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音楽心理学 psychology of musicコミュの音楽の起源

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最近気になっていること。

音楽とはいったい「どこから来た」のか?

音楽を文化的産物として見たとき、
その起源はシャーマニズムにおける「祭祀」でしょうか。
では、人間はどこで音楽を「発見」したのでしょうか?

コメント(41)

もひとつ。

「リズム」の知覚の起源は「胎内で聞く母親の鼓動」であるということが言われます。
では、メロディやハーモニー、あるいは音楽形式は?

ちょっとアイデアがあって、
「旋律の動き」の起源は「発声の抑揚」ではないかと考えています。
たとえば、ため息(降下音)、雄叫び(上昇音)とか。
私も同じ疑問を抱いてました。

他にも「何故 音楽に言葉は乗るのか?」

なぜ旋律、音の長短、強弱の組み合わせで 人は感動するのか?
音楽の起源については、本が多数出ています。言葉の前の言葉として人間は利用していたようです。ええ、人間がケーブマンであった時代の話です。お勧めの本は以下:

http://www.amazon.com/Singing-Neanderthals-Origins-Music-Language/dp/0674021924

24000年前の人間の話です。
動物の声を同じ感覚ではないでしょうか。獲物を得るときと、異性の気を惹くため、、、、だそうですが、、、、食欲性欲が動物の原点なのでしょうか(汗)。シャーマニズム=神頼みももう一つの人間の欲でしょうね。
美しいとか、感動するといった情緒をベースにその起源を追ってみるのも面白いと思いました。文化人類学的な手法にならざるを得ませんが。
>NYC自由の妻さん
文献情報ありがとうございます。確かに「生存本能」は「人間行動の起源」を探る上で重要なキーワードだと思います。
現代人の音楽活動にも似たところがありますよね、、

>るぱんさん
東洋の文献で面白いのがあって、『礼記』「楽記編」(要するに音楽論です)のなかに、
”「歌う」ということは「長々と言う」ことである。嬉しいことがあるとそれを「言う」のであり、それでも足りないときは「長々と言う」、それでも足りなければ「ああ」と嘆くのであり、次第に手足が動いて「舞」になるのだ。”
という箇所があって、ここでは「言葉のうえに音楽が生まれる」ということが言われてます。こういう視点も面白いかなと思います。

>ひげさん
僕も音楽を捉えるには情動がベースになってくると思います。
確かに文化人類学的ですが、その見地から何かアイデアが生まれるかもしれません。

 生存本能として音を操る能力は「音楽が主体側にある」ということを強調できるかもしれません。
その上で、人間が音楽を生存本能から切り離し「美的価値として形式によって構成した”瞬間”」が気になります。
> tosh!zumi 様

”人間が音楽を生存本能から切り離し「美的価値として形式によって構成した”瞬間”」”

面白いトピックになりそうですね!

美的価値としての瞬間ってことは、作曲側の意志がリスナー側にうまく形容されて伝わったって時でしょうか。同じリズム(音程やら強弱等)のパターンが旋律としてリスナーの心の中に残り、文章のピリオドが音楽により聞き取れ終了したら、リスナーも安心しますし。

この音楽“美的”表現方法も個人差がるので、リスナーにより反応も変わりまた面白いですね。この個人差により、人間は気の会う人そうでない人を嗅ぎ分けているのでしょうか、、、ってまた、生存本能に話を戻してしまった。

> るぱん 様 tosh!zumi 様
「何故 音楽に言葉は乗るのか?」
「長々と言う」の話

とても勉強になりました。

(ここでは関係ございませんが、そういえば、、、、会話中に的確な英単語が見付からない時、手足動かしてなんか長々イントネーション付けて説明している自分がいます)
tosh!zumiさんの「長々と言う」は歌うは訴えるからきているという言葉ベースの音楽(東洋的)を言い当てていると思います。
そして、
キリスト教との関連が深いと思われる「美」の価値を持った音楽と
原始的なエネルギーを継承している民族音楽の違いは?といったテーマについては「民族音楽学と音楽理論」というサイトでも話題になっておりますので、関心のある方はそちらもご参考になさってみてください。

