ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

【写真】ドイツ語圏 珠玉の街コミュの【番外編】 旧ドイツ圏

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
歴史的にみて、旧ドイツ圏であった街の紹介トピックスといたします。
貴重な写真等もありますので、読み物としていかがですか?
                (管理人:かおりんたん)

以下、五時の急行さんからのメッセージとなります。

「ここに書き込むネタはたくさんありますが、あくまであまり逸脱しないよう皆さんが楽しめる書き込みだけをしたいと思います」 ということです。

引き続き、皆様宜しくお願いいたします♪
-------------------------------------------------------
下記、コメント2 ↓↓↓

【ロシア】ティルジット{ソビエツク)

コメント(49)

>ガイスト(Geist)さん
コメントありがとうございます。
アルザスにそのようなグループがあるとは知りませんでした。アルザスも一度訪れてみたいと思っている場所です。
アルザス解放とはどのような運動か楽しみです
小学校ではアルザス語を教え出しましたが
親の世代は読み書きできません
一方ドイツ語ともアルザス語は同じではないので
何を目指すか興味があります
フランス語を表記しないと表ではアルザス語を
書けないとを思うと何をするのだろうと興味津々です

国境はすでに開放されており
違うのは税金とかでしょうか
一瞬思ったのが黄色いナンバープレートはやだ
白いのにしてくれとか
高速道路の標識は緑はイヤだ青にしてくれとか
高速道路は無料にしてくれとか
言う運動なのかと
>T☆kawaiさん
アルザスに行かれる予定がおありなのですね。
写真待っています♪

>>いつも肩身狭くおもっています。

コミュに参加いただいているだけで嬉しいですよ〜
アルザスとロレーヌに2月13日から行ってきます。
まだかなり寒いと思いますが空元気で。
滞在予定地はシャルルヴィル・メジエールとストラスブール。
5日間、その2つの町を中心にぶらつきます。
帰国後、面白い写真がお見せできると思います。
特にランスには期待しています。
あれ、ランスはドイツ文化圏ではなかったか…?
>KaZooさん
おっ、もうすぐですね!
面白い写真と〜っても楽しみにしています。

ストラスブールって、、ドイツとフランスが領有権を争った土地なので、私の中では。。。

楽しんできてくださいね♪
アルザス地方で私のお勧めは、コルマールです。
ストラスブールから少し南に下ったところです。
フランスですが、ドイツの雰囲気を色濃く残しています。
当然、歴史に翻弄された過去がありますが、今はとても美しい街であることは間違いありません。
よくベッコフやシュークルートを食べに行きました。
うーん、お腹すいてきた。
グダニスク(ドイツ語名ダンツィッヒ)この街は大好きな街で6回位は訪れていると思います。第2次大戦が起こる原因となった街としても有名ですし、自主管理労組「連帯」のレフ・ヴァヴェンサ議長(元大統領)が旧レーニン造船所を舞台に民主化運動を起こして1980年から政府と戦った街として、20世紀の重大事件を2つも経験した街として誰もが記憶にとどめておかなければならない街だと思います。
第2次大戦直前はポーランド領にもかかわらず、住民の90%以上はドイツ系でした。

左:造船の街を髣髴とさせるクレーン
中:モトワヴァ運河中央やや右手に有名な木造クレーンが見えます。
右:木造クレーンを拡大した写真
勘違いなさっていませんか?
ダンチヒは第一次大戦後は国際連盟管理下の自由都市です
ポーランド領ではありません
国籍もダンチヒ自由都市です
ポーランド籍やドイツ籍を取るためには一度国外移住する必要がありましたが
そういえばそうでしたね。
ダンツィッヒはポーランド領ではなく国際連盟管理下のダンツィッヒ自由都市でしたね。すっかり失念しておりました。
いや〜ほんとうに細かいところにまで手が届く博識でいらっしゃいますね。
そっかー、当時は子供だったので気がつきませんでしたが、ワレサ議長ってのは英語読みだったんですね。うれしい顔

左のクレーンは巨大で擬人化できそうなほど存在感ありますね。
シュテファンさんの言及されたヴェステルプラッテの写真をアップします。
グダニスク(ダンツィッヒ)の郊外にあるこの岬は、1939年9月1日、ドイツ軍の軍艦が第二次世界大戦の火蓋を切る砲撃を加えた地として歴史に名をとどめています。

左:ヴェステルプラッテの海岸
中:戦争記念碑
右:戦勝を記念する戦車
 行ったことが無いので、チェコ領となった悲劇の土地、ズデーテン地方の景色があったら、写真を載せてくださいませ。
もう少しグダニスク(ダンツィッヒ)のモトワヴァ運河とそのたもとにある木造クレーンの画像をアップします。

左:モトワヴァ運河とそこに架かる橋
中:木造クレーン
右:木造クレーンの滑車

>第三市民さん
ズデーテン地方の土地、たとえばカルロヴィ・ヴァリ(独名:カルルスバート)や、マリーアンスケ・ラーズニェ(独名:マリーエンバート)などの画像をいずれアップしようと思っていたのですが、「写真で見るチェコ」というコミュニティーが出来たのでそのコミュニティーにアップしました。他のズデーテン地方の町も、たとえばヘプ(独名エーガー)なども他の人が投稿していますので以下のリンクをご覧になってください。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2576740
》 五時の急行 さま

