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☆★ファッションクレイジー★☆コミュの★デザイナーの部屋★

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このトピックではデザイナーについての簡単な紹介をしていこうと思います。

これからたくさん更新していきますので、お楽しみに!!

コメント(30)

room 1 'Alexander McQueen'

最初の紹介はAlexander McQueen(アレキサンダー・マックイーン)です。

1969年、イギリス生まれ。
92年にセントマーチンズを卒業。

96年に自身のブランド、「Alexander McQueen」にてロンドンコレクションに参加。同じ年に前デザイナーのJohn Gallianoに代わり、Givenchyのデザイナーに抜擢。
96年と97年にはイギリスのデザイナーに送られる、「British designer of the year」を受賞。

2000年に自分の会社の株をグッチグループに売ったことで、Givenchy並びに大元のLVMH社と仲違い。結果、翌年の契約期限が切れた段階でGivenchyのデザイナーを更迭。GivenchyとLVMHを去る。
2002年の春夏からパリコレクションに参加。
2004年に初のメンズラインをミラノで発表。


"There is still a lot I want to achieve. There isn't any room for complacency in this head!"

「まだまだ成し遂げたいことはたくさんある。自分の頭は全然満足なんてしてないんだ!」


オフィシャルサイトはこちら。
http://www.alexandermcqueen.com/flash.html
room 2 'Karl Lagerfeld'

2回目の紹介はKarl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)です。

1938年、ドイツの孤児院で生まれる。
1952年、14歳でパリに移住。2年後の1954年、16歳の若さでIWS(国際羊毛事務局)主催のデザイン・コンクールのコート部門で優勝を果たす。
1963年に独立。同じ年にChloeのクリエイティブ・ディレクターに就任する。
1965年にはFENDIのデザイナーに就任。
そして1983年、Chanelのデザイナーに就任し、以後オートクチュール、プレタポルテの両部門を兼任する。
1984年には自身のブランド「Karl Lagerfeld」をスタート。
1986年には、毎年最も優れたコレクションを発表したデザイナーに贈られる「デ・ドール賞」を受賞。
1988年にChloeのデザイナーを一時辞めるが、1992年から1998年まで再びChloeのデザイナーに復帰。

デザイナーでありながら、写真家としても非常に有名。
また、Dior Hommeのスーツの美しさに惚れ、それを着こなすためにダイエットをしたことでも知られ、70近いにも関わらず彼からは常にファッションに対する熱意が感じられる。

"I am inspired by everything. There is only one rule: eyes open!"

「私は全てのものに鼓舞される。そこにはたった一つのルールしかない、目を見開くんだ!」
room 3 'Hedi Slimane'

3人目の紹介はHedi Slimane(エディ・スリマン)です。

1968年、パリに生まれる。
10代の頃からすでに服作りを独学で始め、ルーブル美術学校にて美術史を学ぶ。
1992年、Jose Levyのデザイナーとなり、その後5年間Jean-Jacques Picartのアシスタントとなる。

1997年7月、Yves Saint Laurent Rive Gaucheのアーティスティックデザイナーに就任。3年間に渡る活躍により、同ブランドに再び活気をもたらすこととなる。
しかし2000年3月、グッチグループによるYves Saint Laurentの買収を受けて、Yves Saint Laurentを去る。彼が同ブランドで行った最後のコレクション(2000 a/w)は'Black Tie'と名付けられ、妥協を見せない男性のエレガンスを表現したコレクションとして今も語り継がれる。

2シーズンのブランクを経て、Christian Diorのメンズライン、Dior Hommeのクリエイティブディレクターに就任。以来、現在に至るまでDior Hommeにてデザインを続ける。
2002年にはCFDA(アメリカファッション協議会)よりDesigner of the Year賞を受賞。

"I'd like men to think about evolving into something more sophisticated, more seductive. To explore the possibility of an entirely new kind of masculinity."