私は、教育や福祉実践がメインではありますが、こういったテーマが、ジャンルを超えて音響(効果音)の方々や伝承音楽研究家のサイトなど、本当に様々な所で論議されていることを嬉しく思います。
「人類史において、音楽が生存本能から切り離された"転機"」という意味のつもりでした。わかりにくくてごめんなさい、、

人類の上に「音楽」が成立した背景に「音に対する美的価値の"発見"」があったと思うのですが、その「発見した瞬間」のことです。「こういう音の組み合わせが楽しい」と気づいた、とか。

人間が音の世界を「音楽」として切り取るにはスキーマのような何かしらの認知構造が必要だと思うんですが、そのスキーマが構築されていった「進化のきっかけ」が何かあると思うんです。

そうした「音楽スキーマ」のような認知構造の発現が、リスナーが音楽を聞き取る"瞬間"を決めていると思っています。


確かにジェスチャーって重要ですよね。
大学の教授の話し方でも、抑揚やジェスチャーがある人のほうが退屈しない気がします。歌うように話す人っていますよね。逆に単調なしゃべり方とか同じ表現を延々繰り返す人の話は頭に入りません。
よいコミュニケーションは何かしら"音楽的"なのかもしれません。
>風雅こまちさん
レスが前後してすみません。
確かに「美」という言葉を使うと文化差を意識しないといけないですね。

僕は今のところ、「西洋の美」は数式が示すような"単純さ"、「東洋の美」は"微妙"(全体的な微細さ・複雑さが美(=妙))に表されると対照的に理解しています。
「人類最古の音楽は歌である」この仮説は正しいのでしょうか?

換言すれば 最も原始的な楽器は「ノド(声帯)」であるか否か?

上記を、さらに突っ込むと「音楽」が先か「歌」が先か?

>ちょっとアイデアがあって、
「旋律の動き」の起源は「発声の抑揚」ではないかと考えています。
たとえば、ため息(降下音)、雄叫び(上昇音)とか。

おそらく「断末魔の叫び」はもっとも音楽らしいと思います。
十人十色でありながら旋律も(たぶん)倍音も兼ね備えており、しかもそこに意志、感情表現、抑揚があります。

バイオリンとギターのチョーキングはかなり それに近いですね。
>るぱんさん
どうなんでしょう?ドラミングもありますよね、、
同時には存在していないような気がします。
ハミングとドラミングが出会ったのはいつなんでしょうね??

>お松さん
「音楽的行為」の起源としては、やはりそうなのだと思います。そこからもっと突っ込んで、心理学としての扱い得る「音楽的表象」の起源が知りたいと思っています。

原初の音楽的行為の起源は日常的な生命活動と強く結びついているとして、現代的な音楽活動は「非日常」になっている。
その「非日常への転換点」が何かあるはずなんです。

日常的な音楽的行為が
・「なにか特別なものである」と"気づいた瞬間"に、
・「音楽という"表象"」が生まれ、
・後にそれが「音楽という"概念"」になった。
そうやって生命活動を超えて非日常化したのではないか。
と僕は考えています。

概念形成は文献を探るしかないですが、もしかしたら有史以前かもしれません。あとは、幼児の音楽能力の発達を見ていくと示唆が得られるような気がします。

何かいい研究手法がありますか?進化心理学ってありましたっけ?
そうか、なるほど。
確かに"ミューズ"は音楽だけの神ではないですね。
それは「何かしらの母要素」から音楽が「分化」したと考えればいいんですかね?

そういえば、東洋でも「楽」は舞や歌、詩などの複合体でした。
音楽は歌と楽器、舞いの複合文化であったものが、時代とともに言葉に特化した演劇、音楽、ダンスと分化したのだと思います。しかし、ミュージカル全盛、古典芸能回帰など複合された刺激が、やはり相乗効果をあげることを見直し、音楽も単体だけで〜と力まないことが大切だと感じるのです。

定位反応への刺激は本能的に神経の集中を引き出します。音の変化、動くもの、温度変化、、、その中で、圧倒的に伝達速度が速いのは視覚情報です。ジェスチャーは引きつけ、他の活動を止めるほどです。しかし、長期記憶となると感動を伴った音や味、触覚なのですよ。脳幹や大脳周辺系といった古い脳と呼ばれてきたエリアの関与の解明に、とても興味があります。
>tosh!zum様 度々すみません

