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音楽心理学 psychology of musicコミュの音楽の才能

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 自分の才能や適性について、一度は誰しも向きあうものだと思います。
 とくに音楽の才能に関して、過去に悩んだ方、今直面している方、今も格闘している方、そんな時もあったなぁな方(笑)、音楽しかない方、教師として他者の才能を扱う方、そんな方々もこのコミュニティにはいらっしゃるかもしれません。
 音楽の才能というものについて、皆さんはどう思いますか?



以下、参考までに(『心理学辞典』有斐閣より)

【才能 talent】
 一般に、音楽やスポーツ、学問など特定の領域で、訓練によって将来すぐれた能力を発揮すると期待される素質的な能力をさして用いられる。しかし心理学的専門用語として確立された概念ではない。能力、素質、適性、天才など関連する他の概念との関係も明確ではなく、さまざまな語用がある。「才能がある(ない)」という表現には主として生得的な内的固有属性が示唆されるが、「才能の発見・発掘」という表現にはその潜在性が、また「才能を発揮する」という表現にはその人をとりまく環境や特定の状況との相互作用の意味が含まれる。さらに「才能を伸ばす(つぶす)」という表現には教育や生育環境による可塑性が意味される。才能の優れた子どもを早期から特別に訓練・教育することを英才教育または才能教育という。しかし鈴木鎮一によるバイオリンの「才能教育」は「すべての子どもの才能を伸ばす教育」という意味で用いられている。

【素質 predisposition】
 たとえばあるピアニストの優れた演奏は、そのピアノに関する能力や資質(disposition)のなせる技であるが、その能力が育つための前提として、ピアノ音楽という領域固有の能力に限定されないより一般的な遺伝的・生物学的・心理学的性質があらかじめあったと考えられる。このようにある具体的な遂行行動およびそのための能力の背後に、構造的・時間的な前提として仮想されたり認知されるより一般的な潜在的・萌芽的性質を素質とよぶ。

【適性 aptitude】
 個人が将来ある分野に進んだ時に行う可能性がある能力や特性のことをいう。この場合、広い範囲に適用可能な一般的適性と、ある特定の分野にのみ通用する特殊的適性がある。一般的適性の例としては、上級学校に進んでうまくやっていけるかどうかについての進学適性があげられる。他方、たとえば将来音楽の分野に進んでうまくやっていくための基礎能力としての音楽適性は、特殊的適性の例となる。上級学校への進学や特定の職業への就職にあたって、個人の適性を予測するために開発され標準化された検査を適性検査という。クロンバックは、学習者の適性に応じた教育方法があることを仮定し、適性処遇交互作用(ATI)という考え方を提唱した。たとえば、大学の一般教養の物理学を教える場合、学生を指名して発言を求めるアメリカ式の講義は外向性の強い学生には適切な授業法だが、内向性の強い学生には講義よりもむしろフィルム・ライブラリー(映画)の方が効果があがるという結果が得られた。

コメント(31)

好きであるってこと揺れるハート
続けているってことぴかぴか(新しい)

誰からどんな風に評価を受けたとしても、
好きで、結局戻ってくるんだったら、
才能exclamation ×2だと思っています。

楽しいが一番手(パー)
しいていえばバランスでしょうか。
それと、環境や経済的、文化や地域的な背景も否めないと思います。
才能は、上の3つだけで育つものだ、と定義するにはちょっと無理を感じます。
かといって、全部ないとだめか、というとそうでもなかったりする。

そういうものが才能では?
私は才能があるとは思いませんし、その辺の立派な先生方には、へぇへ〜!といって頭があがりませんが、それでも重宝してくれてる人たちはいますし、その人たちにとっては私は才能がある(らしい)とのことなので・・・。
とりわけ芸術の才能というのは難しいかもしれません。マジョリティーの恩恵も考えなければ行けないでしょうし、それをどう評価するか。

大学の先生がよくいってました。
「これでいい!よし、これでコンサート(演奏)は大丈夫だろう、って思う奴は今すぐ音楽なんてやめなさい。真剣勝負で追い込んでやってる人に失礼だ。」
もちろん趣味でやったりすることにたいして言ってたのではないのですが、才能とは自分に満足しないことではないかと私は思います。
上の説明にもあるように、心理学では「才能」という言葉は使いません。遺伝か環境か、という論争はかつてはよく行われたようですが、今は遺伝と環境の働きが相互作用して個体の性質を作り上げると考えられています。

音楽のような、特別な技能の才能は、環境の方が優位に働くと考えられています。バッハの家系が音楽一家なのも、パン職人のヴィートス・バッハが趣味でツィターを弾きはじめた頃から、音楽を楽しむ習慣が脈々と子孫に受け継がれたことが大きな要因だと思います。

現代でも、クラシックの演奏に日本人は不向きだと考えられる原因に、西洋人と日本人の遺伝子の差がどうのこうのという説明が聞かれることがありますが、それよりも、毎週教会に行って、礼拝しながら生のパイプオルガンや聖歌隊の賛美やらを聴いていることが大きいと思います。

