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医療コミュニケーションコミュの模擬患者(SP)

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模擬患者について考えてみませんか?

SPとは、

Standardized Patient(主に北米)

Simulated Patient(主にイギリス)

の略で、一般的に模擬患者と呼ばれ客観的臨床能力試験(OSCE)や医療面接などの講義に利用されています。

OSCEの国試導入目標や共用試験に利用されることもあり、
現在は各大学共に独自のSP養成にも力を入れていますが、その質、量、運営資金の確保などに苦慮している現実もあります。

SPに接する機会は今後も増えていくと思われますが、意見や要望、現在見受けられる問題や、有効性、可能性など自由に思うままお聞かせいただけたらと思います。

SPと接してどうだったか、SPとして医療者や学生に接してどうだったか、養成やフィードバックについてなど、それぞれの立場で思うまま語っていただければ幸いです。

コメント(24)

今、薬剤師になった時に患者さんの気持ちが考えられるように、また、来年の春の3年生の先輩のテストのために、SPの練習をしてます。
実際に患者さんの立場にたって考えてみると、どのような姿が患者さんにとって接しやすいのかなど考えられて、とてもいい経験になってます。
>ricoさん

レスありがとうございます(^^)
文面から、ricoさん達がSPをする練習をされているということでしょうか?フィードバックもなさいますか??

患者さんの立場に立って考える、確かにとてもいい機会になりそうですね!

ただ、学生さんがSPをする場合、知ってる先輩に試験で当たるとやりにくいなどの話を聞きますが、ricoさん達はどんな感じですか?

先輩たちに試験であたることについて、今どんな気がしているかなんかも、よかったらまた教えてください(^^)
私たちがSPの練習をしてますよ☆

知ってる先輩にあたってしまうと、余計に緊張してしまいますね…知らない先輩とあたるといいのですが…
後輩の学生さんが、先輩の実習(あるいはOSCE)のSP役を務めるということですね。

医療面接の実習には、相互に医療者役、患者役を交代で演じるロールプレイと、SPさんに患者を演じて貰うロールプレイの2種類があります。

前者のロールプレイは、患者さんの気持ちを体験できるというメリットがありますが、シナリオの準備などに難点があります。

学生さんがSPを演じるのは、とても良い体験になると思います。

岐阜大学MEDECはSP活動のメッカですが、そちらと関係がおありなのでしょうか?
登場が遅くなり申し訳ありません。

主に医学部・歯学部で実習・OSCEのお手伝いをしていますが特に実習は、ファシリテーターの力量がかなり求められますね。
SPの売りは、演技のリアリティーとフィードバックですからそれなりの訓練をして授業に参加しています。
それを活かすか殺すかは、ファシリテーターの腕次第だと思います。(かなり厳しい言い方で申し訳ありません)

OSCEは、フィードバックをしないので事前の打ち合わせさえしっかりと出来ているとあまり問題はないと思います。

SP養成が出来るファシリテーターがまだまだ少ないのが現実じゃないですかね。
>鵜匠さん

レスありがとうございます。
ファシリテーターの力量…デス…ね(^^)
SPを生かしきるのは確かにファシリテーターの力も大きいですよね。

アメリカではファシリテーター以外にティーチングSPもいるんですが、日本ではまだそれは…。ただ、フィードバックがすでにそれになってるSPは多いかもしれませんね。
私はSPに寿命を感じていて、きちんと心理などの勉強をしていかない場合は、SPとしての新鮮味が薄れた段階でそろそろ引退かな、と思っています。きちんと勉強し、自分の存在意義をきちんと理解し続けている方であれば、この限りではないのですが…。
るならびさん