”人類の上に「音楽」が成立した背景に「音に対する美的価値の"発見"」があったと思うのですが、その「発見した瞬間」のことです。「こういう音の組み合わせが楽しい」と気づいた、とか。”

先ずは、tosh!zum様流の音楽の定義を書き出してみると答えが出るかと思います。

私の場合、音楽=伝達法/記憶の道具。これにジェスチャーやら後々ダンスといったビジュアルも加わっていきますね。その中に美を発見するかしないかは、リスナーと演奏者の関係によると私は思います。同じ音楽/舞を鑑賞しても、人によって反応違いますから。

>風雅こまち 様
”伝達速度が速いのは視覚情報”

過去サイン音のリポートを書いた事があるのですが、視覚情報と音情報を比較した研究または本などもしご存知でしたら、お教えください。すみません、厚かましく。前々から気になっていたもので、、、


> お松様

キリスト教で音楽が”独立”した理由には、性欲抑制への活用というのが一つの原因だそうです。
幼児

赤ちゃんはお腹の中に入る時から音に反応を示し、産まれて直ぐに、音の方向を確認出来て、2週間で母親の声を聞き分けられて、5ヶ月になると、半音の1/2のピッチ差も分かるとの事です。8ヶ月になると、メロディーも聞き分けます (Trehub et al. 1984)。

大人が赤ちゃんにベービートークをする時は、ジェスチャーも大袈裟だし、イントネーションも上下激しく付けますね。赤ちゃんは、大人の言っている事の内容は分かりませんが、感情は十分これで伝わるわけです。(知らない外国語でも、相手がこうやってオーバーに表現しながら話してくれると、こちらも分かった気がする。と同じ感覚でしょうね。)

赤ちゃんは、こういったベービートークを真似することから言葉の発達となり、空腹等を訴えるようになる、、、ここでピッチやリズムやジェスチャー表現が始まるんですよね。

話を音楽に戻すと、音楽能力というのは、産まれてくる時に備わっているという研究が出てるので、その後それをどう伸ばすかですから、どれだけ音の”美”に関心をもてるかというのは、育つ環境で変わるかもしれません。

私もまだ読んでいませんが、以下の本にもしかしたら答えらしい物があるかもしれません。

MUSICAL BEGINNINGS: ORIGINS AND DEVELOPMENT OF MUSICAL COMPETENCEハ(ISBN: 0198523327)
Deliege, Irene; Sloboda, John

Book Description: Oxford University Press 1996, 1996. Paperback 230 x 150mm 238 pages Line figures, tables, bibliography NEW CONDITION From where, and by what mechanisms, does an individual's musical ability originate? Seeking an answer to this question, this study reviews such central issues as prenatal auditory experience and the developmental progress of a child's changing environment.
>NYC自由の妻 様
詳細は忘れましたがstream bounce effectの論文(バウンスの印象の出る確率がピークになるのは聴覚情報が何ms遅れであればよいか、、みたいな内容だったと思います)であれば多少は載っていた気がします。また調べときます。


起源についてですが、我々の「音楽」の定義から見て起源を探しても、それは定義に依存しますし、常にもっと異質な「音楽」(小鳥の囀り、蝉の音etc)が存在してしまうのではないでしょうか。”音楽といわれるもの”は”音楽の定義”によって事後的に存在しているのであって、しかも”音楽の定義”はその切り取り方(我々の文化、認識様式)に依存するのではないでしょうか。
同じ音楽といってもHiphopやtechnoDJや環境音楽においてハーモニーや音程、スケールなんて概念は必要ないですが、これらは音楽の必須要素だという人もいますよね。しかしこうした音楽は音楽じゃない!と言い切っていいんでしょうか?

