ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

自由教コミュの所有を伴わない愛について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
船長様より、直々のリクエストを賜りましたので
別トピとして扱わせて頂きます。

愛と一言で申しましても、様々な形態があります。
ここでは、特に男女(時に男男、女女)のものを話題にしたく思います。

最初、それは恋心として芽生えます。
(初めから「愛してる」と思う人はかなり奇特な方だと思います。)
俗に言う、恋愛ってヤツです。

恋愛はエロスです。
相手を求めるのです。
単純に共に過ごす時間だけでなく
肉体的、精神的な結びつきを貪欲に求めるのです。
相手にもっとこうして欲しい、こうあって欲しい。
自分の思いは強くなります。

それが満たされないと、不安になります。
淋しくなり、まるで自分の半身を失ってしまったかのごとく
狂おしい程、相手の不在や無視を嫌悪するのです。

時に、アガペーの側面もあります。
相手に対し、何かしてあげたい。
心から献身の思いに駆られるのです。

ようは、このバランスで恋愛というのは成り立っていますよね。

最初はエロスが強いでしょう。
そして相手との信頼と絆を深めるうち
アガペーが半分くらいに台頭します。
この人ならば、自分が尽くしても良いと思えば。。。

でも、その先は人によって二分されると思うんです。

ことごとく、エロスが強くなる人。
アガペーの心だけが残る人。

私はどちらも自然なものであり
どちらが高尚だとか
そういう事は考えません。

私個人の話になりますが
私は、エロスが強くなります。
でも相手がそれに応えないと知ると
極度の不安にさらされ、苦しみ
それが純化していくと
自分が強くある為に、アガペーになります。

いや、多分、アガペーとは違うものかもしれないです。
でも、、、自分の中では近い。
私はそれを消極的アガぺーと呼ぶでしょう。

相手の為ではなく、自分の精神を保つ為
ただ、相手の為に祈るのです。
もう自分には相手から何も与えられないのであれば
ただ、相手の存在そのものを喜ぶのです。

私はこれを、所有を伴わない愛に近いのではないかと
たまに思ったりするのです。
今迄愛した人に対して思います。
「この世ではあなたと結ばれなかったけれど
 いつぞやの来世では、あなたと共に歩む人生がありますよう」

ここで、門外不出だった個人的な童話を発表致します。
かつてNYに居た頃に書いたもので
その頃の恋愛を背景に書き上げたものです。
駄作ながら、参考までに。。。




鳥と少女

少女は森で、蒼い鳥に出会いました。
不思議なことに、その鳥は
少女と同じ言葉を話すことができました。
その二人は、すぐに
とても仲の良い友達になりました。

少女はその鳥とともに唄い、
花を摘み、木いちごをほおばり、
木陰で昼寝をしました。
川や草原や丘まで散歩をし、
大地の季節の移り変わりに
喜び合いました。

ある時、少女は空を見上げました。
あの空を自由に飛ぶのは
どんな感じなのかしら。
でも、少女には鳥のような
翼がありませんでした。

その鳥には、沢山の仲間がいました。
鳥たちは楽しそうにおしゃべりをしましたが
少女には鳥の言葉はわかりませんでした。
少女は森にいる仲間のなかで
自分だけが違うのだと、心細くなりました。

それでも、その鳥と遊ぶ時間は
心から楽しいひとときでした。
淋しさを忘れることができました。
私には、あの鳥という大切な友達がいるもの。

ある時、その鳥は言いました。
僕は仲間と遠い南の地へ旅に出るよ。

少女は悲しくなりました。
せっかく友達になったのに、
遠くで離ればなれになるのです。
でも、少女は初めから知っていたのです。
鳥は自由に空を翔り
地から地へと廻り
大らかに風とともに唄うのだと。
さもなくば、死んでしまうのだと。

少女は辛くて涙しました。
私は淋しくなるわ。
すると鳥は言いました。
淋しかったら、他に友達を探せばいいさ。
リスは君に木の実をくれるし
クマは君に蜂蜜をくれるよ。
僕じゃなくても、一緒に遊べば楽しいよ。

少女は思いました。
私が一緒に遊びたいのは
リスでもなく
クマでもなく
あの鳥なのに。

どれだけ、鳥と一緒に
空を飛びたかったことでしょう。
でも、少女は飛ぶことを知らないし
鳥も飛べないことを知らないのです。

でも、少女は思いました。
もしあの鳥が
君も僕と旅においでよ
そう言ったなら
どんな奇跡でも起こして
私は空を飛んだだろうに。

新しい地への希望に満ちた鳥には
少女の思いは響きませんでした。
いつか戻って来るの?
そしてまた遊べるの?
その鳥は答えました。
どうなるかわからないよ。
今は何も言えない。
僕は風に導かれて旅をする為に
この世に生を与ったのだから。