私もSPとしての新鮮味が命と言って良いように思っています。
アメリカのティーチングSPのことは知りませんでしたが、私が養成を受けた限りでは、一般人としての感覚と役柄から抜け出てロールプレイの時の気持ちの動きを説明できるように訓練されました。
SPが「患者は、共感されると判ってもらえた感じがして嬉しいものですよ」みたいに一般論を言うとそれが一つの答えのようになり、やたらに共感する学生が増えたりします。
心のこもっていない共感は、かえって不信感になることもありますよね。
患者の個別性を学んでもらうためには、SPは教材としてファシリテーターと上手く役割分担ができると実践に近い実習になるのでは・・・と思ってしまいます。
ただ、長い間SPをやっているとシナリオを変えて演じてもフィードバックの自分は一緒ですから言葉の表現が同じようになっていることに「これでいいのかな?」なんて思うことがあります。
そんな自分を振り返って、新鮮ではなくなっている事を自覚したりします。
なりたいと思ってもなれないSP、続けたいと思っても続けられないSPの境界線はあると思うのですが、誰がその判断をするのでしょう。
>鵜匠さん

SPはやはり一般論は言わないほうがその意義がよりあると思います。その時感じた事実のみを返す。なので、自身の洞察が本当は必要です。

何よりも大事なのは、想像力です。

自身がこうなったらどうだろう、ということを、複数パターン想像できなければ、厳密な意味での「共感」は成立しないと思うのです。

共感は、厳密には、両者が確認作業を繰り返しながら到達する共通理解、感情の共有のようなものであって、患者さんが「頭が痛い」と訴えすぐに「大変ですね」と返して成立するものではありません。ここは、OSCEの害もあるかな、と思うのですが。

私は、学生さんには、本当にそう思わないなら言う必要はない、と今は伝えています。もっとも、矛盾しますが、共用試験などの前には、とにかく、「示せ」とは言いますが(苦笑)

あくまでも、ヘルスコミュニケーション学習と、一通りを問わなければならない試験は、残念ながら区別して私は接しています。

共感の不信感は、おっしゃる通りだと思います。
なので、本当に感じないならしないほうがよい、とも思うのです。が、今述べた通り、試験になるとどうしても「言え」になってしまう。。。態度で示す、ノンバーバルな共感もあるのですが、試験官がそう感じなければNGですしね。

経年変化ですが、前述の通り、まず患者としての社会的背景、心理背景をしっかり想像でき、そのつもりになり切れたら、案外大丈夫と思います。ただし、素直であること、自身の心理的変化を客観視できるよう訓練をつむことは重要と思うのです。

SPは、疾患をまず覚えるのではなく、人としての背景をまずしっかりイメージするべきであると思います。でなければ、フィードバック自体がウソを越える事はないような気がします。

SPの引退に関する判断ですが、少なくとも、私は、私がやっています。何ケースかは他の先生がなさいますが・・・。

この場合、よくある判断材料は、フィードバックが

?一般論ばかり言って、説教になっている
?自分の体験を語ってしまい、FBを逸脱する

の、結局は、「今どう感じたか」を率直に述べることができなくなるケースと言ってよいでしょう。

色々な病気に見舞われる実際の患者さんも多いので、SPも、自身の背景さえしっかり理解し続ける事が出来れば、新鮮なFBができると思うんですけどねえ・・・。

だけど、どこかで、寿命を感じちゃうんですよね(笑)
るならびさん

 共感について指導される方が矛盾と板ばさみになる状況は、その通りででしょうね。
OSCEの時にノンバーバルで共感されたとSPが感じても評価者に伝わらない場合もありますよね。やっぱり実習と試験の目的が違うのでしょうがないんですかね。
>鵜匠さん

ノンバーバルの共感の評価は熟練した評価者でなければ無理ではないかなあ、と思います。

ただ、私も昔そうだったのですが、マニュアルがあって、その言い方なんかを一応覚えることは、とても役立つと思います。
当時は私も今の学生さんが違和感を覚えるのと同じように違和感を感じまくっていましたが・・・。

「普段使わない言葉」は、よっぽど何かきっかけがないと、ずっと人は使わないかもしれません。だけど、「試験するぞ、覚えろ」のような、仮に説明不足の押し付けであっても、そういう言葉を言えるような練習をどこかでしていれば、その後、その有効性、必要性をきちんと理解できるようになったときにとっても役に立つでしょう。

