ベースのヤマダ ヨシオはオバタラの1st CDに参加後、キューバに渡り、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのカチャイート、N.G La Bandaのフェリシアーノ・アランゴに師事、後に元イラケレのドラマーのオスカリート・バルデスのグループの加入。帰国後、コンボニートスへの参加や自己のグループJAPONISMOで活動するかたわら、ジャパン・サルサ・オールスターズのリーダーとして、エルマン・オリベーラ、ジミー・ボッシュ、レイ・バジョーナ、ジミー・サバテル、イラン・デ・へススなどの来日時のサポートを務める。