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開催終了ハイエク

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2012年03月08日 06:14 更新

フリードリヒ・ハイエク

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フリードリヒ・フォン・ハイエク

オーストリア学派

生誕

1899年5月8日

死没

1992年3月23日

研究分野

貨幣経済学, マクロ経済学, ミクロ経済学, 社会哲学, 政治哲学

母校

ウィーン大学

実績

オーストリア学派の景気循環理論, 資源配分メカニズムにおける情報の役割, 分散された知識, 交換の理論, 自生的秩序, ヘッブの法則


ノーベル賞受賞者
受賞年:1974年
受賞部門:ノーベル経済学賞
受賞理由:貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析を称えて


フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(独: Friedrich August von Hayek、1899年5月8日 - 1992年3月23日)は、オーストリアウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄弟にあたる。

目次
[非表示] 1 略歴
2 業績 2.1 景気循環理論
2.2 投資と資本
2.3 経済計算論争と市場メカニズムの特性

3 思想 3.1 古典的自由主義
3.2 「理性主義」批判

4 邦訳著作 4.1 単著
4.2 共著
4.3 編著
4.4 全集

5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク


略歴 [編集]
1899年 オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンの学者家庭に生まれる。
第1次世界大戦の兵役を済ます。
ウィーン大学に入学。
1921年 法学部の学位を取る。
1923年 経済学で二つ目の博士号を取得する。
1923年 渡米し、ニューヨーク大学で研究助手として働く。
1924年 ウィーンに戻り、ハーバラー、マハループ、モルゲンシュテルンらと共に私的なセミナーを開く。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに見守られ研究サークルを作る。
1927年 オーストリア景気循環研究所の所長となる。
1929年 ウィーン大学の講師となる。
その後、ライオネル・ロビンズにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)での講演に呼ばれ、これ以降、LSEの教授職になる(以後18年間)。
1938年 英国の市民権を取得。
1944年 発表した「隷属への道」(The Road to Serfdom)は社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムが同根の集産主義であると批判し当時のベストセラーとなる
1947年 リバタリアニズムに立脚する学者が集結した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めたモンペルラン協会を設立。
1950年 シカゴ大学の社会科学ならびに道徳科学の教授となる。
1962年 西ドイツのブライズガウにあるフライブルク大学の経済政策教授となる。
1968年 フライブルク大学を退官。その後、9年間オーストリアのザルツブルク大学で教える。
1974年 ノーベル経済学賞受賞。田中清玄と親交を結び、ノーベル賞授賞式には唯一の日本人としてメーンテーブルに招待した。
1977年 ザルツブルク大学名誉教授。
1991年 ブッシュ大統領により、アメリカの民間人へ与えられる最高の栄誉賞である大統領自由勲章を受章。
1992年 逝去の報に際して、ブッシュ大統領は直ちに追悼声明を発表し、「現代の最も偉大な思想家の一人」と称している。

業績 [編集]

景気循環理論 [編集]

詳細は「:en:Austrian business cycle theory」を参照

ハイエクの初期の業績は景気循環に対する貨幣の影響を分析する貨幣的景気循環理論への貢献としてよく知られている。これはミーゼスなどのオーストリア学派の伝統を受け継ぐだけでなく、クヌート・ヴィクセルの累積過程のアイディアにも刺激を受けたものであった。生産財と消費財の価格比率の中から現れる財市場の均衡をもたらす水準としての自然利子率と、実際の利子率との関係により産出量と雇用量が決定されるというのがその理論の骨子である。具体的には利子率が自然利子率に比して低い場合に過剰な投資が生じバブルを発生させるが、やがて産出水準が投資と消費財への需要の双方に見合わなくなり生産財が不足してバブルが崩壊するというものである。1931年のPrices and Productionはこの方面での彼の代表作である。なお1930年にはジョン・メイナード・ケインズが同じ分野でTreatise of Money(『貨幣論』という邦訳で知られる)を刊行しており、この後両者は景気循環を巡る論争へと突入することになる。この論争はハイエクの当時所属していたLSEとケインズを擁するケンブリッジ大学とのより大規模な論争の一局面であった。

投資と資本 [編集]

ハイエクは自身の貨幣的景気循環理論を深化させ、投資と資本蓄積のメカニズムについての分析も行った。Pure Theory of Capital(1941年)はPrice and Productionの延長線上に資本蓄積の理論を構想したものである。彼の資本理論は後にアバ・ラーナーやトリグヴェ・ホーヴェルモによって検討され、ジョン・ヒックスの晩年の業績にも影響を与えた。なおラーナーとヒックスはLSEにおいてハイエクに師事したものの、後にケインズの『一般理論』を巡ってハイエクと袂を分かつという経緯の持ち主である。

