96年に自身のブランド、「Alexander McQueen」にてロンドンコレクションに参加。同じ年に前デザイナーのJohn Gallianoに代わり、Givenchyのデザイナーに抜擢。
96年と97年にはイギリスのデザイナーに送られる、「British designer of the year」を受賞。
1997年7月、Yves Saint Laurent Rive Gaucheのアーティスティックデザイナーに就任。3年間に渡る活躍により、同ブランドに再び活気をもたらすこととなる。
しかし2000年3月、グッチグループによるYves Saint Laurentの買収を受けて、Yves Saint Laurentを去る。彼が同ブランドで行った最後のコレクション(2000 a/w)は'Black Tie'と名付けられ、妥協を見せない男性のエレガンスを表現したコレクションとして今も語り継がれる。
2シーズンのブランクを経て、Christian Diorのメンズライン、Dior Hommeのクリエイティブディレクターに就任。以来、現在に至るまでDior Hommeにてデザインを続ける。
2002年にはCFDA(アメリカファッション協議会)よりDesigner of the Year賞を受賞。
"I'd like men to think about evolving into something more sophisticated, more seductive. To explore the possibility of an entirely new kind of masculinity."
しかし、自分自身のレーベルを作りたかった彼女は、1997年10月、自身初のコレクション(98 s/s)をパリのアードギャラリーにて行う。
1998年、VH1にてthe best new designer of the yearを受賞。それを受けて、1999年にRuffo Researchのコレクションを担当。
2000年にはmoetファッション賞を受賞。
2003年よりメンズラインも手がける。
"When people think of fashion, they always prefer to see the crazy side, the cliched side of it. But I think that's wrong. Fashion is an important part of a woman's life"
イギリスのデザイナーに送られる「British Designer of the Year」を1987年、1994年、1995年、1997年の4回に渡って受賞。1997年、4回目の受賞はAlexander McQueenとダブル受賞という形になっている。
"I am here to make people dream, to seduce them into buying beautiful clothes and to strive to make amazing clothing to the bast of my ability. That is my duty."
Martin Margielaにおいて特徴的なのは、デザイナーである彼自身がメディアにほとんど姿を見せないことである。
ショーのフィナーレに登場しないのはもちろん、雑誌のインタビューに対しても、声を聞かれないようにFAXを使って質問に答えるという徹底ぶりで、ミステリアスな雰囲気を出している。
そのため、彼の顔を認識できるのはファッション界でもごく数人しかいないと言われている。
"To evolve is to continue to breathe criatively."
「進化とは、常に想像的な呼吸を続けることである。」
Maison Martin Margielaのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.maisonmartinmargiela.com/
1968年、ベルギーに生まれる。
ファッションを専攻したことはなく、独学で服作りを学ぶ。
学生時代にインターンシップでアントワープの6人の1人、Walter Van Beirendonckのオフィスに行ったこともあり、そのためか、ファッションを選考することはなくとも、彼はファッションに大きな興味を持っていた。
後に家具デザイナーとして2年間働くが、彼はこの仕事に満足していなかった。
そして1995年、アントワープ王立アカデミーのファッション学科長、Linda Loppaに会い、初のコレクション(95 a/w)を発表。
99 a/wのコレクションの後で突然活動を休止するが、1年後の00 a/wコレクションから再び活動を再開。
また、1999年にはRuffo Researchのmenswearコレクションのデザインも担当。
2000年10月より、彼はウイーンのthe University of Applied Artsにて教鞭もとっている。
1973年に会社'Comme des Garcons'(コム・デ・ギャルソン)を設立。この「少年のように」という意味を持つフランス語のブランド名は、単純に彼女がこの音の響きが好きでつけたという。
2年後の1975年に初のコレクションを東京で行う。
1978年よりメンズラインの'Comme des Garsons Homme'をスタート。
1981年にパリコレクションにプレタ部門でデビュー。以来パリを拠点に活動している。
1982年には家具ラインをスタート。
1984年に'Comme des Garsons Homme Plus'をスタート。
1987年にはビジネススーツを取り扱う'Comme ds Garsons Homme Deux'、翌年には'Comme des Garsons Shirt'を相次いでスタート。
2001年、Burberry社のオーナー、Rose Marie Bravoのオファーを受け、Burberryのクリエイティブデザイナーに就任。現在では会社全体のイメージからシーズンごとの広告コンセプトまでを手がけている。
(BuberryのコレクションラインであるBurberry Prosumは、1999年、オーナーのRose Marie Bravoと当時のデザイナーRoberto Menichettiの元でスタート)
2005年にはBritish Designer of the Yearを受賞。
今年2006年で、Burberryは創業150周年を迎えている。
1990年、マドンナのツアー衣装を手がけたことで彼は一気に世界的に有名なデザイナーとなる。
1993年には香水を発表。Luc Bessonの'The Fifth Element' , Peter Greenawayの'The Cook, The Thief, His Wife and Her Lover'など映画の衣装も手がけるようになる。
1997年にはGaultier Parisをスタートさせ、オートクチュールの救済者と称される。
2004年からHermèsのレディースデザインも担当。
今や現在活動している最も有名なフランス人デザイナーの1人であることは言うまでもありません。
'I didn't want to be famous.'
「私は有名になどなりたくはなかったんだ。」
Jean Paul Gaultierのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.jeanpaul-gaultier.com/