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ケアリング探求コミュのケアする力

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ケアする力は人によって個人差があると思います。

ケアする力のある人、あまりない人・・・・
ケアする力が高い母親、そうでない看護師、ケアワーカーなど・・・

「ケアリング力」とも呼ぶべきものがるように思うのです。

「ケアリング力」は、人間関係における能力あるいは知性の一つとして位置付けられるでしょうか。





コメント(13)

そしてできれば、
その
「ケアリング力」を
(限界があることを前提にしても)
測定すること
を目指してみたいと思いますが。

似たような心理スケールなどあるのでしょうか。
私が出会ったモノでは、どれも質的な研究で引き出してるような類ばかりです。
研究で導き出しているコトは、
「ケアリングはクライアントと共に展開する」
「ケアリングは状況に依存する」
などあり、
専門家のケアリングによるかかわりの特徴として
「自己認識と自己の目的的活用」
「利己的なかかわりのないこと」
「資源の活用による患者の力の強化」
「超越」
「美的感覚」
「状況からの支援」
などを導き出しており、これらの結果を元に、さらに研究していくことで「スケール」が出来てくるのかもしれないとは思います。
これらは「ケアリングの理論と実践」キャロル・レッパネン・モンゴメリーさんの研究結果です。


感覚的には、ケアリングには、センスと勇気と希望をもった関わりが大切なように思っています。

能力や知性の一つと考えることもできると思います。

私見ですが、ケアリングという構成概念に気づいていなくても「ケアリングという状況」に価値を見出しているかどうか、というコトがポイントのように思います。
ケア提供者がどのような価値観を持っているかで、ケアリング力を持つか持たないかに大きく影響しているように思います。

ケアリングに価値があると思える人は、ケアリングのセンスを磨いていきたいという意識をもって、力をつけていくのではないのかな。。と。

ケアする時の価値観を問うことで、ある程度、ケアリング力をつけていくかどうかの予測は、たたないでしょうか。。どうでしょう。
キャロルさんらの研究はとても興味深いですね。

先行研究を重ねることがまずは必要ですね。

私見ですが、ケアリングという構成概念に気づいていなくても「ケアリングという状況」に価値を見出しているかどうか、というコトがポイントのように思います。

私もそう思います。
たとえば特に専門的援助者でなくても、とてもケアに力がありかつ素敵なかかわりをしている人としばしば見かけます。
それは、レストランで子どもをしかる母親のちょっとした言動、レジでのお釣りの受け渡し、美容室でのシャンプーされる見習い美容師の手の中にも、微細ですがかつ確実に感じられるんです。


ケアリングに価値があると思える人は、ケアリングのセンスを磨いていきたいという意識をもって、力をつけていくのではないのかな

ケアに対する志向性のようなものが、さらにケアの実践に影響を与えているかもしれませんね。



ケアする時の価値観を問うことで、ある程度、ケアリング力をつけていくかどうかの予測は、たたないでしょうか。

そうですね。
そうすると、(私はこういうのあまりよく知らないのですが)
ケアの状況というものをどう操作的に定義するか?
状況を多様に広げると、一般的なものになってしまうでしょうか、なので多少なんらかの専門領域に特定した方がよいでしょうかね。
そして、具体的にたとえば質問項目ならどのように問うか?


うーん、いろいろ深まってきますが、
こりゃ整理しなきゃならんこと山積みですね。

でも興味深いです。やっぱいつか本腰入れてやりたい。

このケアリング力尺度なるものがもしできると、今、自分がやっている研究や学生への教育実践の幅もとてもひろがるのではないかと夢見ているんです。


ありがとうございます。
りんださんから紹介してもらった、キャロルの『ケアリングの理論と実践』今読んでます。
目からうろこ。
とっても面白いですね。
看護理論がこんなに進んでいるなんて。
私の好きな、ベイトソンやワツラウィックらのパルアルト系のコミュニケーション理論も引用、整理されているし(これはなぜか日本の福祉研究にはほとんど出てこないんですよね)

すっかり魅了されてしまいました。

共感や転移などといったカウンセリングや心理療法の概念そのままでは、看護の現場に役に立たない、
というところもとても共感しました。
自分も福祉の現場時代にはしばしば感じていることでした。

精神分析や心理療法の諸概念のみならず、
ケアリング実践には、やはり独自な知見を蓄積していくことが必要だと感じました。
なんと、おもしろい☆
私の方は、今週に入ってワツラウィックの本を注文したばかりです。。
臨床知を追求していくには、システム的な理論を学んでおくことが役に立つと思ったので。。

アメリカの看護理論(看護研究や博士論文)は、やはり進んでいるのですね。

ケアリングについては、ベナー博士のものも、すごいんです。
ナラティブ。

現場での知を、学問の域の「理論」にまで持って行くスゴサ。

人が感じている「知」とは、エビデンスに引けをとらない、むしろ越えている、、これは素晴らしいコトだと思って、ワクワクします。
看護理論面白いですね。ほんとできることなら専門変えたいと思いましたよ。

