしれないけど、
コックピットから見ると、
ドライバーに多くの戦略を要求するものなんだ。

そのためには、
自分のマシン、自分のチーム、
ライバル達のリアクションの可能性などのすべてを、
知り尽くしていなければならない。

そして、それらすべて、
絶え間ない仕事の結果得られるものだ。

こういった色々な理由から、
僕はしばしばこう繰り返す。

成功とは、厳しい仕事の結果なんだと。

フォーミュラー1が喜びのため、
たとえばステアリングを握る喜びのためだけのものだったら、
それは勝負じゃない。

すべての瞬間瞬間が技術と人間の挑戦なんだ!

これは、
僕が決して忘れたことのない、重要な点だよ!
チームにとっても僕にとっても、
最優先すべきことがある。

それは勝利だ!

マクラーレンはトップチームであり、
F1最高のチームだ!

このポジションを守っていくために、
マクラーレンの人間は他のチームより、
もっと仕事をしなければならない。

成功によって推進力を弱めるようなことは、
決してあってはならないんだ。

これに関して、
僕はロン・デニスを信用している。

彼はなすべきことを知っているからね。

彼に対して、僕はただ単純に、
勝てるマシンを要求するだけだ!

そして、自分たちのペースが落ちてきたと感じた時には、
自分のやり方でみんなの士気を高めるのが僕の役割だ!

何か問題がある時に僕がそれを口にするのは、
決してネガティブなことじゃない。

エンジンやシャシーがきちんと作動しない時には、
すぐにそれを言わなければならない。

フォーミュラー1というのは、
非常に広くマスコミに取り上げられるスポーツで、
いくつもの大メーカーが対抗させている。

10人くらいのジャーナリストの前で、
エンジンのパワーが足りないとか、燃費が悪いとか、
ライバルに追いつくためには、
もっと進歩しなければならないと言ったとしたら、
もちろん、それはエンジニア達にとって、
嬉しいことではないだろう。

でもこれは、
プレッシャーをかけるための最高の方法なんだ!

そして結果的に、
進歩すればそれがみんなの利益になる!
何年も前から、
僕がフランク・ウィリアムズといい関係を保っていることは、
みんなが知っている。

それはもう話したつもりだ!

僕が驚いたのは、
ナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼが、
来シーズンのドライバーとして確認されたやり方だ!

この2人のドライバーに対して、
僕は何の不満もないけれど、
この合意の根底にあるものよりむしろ、
そのやり方に疑問を抱いているんだ。

ウィリアムズ・ルノーは素晴らしいチームだ!
これ以上のことは何も言えない。

とても手強いライバルだよ! 

チームの中に入らないで、
これ以上コメントすることはできない。

フェラーリについても同じことが言えるね!

あのチームにとって、
今年が最悪のシーズンとなってしまったのは、
僕にとっても淋しいことだけれど、
それは彼らの問題だ!

前進するために、
やるべきことをやるのは彼らの仕事だ。

いずれにしろ、
フェラーリというのは、
ドライバーにとって無関心ではいられないチームなんだ!

僕にはラテンの血が流れているし、
もちろん、フェラーリは僕にとっても“何か”を表している!

ウィリアムズやフェラーリに関して、
この先、僕たちの軌跡が交差することはあるかもしれない。

その時になれば分かることだよ!

でも、今のところ僕の頭の中にあるのは、
マクラーレン・ホンダで彼らと戦うということ、
それだけだ!

僕が欲しいのは、
3度目のタイトルなんだ!
3度目の世界タイトルを獲得したドライバーは1人じゃないよ!

僕は、今ではその“クラブ”に属することになった。
もちろん、これは大きな名誉だね!

でも、もっと素晴らしいこともきっと可能だと思わないかい?

ファン=マヌエル・ファンジオを僕はとても尊敬しているし、
今年、彼は自ら、何度も僕を励ましに来てくれた!

5回のタイトルを獲得した彼の名前は不滅のものだ。

モータスポーツに刻まれたすべての記録と同様に、
彼の記録に挑戦するのは情熱を駆り立てる仕事だ!

いつの日か、僕も彼に並びたいと思っているよ!

僕にはフォーミュラー1で8年のキャリアがあるけれど、
実際にはもっと長く感じられる。

このスポーツは、
人間にあまりにも多くのことを要求するからね!

僕の生活はF1のおかげで大きく変わったし、
成功したこともあれば困難な時もあった。

でも、基本的な部分と情熱は変わらないままだ!
常に前進し、もっとうまくやることが必要なんだ。

結局、エキサイティングであると同時に、
ひどく疲れるのはこの部分だね!

僕は3度目のタイトルを獲得した。

1988年の最初のタイトルは、
本当に僕自身と家族のためだった!

この3度目のタイトルを、
僕はすべてのファンと、
デビュー以来僕を支えてくれた、
すべての人々に捧げたいと思っている!
僕は自分のマシンに、
No.1をつけて走ることを誇りに思っているし、
それをできるだけ長く続けられるように、
自分の力の限りのことをするだろう!

もちろん、
僕の成功に貢献してくれた人たちとも、
この情熱を分かち合おうと努めている!

いつまで続けるか、
という問題に関していうと、
僕は長期計画を持たない主義なんだ。

第一に、
モータースポーツにおいて、
遠い将来にまで関わる計画を立てるというのは、
慎重な態度でもなければ信頼しえるものでもない。

今日ひとつだけ言えるのは、
自分に競争力がある限り、
続けていく意思が僕にはあるということだ。

もしそれが変わってしまったら、
おそらくモティベーションの大部分が失われるだろう!

そして、
モティベーションがなければ、
限界のドライビングは不可能だ。

僕はレースに対するモティベーションを失うことを恐れているわけではない。

ただ、今までの自分の経験があれば、
倦怠感の兆候を感じ取るには充分だということは分かっているからね。

でも、ファンを安心させることはできるよ。
これは近い将来の話じゃない。
何よりもまず、鈴鹿で言ったことの基本的な部分に関しては、
取り消す意思はないとはっきり言っておこう。

ただ、言葉をていねいに選ばなかったということだ。
僕は母国語ではない英語で説明していた。

おそらく、時々不作法な言葉を使ったし、
そのことに対しては謝罪の意を表しもした。

でもそれ以外に、ちゃんと理解されなかった言葉があったんだ。
特に、1990年のアラン・プロストとの接触に関してだ。

それについては触れるのはよそう。

あれはただ、
権力のある人間たちとの一連の問題と誤解の結果だった!

そして、1990年に起こったことはF1のためにも、
僕のためにも良いことではなかった。

2度目のタイトルを獲得したのにもかかわらずね!

でも、1989年の鈴鹿のシケインで起こったこと、
自分から不当に奪われた勝利を、
僕が決して忘れたことはなかったということだけはハッキリしておきたい!

だから、僕は1988年の最初のタイトルについて話したいね!

あれは最高の思い出として僕の中に残っているし、
アラン・プロストとの公正で厳しい戦いの末に得たタイトルだった。

また、今シーズンのタイトル、
そしてこの素晴らしいシーズンについて話すのもいいね!

僕たちは違ったマシン、
違ったドライバー達を相手に戦い、勝ったんだ!

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