蛇足ですが、あの「のだめ」もパリの教会で賛美歌(アヴェ・ヴェルム・コルプス、モーツァルト)を聴いて音楽的に成長しましたね。
↑音楽の根底って一応宗教にあると思います。西洋は教会のための、中南米・アフリカは儀式のため、あとは西アジアはイスラム教、東アジアは仏教・・・という風に。賛美歌を歌ったり経文を唱えたりするのにBGMが必要だったからです。
クラシック、ラテン、ゴスペル、インド音楽など、宗教に密着した音楽は多いです。それが今でも強く残っている地域は生活に音楽が浸透していると思います。文化としての音楽の位置が重要とされます。しかし日本は宗教の弱い国なのでその位置が重要視されていないのだと思います。
だから周囲の環境かな。生まれてから今までに何を聴いてきたか。自分が意図とするか否かにかかわらず。
エジソンの言葉として有名な「天才は99パーセントの努力」ってことじゃないのかなあ。耳がいいとか、感受性が豊とか、さまざまな要素を持っていても、どれだけ磨きをかけたかで光り方が変わるのが人間なのだと思っています。
そう思わないと、なかなか輝かない子供相手の仕事はできないとも言えますが。
 私は才能については先天的に備わっている、努力なしに得た特性だと考えます。
 身近な例で言えば、習慣として運動をしていなくても走るのが速いとか、特別な教育を受けていなくても絶対音感があるとかそういうものであると思います。テスト勉強をしなくてもいい点数が取れるのもそれに入ると思います。
 ただこれは一つの材料にすぎないと思います。勉強しなくても一定の良い点数がとれたとして、例えばそのような人が学者になれるか、良い教師になれるかとは全然別の問題で、努力して能力向上に努めることを行った結果その能力を得た人間の方が人に教えるのは上手でしょうし。才能とは物事を達成するための一要素にすぎないと思います。
「音楽的才能」自体は心理学に適したテーマではないかもしれませんね。
天才や、才能ある人というのは、母集団との関係性ですよね。創造性自体は数値化するのは無理ですよね。(なぜなら、数値化できるという時点で科学的予測の範囲内にあり、創造の範疇には入らないわけですから。)

一方でごく限られた範囲の技術的問題においては、運動と手続き記憶の問題に落とし込むことは可能かもしれません。しかし、心理学全般に(発達心理学、学習心理学でさえも)個人的な技術の蓄積を見通すような視点はないでしょうね。考慮すべき要因が多すぎますから。
昔、上達に関しては、手続き記憶は累乗的に蓄積されるため、学習を続ければ急激に上達する地点が訪れる。というのは聞いたことがあります。ピアジェ的な見方と言いましょうか。
音楽の本質が分かり、それを自分の音楽として表現できる、という抽象的な表現になってしまいますが、心理学的にいろいろと考えてみることは意義のあることだと思います。

音楽的感性とか情緒の豊かさとか、豊かな音楽を紡ぎ出すもとになる人間性をいかに育てるかということは、教育的なテーマとしてしばしば扱われていると思います。

心理学的にそれを扱うとしたらどうなるかということになると思いますが、そんなテーマで研究している人はいないかもしれません。少なくとも心理学会や教育心理学会では見かけないように思います。技術的なことなどの細かいことは多少あったように記憶してますが。
日本音楽知覚認知学会の学会誌の目次をざっと見てみましたが、こちらの学会誌でも見あたらないようです。
http://www.design.kyushu-u.ac.jp/%7Eynhome/BackNumber.html

そんな状況ですが、ぜひチャレンジャーに現れて欲しいところです。
心理学といっても幅は広いので、個人的には、実験系の手法よりも人間性心理学のような枠組みで扱ってみるのが面白そうだし、教育者や学習者にとっても価値の高い知見が得られるかもしれないと思う次第です。

まさとまさんは「創造性」という切り口を提示して下さっていますが、質的な研究手法でこうしたテーマを扱っていくことは可能だと思います。まずは質的な手法で枠組みを整理していけば量的にも扱える可能性もありです。
例えば「音楽性」のようなものを心理学的に評価するための枠組みとか。私なら、フィールドワークとか事例分析でやってみるかもしれません。

P.S.
不勉強でよく分かりませんが創造性、独創性に関する先行研究は参考にできる可能性が多少はあると思います。
ひとしきり書いてから思いついたのですが、音楽で人を感動させる力を心理学的に説明出来たらいいなと思います。

心理学的な表現力をアップしたいです。
急いで書いたのもあって、読み返してみて言葉足らずなところが多いため補足します。

才能が母集団との関係性だというのは(福島章氏の「天才のパトグラフィー」の中で紹介されていたのですが)才能を定義するのはその母集団だということです。確か文中では天才とは関数であるというような記述があったと思います。例えば、ゴッホが天才かどうか?今は天才と言われますが、当時はどうだったか考えると、断定するのは難しいですよね。
その意味で、個人的には何が天才、才能かは母集団との関係性であって、ロバストな形で科学者が決定できるとは思えません。
他にも例えばポップスになりますけど、日本では宇多田ヒカルが天才と騒がれていた時期もありましたが、米国で天才だと思われているとは到底思えませんし、そんな例は幾らでもありそうなわけで。カートコベインやジェイムスブラウンが天才かというと、これも難しい。ジョンレノンなら一般的に文句は出なさそうですけど、クラシックの人から異論が出るかもしれないし。