よってこの問いには生産的な答えは見つかりそうも無いかと思っていしまいます。
>まさとま 様
早速貴重な情報有り難うございました。”stream bounce effect”でキーワードサーチしてみます。このコミュニティーに参加してて良かった〜。


何処までが音楽か?音楽の役割とは?といったでファにッションは個人レベルであったが良いかと思います。でないと、きりないですからね。

HiphopやtechnoDJや環境音楽は立派な音楽だとあくまでも私は思っていますし、作ったリもしました。小鳥の囀り、蝉の音にもリズムメロディーハーモニーがある伝達法なので、それも音楽だと私は思います(ノイズ音楽に入れました)。

”音楽”これは、人によって取り方が違って来ると思います。よって、投稿者であるtosh!zum様の出されようとする答えと私の答えは一致はしないでしょうね。う〜む、、、
僕の立脚点は、実は認知実験を想定していて、一つは
 ・音楽=「音声知覚→認知処理→情動生起」の”認知反応プロセス"としたときに、その中で「音楽という表象」が出現するタイミング。
そしてもう一つがその根源として、
 ・"進化史において"その認知プロセスを「獲得したこと(≒表象の出現)に気づいたきっかけ」
が気になっています。これはたぶん、人類が音楽的行為を始めてからずっと後のことになるような気がしています。

 なんだかややこしい議論にしてしまいましたが、要は「音楽が初めて定義された歴史」というのがあると思うんですね。
ちょっと言い換えてみると、「主観において音楽が顕在化(意識化)」とか「音楽という”メタ認知”の出現」とか、そんな感じです。「音楽」という言葉でなくてもいいと思っています。
 それが「日常(生命活動)→非日常(文化)」の転換点にあると思うんです。これはシャーマンの出現にも関わってくるような気がしています。とりあえず、音楽を定義しない文化も承知の上です。

皆様のコメントに刺激されてだいぶ発想が膨らんでいます。
ありがとうございます。
僕もこのトピックを立ててよかったと思います。
メタ認知を導入するんですか。いいですね。
一気に議論が洗練されてきたように感じます。
メタ認知と意識の関係について茂木さんも取り上げてましたが、メタ認知と音楽の関係を考えることになると、音楽知覚(tosh!zumiさんのいうところの情動の生起の段階)にメタ認知は必要か、という問題もでてきますね。
この辺りはいかがお考えですか?
僕の答えはNoですが。

有名なメタ認知の実験では、数学の問題を解いている最中に「今何を課題とした問題を解いているのか?」という問いをかけられた方の群がただ解いた群より成績の向上が大きかったというのがありますね。
これを音楽に置き換えると、「今音楽をしている」と答えられることがメタ認知が有ることになるんでしょう。
言葉より前に音楽があった(そう考える人は凄く多いですが)と考えると確かめようもないですし、現代でもそれを音楽だと認識せずにしている人も多いです。(つまりこの場合言語の問題になってしまうと思うのです。)

何だか揚げ足を取っている形になってしまい申し訳ないですが、(非常に興味深く拝見してます)何事も突き詰めて考えたいタイプなんでお許しください。
>NYC自由の妻さま
神経の伝達速度については、昔むかし生物学概論で神経の学習をした時に、鞘を持つタイプの伝達、バケツリレーのような伝達という2タイプの伝わり方があると学んだことが発言の根拠です。
発生学的に見れば、後から発達した鞘を持つ神経回路が速度が速いと言えますが、伝達のためにリレーをする方が、多くの細胞の活性化に影響を与えそうです。
この類の研究は生物学よりも脳神経の医学論文の成果に期待しています。一般人にもわかりやすい書籍としては、日経サイエンスやNewtonがあり、私は学生時代から読んでおります。
「文化」ということをどう規定しますか?
心理学ではあまり得意なテーマではないかもしれませんが、せっかくですから。

この現象から派生する価値を共有するようになったプロセスが、音楽というものを手にする背景としての心的機能の「進化」に関わっているという印象を持っています。
>お松様

そうですね、西洋か西洋以外か。不協和音は、私のもとシタールの先生(指血だらけになるので、辞めました、、、)の先生の話によると、インドの音楽も不協和音/あと12音という感覚はあるそうです。でも、西洋まで厳しくはなってませんね。

宗教のメッセージの為に利用される音楽。オーム心理教の音楽おもいだしてしまいました、、、軍歌もだけど、人を纏めるパワーありますね、音楽って。

>寝太郎 様
リズムが先か、トーンが先か、、、、作業のかけ声にもリズムが入っているしそれで身体を動かすのですから、難しいですねこの判決は!あと手か足か。面白いお話有り難うございま〜す!!寝太郎 様のコミュにも行ってみます。

>まさとま 様&tosh!zumi 様
meta認知(thinking about thinking)でというと、クリエイティビティープロセスやら音楽美学も入るのではないでしょうか。言葉と音楽は、、、、私はどうしても同種と考えてしまいます、御免なさい。

>風雅こまち さま
貴重な情報有り難うございます!サイン音V。S表示サイン。もう一度確かめたくなりました!

