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日本家屋コミュの飛騨の里(岐阜・高山)

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飛騨の里http://www.hida.jp/hidanosato/
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&c2coff=1&q=%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E3%81%AE%E9%87%8C&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

飛騨高山の集落博物館「飛騨の里」には
合掌造りをはじめとした
飛騨の古い貴重な民家が移築復元され
なつかしい農山村の暮らしや
昔から飛騨に伝わる季節の行事を再現し
未来へ伝えています。

飛騨民俗村(飛騨の里&民俗村)
飛騨民俗村管理事務所
〒506-0055 岐阜県高山市上岡本町1-590
電話0577-34-4711  FAX0577-33-4714
http://www.hida.jp/hidanosato/

年中無休
開館時間 8:30〜17:00
入館料  大人700円 子供200円
駐車場  普通車・マイクロバス300円
     大型バス1,000円

コメント(2)

旧新井家
江戸時代後期に建てられた代表的榑葺き民家。
2階があり、養蚕にも使われていた。


茅葺きとは違う雪対策がほどこされました。
 旧清見村池本の小鳥川沿いに建っていた農家で、江戸時代後期の建造とされています。池本は東海北陸自動車道・飛騨清見インターチェンジから北へ山あいに入った雪深い土地ですから、家には豪雪対策を考慮した様々な工夫が構造の随所に見られます。
 栗やネズなど水に強い材質の建材を用い、明治43年には3寸×4寸という太い垂木に取り替えて2mの雪の重みにも耐えられるようになっています。
 全体的に頑強なつくりで、二階をもっているところからも、同じ榑葺きの建物である旧田中家や旧中藪家と比較すると、かなり雰囲気が違います。また屋根での雪おろしの都合を考えて、茅葺きの建物と比べると緩やかな勾配の屋根です。
 いわば旧新井家は、飛騨中央部に多い榑葺屋根平屋建の民家と、北よりの豪雪地帯に分布する茅葺の合掌造や入母屋造の民家との中間型といえそうです。


江戸時代後期に建てられた旧新井家では、囲炉裏が板の間に作られた。土間に作られている旧中藪家・旧田中家は江戸時代中期建築の民家である。
大切な家畜として馬は人の住居で飼われていた。旧新井家にも厩があり、馬を家族同然に扱ったのと同時に、盗難に合うことを防いだ。農民にとって死活問題だったのだ。


旧新井家の軒下には豪農の証が。
 小庇にはムクリ破風がついており、1階軒下から突出した腕木の先には白く胡粉が塗られているのに目を引きます(下左写真)。腕木の小口に塗られた胡粉は、材の切り口を日差しなどから保護するためのものでもあり、また意匠的な意味合いでも用いられました。現在、高山市を中心に飛騨地方でよく見かけますが、もともとは一般の民家・町屋にはないものでした。高山の町人、中でも「旦那衆」と呼ばれる裕福な家のみでしか胡粉を塗ることができませんでした。旧新井家がいかに豪農であったかを物語っています。
 新井家のオエは板床敷きで、その中央には大きな囲炉裏が設けられています。ここでは、年間を通じて朝から晩まで焚き火が燃えておりました。オエは現在のお茶の間であり、農繁期には家族総出の仕事場でもありました。二階は養蚕に利用されることもありましたが普段は物置として使用しました。
旧大野家
飛騨と信州・江戸をつなぐ土地にあり
杣人の暮らしに影響を受けました。


飛騨では珍しい「妻入り」造りの民家です。
野麦峠で信州と深くつながる山深い土地にありました。
 旧大野家が飛騨の里に移築される民家のひとつに選ばれたのは、その造りにありました。家の造りには大きく分けて「平入り」と「妻入り」があります。長方形をした家の形に対して「入り(=入口)」が長い辺(平)にあるか、短い辺(妻)にあるかで分かれています。旧大野家では妻側に入口が作られました。
 飛騨地方の建物は大半が「平入り」で、飛騨の里にある民家もほとんどがそれにあたります。「妻入り」とよばれる建物は飛騨地方のごく一部にだけ存在しました。飛騨の里にある「妻」と呼ばれる建物は、杣小屋、木挽小屋、民家では旧大野家住宅があります。

高根町の野麦、日和田、猪之鼻などの集落は、飛騨地方でもまれな妻入りの建物が存在する珍しい地域です。野麦峠を越えた先の長野県方面の影響が強いのではないかと考えられています。また、江戸時代に「南方山」と呼ばれる幕府の御用木の伐採にあたった杣人たちが当地域に多く住んでいましたが、彼らが住んだ杣小屋から発展していったものであろうとも推測されています。旧大野家はこの地域にあった典型的な民家のひとつでした。
 入口の土間から家の中央部を占め、奥まで広がる大きな部屋を「イノマ」(居間)と呼び、このイノマの両側に各部屋が展開します。入口から向かって左には仏壇のある「ウエノデイ」「シタノデイ」、右側には「ネマ」(寝間)「モノオキ」「シケモノビヤ」(漬物部屋)があります。
 こうした部屋が左右に分かれる間取りもまた、杣小屋や長野県の民家のものに近く、飛騨地方では特異なものです。明治初年に建てられた大野家は三方に下屋を設けており、江戸時代の民家と比較しても立派な間取りになっています。

江戸・信州と飛騨、そして富山を結んだ野麦峠。
 高山から高根村を経て野麦峠を越える道は、「信州街道」「江戸街道」と呼ばれ、江戸時代から様々な物資が行き交い、旅人の往来でにぎわいました。なかでも、富山県の氷見港などで水揚げされたブリが飛騨に入り、当街道を通って長野県へ運ばれたことから「ブリ街道」としても知られています。

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