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2006年05月03日 00:40 更新

 その店は新宿西口のはずれにひっそりとあった。高いビルが林立する一角にまるでそこだけ忘れられたかのように建っていた。それはまるで、そこだけ時が止まったかのような木造の古い建物だった。
「ごめん、ごめん。待った」
 その日信二は珍しくデートに遅れた。
「遅いよ。女の子を待たせるなんてサイテー」
 由子は口を尖らせて本気で怒っていた。
 まずい、とは思いながらも、遅れた原因が店を探しだせなかったのだということは黙っていた。なぜなら、信二がこの店に由子を誘い、店の前で待ち合わせようと提案したからである。
 その店は鯛のおいしい店で、なんでも伊予宇和島から直送の新鮮な鯛を使って料理をするらしいのだ。なかでも鯛飯がおいしいと評判の店だった。信二は交際中の由子に良いところを見せようと誘ったのだが、いきなりの失点になってしまった。
 膨れっ面の由子の手を取って暖簾をくぐった。カウンターとその後ろに狭い座敷があるだけの小さな店である。この店の主人だろうか中で料理をしながら、
「へい。いらっしゃい」
 と威勢の良い声をかけてきた。年齢は五十歳くらいだろう、髪に白さが目立つ渋い感じの男だった。
「カウンターでいいかな」
 由子に確認して二人並んで座る。
「何か食べたいものある。この店、鯛飯がおいしいんだって」
 ビールを注文してから、料理を頼もうと由子に声をかけた。だが、膨れっ面のまま由子は一言も口を聞かない。
(まずい、何とかしないと楽しいはずのデートが・・・・)
 だんだん信二は焦ってきた。
 ふと見ると、カウンターの奥に小さな水槽があって、そこに黄色い錦鯉が泳いでいた。
(なぜ鯛飯屋に鯉なんか?)
 と思ったとき、仲直りする良い考えが浮かんだ。
「あ、鯛が泳いでるよ。生きた鯛を見るのは久しぶりだなあ」
 信二は由子の注意を水槽の鯉の方に向けた。
(馬鹿ね。あれは鯛じゃなくて鯉でしょ。でも、どうして鯛飯屋なのに鯉なんか飼ってるのかしら)
 当然、そうくるはずだった。その後は、
(ああ、そうだ鯉だよね。コイつは俺の間違いタイ)
 と洒落て笑いを引き出した後に仲直り、という目論見だったのだ。
 ところが、
「あれが生きた鯛なの。思ったより小さいわね」
 と由子は真面目に答えたのである。
「エッ!・・・・」
 思わず信二は絶句した。
(まさか、由子は鯛を知らないのでは)
 東京生まれの東京育ちだと聞いている。生きた鯛を見たことがないのだろうか。信二はフォローの言葉を探したが咄嗟には出てこない。
 二人して水槽の鯉を見つめたまましばしの沈黙があった。悠然と泳いでいた鯉が方向を変えて、信二と向き合う形となった。腫れぼったい目をした鯉が信二を見て笑っているように見えた。
 それは仲直りをしようと焦る信二を冷笑しているようにも見えて我知らず腹が立った。
 そのとき、
「コイつは私の間違いタイ」
 由子がぽつりと呟いたのである。
 ぷっつ、と思わず吹いた信二は慌てて由子の顔を見た。
 由子の目が笑っていた。

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