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WHAT!USA'Pro-Wrestling HistoryコミュのHistory of Chris Benoit

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お待たせしました!!
満を持しての登場
今は亡きエディと共に日本で活躍し、レッスルマニア20では念願の世界ヘビー級王座奪取。
奪取後のエディとの感動の抱擁が今でも忘れられないという方も多いでしょう。
そんなレッスルマニア20の主人公、「凶獣」こと、
クリス・ベノワを紹介します。


クリス・ベノワ(Chris Benoit  1967年5月21日生まれ)

本名:同じ
愛称:クリップラー、凶獣
出身:カナダ・ケベック州モントリオール
身長:178? 体重:100kg
得意技:クリップラー・クロスフェイス
     ダイビング・ヘッドバッド
     シャープ・シューター(サソリ固め)
     3連続ジャーマン・スープレックス
     高速ブレーンバスター



子どもの頃からダイナマイト・キッドに憧れプロレスラーを志し、アメリカン・フットボール、アマレス、ボディビルなどで体を鍛え、高校卒業と同時にカナダのカルガリー地区の大物プロモーター、スチュ・ハートによりハート・ダンジョンで鍛えられる。
1985年に同地でデビュー。
デビュー戦はカルガリーマットのアルバータ興業にて、リッチ・パターソンとタッグを組んで勝利している。

当時新日本プロレスの常連外国人バッドニュース・アレン(アレン・コージ)の誘いで1986年3月に新日本プロレスに留学、初来日を果たす。

1987年1月2日後楽園ホールでクリス・ベノイの名で船木優治戦で日本デビュー戦を行う。
一旦帰国後、11月にダイナマイト・クリスの名で外国人勢として来日。

その後の1989年12月にカルガリー・マットが消滅するまで同地区のトップ、スタンピード・ブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座に君臨した。

1990年2月10日の「'90スーパーファイトin闘強導夢」大会で、正体不明のマスクマン、ペガサス・キッドとして参戦。
同年8月19日、両国国技館で獣神サンダー・ライガーを倒して第12代IWGPジュニア・ヘビー級王者となるが、同年11月1日日本武道館でライガーに獲り返されてしまう。

1991年3月3日、メキシコのエル・トレオでビシャノ3号を倒して第21代WWF世界ライト・ヘビー級王者となる。同王座を1年半保持。
が、同年7月4日、福岡でライガーとのマスク剥ぎマッチに敗れてマスクを取る。

1993年6月の「トップ・オブ・スーパージュニア?」大会で優勝を機にワイルドペガサスに改名。

1994年4月16日両国国技館における「第1回スーパーJカップ」で、ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)外道、ザ・グレート・サスケを連覇して優勝。
同年10月には大谷晋二郎とのコンビで「スーパージュニア・タッグ・リーグ戦」優勝。

1995年7月には「ベスト・オブ・スーパージュニア?」優勝など、新日本ジュニアヘビー級のトップ外国人として活躍した。

その前年からECW入りし、1995年2月25日にはフィラデルフィアでディーン・マレンコと組んでサブゥー、タズ組からECWタッグ王座を奪っている。
この頃からサブゥーと抗争を展開。その闘いでサブゥーに放った危険なスープレックスでサブゥーの首を折ってしまって以来ポール・E・デンジャラスリー(現ヘイマン)が“クリップラー”(壊し屋・破壊者)という異名をベノワに与えた。
同年6月にはWWFでボブ・ホーリー(現ハードコア・ホーリー)オーエン・ハートらを相手にテストマッチを行うも、日本に行けなくなる為WWF入りを拒否する。
同年10月9日、ECWを経てWCWへ移籍。エディ・ゲレロを相手にWCWマンデーナイトロデビュー。
同年11月11日リック・フレアー率いるフォー・ホースメンのメンバーに選ばれる。

1997年に入るとマネージャーのウーマン(現ナンシー夫人)を巡りケビン・サリバンと抗争をスタートさせ実生活にまで発展。
当時実生活で夫婦だったサリバンとウーマンが離婚し、ベノワとウーマンが結婚する。二人の抗争はなおも悪化していった。