そう言う意味では、試験はとても素晴らしい(^^)
手技などの統一性の問題など色々ですが、ある時点で必要と思われるある程度のラインを示し、それを問うのが試験ですから。

となると、やっぱりSPもそこを理解して、コミュニケーション学習の時と、試験の時のスタンスを明確にする必要があるでしょうね。

「共感」については、よければこのコミュの「コミュニケーション」の中にもありますので、よければご意見などお聞かせください。

さて、SPですが、他に、何かございませんか???
色々「つぶやき」でもかまいませんので、お聞かせください!
MiXiをあまりつかってなかったので、今日初めて、コミュニティにも登録しました。SPを用いた医療コミュニケーションの教育研修「も」する会社を経営しております。SPはそもそも身体所見を模するものとして1960年代にProgrammed Patientと呼ばれていたものをバローズがSimulated Patientと呼び出したと記憶しています。その後、コミュニケーションのトレーニングにも使用されるようになりましたが、米国でOSCEが始まった際に、試験用として用いられた際にStandardised Patientと呼ばれだしました。OSCEが米国で始まったもののため、米国ではStandardised Patientと呼ぶ割合が方が多く、両方混同されて使用されていますが、主に北米、主に、イギリスという説明は私には違和感があります。SPは万能ではないので、「学習目標の明確化」と「用いる側のスキル」が重要と考えています。ざっと、読ませていただいたところ、「何のためにSPを用いているか」が良くわかりませんでした。すみません。。私は、SPは日本人特有の「以心伝心」や「察する」というトレーニングに最も効果的だと考えて、用いていますが、海外の文献ではそのようなものが無く、苦労します。ご意見等ありましたら、嬉しいです。
がさん

ありがとうございます(^^)

ご存知とは思いますがOSCEは英国のR.Hardenらにより開発され広まりました。その本家と思われるスコットランドの大学でも、SPとは一般的にSimulated Patientを指しています。現実として、SPが主に何の頭文字をとったものか、を示すならば、私が最初に書いたようになるのかな、と思います。混同というならばそれは例えば日本など後進?の一部に該当するだけであって、米国にしてもカナダにしても英国にしても、その「呼称」を厳密に使用していると思えます。身体診察専門のいわゆるSPは別の呼称がありますし、ファシリテーターの役まで担うSPも呼称があります。言葉、ここでは呼び方を、きちんと意味を持たせて厳密に使おうをする北米と、それに比較すればまだ幾分アバウトな英国、この解釈が間違っているかは別にしても、現にアメリカはそうなわけで、私はこの差をトピの説明として、きわめて簡略化して書いたわけです。

何のためにSPを用いているかがわからない、については、利用する先生方や機関の目的によって当然変化するわけであって、
例えばがさんのように会社で利用するにしてもその研修目的があるはずです。がさんがおっしゃるよに、「以心伝心」や「察する」というトレーニングに最も効果的と考え用いる、のももちろん良いと思います。利用する側の数だけ存在するでしょう。

10年近く前、このSPが広がりを見せる中で、ある臨床医がSPにコントロールされることに危機感を覚えるとおっしゃったことがあります。これは、ある意味正解で、ある意味間違いです。意味、お察しいただけますか?

海外の文献については、幅を広げれば関連するものが出てくると思います。また、特にコミュニケーションや心理系に多い?(あ〜、過激でごめんなさい)と私は感じるのですが、向こうのものを翻訳すればいいってものではありません。文化に即した考え方、捉え方がありますので、わが国でもっと研究、検証され、わが国ではこうだ、というものを構築していくべきではないでしょうか。OSCE、SP,とても刺激的なものを知った今、これを、どう、わが国に会うよな形、要求に沿うような形で利用して行くかが重要です。合わせてもう一つ書けば、提供者と利用者のパワーバランスでもこの利用形態は変わっていくでしょう。がさんが関わってらっしゃる会社は、利用者側の立場に立ってこのようなサービスを提供されているのではありませんか?