 ズデーテン地方に関するコミュニティのご紹介ありがとうございます。

 東西冷戦当時の旧チェコスロバキアは、ビザの手配や入出国が結構面倒で、西ベルリンから二度ほど潜り込んだのですが、自由に動くことも出来ず、とても心残りでした。

 ●ズデーテン
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3
日本語はwikiは英語版と違ってチェックが行われないので
史実に誤りがあるのが難点ですね
ベルサイユ条約で割譲されたみたいなことを書いてありますが
神聖ローマ帝国領ですがもともとオーストリア領だったので
ドイツ帝国成立時は入っていない
スロバキアの方はハンガリー王国領だったので
サンジェルマン条約ではなくトリアノン条約で独立保証と
言った感じです

ビザに関してはビロード革命後でも必要でした
98年にチェコが不要に02年にスロバキアが不要になりました
98年以前でもなぜか韓国人は不要だったので何でと思いましたね
92年に分離前に当日ビザの取れるウィーンの大使館に並んだの分かります
スロバキアのビザもウィーンの領事館や日本の大使館に並んだので覚えています
ウィーンは当時中立国の首都だったため取得が多く当日ビザの取得が容易だったですよ
日本国内だと1週間なのに1日でしかも安かったしビザの種類も豊富でした
殆ど10年くらい前の話になってしまいましたが
このところモトワヴァ運河沿いの画像を中心にアップしてきましたが、今日でそれも終わりです。次回からは街のもう少し別の地域を紹介していこうと思います。
モトワヴァ運河沿いの地域は、旧市街の中心ドゥウーギ広場とそこへの入り口の幾つかの門と並んで、グダニスクの観光の中心地域です。

ドイツ時代の面影を今でも強く残す街グダニスク、特に港町やハンザ都市に関心のある方は機会があれば訪れてみてはいかがでしょう。

左:モトワヴァ運河に沿って立つ建物
中:モトワヴァウ運河に浮かぶSoldek船内博物館
右:モトワヴァ運河を離れて、1件の花屋?
ドゥウーギ広場を中心とした、グダニスク旧市街の出入り口には、いくつものドイツ時代を髣髴とさせる特徴的な門があります。
もう、5年くらい行っていないのでどの門がなに門か分からないのが多くて申し訳ないのですが。

左:高い門
中:分かりません(黄金の門だと思いますが?)
右:たぶん、緑の門です。
今回はグダニスク旧市街の中心、ドゥウーギ広場をご紹介します。

左:ドゥウーギ広場の光景。ドイツ時代の雰囲気が残っていますね。
中:グダニスクのシンボル、ネプチューンの噴水。
右:わたしが1994年、初めてグダニスクを訪れたときに泊まったドゥウーギ広場にある老舗ホテル、ホテルヤンタール。チェックインした日のフロントの初老の紳士は英語で話しかけてきましたが、翌朝のフロントの人は終始ドイツ語で話しかけてきました。
ヴェステルプラッテの対岸の北欧行きのフェリーの発着するノヴィ・ポート(北港)のほうへ行ってみましょう。

左:グダニスク中央駅
中:グダニスクノヴィ・ポート駅に止まる近郊電車
右:ヘルシンキ・ストックホルム行きのフェリー乗り場への案内看板
みなさん こん**わ

オーストリア・ハンガリー帝国に属していたスロバキアの首都ブラチスラヴァに行ってきました。
ブラチスラヴァ城は、一時期、マリア・テレジアが居城としていたこともありました。
行ったときは、工事中。
そして、ドナウ川をオーストリア方向に見ています。
ブラチスラヴァは、1968年の「プラハの春」のとき、当時のチェコスロヴァキアと、ソ連、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリアとの間で会談が行われたところです。
階段から3週間たたないうちに、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに侵攻し、全土を占領したのでした。

ブラチスラヴァ会談が行われた場所は、大司教宮殿(Primaciálny palác)で、在スロヴァキア日本大使館のある中央広場の隣のブロックにあります。
その建物は確認できましたが、おお、ここがそうであったのかと感激しきりで、撮影しませんでした。

国民劇場
ミハエル門
マンホールから眺める男像
スロバキアは2004年にシェンゲン協定に加盟したので、オーストリアとの国境での検問は廃止されましたが、検問所はまだ残っています。

ブラチスラヴァ市内には、路面電車の路線があちこち走っています。
使われている車両は、どれもこれも旧式なタイプで、低床タイプを見かけることはありませんでした。
メリークリスマス!


【フランス】ストラスブール

写真1:モーツァルトがコンサートを行った場所

写真2:ノートルダム大聖堂
(訪れた日曜日は無料解放でツイテました♪)

写真3:ノエルマルシェ
>> マンホールから眺める男像

すごい、絶対誰かこけてそう。

去年の8末〜9頭まで南チロルに行ってました。
Bozenの博物館で、Ötzi も見てきました。
冷凍庫の窓からちょっと覗くだけでしたが、obergurglと合わせ、これでÖtztal両側制覇した気になりました。(^^;

【南チロル(イタリア)】 Seiseralm

左:ホテルからの眺め。ドロミテの山が広がります。
中:一応、イタリアってことになってるんですが、イタリア国旗は見なかったなぁ。みんなドイツ語だし。
右:トレッキングし放題

その2

ホテルからリフトで山頂に上りました。
ホテルは盆地の中心にあるので、まわり中、山歩きし放題です。

【南チロル(イタリア)】 Seiseralm

左: オーストリア側を望む
中: almなので、牛、馬だらけです。
右: いろんな種類の牛がいました。


去年の今頃に行ったアルザス方面です。

ストラスブールの街並みとリボーヴィレ。

ログインすると、残り22件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

【写真】ドイツ語圏 珠玉の街 更新情報

【写真】ドイツ語圏 珠玉の街のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング