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朝鮮映画研究会コミュの日本沈没

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図書館で新聞の縮冊版を検索し、1974年の朝鮮映画人代表団訪日に関する記事を集める。といっても、朝日新聞が2件、読売新聞が1件、毎日新聞は0件。代表団一行(7名)は12日間滞在し、東京、京都、大阪をまわった。
以前朝鮮画報の記事を読んだ時には、朝鮮映画祭が開かれ、帝国ホテルで日本映画人との懇談会が催され、撮影所などを訪問したということは知っていた。新聞記事で、一行が訪問したのは、NHK、日活撮影所、京都太秦の東映京都撮影所だったことを知る。現像所がどこだったのかは書かれていない。また試写で観たのが『日本沈没』だったというのが面白い。

新聞のインタビューでは、口をそろえて北朝鮮の映画を自画自賛する。日本は経済的な問題で自由に映画が撮れないようだが、朝鮮では国家が惜しみなくお金を注いでくれる。日本の俳優は生活に不安を感じているようだが、朝鮮では衣食住すべて国家が面倒をみてくれると。また日本の技術の低さに失望したという意見も見られる。撮影所の機材が古いことも指摘する。当時は撮影所システムも崩壊し、映画業界も不景気だったので、機材の新調は控えられていたのだろう。そういうタイミングだった。訪れた日活撮影所で撮影していたのはロマンポルノ。ベッドシーンではなかったようだが、「お金のために脱がなければならない」日本の女優に同情する発言もある。

縮冊版をめくっていると、彼らの滞在中に日本で何があったのかがわかって面白い。日本では北朝鮮のサッカーチームとの試合が行なわれ、2回の対戦はいずれも北朝鮮の圧倒的勝利。代表団一行も当然それを知ったであろう。
国鉄のストライキがあり、大学入試に多大な影響が出たこと。来日したユリ・ゲラーがテレビに出演し、テレビの前の多くの視聴者が家にある故障した時計が動き出す現象を目撃したこと。ルバング島のジャングルに潜んでいた元日本兵小野田寛郎が現地で保護され帰国準備に入ったこと(彼の帰国は訪日団の離日の翌日)。こうした出来事は彼らの日本観にどんな影響を及ぼしたのだろう。

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