「男性には何か、より洗練された、魅力的なものについて考えてもらいたい。全く新種の男らしさの可能性を探求するために。」


Hedi Slimaneのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.hedislimane.com/
room 4 'Veronique Branquinho'

4人目の紹介はVeronique Branquinho(ヴェロニク・ブランキーノ)です。

1973年、ベルギー生まれ。
子供の頃の夢はバレリーナ。
最初は現代語と絵画を学んでいたが、1991年にアントワープ王立芸術アカデミーに入学し、ファッションを専攻。
1995年の卒業と共に、ベルギーにおけるトップのコマーシャルレーベルで働く。

しかし、自分自身のレーベルを作りたかった彼女は、1997年10月、自身初のコレクション(98 s/s)をパリのアードギャラリーにて行う。
1998年、VH1にてthe best new designer of the yearを受賞。それを受けて、1999年にRuffo Researchのコレクションを担当。
2000年にはmoetファッション賞を受賞。
2003年よりメンズラインも手がける。


彼女は注意を引き付けるような服のデザインはしない。
変わりに、機能性によってのみ価値の高まる美しい服をデザインするのである。


Veronique Branquinhoは同じくベルギー出身で、現在はJil Sanderのデザインも手がけるデザイナー、Raf Simons(ラフ・シモンズ)の元恋人としても有名ですね。


"I'm inspired by the inner complexity of a woman."

「私は女性の内に秘めた複雑さに鼓舞される。」
room 5 'Miuccia Prada'

5人目の紹介はMiuccia Prada(ミウッチャ・プラダ)です。

1950年、ミラノに生まれる。

1913年、ミウッチャの祖父、マリオ・プラダがミラノに皮革製品店PRADAをオープンしたのが、プラダの始まり。
1958年のマリオ・プラダ死去を受け、しばらくの間プラダは低迷期を迎える。

しかし、20年後の1978年、マリオの孫娘であるミウッチャ・プラダがオーナー兼デザイナーに就任したことで、プラダは再び活気を取り戻す。

1988年、初の女性服コレクションを発表。
1993年、若者層をターゲットとしたセカンドライン、「miu miu」を発表。このブランド名は、ミウッチャ自身の子供の頃の愛称に由来している。
1994年、初のメンズラインを発表。
1997年、Prada Sportを発表。
1999年にLVMHと「LVP」という合弁会社を設立。
2000年にはPrada Beautyを発表。


"When people think of fashion, they always prefer to see the crazy side, the cliched side of it. But I think that's wrong. Fashion is an important part of a woman's life"

「一般に人々がファッションについて考える時、彼らはいつもファッションのおかしな部分、ありきたりな部分について考えるのを好んでいるが、それは間違いだと思う。ファッションとは、女性の生活における重要な部分なのだ。」


プラダのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.prada.com/
room 6 'John Galliano'

6人目の紹介はJohn Galliano(ジョン・ガリアーノ)です。

本名はJuan Carlos Antonio Galliano(ジュアン・カルロス・アントニオ・ガリアーノ)

1960年、ジブラルタルに生まれる。6歳でロンドンに移住。
1984年、セントマーチンズを卒業。彼の卒業コレクションはフランス革命にインスパイアされ、「Les Incroyables」と名づけられる。
翌年の1985年には独立し、ロンドンでデビュー。
1992年にパリに舞台を移す。

1995年にGivenchyのデザイナーに抜擢される。
そして2シーズンののち、1996年にGianfranco Ferreの後を受けてChristian Diorのクリエイティブディレクターに抜擢。現在もChristian Dior並びに自身のブランド「John Galliano」で活躍中。

イギリスのデザイナーに送られる「British Designer of the Year」を1987年、1994年、1995年、1997年の4回に渡って受賞。1997年、4回目の受賞はAlexander McQueenとダブル受賞という形になっている。


"I am here to make people dream, to seduce them into buying beautiful clothes and to strive to make amazing clothing to the bast of my ability. That is my duty."

「人々に夢を見させるため、彼らを魅了して美しい衣服を買うよう促すため、そして、私の能力の全てをもって、驚くべき衣服を作ることに尽力するために私はここにいる。これが私の義務なのだ。」


オフィシャルサイトはこちら。
http://www.johngalliano.com/
room 7 '山本耀司'

7人目の紹介。まだ日本人デザイナーを紹介してなかったので、山本耀司から紹介しようと思います。

1943年、東京に生まれる。
1966年、慶応大学法学部を卒業後、文化服装学院に入学。
1969年、文化服装学院を卒業。

1971年、株式会社「ワイズ」を設立。Y's for Menを発表。
1972年、Y's for Womenを発表。
1977年、東京にて初のコレクションを発表。

1981年、パリコレクションデビュー。同時期にデビューしたComme des Garconの川久保玲とは当時恋人関係だった。

2003年、Y-3をコレクションにて発表。

現在に至るまでファッション界に多大な影響を与え続けている。
空手の黒帯を持っており、世界空手協会のチーフオーガナイザーも務める。


"You can say that designing is quite easy. The difficulty lies in finding a new way to explore beauty."

「デザインは簡単なことだと言ってもよい。難しさとは、美を探究するための新たな方法を発見することにあるのだ。」


オフィシャルサイトはこちら。
http://www.yohjiyamamoto.co.jp/
room 8 'Martin Margiela'

8人目の紹介はMartin Margiela(マルタン・マルジェラ)です。

1959年、ベルギーに生まれる。
1979年、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業。その後はミラノにて活動する。

1984年、初めて目にしたJean Paul Gaultierのコレクションに感動し、その後1987年までの4年間、彼の元でアシスタントを務める。

1988年にMaison Martin Margielaを設立。同じ年にはパリにて初のwomenswearコレクション(89 s/s)を発表。このコレクションは全ての常識を覆すもので、「デストロイ・コレクション」と評価された。
1998年に初のmenswearコレクション(99 s/s)を発表。

1997年から2003年にかけて、自身のコレクションに加えHermesのwomenswearラインも手がける。
2002年7月、Dieselグループの代表Renzo Rossoを筆頭株主に迎える。


以下は、Maison Martin Margielaにおけるライン展開。

0 手仕事により、フォルムを作り直した女性のための服
0 10 手仕事により、フォルムを作り直した男性のための服
1 女性のためのコレクション(ラベルは無地で白)
? 男性のためのコレクション
? 女性のためのワードローブ
? 男性のためのワードローブ
? 女性と男性のためのアクセサリーコレクション
22 女性と男性のための靴のコレクション
? オブジェ、または出版物
MM? ♀のための服


Martin Margielaにおいて特徴的なのは、デザイナーである彼自身がメディアにほとんど姿を見せないことである。
ショーのフィナーレに登場しないのはもちろん、雑誌のインタビューに対しても、声を聞かれないようにFAXを使って質問に答えるという徹底ぶりで、ミステリアスな雰囲気を出している。
そのため、彼の顔を認識できるのはファッション界でもごく数人しかいないと言われている。


"To evolve is to continue to breathe criatively."

「進化とは、常に想像的な呼吸を続けることである。」


Maison Martin Margielaのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.maisonmartinmargiela.com/
room 9 'Ann Demeulemeester'

9人目の紹介は、Ann Demeulemeester(アン・ドゥムルメステール)です。

1959年、ベルギーに生まれる。
1981年にアントワープ王立アカデミーを卒業。

1985年、自身のレーベルを設立。
1986年、ロンドンの展示会に出展。以降、「アントワープの6人」の1人として称えられる。

1992年にwomenswearでパリコレクションデビュー。
1996年にmenswearコレクションをスタート。

靴やアクセサリーのラインも大好評で、今や彼女のコレクションは世界30カ国以上で取り扱われている。


"Fashion has a reason 'to be' because in fashion you can find new kinds of expressions about human beings."

「ファッションには存在理由がある。なぜならファッションの中に、あなたは人類についての新種の表現を見出せるからである。」
room 10 'Marc Jacobs'

10人目の紹介はMarc Jacobs(マーク・ジェイコブス)です。

1963年、ニューヨークに生まれる。
パーソンズ・スクール・オブ・デザインを卒業。
1984年の卒業コレクションがRobert Duffyの目に留まり、以降彼はマークのビジネスパートナーとなり、現在でもその関係は続いている。

1986年、2人はそろってMarc Jacobs初のコレクションを開始。翌年にはニューヨークファッションのアカデミー賞ともいえるCFDA awardを受賞。
1989年にPerry Ellisのヘッドデザイナーに就任。

1997年、LVMH社からのアプローチを受け、Louis Vuittonのアーティスティック・ディレクターへと就任。
LVMH社のサポートのもと、2001年にはMarc by Marc Jacobsと自身初となる香水を発表。
2003年にはホームウェアのコレクションも開始。


"It's important for me that my clothes are not just an excercise in runway high jinks."


