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プロダクトデザイナーコミュのデザイン?

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デザインってなんですか?

一般的には、人を幸せにすること。なんですけど、

皆さんはデザインって何だと思いますか?

コメント(69)

デザインと聞いて、思い浮かんだのを書き流します。

●創る側、選ぶ側、使う側、全てにおける
 自らのスタンス、あり方、行為、態度である。
●見つける力、考える力、動く力、伝える力。
●メッセージ、利害、プレゼント、オマケ。 
●放つ側と受ける側の、思惑・思い付き・思い入れ・思い込み。
●人という生物の、愚かさと、ちょっとした素晴らしさ。
●仕事、名声、カネ、経歴。
●歴史及び未来への、マーキングである。 
●おもてなし
●「意味」を解釈することであり、「物語」を感じることである。
●社会というフィールドでのサッカー。
 視野を広め、個人技やチームのスキルを磨き、
 おそいかかる問題へはディフェンスをし、
 タイミングと状況を見てキラーパスを放つ。
●料理のようなもの。素材と加工を考えること。
●質問を探し、質問を作り、解答の選択肢を作ることである。
●物理学と記号学のバランス。模索及びその具現化。
●伝統への継承と、将来への布石である。
●らしさ。たたずまい。 
●作りやすさのため、経営のため、人間のため、の手段。
●真摯(しんし)と偽善、工夫とインチキ、の狭間。
●日々のモチベーション。
●革新とバージョンアップの、果てしなき階段。
●モノづくり。
●問答?
 「前人未到の原野が広がる中、貴方が一人立っている。
   果たして、ここに、『デザイン』は、あるか。」
●昔の哲学の問答? 
 「決して、師は『答え』や『意見』が欲しいのではない。
 『自らに問い、自らを掘り下げ、自らを発見する行為』こそ望みであり、
 単に『きっかけ』を与えたかったにすぎない。とすれば、
 どこかにあって拾ってくるものではなく、生み出すものであり、
 もはや『他に問うこと』でさえ、間違った行為なのかも知れぬ。
 もし、最善の回答というものがあるとすれば、
 それは、『生みの苦しみを味わうこと』そのものなのだ。」

長々と失礼しました。
あらためて 『 デザイン = 想いの具現化 』
「付加価値」

と,学校で先生に言われたことを思い出しました.
既に一定の価値あるプロダクトにさらに別の価値を付加するという意味では古い考え方だと思いますが,全くのゼロからそのものの持つ全ての価値を与えることと考えると「付加」という語感も生きてきそうな気がします.

それにあたる日本語が,ボキャブラリー不足で見あたりませんが(汗
「創造」? いやいや...
みなさんマジレスありがとうございます。

オーガッタさん。ちなみに僕の担任は専門学校を卒業してすぐ先生になった人です。社会を知らない人です。もちろんデザイナーではないし、よくわからない人です。
そういう人がデザインって何?と問いかけたんです。
なるほど、知識しか無い人ですか。または、知識はある、と言った方がいいのか。その方のパーソナリティはわかりませんが、あとは能力で判断するしかないですね。良いプレイヤーが良い監督になれるとは限らないのと同じで、評価の高いデザイナーが良い講師になれるとも限りませんけどね。
例えば、コラーニの連続講義を受けるより、コラーニの評論をしっかり出来る人の単発の講義を受けた方が勉強になるような気もします。極端ですが。

私は建築デザインを学んでいましたが、基礎学習の時にプロダクトデザインやカーデザイン、グラフィックデザインの授業がありました。講師の方々は、皆企業に居た、もしくは居る方でした。そういう学校もあるのですね。

これ以上はパーソナリティに関わることなので、なんとも言えませんが、そう問いかけた以上は、その方なりの「デザインとは」があるような気も致します。せっかくお金を払って授業を受けているわけですし、どんな些細なことでも学べることはあるはずです。この人から学ぶべきことはない、と、どの段階で判断するかということもありますが、それは人でもモノでも同じで、コラーニのように自然が師匠、みたいに言い切れるとあそこまで独特の世界へと到達できるのも事実ですしね。

