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東京古地図探訪コミュの東京の水路・河川の変遷

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結構この種のネタで盛り上がっていたので別トピック立ててしまいました。

荒川って100年前には無かった川なんですよね・・・


個人的には天井川みたいな笹塚ー新宿間の
玉川上水新水路がなんとも気になります

http://homepage2.nifty.com/riverside/setagaya/t-sinsuiro.html

コメント(18)

 無くなった川もいっぱいありますね。新橋、京橋、数寄屋橋のところなって自動車専用道になってしまったし、首都高速環状線の現在の辺りも川だった。それから、銀座の三原橋のところの通りも、銀座通りに平行してずっと川だった。たった、60年前のことです。
こんばんは。
現在、都市河川の写真を撮っているのでお邪魔させていただきました。

江戸・東京の川を知るには、こんな本がとっても役に立ちました。

『江戸の川・東京の川』鈴木 理生:著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4753023044/249-1858511-9533968

古代から現在までの東京の川の変遷を、都市機能という視点で実に詳しく書かれています。
この本を読むと、リヴァーフロント、ウォーターフロントなどという安易な言葉を使うのが恥ずかしくなりました。。。

同じ著者の

図説 江戸・東京の川と水辺の事典
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760123520/249-1858511-9533968

もオススメです。(立派なお値段ですが。。。)

写真はご存知、渋谷川です。
ところで水道橋に水道歴史館ってありますね。

まだ行ったこと無いので今度行って見たいかと思っております。
http://www.tok2.com/home2/B2ON/suidou/

あと知らなかったのですがお台場に下水道資料館なんていうのもあるのですね。。。
「水道歴史観」の展示物の中にある木製の水道管と同じものだと思われますが、どのくらい前だったか、水道橋からお茶の水に向かってすぐの土手にくっきりと断面を見せていたのが、崖の大規模補修工事のときに消失してしまいました。

「水道橋」という名前の由来そのものの構造物がいとも簡単に捨て去られるのを目の当たりにしてショックを受けたのを思い出します。

そもそも、そこに水道管が残されていることさえ何の標識も無いまま忘れ去られていたのじゃないでしょうか。JR中央線の窓から発見して驚喜して間もなくのことでした。

本郷に住んでいながら水道歴史館に入ったことがありませんでした。改めて訪ねてみたいと思います。
水道橋といえば、
東京都のゴミ収集船が今でも出入りしていますよね。

東京の水運というのが今でも生きているのだと
わかりやすく見られる数少ない場所かと思います・・・
あそこは、その昔バキュームカーの中身を船に積んで神田川を下って行ったんですね。

千代田区生まれのカミさん曰く「世田谷、品川、目黒、板橋、練馬なんかのウンチを運んでたのよきっと。だって千代田区も文京区も子供の頃から水洗だったもん。」ですと。

下ねたでスイマセン。
今日、水道橋の水道歴史資料館行ってまいりました。
平日だったせいか静かで人もあんまいませんでしたねw

江戸時代から相当大規模な上水道が完備していた事に
驚かされます。
昔は東京郊外の水道って民営だったみたいですね。
それを合併して今の水道網が出来上がったという事に気づいたのは新発見でした。
(電力なんかとか同じか)


あんま展示量は多くないですが
隣の貯水池(だと思う)の上に作られている公園とか
なかなか落ち着けていいかもしれませんね。

下水道館も行って見たいものであります。
> 昔は東京郊外の水道って民営だったみたいですね。
> それを合併して今の水道網が出来上がったという事に気づいたの
> は新発見でした。(電力なんかとか同じか)
やはり日本って捨てたもんじゃないですね。人の知恵が実にうまくシステムに形を変えて行くところが素晴らしい!
江戸っ子は「水道の水で産湯をつかった」というのが自慢でしたね。

玉川上水は川ではなく水路なので
皆さんの想像とはちょっと違うものなんですよね。

江戸時代の、作られた当時だけでなく
太宰治が入水する昭和時代まで
この水路は深いえぐれた半円形の土のパイプで、
水量は現行の川よりも疏水のイメージに近いです。
たとえばゴムボールを投げると
走っても追いつけないほど早く下流に流れていきます。

つまりそのくらい圧倒的な水量・流量の水だからこそ
大木戸から木製樋管で四谷・麹町・神田などに配水できたのです。

また大木戸の余水が渋谷川に至っています。
新宿御苑の池の渋谷川水源と霞岳町を流れる余水が合流して隠田川となり
宮下公園で宇田川と合流して渋谷川になるわけですね。
★ヤフープレミアム会員向けに
昭和30年代の古地図をスクロールしてみられるサービスがあります。
それで見ると銀座周りは水路だらけ
亀島川から分岐した桜川が数寄屋橋までつながっているし
歌舞伎座の前の高速道路がもとは川だったし
三原橋の名前通り京橋から桜川分岐で新橋方向に水路がありました。
三十間堀川といいました。
http://watashino.ismywebsite.com/kyobashi.jpg

聖路加病院浦の不自然な太い曲がり道ももとは川で、
新富町方向から流れていました。
みんなそれが地図からわかるんですね。
母の実家が高田馬場で仕立て屋をやってたんですけど、戦前は神田川沿いに染物屋が沢山あって、川で反物を洗っていたそうです。
神楽坂あたりの芸妓さんの仕事も沢山あって、けっこう繁盛していたようです。

母方の祖母は横綱白鵬の着物を縫ったのが自慢でした。

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