なにより、帰途はハワイで日本では無名だった「デルタ・リズム・ボーイズ」を江利チエミに引き合わせ、帰国後は「ジョイント・コンサート」や、大阪御堂筋での「オープンカー・パレード」まで企画…
また、デルタは「ビクター専属」で、凱旋帰国の際、羽田空港の出迎えには「同じビクターの新人歌手/雪村いづみ(江利チエミが録音するはずになっていた曲[Till I waltz again with you]を一足先にデビュー曲としてデビュー)をデルタへの花束贈呈の名目で出迎えに向かわせて「江利チエミに初めて引き合わせる」などなど… 当時、江利チエミさんは「吉本興業」の専属です。
このころの吉本にこのような戦略がとれ、外国で勝負するといったプロモート力があったとは思えません。
様々なところに「永島さんの影」が見え隠れするように思います。