「私にとって重要なのは、私の作る服はランウェイのばか騒ぎの中でのただのエクササイズではない、ということだ。」


Marc Jacobsのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.marcjacobs.com/
room 11 'Raf Simons'

11人目の紹介はRaf Simons(ラフ・シモンズ)です。

1968年、ベルギーに生まれる。
ファッションを専攻したことはなく、独学で服作りを学ぶ。
学生時代にインターンシップでアントワープの6人の1人、Walter Van Beirendonckのオフィスに行ったこともあり、そのためか、ファッションを選考することはなくとも、彼はファッションに大きな興味を持っていた。

後に家具デザイナーとして2年間働くが、彼はこの仕事に満足していなかった。

そして1995年、アントワープ王立アカデミーのファッション学科長、Linda Loppaに会い、初のコレクション(95 a/w)を発表。
99 a/wのコレクションの後で突然活動を休止するが、1年後の00 a/wコレクションから再び活動を再開。
また、1999年にはRuffo Researchのmenswearコレクションのデザインも担当。
2000年10月より、彼はウイーンのthe University of Applied Artsにて教鞭もとっている。

2005年7月より、Jil Sanderのクリエイティブディレクターに就任。

彼は、同じベルギー出身のデザイナー、Veronique Branquinho(ヴェロニク・ブランキーノ)の元恋人としても知られています。


"The collections have been part of the process of growing up."


「コレクションは成長の過程の一部だ。」
room 12 '川久保 玲'

最近忙しくて更新が疎かになってました。すいません。
12人目は川久保玲について紹介したいと思います。

1942年、東京に生まれる。
1964年に慶応大学を卒業。その後旭化成に入社し、広告部門で働く。

1973年に会社'Comme des Garcons'(コム・デ・ギャルソン)を設立。この「少年のように」という意味を持つフランス語のブランド名は、単純に彼女がこの音の響きが好きでつけたという。
2年後の1975年に初のコレクションを東京で行う。

1978年よりメンズラインの'Comme des Garsons Homme'をスタート。
1981年にパリコレクションにプレタ部門でデビュー。以来パリを拠点に活動している。
1982年には家具ラインをスタート。
1984年に'Comme des Garsons Homme Plus'をスタート。
1987年にはビジネススーツを取り扱う'Comme ds Garsons Homme Deux'、翌年には'Comme des Garsons Shirt'を相次いでスタート。

現在山本耀司と国内外問わず人気を二分する日本を代表するデザイナーの彼女の作る服は、服飾の既成概念を覆す斬新なものである。
黒を基調としたアイテムは、一時「黒の衝撃」と呼ばれ、世界中から注目を浴びたほどである。

現在、Comme des Garsons Hommeのデザインは、彼女が厚い信頼を寄せる渡辺淳弥と共に行っている。


"Tha same spirit runs through everything I do."


「私が行う全てのことには、一貫して同じ思いが籠められている。」
room 13 'Antonio Marras'

13人目の紹介はAntonio Marras(アントニオ・マラス)です。

1961年、サルディニア島のアルゲロに生まれる。

公式に服作りを学んだことはなかったが、1988年にデザイナーとしてのキャリアをスタートさせる。同じ年、Contemporary Linen Prizeのウエディングドレス賞を受賞。

1996年にオートクチュールコレクションにデビュー。
1999年に自身の名前でプレタポルテコレクションにデビュー。
2002年にはmenswearもスタート。

2003年、Kenzoにてwomenswearのアーティスティックデザイナーに就任。

地中海独特の自然に影響された彼のデザインする服は華やかで美しい。


"Every single piece is a piece of my heart."


「作品の1つ1つが、私の心の欠片なのだ。」
room 14 'Christian Lacroix'

14人目の紹介はChristian Lacroix(クリスチャン・ラクロワ)です。

1956年、フランスに生まれる。
1971年にパリに移り、ソルボンヌ、Ecole du Louvreで美術史を学ぶ。美術館の学芸員になろうと勉強をしていたが、デザインに興味を持ち、デザインを始めることとなる。

1978年、Hermesにおいてアクセサリーのデザインを始める。1980年にはGuy Paulinのアシスタントに就任し、1981年、Jean Patouのオートクチュール部門チーフデザイナーに就任。

1987年に、LVMH社のBernard Arnaultのオファーを受け、同社の傘下に入り自身の名「Christian Lacroix」にて初のオートクチュール・コレクションを開始。
パリのオートクチュールに新しいブランドが参加したのは、1965年のCourreges(クレージュ)以来、22年ぶりであった。
この1987年のオートクチュール・コレクションにて「デ・ドール賞」を受賞。
翌年の1988年にプレタポルテのコレクションもスタート。

1994年にはディフージョン・ライン(著名な服飾デザイナーによる価格の安いブランド製品)である「Bazar」、1996年には「Jeans de Christian Lacroix」をスタート。

2002年には、Emilio Pucciのクリエイティブディレクターに就任。2006年s/sコレクションまでデザインを務める。
(その後2006年a/wより、Matthew Williamsonが同ブランドのデザインを務めている。)

2005年に、LVMH社がChristian LacroixをアメリカのFalicグループに売却。


"My fashion is more a way of living life with your roots, and finding your own true self, than having a logo to put on your back."