ワツラウィック面白いですよね。
私もシステム論や家族療法の考え方は、相談員時代利用者の問題状況のアセスメント(特に利用者の家族関係を読みぬく際)をするうえでとても役立ったものと思っています。ケースワークやソーシャルワークには必要不可欠な知見だとも思います。

まあ今では学生の相談を受けるとき学生アセスメント?の際なども微妙に役立っています(笑)

ベナーさんも出てきますね。ナラティブアプローチですか。
ケアリング・・・うーん、奥が深いですね。

私はケアリングが超越性を含んでいるところにも関心が行って、今一部で注目され始めているスピリチュアリティとの関連についても探っていきたいと思いました。
広がっていきますねえ。
相談員をされていたのですね。
今、学んでいる通信大学の専任の先生が、家族療法の専門で、その縁もあって、ベイトソンやワツラウィックの名前をちょくちょく耳にしていまして。先日は、長谷川先生にお目にかかる機会があったんです。で、ワツラウィックの文献を取り寄せた、という流れです。

どこまでも広がりますねぇ〜
ケアリング

看護がここまで探求しているってことは、、なかなか一般の方には知られていないコトですよね。。
日本では「専門看護師」と言われている人達が、大学院を経て、卓越した専門性を発揮されている人たちです。
ケア と ケアリングの意味の違い?もそういえば、自分は、
今まで、よくわからなかったです。

大きい本屋さんの、看護関係のとこ行って、立ち読みしてきます♪

なんで福祉の勉強に、もっと入ってないのか不思議です。
看護の世界も奥深いですね。

“「ケアリングという状況」に価値を見出しているかどうか、というコトがポイントのように思います”
すごい、なる程と思いました。
何で福祉に、ケアリング概念がそれほど論じられないのか?(一部の方は論じられておりますが)
ねえ、私も不思議でした。

そのわけは、福祉の「問題解決中心主義」の流れのため(特にソーシャルワーク理論の機能論派の台頭がその象徴ではないかと思っております。)ではないかと私は考えています。

運動論、政策論など政治的風土から生まれた近代の社会福祉、その中で、「フクシハココロダ」的教義が極端に叫ばれることになんだかとても違和感がありました。
福祉の勉強に入ってこないのか、、、ということですが、、

私が看護の学校で勉強していた15年ほど前には、「ケア」については教わってきましたが、「ケアリング」という概念については、ふれられてなかったと思います。

おそらく「ケアリング」のようなことは、実践知、臨床知から出てきたところのように思うので、きっと、福祉分野で活動している方々の中では感じている概念なのだと思います。

実践家どうしで、もっと、もっと語っていきたいコトですよね!
久々の登場です!
僕は看護の人間ということもあり、Bennerの考え方を支持しています。ケアリングとは、気づかいであり、相手に巻き込まれ関与すること。つまり、相手に関心がないと成り立たないものです。また、ケアリングには専門職者の専門能力も不可欠です。
みなさん、ナラティブに関心を持たれているみたいですが、看護でいえば、ケアリングは看護師と患者との相互作用の中から生み出される文脈依存のものです。ナラティブだけでは看護師に意識化されたことしか語られなかったり、言行不一致がみられることがあったりします。無意識のうちにとっている行動やかかわりの中にもケアリングが表れていることも少なくないのです。それを克服し、ケアリング実践を明らかにしていくためには、参加観察が有効です。参加観察したことをデータとして起こし、実践の解釈をしていくのです。
ものすごい骨の折れることで難しいですが、楽しいですよ!

とにかく看護におけるケアリングに関心がある方はBennerの「現象学的人間論と看護」の序章と第1章は必読です。
私も久々です。

りんださん
ケアリングは臨床の知に根付いたものだと私も思います。なので研究者よりもむしろ、現場の実践者の間ではっきりさせていきたいですね。

シモーネさん
ありがとうございます。ベナー買ったきりでそのままになっていました。読んでみます。
参与観察による実証研究の方法論的議論も面白いですね。
もし論文などになされたのならいつかご紹介下さい。

それから、以前おっしゃっていたプレゼンス概念ですが、私も今このことに関心がいっています。私はプレゼンスの概念は心理療法(特にハコミセラピー)や人間性心理学(ジェンドリン、ロジャーズ)から知りました(ああ、いつかこの辺のこともまとめたいですね)。学生に面接技法など援助技術を教えていく上でこの概念が不可欠だと最近考えております。このことについても議論できたらと思っております。(そうだトピ立てましょう)
りんださん。

ケアリングは実践知からくるもの、その通りだと思います。また、実践家の間で語り合っていく(言葉にする)ことも必要ですが、それだけでなく記述していくことが求められています。そうでないとケアリングの価値を伝えていくことは困難です。
このことにチャレンジしてみませんか。


spritbreakthroughさん

実践の中からケアリングを見出して上で参加観察は不可欠です。僕の場合、方法論的“議論”を乗り越えて実際に5ヶ月間、調査も行いました。議論だけが先行するのではなく、議論と調査を行きつ戻りつですすめていくのがいいのではと考えています。

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