SPが万能ではない、は、私は、究極的には万能だと思っています(^^) ただ、SPをするものの、資質が問題です。そこまでできるSP、私は、夢です。私も日本人ですから、アメリカのように割り切りきることはできません(いまのところですけど)。
ですから、人と人の関わりの中で、医療者に影響を与えるSPの可能性に、とても夢をみています。
最後はドリーマー発言になってごめんなさいね。
まあ、わたしは、いろんなことを、力を抜いて、広くみていきたいなあ、と思っていますので。
SPの活動の今後に期待しています。
いろいろあるでしょうけど。
るならび・バウアー さん、コメント、ありがとうございます。不勉強な部分があってすみませんでした。とっても、良くわかりました。「SPにコントロールされる…」は、(その表現がでてくる背景(医療者の在り方)が気になりますが)、そのケースでは、そういうこともあるでしょうが、「一事が万事」になってしまわないように、ファシリテーターが「場」をコントロールする必要があるかもしれません。SPのドリーマー的な発言は、とってもよくわかります。私は、研修コストを考えてしまうので、もう少し現実的ですが。SPの資質は確かにありますが、それは、SPを始めた時のスタート位置と成長の早さの問題で、時間さえかければ、みんなSPとして成長する感じが経験からはあります。なにより、それによって、SPの方々が実生活でも、コミュニケーションがうまく行くようになって、幸せに成るのが、嬉しいですね。最近、行政ともコラボして地域密着型の試みもスタートしそうですので、国民全員SP経験者っていうのもいいなーと勝手に思っていました。私は、医療者ですので利用者側の立場にはかなり立ってるとは、思いますが、どちらかというと、中間ぽいかもしれません。
はじめまして。
先日、某病院にて医療面接セミナーに」
参加させていただきました。

そのときに初めてSPというものを知り
同時に医療現場においてコミュニケーションが
どれだけ重要だということが身にしみてわかりました。

例えば、病院や救急車でも軽症患者に行う観察は
バイタルサインぐらいです。
よってコミュニケーションが患者さんにもっとも
多くかかわっているものだと思いました。

私も4月からSPを目指します。
つくぼんぬさん

はじめまして!

>医療現場においてコミュニケーションが
どれだけ重要だということが身にしみてわかりました。

そのセミナー、きっととても良いセミナーだったんじゃないかな、と嬉しく思います。

学生さんに接していても、まだまだコミュニケーションの勉強は後回しの感があり、その重要性をどうやったら伝えられるかなあ、と思案中です。

SP、その後またどうなったかなど教えて下さい(^_^)
久々に書きます・・・問題提起のようなものとして、流していただいてOK(^^)

M4OSCEにおけるSPなんですが、医療教育用人形(シュミレーター)
が高性能かつ安価で出回るようになれば、それで済む気がするのは私だけでしょうか?
音声言語も合成で発することができるし、確実に同じことを言いますからね。

医療面接、医療の場におけるコミュニケーションの修練は、人を疾患や症例として
などではなく、ちゃんと一人の人として(背景の存在を認め)接し診る・看ることを
意識できるようにという意図もあったと思うのですが・・・
現時点では聞くべき事を覚えているかや服装、態度(共感的も含め)のチェック
ばかりに突っ走っている感がします・・・。
そんな中では、M4OSCEにおけるSPは、シュミレーターよりもSPが安価だから使う、
かのような気すらしてくるのですが・・・

それとも、学習の時間が足りないからこう感じるのかな。
OSCE以外でのSPを用いた講義や実習は、さすがに違うと思うのですが・・・。

SPが人間であることの意味を大事にしたいなあ、とふと先日思ったのでありました。
aiponさん

「出来るところから」が大事なんだろうな、と本当に私も思います。
私も改めて、できるところから取り組み直したいと思います。
いろいろと大変と思いますが、頑張ってくださいね^^

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