「私のファッションは、背中にロゴマークを掲げるということよりも、むしろ自分の根源に基づく生活をし、本当の自分自身を見つけることにあるのだ。」


オフィシャルサイトはこちら。
http://www.christian-lacroix.fr/
room 15 'Helmut Lang'

15人目の紹介はHelmut Lang(ヘルムート・ラング)です。

1956年、ウィーンに生まれる。
デザインを専攻したことはなかったが、1977年、自信のレーベルをウィーンに設立。

1986年、プレタ部門でパリコレクションデビュー。翌年の1987年にmenswearのコレクションもスタート。

1998年、事務所をニューヨークに移す。
翌年の1999年、プラダグループがHelmut Lang社の株の51%を買収。香水やアクセサリーのライン展開を始める。

2002年、ニューヨークからパリへ再びコレクション発表の場を戻す。

2004年に残りの株49%も全てプラダグループが買収。
2005年にHelmut Langのデザイナーを引退する。


"I think I always had a good sense of seeing things that were coming and was never afraid to explore them."

「私は新しい物を見ること、そしてそれを恐れずに探求することに関し、常に良い感覚を持っていたと思う。」


Helmut Langのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.helmutlang.com/
room 16 'Christopher Bailey'

16人目の紹介はChristopher Bailey(クリストファー・ベイリー)です。

1971年、イギリスのヨークシャーに生まれる。
父は大工、母はデザイナーであったが、彼自身のファッションに対する興味は、イタリア人である祖母から影響を受けている。
1994年、ロンドンにあるRoyal College of Artの修士課程を卒業。

1994年から1996年までの3年間、ニューヨークでDonna Karanの元で働く。
1996年、Tom Fordに雇われ、2001年までGucciのwomeswearのシニアデザイナーとして活躍。

2001年、Burberry社のオーナー、Rose Marie Bravoのオファーを受け、Burberryのクリエイティブデザイナーに就任。現在では会社全体のイメージからシーズンごとの広告コンセプトまでを手がけている。
(BuberryのコレクションラインであるBurberry Prosumは、1999年、オーナーのRose Marie Bravoと当時のデザイナーRoberto Menichettiの元でスタート)

2005年にはBritish Designer of the Yearを受賞。
今年2006年で、Burberryは創業150周年を迎えている。


"I'm a very down-to-earth designer."

「私はまさに現実的なデザイナーだ。」


Burberryのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.burberry.com/Home.aspx
room 17 'Dolce & Gabbaana'

久しぶりの更新となる17人目は、Dolce & Gabbana(ドルチェ&ガッバーナ)でいこうと思います。

デザイナーはDomenico Dolce(ドメニコ・ドルチェ)とStefano Gabbana(ステファノ・ガッバーナ)の二人。

Domenico Dolce(写真右)は1958年、シチリア生まれ。実家は縫製工場を営んでおり、7歳の時には父親にジャケットの作り方を学んでいたという。マランゴーニ・ファッション学園卒。

Stefano Gabbana(写真左)は1962年、ヴェネチア生まれ。こちらもマランゴーニ・ファッション学園卒で、グラフィックを学んだ経験あり。

二人が出会ったのは1980年、同じファッションデザイナーのスタジオで働いていたときだった。
1982年、共同でミラノにファッションコンサルタントのオフィスを構える。

1985年、ブランド「Dolce & Gabbana」を設立し、コレクションを発表。
1994年には若者向けのセカンドライン「D&G」を発表。


Dolceのテーラリング完全主義とGabbanaの派手なスタイルがセレブ達を魅了し、現在では子供服、水着、下着、眼鏡、香水など、さまざまなラインを手がける世界でも屈指の人気ブランドとなっている。
ハリウッドでの人気はナンバーワンと言われる。


「スタイルとは内にあるもので、それを追求し、選択する者自身である」というブランドコンセプトを掲げ、自由かつ確実なライフスタイルを提案している。


"We are both creative, both in a diffrent way. We complete each other."