>ひげ 様
私も進化と深い関わり有りとおもいます!
音楽的な感性の覚醒は、系統発達においても個体の発達においても大事なとこだと思ってます。生物学的、神経生理的レベルから、トランスパーソナルな視点などさまざまな角度から、人類、人間の発達を読み解く鍵となるのではないでしょうか。

大げさにいえば、ヒトのこれからを占ううえでも音楽との付き合い方を分析することは有意義なことだと考えています。
>リズムが先か、トーンが先か
個人的にはリズムだと思ってますが(歩く音や、馬のヒズメの音や、農作業や、道具を削るシュッ シュッ シュッ 等の規則的な音)


ところで もっと根源的に、人はまず「音楽」よりも「音色」を発見したのだと思います。

生活の中から ノイズの少ない 純音的なもの 倍音を多く含むもの、、

金属の触れ合う「キーン、、」というキレイな響き(余韻)に酔いしれたのではないでしょうか(ある種の、うっとりポーっとなるトランス状態に入る)

これは現代の我々も同様で、「音楽」(曲というか旋律)を楽しんでいると思いがちですが 実は「音色」を楽しんでおり、旋律は 良い音色を引き出す手段でしかない。

その証拠に(?)音色は単体で(旋律なしで)楽しめますが、旋律単体では(←表出した時点で音色を伴ってしまうので概念としての)
多分 感動しないと思います。

ベースギターで「カノン」を演奏しても感動しないのでは?

ソプラノ的な音(トーン)の喜びを 表す手段としての「カノン」の旋律。主役は音色(トーン)

私の素人考えでは「音楽」の発見=生活の中での「音色」の発見
ごめんなさい。ちょっとズルします。

>音楽知覚とメタ認知
僕もNoかなと。
ちょっと訂正すると、音楽を認知処理するプロセスは一通りではなくて、「表象認知」「情動反応」の二つを生起するプロセスが別々に作動していながら、あるいは相互に影響しあって、その後に「メタ認知」のプロセスがあるのかなと。
(そうすると何のメタ認知についてかは細かく分けたほうがよさそうですが。)
 情動反応について、無条件反応での「音楽構造知覚→情動生起」というプロセスを考えているんですが、"思い出の曲"のような条件反応と区別しにくいんですよね。

>揚げ足
大変恐縮ですw たまに自分で挙げた足を見失うので。

>神経
知覚反応の先の「認知処理速度」ではどうなんでしょう?
たとえば、コンピュータで扱うデータでは音声よりも動画のほうが圧倒的にファイルサイズが大きい。視覚と聴覚は神経の数に差がないと聞いたんですが、そうすると聴覚のほうが取得できる情報量の重みが相対的に多くなるので、質的情報へ変換する精度が高まって、情動反応までのスピードが変わってくるんじゃないかとちょっと考えているんですが。(勘違いかもしれませんが。)

>文化
西洋の文化論はちょっとわからないんですが(agricultureでしたっけ?)、漢字文化圏の文脈では「文(あや)」="文様・装飾"の意味になるんです。それなら僕の言っていた「日常/非日常」というのに都合がよくて、「文化」=「生命活動の一つだった行為が、"本来の目的"を失って日常生活を"彩るもの"に変化したもの」ということにしようかなと。
西洋のCultureはどんな感じなんでしょうか?

>音楽と音色
僕はハーモニーの遷移が情動生起に関わってくると思うんですがどうでしょう?たとえばIV度終わりとか。もしくはセブンスコードとか。

 ちょっとここでもアイデアがあって、コード進行を「物語」として捉えて、ハーモニーに対する情動反応を要素とした物語論で楽曲の全体像を捉えられないかと考えています。理論的には物語スキーマで連結しようとは思っているんですが、何かご存知の方いらっしゃいますか?
そうすると「物語スキーマ」の発達・発展によって鑑賞能力や音楽様式の発展が説明できるような気がするんですが。