現時点での自分の「デザインとは」を持って、その方にも問うてみてはいかがでしょうか。実際に活躍されている方々との違いがどれくらいあるのかなどを確認されてはいかがでしょうか。
追記)なんだかんだ言って、コラーニは好きなデザイナーなのです。
反論とかじゃなく、補足ととらえてくださいね、Dytaさん。

時代の変化という言葉を使って、話題や現象、評論の“対象”が変化するという意味でコメントしました。
何かに入れ替わるとか、前者が無くなるという解釈は存在していません。例えば、
・「黒電話」の機能性、アノニマス性が高いデザイン、いいデザインです。好きです。
・「muTECH」のデザイン好きです。
の価値観の変化です。
アノニマスのデザインの部分は無くなってもいませんし、デザイン性の高さも決して下がってはいません。それを見る側の観点が日々変化をしていると解釈してください。
迷ったり決断したりを繰り返して、何らかの価値や意味を生み出すことだと思ってます。
ソフト、ハード問わず。
はじめまして。
「デザインとは?」ということについては、私も前々から興味がありました。

私が思うには、

「知識の積み木遊び」を通して考えを形成し表現する事、ですかね。

知識という無限に増える積み木を、頭の中で繋げたり、重ねたり、壊してまた積んでみたりすることで、新しい、今までになかった考えをつくりだすことだと思います。
友人である国内外様々なジャンルのデザイナー達との
交流の結果、だいたい共通している、デザイン業務とは、
「バランス(調和)」です。 ゆえに私が解釈するデザインとは「バランス」です。

表現手法はデザイナーそれぞれ、
革新性、サプライズ、面白さ、癒し、シンプル、即物的、破壊的、融合性、多様性、など様々です。

ムーブメントは
アーツアンドクラフツ、アールヌーヴォー、アールデコ、デスティル、モダン、ポストモダン、デコン、アノニマス、ミニマム、ユニバーサル、エコロジー、サスティナブルと言う風に
変化していっています。

チャンネルは、
持ち主、使い手、企業、職場、自治体、社会、地球、時代、倫理、コスト、市場、技術、素材、機能、生活スタイル、慣習、歴史、固有風土などで、

それぞれ多様な観点の、
「安全な掛け橋」となり、
「磨き上げる鏡」となり、
「計る物差し」となり、、、そういうブラッシュアップ作業。

トータルでは良質な良識的なデザインは
「バランスをとる技術(美術)」という意見で合致してます。

反対に悪意のあるデザイナーはこれを短期収益や売名の
為に故意にねじまげて、差違を煽り、
独善的な仕事をするでしょう。

デザイナーがきちんと責任を果たす為には、
「真摯な見極め」が出来るように勉強し続けないといけない。
正解は多様な観点で時々刻々場所場所で
いつも変化し続けるからです。
また誇大妄想をもつとおかしくなるしイエスマンでもまずい。
上も下も無く圧力や権力に屈し無い誇りがほしい。
審美性は時に暴走をまねく諸刃の剣であるからです。
眼力なくしては正解がだせない。
多様な情報を直感、分析、整理、統合、人それぞれ、形にする手法はあるでしょうけど、奢りは社会を不幸にします。

ビジネスは 固有の生活や、社会や、地球にとって、よりよく
幸せになるようにしないと、持続可能な事業にならないでしょう。
伝統は細かい革新をし続けることで存続しえます。
そういう細かい革新を担う場合もある。
その時、デザイナーは
各家庭や企業や街区の参謀となり、形態化のプロ、親しい隣人友人として、
「よりよいガイドラインを示す」最低責務があると私はおもいます。
人は広い意味で「不快」な状況に置かれたとき、初めて人はその「不快」を取り除くために動くらしい。なんか関係ありそうだねw
みなさん深いですね〜。そもそもデザインを一言で語ることはできなかったのかもしれませんね。
バランスっていうのは僕も一番大事にしています。バランスの取れていないものはやはり世間から浮いてしまいます。