「私達は二人とも違う形で創造的である。私達は二人そろって完全体となるのだ。」


Dolce & Gabbanaのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.dolcegabbana.it/
room 18 'Sonia Rykiel'

18人目の紹介はSonia Rykiel(ソニア・リキエル)です。

1930年、パリに生まれる。
1962年、彼女自身が妊娠している時に、十分に満足のいくほど柔らかくしなやかなセーターを見つけられなかったことがきっかけとなり、自分自身でニットを作り始める。
このニット作りの成功をきっかけに、1968年には自分のブティックをオープンするに至る。

女性の美しさをより引き出すことにもいち早く力をいれ、1978年には香水、また1987年には化粧品のラインを発表。
1983年にはフランスで芸術文化勲章を受章している。

彼女のビジネスは家族と密接な関わりがある。夫のSimonは彼女のビジネスパートナーでもあり、娘のNathalieは1975年以来ずっとSoniaの会社で働いている。

彼女のこれまでの業績から、現在は「ニットの女王」「現代のココ・シャネル」と呼ばれ、世界的に慕われるデザイナーである。


"I hope that my creations can give a little bit of joy."

「私の創作活動により、人々にほんの少しの楽しみを与えたい。」

Sonia Rykiel cosmeticsのホームページはこちら。
http://www.soniarykiel-cosmetics.com/
room 19 'Nicolas Ghesquiere'

久しぶりの更新です。19人目の紹介はバレンシアガのデザイナー、Nicolas Ghesquiere(ニコラ・ゲスキエール)です。
メゾンの歴史も併せて紹介します。


彼が現在デザインを担当するバレンシアガの創始者、Cristobal Balenciagaが引退したのは1968年。プレタ時代の到来により、メゾン自体が改革を迫られたときであった。30年もの長いメゾンの歴史から手を引く際に彼の残した「プレタに乗り出すには、あまりにもクチュールを知りすぎた」という言葉は今でも語り継がれる名言となっている。

そしてバレンシアガの死後、弟子の1人がパリでプレタポルテのバレンシアガをオープン。20数年の時を経て、現在のデザイナーNicolas Ghesquiereに引き継がれることとなり、ここからブランドの歴史が再び変わる。

ゲスキエールが生まれたのは1971年、フランス。バレンシアガが没するわずか2年前である。

1991年からJean Paul Gaultierの元でアシスタントを務め、1995年にバレンシアガへ。同ブランドでクリエイティブ・デザイナーに就任したのは1997年、わずか26歳のときであった。
2002年にはメンズラインをスタート。

彼が高く評価されているのは、バレンシアガという一度幕が下りたブランドを再びトップの位置へと復活させたことにある。
2003年に、メゾンはグッチグループの傘下となった。
同グループのCEO、Domenico De Soleはこう語る。
「バレンシアガというメゾンには、あるすばらしい財産がある。その名はニコラ・ゲスキエールだ」


'The history of this house is incredible, which means I can work with a lot of freedom.'

「このメゾンの歴史には信じがたいものである。しかしそれにより、私は自由にクリエイションを行うことが出来るのだ。」


Balenciagaのオフィシャルページはこちら。
http://www.balenciaga.com/#Id=/Home
room 20 'Jean Paul Gaultier'

最近間が空きすぎて申し訳ないです。本当はもっと頻繁にいろんな人を紹介したいんですが・・・。
20人目となる今回は、Jean Paul Gaultier(ジャン・ポール・ゴルチエ)を紹介します。

1952年、パリに生まれる。
70年代初頭、Pierre Cardin、Jean Patouの元で訓練を積み、1976年に自身のプレタポルテコレクションをスタート。

彼はその後すぐに男性用スカート、アウターとして着られたコルセット、タトゥーがプリントされたボディストッキングなどの因習打破主義的なデザインにより知名度を上げる。彼はまた、トレンチコートなど古典的なパリジャン・スタイルもレパートリーの中心としている。

1990年、マドンナのツアー衣装を手がけたことで彼は一気に世界的に有名なデザイナーとなる。
1993年には香水を発表。Luc Bessonの'The Fifth Element' , Peter Greenawayの'The Cook, The Thief, His Wife and Her Lover'など映画の衣装も手がけるようになる。
1997年にはGaultier Parisをスタートさせ、オートクチュールの救済者と称される。

2004年からHermèsのレディースデザインも担当。

今や現在活動している最も有名なフランス人デザイナーの1人であることは言うまでもありません。


'I didn't want to be famous.'

「私は有名になどなりたくはなかったんだ。」


Jean Paul Gaultierのオフィシャルサイトはこちら。
http://www.jeanpaul-gaultier.com/

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