1998年4月30日にはジョージア州オーガスタでブッカーTを破りWCW・TV王座を獲得。

1999年2月21日カリフォルニア州オークランドにてディーン・マレンコとのコンビでWCW世界タッグ王座を獲得し、同年8月9日にはアイダホ州ボイズでデビット・フレアーを破りWCW・USヘビー級王座を獲得。
同年10月4日に、1997年5月24日事故で亡くなったオーエン・ハートの追悼試合として行われたブレット・ハートとの戦いは素晴らしい試合内容と感動のラスト・シーンになった。

2000年1月16日オハイオ州シンシナティにおけるWCW世界ヘビー級王座決定戦でシッド・ビジャスを相手に勝利し王座獲得するも、フロントサイドと試合の結果で揉めた挙句、王座を剥奪されそれを不服と感じ、翌日WCWと決別する。
同年1月31日遂にWWFへ電撃移籍。
同時にWCWを離脱したメンバー(エディ・ゲレロ、ペリー・サターン、ディーン・マレンコ)とジ・ラディカルズを結成。
同年4月2日カリフォルニア州アナハイムでの「レッスルマニア2000」大会で、クリス・ジェリコ、カート・アングル相手にトリプル・スレッドマッチに勝利し、初のインターコンチネンタル王座を獲得する。
IC王座獲得を機にストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック、カート・アングルらと抗争を繰り広げ、No.1コンテンダーにまで上り詰めた。

2001年5月21日カリフォルニア州サンノゼでライバルであった、クリス・ジェリコとともにWWF世界タッグ王者になるが、約1ヵ月後の「キング・オブ・ザ・リング」でスティーブ・オースチン、クリス・ジェリコを相手にトリプル・スレッドマッチを行って、試合中コーナーからのスープレックスをジェリコに放った際、首を負傷し長期欠場を余儀なくされる。

2002年6月に復帰後は盟友のエディ・ゲレロと組んだりしていたがすぐに袂を分かつ。
同年10月20日のアーカンソー州リトルロックで行われた「サバイバー・シリーズ2002」で宿敵のカート・アングルと組んで新設のWWEタッグ王座決定戦にレイ・ミステリオ&エッジ組を下して勝利し王者に輝くものの、仲間割れを起こして王座転落。

その後も翌年の2003年頃までカートとベルトを巡って激しい抗争を展開した。
2003年はライノらと組んでタッグを、エディらと新設US王座を巡って抗争するも、いずれも結果が出せない年となった。

 2004年1月25日ペンシルベニア州フィラデルフィアで行われた「ロイヤルランブル2004」では1番目の出場で優勝する。1995年度優勝ショーン・マイケルズに次ぐ史上2人目の快挙を達成。その年の「レッスルマニア」メイン出場権を手にする。
それまで活動していたスマックダウンを離れRAWに移籍、HHHの世界ヘビー級王座に狙いを定める。

同年の3月14日、ニューヨーク州ニューヨークシティのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた記念すべき「レッスルマニア20」大会において、王者HHH、ショーン・マイケルズを相手に王者HHHをクロス・フェイスでタップアウトさせ、念願の世界ヘビー級王座を獲得。
試合後の故エディ・ゲレロとの抱擁シーンは感動的なエンディングとなった。

同年8月15日の「サマースラム2004」で、ランディ・オートンを相手にベルトを手放してしまった。

2005年6月12日に行われた「ECW ワン・ナイト・スタンド」に出場。
また、ドラフトによりスマックダウンへUターンした。
スマックダウンに移籍後、同年8月21日「サマースラム2005」でオーランド・ジョーダンからUSヘビー級王座を獲得。
その後抗争を始めたブッカーTに敗れて王座を失い、王座をかけてブッカー・Tと7番勝負を行う。

2006年2月19日の「ノー・ウェイ・アウト2006」でブッカーTから王座を取り戻すものの、同年4月2日の「レッスルマニア22」でJBLに敗れて王座を明け渡した。
同年の5月23日のベイカーズフィールド大会後、怪我の為再び戦線離脱する。


日本で成長、活躍し帰国後大成功した数少ないスーパースターの一人。
18年かけて世界王者に辿り着いた彼をリスペクトするレスラーが多い。
彼自身も世界王者になるまでの18年間を「長い旅」と表現している。