>1度4度5度8度以外の音程を不協和音定
確かにそれ以外はある意味で"刺激的"かもしれません。単調で気持ちが高ぶらない音楽にするためでしょうかね。
 そうすると、昔の人がある程度は音楽心理学的な分析を行なっていたという証拠になって、音楽理論が"存在する意味"が出てきますよね。
よく科学的研究のなかで「文化的である」として退けられたりしますが、僕は既存の音楽理論でも"ある程度"までは科学的研究に耐えうると思っています。
そうすると「音楽理論が生まれた歴史」を見ていけば、音楽に対するメタ認知の発生のヒントが見れるような気もします。

ちょっとばらばらですが…
そしてなんか言葉足らずな感じがしますが…
追加)
茂木さんの言うところの「クオリア」が音楽認知プロセスの場合に、表象や情動生起へ行く前の知覚対象としてあるような気がするんですが、心理学的にはどう扱えばいいでしょうかね?
>お松さん
ありがとうございます。勉強になります。
「残ってない」ということは文献ではほとんど辿れないんですね。じゃあせめて音楽論でも辿れればいいんですけど、、

僕は、音楽理論全体を科学的にではなくて、
>複雑なハーモニー、リズムは歌詞が聞き取りズラく、
という政治的弾圧の”根拠”だけ一部を抽出して検証してもいいのかなと思います。それなら心理学の研究になりますよね。
まあ、政治学も広義のサイエンスに入るらしいですが。
前述した『礼記』楽記篇にも政治的な音楽論が出てきますし。

 僕が注意しているのは、文化や主観を排除する目的で「音楽=空気振動」としてしまうことで。そうすると、音の構造を分析して音楽理論を組み立て、それで楽譜を書いて演奏する、という音楽活動の意味が見えてこない。1/fゆらぎでも「モーツアルトの音楽は素晴らしい」と言うだけで、作曲や演奏などの活動の個別の意味が無視されているし、第一に音声と音楽を区別していない。
 僕は、音声と音楽を区別するのは音楽的構造に対する人間側の弁別能力だと考えていて、その構造を規定する要因を記述したものが少なからず音楽理論だろうと踏んでいます。なのでその存在意義や出現した理由を考えればいいかなと。そうでなければ音楽理論が存在する意味がわからないので。
私は皆さんのように知識が無いのですが、関連して いつ自然の中から「音階」を発見したか に興味があります。

「音楽」という呼称も 少し狭いような感じがいたします。
シャーマニズムとして考えると、、
>古い音楽で現存しているものは、芸術的価値があったから今も残っているわけではなく

そうでしょうね。

生活の中から音階に気づいたのは「階段の足跡」はさすがに昔は無いだろうから、木を削ってて 削ることによる面積の変化と音の関係 とか そんな想像をしてしまいます。
モノコードで倍音を並べていって、そこに音階を見つけた。っていうのが一つあるでしょうね。
そうするとハーモニーの発見が先行するでしょうか。

音の高さならば発声行動の中で知覚的に区別できそうなので、それで手探りに記号的に音階を並べるということもないとは言い切れないですね。
モノコードを用いない音階を持つ音楽文化ってありますか?

あと、宗教音楽を起源としない民族音楽って無いですか?
見逃してました。ほったらかしてしまってすみません。

ごめんなさい、、ハーモニー=調和で。理論的な和声じゃなくて。
ダイアドの時点で2音間の調和に気づいていますよね?
そうすると「音の調和に気づく」というのもキーポイントかなと思います。
ただ、「言葉の抑揚」はインターバルだったりするので、そこから音程が不揃いな音楽が生まれても不思議じゃないのですが。

あと、口承の音楽に着目するのも一つの手ですよね。
それに楽譜は残ってないとしても、なにか痕跡が残っていれば再現できなくともそれで思考はできるのかなと思います。神話でも寓話でも、土器でも壁画でも。
物証に頼らずとも類推できることはありますよね。
まあ、不可能に挑戦するのも学問の面白みだったりしますし。

理研の研究成果で、サルとの比較研究で「ヒトに特有の言語中枢が見つかった」なんて記事を見たことがあるんですが、だったら「音楽中枢」なんてのも面白いなと思ったことがあります。(ただ、その研究はサルの言語中枢の有無までは確かめてませんでしたが。)
楽器を作る動物がヒト以外にいたらそれはそれで面白い発見かもしれませんけど。

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