少女は戻って来るという
約束が欲しかったのではありません。
ただ、遠く離れても
どうなるかわからなくても
この友情を忘れないように
大切にしていくようにしよう。

その希望が欲しかったのです。

そして、ある晴れた日に
鳥たちは旅立って行きました。
大空に円を描き、
一瞥を流すことなく。

少女はみるみる小さく消えて行く
その鳥の影をじっと見つめました。
でも、涙でかすんで
何も見えていないのでした。

少女は、祈ることにしました。
来る日も
来る日も
そもまたあくる日も
じっと窓辺にたたずみ
鳥の消えていった
その空の彼方を眺めながら。

たとえ季節が巡り
新緑が力強く葉を茂らせ
やがて長い西日に赤らみ
そして福与かな実を飾り
雪の中、静かに眠りについたとしても。

それからまた春の風に目を醒し
そわそわと新しい芽を纏うとしても。

それでもまだ、少女は祈ろうと思いました。
あの日と同じ、ある晴れた日に
小気味好い風があの鳥を
この窓辺に導いてくれるのを。

そして、その蒼い鳥がこう言うのを。
「やあ、君も僕と一緒に旅に出ないか。」

コメント(1)

所有を伴わない愛は
相手を受け入れる事であり
諦観と表裏一体であり
究極の精神的自己防衛であり
それは究極の精神的自由だと思うのです。

相手を受け入れて愛するのです。
相手を赦して受け入れるのではなく
ただ、受け入れるのです。
赦すなどという烏滸がましいことは不要なのです。

赦す事と受け入れる事は違います。
赦す事は自分の意思が存在するからです。
相手のアクションにその都度、自分はそれを赦している
または、赦すのだという確認作業が必要です。

受け入れる事はそれと違うのです。
そこに自分の意思はなく
ただ、相手の在り方や変化もすべて
ありのまま当然の事としてみなすのです。
そういうもんなんだ、と。
それは諦観の念に近いものがあります。

そうなると、苦しみもありません。
何故なら、本来苦しむべき事も
それは当然なのだと認識できるからです。

そうなると、苦悩から解放されます。
心は自由です。
何の苦悩も覚えずに
純粋にその人の存在に感謝し
愛している自分がいるのです。



>それでもまだ、少女は祈ろうと思いました。
>あの日と同じ、ある晴れた日に
>小気味好い風があの鳥を
>この窓辺に導いてくれるのを。

愛した人と見たオペラ「蝶々婦人」からの引用です。

蝶々さんがアリア「ある晴れた日に」で

「いつかある晴れた日に、彼はきっと戻って来るの。。。」

そう唄うのと同じようには、私は、思えませんでした。
彼女は夫ピンカートンが戻って来ると信じ切っていました。
でも、裏切りを知って苦しみ、心の不自由から自害しました。

私は、裏切られる事すら
当然のものとして諦めよう。
もう傷つかない為に。
ただ、祈る事だけはしよう。
祈るという行為で、自分が強くあるが為に。

そう思っていたんです。

私はその人を愛し過ぎました。
自分の統べてをあたえてしまいそうでした。
彼と共にあるが為には
彼を「喰い殺す」か
自分を「殺して屍を与える」事しかないのだと
そう思っていたのです。

でも、その時自分は彼を殺めるだけ強くありませんでした。
なので、私は自分の肉を千切って彼に与える事を選びました。

その愛が末期癌のように私を蝕んで
私がその愛に死んでしまう日まで
彼とともに安らかな日々を過ごせれば良いと、、、
そうやって諦める事が、彼と共にいられる近道であり、
私の幸せだと思いました。

彼から私に何も与えられなくても
望みを何一つ叶えてもらえなくても
彼が「在ります」事で、もう充分でした。

それが、私が見た「所有を伴わない愛」に近いものだと思います。
あくまで近い、と付けるのは
それがネガティブだったからです。
諦観でも、ネガティブに陥らないやり方は
あったのではないか、今はそう反省しています。

私の「所有を伴わない愛論」は、ちょっと暗いですかね。
諦観であり、無私であり、、、なんかストイックな感じですかね。

でも、その苦を苦としない当然さは
恐ろしく前向きな臭いを漂わせている気がします。
どうでしょう?

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

自由教 更新情報

自由教のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング