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舞踏−吉本大輔・天空揺籃コミュの動画 石川 慶舞踏公演  「珠殷のカケラ」

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コメント(7)

嗚呼、石川慶の吐息・息遣いが強烈に嘗め回してくれます。
生で観たかった作品です。

albaさんの日記より
タイトル:石川慶舞踏公演
     「珠殷のカケラ」(shuan no kakera)

日時:2011.10.02(Su) 19:35-20:52
場所:東生田会館(小田急線、向丘遊園、徒歩15分)

URL:
 http://profile.ameba.jp/butoh-kei/
 http://ameblo.jp/butoh-kei/


概要:
 石川慶、ソロ公演。


概観:
 空間美術が強く、石川慶の肉体を覆ってしまい、当人の存在感、表現が半
ば封じ込められて見えた。


感想:
 天井から上半分にくすんだ緑(杉の葉の色に近い)で、細紐のネットが傘
状に舞台を覆う。
 この空間の支配力は見始めて暫くは気にならなかったが、青、赤の照明で
石川の肉体を照らすとくすんだ緑に因る森か林の中の雰囲気を強力に醸しだ
し、どのようなキャラクターの人が踊っても空間の中に取り込まれ、空間の
一部としか見えない創りになっている事に気づいた。
この事に気づいた中盤以降は、寧ろ、この空間美術の影響を弱め、脱色した
ら、どの様な作品表現になった筈か、という事が終演まで気になり続けた。
それ程、淀んだ空間の力が強く、折角の舞投手の存在感が勿体なく感じた次
第だ。
 前半で、獣の血が入った時の赤、青の照明に当てられ、どこか生気を失っ
たかの様な時、獣の血が抜けて素の人間に戻り戸い、また、口に指を入れる
人間の動作等の時、各時点の落差が見せ場で、テンションも動き異なる様、
演出レベルで差違を強調し解り易く提示されていた。
 口に指を入れる所作は、陰のニュアンスを含むと同時に石川の素の部分が
表情に現れた瞬間でもあった。
 この後に、舞台やや後方の出入り口を左右に横切り、一旦隠れ、次に現れ
る時は別の格好、態へと変化してみせるアイディアは面白いが、見せるパタ
ーンが何通りもあり、後半、冗長に見えた点は残念で、パターンを数多く見
せたいなら、往復時の各場面、移動時間は短くして、カットアウト/インの
切り替えの様に見せた方が個々の印象が強まったのではないだろうか。
 無音の場面、口に指を入れる所作に拘る必要は無いが、冒頭の獣の血が入
った部分と、素の表情とのコントラストをメインに構成し、30分前後の小
品にまとめ、、網の美術は省略して当人の表現を浮き上がらせた方が、舞台
空間も作品も広がり時間的には引き締まるのではないか、と感じた。
虎弥太さんの日記より

週間・・・

最近仕事が忙し過ぎて、いつも以上に能率が悪い。

「あっ、あれやらなきゃ、えっとどこのフォルダに入れたんだっけ・・・」と言いながら、
頭の中ではどのフォルダの中かわかってるのに、
マウスを握る手はデスクトップをさまよい、
手当たり次第にダブルクリック。

そんなこんなで、
やらなきゃいけない仕事の3分の1も終わらないままに時間だけが過ぎ、
まわりから急かされ、
さらにテンパって、
無駄な動きが増え、
せき喘息に襲われ仕事を中断し、
熱でボーっとし、
でも一人しかいない部署だから休めず、
ようやく3連休を迎えた次第です。

この1週間、失踪したいと思いつつなんとか逃げ出さずにやってこれたのも、1週間前の出来事のおかげか・・・


先週の土日、日常の中にいっとき現れた非日常に触れた。

↓お恥ずかしい腕前の写真ですが、良かったらどうぞ。
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000038696687&owner_id=12194105

最近、相方とストーカー中あせあせの天空揺籃の石川慶様ソロ公演に行ってまいりました。
自分の趣味や普段の生活の中では絶対に想像できない、経験し得ない事が溢れ返っていて、ただひたすら眺め、感じ、頭も心も満腹になりました。

今回は最終日に後片付けまで勝手に参加してしまいました。

兵どもが 夢の跡を、
痕跡を微塵もなく片付ける、
初めから何事も起きていないようにする、
芭蕉がここを訪れても句なんか浮かばない、浮かばせない!
そんな事にドキドキワクワクしながら足を引っ張りつつ、お片づけさせていただきました。

いやー、片付けって楽しいね〜。
眞一さんの日記より・・・・・眞一さん事後処理ですがよろしく、ダメなときしく削除いたします


『珠殷のカケラ』(2日目)観られて良かった。しかしあれには苛立った!!! 全体に公開
2011年10月06日18:05

石川慶の舞踏公演『珠殷のカケラ』(10月1日、2日。観たのは2日目) に総身が熱くなったのは公演の最後の最後、ステージを去っていく石川慶の背中が輝いた時だ。
その途端、それまでずっと、わたしを当惑させ苛立たせた舞踏は隈取りの濃い軌跡を描いて、その断片がズタズタのまま、ばらばらになっていた花びらが集まって、薔薇のようなふくらみを造り、はなびらの一輪一輪が襞の数までクッキリとそのすべてを際立たせた。

『珠殷のカケラ』の、珠殷とは「しゅあん」と読む。しゅあん、しゅ・あ・ん・・・・・どういう意味だろう? という思いは以下の言葉の脳裏電撃によって即座に打ち消えた。
「ポーランド人の小説家ヴィトルド・ゴンブローヴィチは、自作に『フィルディドゥルケ』という題をつけた時、"『フィルディドゥルケ』という題の意味を聞きたがるなどというのは、舞踏家のダンスの奇跡にみちた美しさを無視してそのダンサーの筋肉や骨格の優劣を調べあげようとするようなものだ。"と言い放った」 ごもっとも。

天井から垂れるネットの、まるで3月11日の地震 悲しみ、悔しさ、怒りが残骸のように垂れ下がった漁師の網の折重なりに、目をつむって触ると、まるで感触がない。頭上の左上には、深紅のヒールが片足だけ、網に包まれて垂れ下がっていた。


時計砂が、舞い上がる掌に掬われて、空いっぱいに輝いた。シンバルの強烈な一撃のあと、しばらくのあいだ、シンバルの細かい破片が中空を舞うのがみえた。」(『珠殷のカケラ』初日が公演されている時間に、会場に居なかったわたしの、妄念が脳裏いっぱいに映し出してくれた)

白状するが2日目の公演を、実体ごと観に行った石川慶の舞踏に、ラストで彼女の背中から輝いた恍惚に触れるまで、まるで感涙をあじわうことができなかった。

苛立ちがつのった。撃が昂ぶった・・・・・・途中で帰りたくなった。帰らなくて本当に、よかった。


わたしの愚鈍な脳膜を無視し、腹の底は井戸の底の砂金をかがやかせて舞踏に狂い、舞踏とともに、ひとしきり吼え猛っていた。
水のように濃く血が流れ、生は幾千という肺腑のなかでほとばしり、泡立つ潮のなかで怒号していた。



3月11日以降・・・・・・
東日本大地震とそれに伴う原発事故に、悲しみで胸を裂き、自分の無力さからくる悔しさを噛み殺し、
そして悲しみと悔しさの真下でいつ爆発してもおかしなくない火薬樽いっぱいにつまった怒りの燃焼を凝視できる奴らが、
ある時は音楽で、あるときは舞踏で、わたしの魂を深く抉った。
石川慶が客席にむかって敬礼した時、万雷の拍手に呑まれる思いで、
最前までの苛立ちを恥じ、打ち消す思いで頻りになって、心身をかぎりに手を拍いた。

こういう時は毎回そうなのだが、しばらくまっすぐ歩けなかった。
公演直後、網に吊り下がった、深紅のヒールいっぱいに満たされた黄金の魚たちが重量を満たした。

再演もあると言っていたので、ぜひとも実現してほしい。

その時こそ今回の、苛立ちの「カタ」をつけてやる。

以上、物騒な日記のタイトルを掲げて、しつれいいたしました。

石川慶舞踏公演
     「珠殷のカケラ」(shuan no kakera)

びじゅつ:石川慶



           

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