デザイナーのバランス感覚を確かめるためにも
「真摯な見極め」が大切ですね。

またデッサンをやらねば。。。
「皆の夢を、見て触れて感じられるカタチに変換すること」
「皆で感動を共有できるものを体現すること」
…直接的には「創造」、今の自分の仕事でも実感できる言葉だ。
じゃあ言葉や絵でも表す事の出来ない感情って、デザインできないんだね。そのデザインはそのものを象徴してるだけであって、その感情ではないんだ。でも誰かと接してそのデザインや感情が生まれるのは同じなんだ。
 例えば、一つの要素(水を入れる物)とそれに触れる人(水を入れる物が欲しい)との間にあり、二つを結び付ける事がデザインのありかたかな〜なんて思います。
 文章でもフォントの大きさや配列にこだわる事も出来るわけですから、どれだけ人に「自分はこういうモノなんです」って主張をして、なおかつ伝わるかでしょうか。
 もちろん「え、これでそんな事出来るの!?」というデザインもありだと思いますよ。
私の考えでは、デザインに「独創」なんて無いと思います。
見てきたもの、感じてきたものに、その時の自分の精神状態とインスピレーションを加えて・・・・、それを翌朝しみじみと見た時に自分自身が嫌悪感を抱いたりしても構わないんです。
100人中99人に受け入れられるものもデザインですが、100人中たった一人の絶賛者に指示される事も立派なデザインです。
機能を必要としないものに機能を求めたり、機能を必要としているのに、芸術的言い訳を付け足すのは、良いデザインとは思いません。
美術品と違う点は、「商品性への割り切り」でしょうか・・・。
その「割り切り」をどれほど高いレベルで妥協させられるか・・・、が良いデザイナーか否かの分岐点かも知れません。
はじめまして。
「思想」と「哲学」の表れ、だと思います。
抽象的ですが。。。
 はじめまして。

 最近、職人デザイナーの分際で、工業デザイン関係の書籍の執筆をしており、毎日、「デザインとは何か?」について、真剣に悩んでおります。

 これが、結論かどうかはわからないのですが、デザインとは、「行動するための指針作り」なのではないかと、思い始めています。

 「Design」の和訳は「計画」だとよく言われます。しかし、計画するだけでは意味がない。意味があるのは「行動」することです。

 「行動」するために、いったいどっちに進んだら良いのか、何が目標なのかを、周りを見たり、自分や知り合いの意見を聞いたりして「計画」することがデザインなのではないでしょうか?

 そして、なるべく早く「最初の一歩」の後押しをして、「行動」し続けること。それも、デザインの役割みたいです。

 芸術運動家ウイリアム・モリスは産業革命がもたらした不細工な製品のデザイン?にアンチテーゼを掲げ、工業化社会への反旗としてアーツアンドクラフト運動を起こしました。

 理想主義的な社会倫理を前提にしてデザイン研究を行っていたバウハウスは、工業化社会を地球上の全人類に同じ性能の製品を供給する社会システムとして捉え、人種や性別や年齢を越えて理解されるインターナショナルデザインをめざし、研究と実践を続けました。

 ロン・ロメスは自らが広告塔となり、ユニバーサルデザインの普及に努めました。

 パパネックは、デザイナーのアイデアと知恵を人類にとって意味のあるものにするためには、地球環境に配慮しながら、低開発国や身体障害者などに向けて、彼らが生きのびるために必要としているもののデザインをしなければならないとして、世界中を飛び回り、自らの思想を説いて回りました。

 デザインとは、

「行動のための計画・指針を立案すること。そして、その指針を信じて行動し続けること」

 そして、美しいものが必要なわけは、

「美しいものは、人種や文化の壁を越えて、それを受け取る人々の尊厳の尊重に繋がるから。」

ではないでしょうか?

 私は今、この考え方で執筆を進めています。

 長文失礼しました。ご意見いただけましたら幸いです。
けんちゃんさん>
「美しいものは、人種や文化の壁を越えて、
それを受け取る人々の尊厳の尊重に繋がるから。」

というフレーズに心うたれました。
本当にそうだと思います。
美しいものは、誰の上にも公平に、
その人たちの生の尊重につながっていくものですね。
>けんちゃんさん
>「行動のための計画・指針を立案すること。そして、その指針を>信じて行動し続けること」

