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開催終了大学礼拝「寺本圭佑 真鍮弦ハープ独奏 〜盲目のハープ奏者カロランの生涯と音楽」 

詳細

2013年09月20日 14:12 更新

日時:2013年10月3日(木)12:35 - 13:00
場所:明治学院記念館(小チャペル)
所在地:東京都港区白金台1−2−37
出演:寺本圭佑(真鍮弦ハープ)
主催:明治学院大学宗教部
入場無料、予約不要、どなたでもご参加いただけます。

「アイルランドの国民的音楽家カロラン」

 シリーズ4回目となる今回は、18世紀アイルランドで活躍したカロラン Turlough O'Carolan (1670-1738) の音楽をお届します。
 カロランは1670年アイルランド東部のミーズに生まれました。1684年、何らかの理由でカロラン一族は土地を追われ西部のロスコモン州に漂着しました。そこでアイルランド古王家のマクダーモット・ローのもとで働くことになりました。
しかし1688年カロランが18歳のころ彼は天然痘にかかってしまい、失明してしまいました。絶望に打ちひしがれていたであろう少年にマクダーモット・ロー夫人は救いの手を差し伸べ、アイリッシュ・ハープを学ぶ機会を与えました。当時の常識では10歳前後にアイリッシュ・ハープを学び始め、18歳は職業ハープ奏者として自立する年齢でした。カロランは楽器を学ぶには遅すぎたのです。
 しかし、彼は3年間の修業を経て、1691年21歳で放浪のハープ奏者として自立します。1691年、この年はアイルランドの歴史にとっての大きな転換点でした。つまり、この年にアイルランドは英国とのウィリアマイト戦争に敗れ、その後18世紀を通して英国からの植民地化が決定的なものになったのです。カロランはこのような激動の時代に音楽活動を始めたのですが、彼は古くからアイルランドにいた人々だけではなく、新しくイングランドからやってきた人々のためにも詩や音楽を提供していました。
 彼は当時急激に流入していたイタリアバロック音楽や英国の音楽を積極的にハープ音楽に採り入れたことで成功しました。その結果1720年代には彼の作品を含む曲集が出版され、アマチュア音楽家のあいだで楽しまれました。さらに当時流行していた英語で歌われる「バラッド・オペラ」にもカロランの作品が採り入れられ、彼の名声はどんどん高まっていきました。
 カロランは1738年に死亡しますが、死後もなお彼の名声は高まっていきました。これは音楽史上珍しい現象で、通常音楽家は死後すぐに忘れられるのが一般的だったのです。
 18世紀後半のアイルランドでは、アイルランドの衰退と国章であるアイリッシュ・ハープの衰退を重ね合わせており、アイリッシュ・ハープの復興によって民族意識を高揚させようとする流れがありました。その結果、カロランはアイルランドの古文化を象徴する存在として偶像化されるようになったのです。このようにしてカロランはアイルランドの国民的音楽家とみなされるようになりました。


演奏予定曲目
1.「シーベグ・シーモア」 Sheebeag Sheemore
カロランが1691年にハープ奏者として活動を開始したときにはじめて書いた作品。「小さな妖精と大きな妖精」という意味の丘にまつわる話を聞いて作曲した。元々は「美しい郭公」という民謡をカロランがアレンジした。

2.「モリー・マカルピン」 Molly MacAlpin
長年「カロランの夢 Carolan's dream」というタイトルで知られていたが、実際はカロランの先輩にあたるトマス・コネランの作品。カロランはコネランの音楽を敬愛しており、よく演奏していたといわれる。

3.「キャシェルをさまよう〜ティーグをさまよう」 Carolan's ramble to Cashel, Ramble to Teague
カロランは生涯を通してアイルランド中を旅し、各地の領主に詩と音楽をささげて生活していた。キャシェルやティーグはアイルランドの地名。

4.「ブリジット・クルース」 Bridget Cruise
カロランが初恋の相手ブリジット・クルースのために書いた曲のひとつ。カロランが少年のころにふたりは離ればなれになったが、後年ラフデルグ湖という聖ブリジットの巡礼地で再会する。

5.「ミス・ハミルトン」 Miss Hamilton
カロランの友人コーネリアス・ライオンズの曲。ライオンズは作曲よりも演奏家として優れており、ハープ教師としても高名だった。

6.「ファニー・ディロン」 Fanny Dillon
カロランはイタリアバロック音楽など新しい音楽を採り入れて作曲を行った人物とされている。しかし一方で彼は古いハープ音楽を継承していた可能性もある。ファニー・ディロンはそのような古い音楽の面影を残す作品として知られている。

7.「オコナー氏」 Mr O'Conor
オコナー氏はアイルランドの古王家の家系で、カロランのパトロンのひとりだった。オコナー家の館には「カロランのハープ」と呼ばれる楽器が現存している。この曲の楽譜はかつてアイリッシュ・ポンド紙幣の背景にも用いられていた。

8.「プリンセス・ロイヤル」 Princess Royal
カロランがマクダーモット・ロー家のために書いた作品とされるが、英国の舞曲という説もある。19世紀末の英国とアイルランドのあいだでこの曲についての激しい帰属論争が起こっていた。

9.「ロフタス・ジョーンズ」 Loftus Jones
1733年、妻メアリに先立たれたカロランは、悲しみをいやすためか以前にもましてウィスキーに傾倒するようになった。また放浪の生活も続けており、ロフタス・ジョーンズという人物のために書いた曲が残されている。

10.「カロランの杯」 Carolan's Cup
体調を崩したカロランは、はじめてハープを学ばせてくれたマクダーモット・ローの館に戻った。臨終の際に彼は長年連れ添ってきたウィスキーと盃に別れを告げ、この曲を演奏したといわれる。


寺本圭佑(てらもと けいすけ)
アイリッシュ・ハープ奏者、研究家、教師。専門は18世紀以前のアイルランドにおけるハープ音楽。演奏会やレクチャーコンサート、ワークショップを通して、世界的にも演奏者が少ない幻の楽器、真鍮弦アイリッシュ・ハープの普及に献身。都内や横浜、京都を中心に精力的に活動を続けている。
博士論文『18世紀アイルランドのハープ音楽』で芸術学博士(明治学院大学大学院)。
明治学院大学文学部芸術学科非常勤講師(音楽学)。

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