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日本家屋コミュの【番外編】海猫屋(北海道・小樽)

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海猫屋http://www.uminekoya.com/

小樽運河に面した「海猫屋」。今は小樽の観光スポットだ

「海猫屋はマスターそのものがブランド」。常連客は口をそろえて言う。そんな増山誠(57)にひかれるのか、海猫屋の客は多彩だ。

小説「海猫屋の客」を書いた村松友視(64)は、増山の結婚式で仲人を買って出る。作家の椎名誠(60)は、週刊誌上で海猫屋の海鮮カレーを絶賛する。海猫屋のオープンに駆けつけた脚本家の倉本聰(70)は、店内のインベーダーゲーム機を見て「何でこんなものを置くのか」と激怒する。

海猫屋で何度かケーナのコンサートを開いた俳優の田中健(53)は、「小樽の町そのもののような雰囲気の店に、小樽が好きでたまらないマスターがいる。どこか懐かしい、独特の時間が流れていて、落ち込んだときや迷ったときに、ふっと行きたくなる」と語る。

2度の旅

増山は、海猫屋を離れたことが2度ある。

 1度目は30歳代の終わり。32歳で天ぷら「ます山」を閉め、その5年後に北方舞踏派とも離れ、舞踏家・麿赤児が率いる舞踏集団と一緒に数か月間、米国を縦断公演する。その後3年間、戻っては出かける小さな旅を続けた。

 2度目は2001年夏、小樽運河の一角に1億2000万円を投じて出店した海猫屋の2号店「ユーローダイニング」だ。約500平方メートルのスペースに欧風創作料理のレストラン、カフェ、バー、ロビーを設け、200人を収容する。「ホテルをやりたかった」という増山が、宿泊のないホテルをイメージしたものだ。しかし、わずか2年で破たんする。

 最初の旅が「身軽になりたかった」という自分への癒やしだったとすれば、2度目のそれは経営者としてのステップアップをかけた旅でもあった。前者は妻・かほる(46)との結婚で完結したが、後者は志半ばで挫折した。しかし、増山に喪失感はない。

 「まだ借金を返している身だから、大きなことは言えないけど、自分が行きたくなるような店をつくった。時代に合わなかったかも知れないが、今でもユーローはいい店だったと思っている」

 増山が「愛(まな)弟子」と呼ぶ小樽の洋風居酒屋「ニューポート」店主の宮木英貴(43)は、「ユーローはあまりにも本物過ぎて、小樽の枠には納まりきらなかった。でも、やるからには本物を、という人だから。あれが札幌あたりだったら、違った展開になっていた」と話す。

必ず帰る古里

 「夕方に店のドアを開けると、入り口に向かって雪に足跡が一つ残っている。それって朝、店に来たおれの足跡。主人も客もおれ1人で、自分が主人か客か分からないわけよ」

 増山は、こんな言い回しで海猫屋の“あのころ”を語る。海猫屋はいま、小樽の観光スポットの一つになり、足早に訪れる観光客が主流になった。喫茶店はレストランバーに変わり、前衛舞踏を演じたステージも今はないが、店内にはきょうも暖炉の火が燃え、古い柱時計がゆっくり時を刻む。変わるものと、変わらぬものと――。

 「海猫屋がおれを育ててくれた。また旅に出ても、必ずここに帰ってくる。おれの古里だから」。そう言って、増山はコーヒーカップを置いた。

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