同感です。

いかにして目的地に一番早く着けるか。その方法を考え実行する。
これもデザイン。
いかにして給料日まで残りのお金で生活するかを考えて実行することデザイン。

毎日毎日人間はデザイン活動をしていると思います。
はじめまして皆様!
自分が現時点で思う自らの生業であるプロダクトデザインのディフィニションってか、こんな感じ的な思いを書き込むことによって自己紹介と変えさせて頂きます

機能や思想を利益を生む形態として表現・誕生させるための工程

初めてメーカーに入社したとき人々が
「デザインはいいんだけど、機能がねぇ…」
なんて言うのを聞いてひどく違和感を覚えたものでした。
だって、“形態は機能に追従する!”じゃないんかよ?
機能がイマイチならデザインはいいはずがない。

個人的なアートとデザインの差としては
アートは目的が表現で結果として利益をもたらすことはあっても
もくてきとしてはベネフィットはあってもプロフィットを生み出すことが入っていてはならない気がする。
一方工業デザインは確実に何らかの利益を生むことを期待されている

工芸とプロダクトの差において
工芸は手数で見せる部分があるが
プロダクトデザインは小さな努力大きな効果=効率は大事

一番大事なこととして、デザインはモデルを造ったらおわりでなく、図面を描いたら終わりでなく、次工程の設計や製造部門と協力、対峙しながらものをつくり上げていくその工程を全て含むと思う。だから「問題解決策」っていったり「行動」について皆さんが含めようとするのはもっともだと思う

そして多くのメーカーの理念がプロダクトを通し、世の中を幸福に豊かにすることをかかげているので、効果として「人を幸せにする」を導き出せればいうことはない

以上
デザインとは『完成形を考える』事だと思っております。
コミュニケート(伝達)不可能なものを、コミュニケート(伝達)可能な状態にする事


(:デザインはデザインする人を自由にすると同時に不自由にする。
 :デザインされたものも同様の可能性を持っている。)
はじめましてわーい(嬉しい顔)

富士山は、とってもナチュラルな感じで素敵ですね富士山

私はのんびりとぼんやりとしてますが、よかったら仲良くしてくださいねるんるん

なんか近いものを感じましたぴかぴか(新しい)

よろしくお願いしま〜す湯のみ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=613039874&owner_id=10877783

ゆったりデキルモノですねわーい(嬉しい顔)
はじめまして。モノ作りを手がけて30年です。
NCオペ、金型設計、商品研究開発、デザイン・設計
CIやデザイン資源化プロジェクト、大学講師など
いろいろ経験してきました。

>デザインとは、「行動するための指針作り」
>一方工業デザインは確実に何らかの利益を生むことを期待されている

まさにその通りだと思います。
工業またはプロダクトと付くならば、すなわち生産活動を
意味しますね。
消費・流通・製造・・これらの仕組みを無視して、個性や
芸術性だけ主張しても意味のないことで、それは単なる
絵に描いた餅に過ぎません。

この消費・流通・製造がそれぞれ何らかの利益があって
はじめてビジネスが成功するわけで、それが出来たとき
はじめていいデザイン・・と言えると思います。

たとえば、ユーザー(消費者)の利益を考えても、
実用、文化、哲学、芸術・・それらによる快楽や感情
幸せ、そういったもの全て使う人の利益になると思います。
だから買うわけですよね。

しかし、世間一般の概念は「デザイン画」がデザインだと
思っている方は少なくありませんね。
デザイン画は、計画の上に成り立つ道しるべであるはず
なんですよね。(企業が目指す方向を表現している)

デザインは愛・・
究極はそこに行き着くと思います。
>人の数だけデザインの意味があるとして

私もこれに一票。

サラリーマンならいざ知らず、フリーや学生さんならみんながみんなローウィの伝統的なビジネスモデルに従う必要も無いのではないかなぁと思ったりもします。

私も「デザインは愛」という言葉は独立した時に恩師からもらいましたが、
今の私にはもったいなさすぎるので仕舞ってあります。
それに、普段使いするには正直ちょっと大きすぎるんですよね・・・


ところで、個人的な希望としては
ベテランの方には「そんなもん、ただの言葉じゃよ」と言ってほしいですねー晴れ
>K一さん
素敵な先生ですね!
先生やるようなプロダクトデザイナーって熱い人多いですもんねー。

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