同様に、社会的に認知されていない分野でどれほどの能力があろうと、それは特殊な能力と言われても、天才とは言われなさそうです(逆に言えば、その意味で誰もが潜在的に天才であるとも言えますよね)。
このように天才や才能というものが社会的構築物であるという視点に立った場合、科学にできることは殆どないと思ってしまいます。

長々と失礼しました。
>ひげさん
なるほど。僕は実験心理学以外あまり信用していない所があって、極論しすぎたかもしれません。確かに観察法やプロトコル分析なんかを利用するのもありかもしれませんね。
あるいは同じ程度の演奏スキルで情感豊かなと評価される人と、そうでない人のfMRIをとってみるとか。(経験的には発火パタンに違いがありそうな気がしてるんですよね。もし、昔の演技がぎこちなかった頃の安藤美姫選手と村主文枝選手あたりの選手のfMRIを取ったら面白かっただろうとか思ってます。)
芸術のようなテーマを扱う場合は、主観や価値などの評価に関わる研究手法を活用した方がいいと思います。
モデルの構築にあたってはそうした手法による探索的手続きを使い、そこで構築されたモデルの妥当性や適合度などを検証するのは客観的な指標を用いるといった感じです。

研究の目標としては、個々の持ち味をどのように探り当てて、掘り起こし、磨き上げるかということになるでしょう。そのプロセスにおいては文化や社会的な変数も含めたモデルを設定していくことになるでしょうね。
私の場合はどちらかというと実践寄りですし、生理的な指標は1回しか使ったことはないので、研究のスタイルはだいぶ違うと思いますが。
>キャバ嬢 0≒? さん
私が打ち込んでいる最中のUPだったんで、気が付きませんでした。
あくまでトピ主さんへのレスだったのですが。
「宗教みたいな」の意味は分かりますよ。

私は環境の一例で教会での音楽体験を語っています。誤解なきよう。
子供に長年音楽を教えてきましたが、才能というか、個人差があるのは、すごく感じます。
教えなくても、和声感のある子、リズム感のある子、それを努力で磨ける子、努力しないでちょっと得意で終わらせてしまう子。

努力できることは、才能の一つと感じますし、あとは集中力も持っている才能をさらに引き出すため必要な才能だと思います。
そういえば、いつぞや見たテレビ番組で、ピアノの天才少年やら英才教育について脳の科学と結びつけて考察してたなぁ…番組名は忘れましたが。

内容は、「脳細胞そのものが増えるのは三歳くらいまでで、それ以降は脳のネットワーク形成に充てられる。したがって、分野を問わず英才教育は三歳までに始めるべきである」が、「同じ英才教育を施した子供でも、その分野に異様に興味を示し、飽きる事なく長時間熱中し続ける子供もおり、そこにはかなりの個体差がある」というものだったと思う。


まぁ、それとは別に「音楽の才能がある」って事と「音楽家として社会的に名声を得る」っていうのは全く別の事だと思いますが。
耳の良さとかは才能ですよ(多分)

イヌは人間より嗅覚が優れてますが、それも才能といえます。

男性が一般的に女性より筋力があるのも才能です。
女性の方が一般的に声が高く肌がきめ細かいのも才能です。

それと同列です。
音楽については、潜在的な諸能力をどう引き出して活用するかという考え方のほうが興味があります。

才能はあるのか無いのかという議論をしても結論は出にくいように思いますし、得られるものもそれほど大きくはなさそうです。

持っている能力には個人差がありますが、それを使うのかどうか、そして、のびるかは環境も大きく影響すると思います。その人のもっている力を見抜いて引き出すために必要なのはどんなことでしょうか。
「引き出す」 というのも違う感じかもしれません・・

あえて言えば 「引き出される」(?)

【才能とは欠乏のことである】という言葉もある通り、欠乏を本人が感じた時に才能が発揮されるのでしょう。

音楽に才能がない人は、そもそも音楽に欠乏を感じることが出来ません。

欠乏の分りやすい例は、男性器が女性器を求める感じでしょう。
「才能」が無いとされる典型的なパターンである「音痴」はトレーニングによって改善します。うまく働いていないさまざまな感覚を活性化させることで歌うために必要な機能を正常に働かせることができます。

優れたトレーナーは、その人の個性や持ち味を見抜いて引き出します。才能というかたちで展開する場合もそうしたプロセスが欠かせないでしょう。

例えば、モーツァルトの「才能」はそれを見出す人(父親)がいてはじめてかたちになったといっても過言ではないでしょう。
↑僕も、そう思います。

凡人は頑張れば上手になる

天才は頑張らなくても上手
(頑張ると下手になる)

小指には小指という才能があり
親指には親指という才能がある

小指が親指に近づく努力をしても仕方ない。

優劣の問題ではなく役割の問題である

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