タイトル履歴
WWF/WWE
世界ヘビー級王座:1回
IC王座:4回
世界タッグ王座:3回(&クリス・ジェリコ1回、&エッジ:2回)
WWEタッグ王座:1回(&カート・アングル)
2004年ロイヤルランブル優勝
US王座:2回

WCW
世界ヘビー級王座:1回
US王座:2回
TV王座:3回
世界タッグ王座:3回(&ディーン・マレンコ:1回、&ペリー・サターン:1回)

ECW
世界タッグ王座:1回(&ディーン・マレンコ:1回)

新日本プロレス
IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回
1993年トップ・オブ・スーパージュニア?優勝
1994年スーパージュニア・タッグ・リーグ戦優勝(&大谷晋二郎)
1995年ベスト・オブ・スーパージュニア?優勝
1994年スーパー・J・カップ優勝

カナダ・カルガリー地区
スタンピード・ブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座:4回
スタンピード・インターナショナルタッグ王座:4回
(&ベン・バサラ:1回、&キース・ハート:1回、&ランス・アイドル:1回、&ビーフ・ウェリントン:1回)
WWF世界ライトヘビー級王座:1回


みんなの知ってるクリス・ベノワ
印象に残ってるクリス・ベノワを語ってください。

コメント(8)

WCWのUS王座をデビッド・フレアーより後に獲ったというのが衝撃的ですね(笑)。

最初の奥さんはドイツ遠征時に知り合ったマルティナさん・・・と蝶野と全く同じなのがフミ・サイトーにネタにされてましたね。
抗争相手の奥さんと結婚するなんてオースチンと同じで
なんだか面白い話ですね(^^)

やっぱりベノワの一番輝いていたシーンはWM20ですね☆
あのシーンはいつ見ても涙してしまいます(/v;)
管理者のストーンコールド.です。


残念な事にこのトピックの主人公、クリス・ベノワさんがこの世を去りました。

死因は無理心中、
しかも彼の手によって家族を殺めてからの自殺であって、何者かによって殺害されたのではないと報じられています。

彼がこの世を去った事は事実としても、彼が最愛である筈の家族を殺めるなんて信じられません。
いや、信じたくない。




偉大なるスーパースターがまた一人この世を去ってしまいました。


改めて敬意を表してこのトピックを彼に捧げます。



ご冥福をお祈り致します。


沢山の名勝負をありがとう...

ありがとうベノワ...
びっくりしました泣き顔
ベノアが亡くなったなんて……今でも信じられないです……
皆さんと一緒ですが あたしもロイヤルランブル〜レッスルマニア20 の試合
です
レッスルマニア試合後 大歓声と光の中 胸に拳をドンドンと当てて 泣いているベノアを
思い出します

カートやエディとの試合は安心して見れたので大好きでした

エディもそうですけど良いレスラーがいなくなるのは哀しいですね

ベノアにご冥福をお祈りします


ハート道場で修行し、新日本時代では、ジュニアで活躍し、
大きな革命を残したベノワ。

WCW,ECW,WWE他、世界中をわたり歩いた苦労人。

最高峰のベルトを取るまでに、長い道のりだったけど、
20年以上努力した、このバックグラウンドが
あったからこそ、いつも素晴らしい試合を見せてくれて、
そして、大舞台でチャンピオンになれた…。

もう、そんなべノアの勇姿が見れないなんて…。

ホントに残念です…。
自分のプロフにも書いているのですが、
WWEで一番好きな組み合わせがエディvsベノワだったんです。
個人的な見方としてはかなり何か似たスタイルで闘う姿が好きでした。

しかし・・・こうも短い期間に2人も亡くなってしまうとは・・・。

非常に悲しいです。

というか僕のプロフが若干虚しさに包まれてます・・・。

関係ないですがZARDの訃報や・・・なんだか暗いです。

が、
悲しんでばかりもいられませんね。
ベノワの勇姿を胸に刻みつつ、これからも応援していこうと思います。
それがベノワにとっての一番の供養になると信じて・・・。

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