経済計算論争と市場メカニズムの特性 [編集]

ハイエクは1920年代から40年代にかけて盛んになった経済計画論争、或いは経済計算論争と呼ばれる論争に積極的に関わった。この論争は社会主義経済の実行可能性を巡るものであり、生産手段の私有(私有財産)を認めない社会主義経済の下では生産財に価格をつけることが出来ず、価格の存在しないところでは効率的な資源配分は達成されえないとするミーゼスの主張[1]に端を発している。これに対してオスカー・ランゲやラーナーは、潜在的な交換の可能性があればシャドウ・プライスという形で擬似的、便宜的に価格をつけることが可能であると主張した[2]。その上でランゲはワルラス流の一般均衡理論の枠組みに則って多財の需給の連立方程式の解を求めることで、効率的な価格付けと資源配分を達成することが出来ると考えた[3]。一方ハイエクの立場はたとえそのような計算が技術的に可能であるとしても、この計算を実施する中央計画当局は計算に必要な需給に関する膨大な情報を収集せねばならず、そのような情報の収集は不可能であるというものであった。これはその情報量の膨大さもさることながら、計算に必要な情報は主として経済主体にとって自身しか知らない私的情報であり、現代流の言い方をすれば個々の経済主体が情報を正しく伝達するインセンティヴを持つとは限らないからである。ハイエクは必要な情報の収集に成功し効率的な価格付けと資源配分を行えるのは分権的なメカニズムとしての市場メカニズムだけであるという展望を示したのである[4]。この経済計算論争や論争におけるハイエクの情報に着目するアプローチは後にレオニード・ハーヴィッツを刺激し、メカニズムデザインと呼ばれる分野の1つの源流となった。ハーヴィッツは1960年の論文[5]で任意の経済主体がその主体の情報のみを用いて意思決定を下すことが可能であり(情報分権性)、最小限度の情報の交換だけで済み、かつ資源配分の効率性を満たす性質を情報効率性と定義した。そして1972年の論文[6]で競争的市場メカニズムが情報効率性を満たすことを示した(情報効率性に関する厚生経済学の第一基本定理)。さらにジェイムズ・ジョーダンが1982年[7]に情報効率性を満たす資源配分のメカニズムは競争的市場だけであることを証明した。(情報効率性に関する厚生経済学の第二基本定理)ハーヴィッツらのこの結果はある意味ではハイエクの主張を定式化し立証したものであると言える。

古典的自由主義 [編集]

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

さらにハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

「理性主義」批判 [編集]

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的[8]合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。

そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。また、ケインジアンを批判する一方で、新古典派経済学やシカゴ学派の多くが前提とする合理的な個人像に対しても疑問を投じている。基数的な効用に対しても否定的である。

邦訳著作 [編集]

単著 [編集]
『貨幣と景気変動』(高陽書院, 1934年)
『資本の純粋理論』(実業之日本社, 1934年)
『価格と生産』(高陽書院, 1939年)
『景気と貨幣――貨幣理論と景気理論』(森山書店, 1941年)
『隷従への道――全体主義と自由』(東京創元社, 1954年、新装版1992年)
『新自由主義とは何か――あすを語る』(東京新聞出版局, 1976年)
『科学による反革命――理性の濫用』(木鐸社, 1979年、新装版2004年)
『市場・知識・自由――自由主義の経済思想』(ミネルヴァ書房, 1986年)
『貨幣発行自由化論』(東洋経済新報社, 1988年)
『ハイエク、ハイエクを語る』(名古屋大学出版会, 2000年)

共著 [編集]
(今西錦司)『自然・人類・文明』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1979年)

編著 [編集]
『集産主義計画経済の理論――社会主義の可能性に関する批判的研究』(実業之日本社, 1950年)

全集 [編集]
監修西山千明、古賀勝次郎、気賀健三、矢島鈞次(後者2名は第?期のみ) 『ハイエク全集』(春秋社、1986-90年、新装版2007-08年) 1巻「貨幣理論と景気循環、価格と生産」
2巻「利潤、利子および投資」
3巻「個人主義と経済秩序」
4巻「感覚秩序」
5巻「自由の条件(1)自由の価値」
6巻「自由の条件(2)自由と法」
7巻「自由の条件(3)福祉国家における自由」
8巻「法と立法と自由(1)ルールと秩序」
9巻「法と立法と自由(2)社会正義の幻想」
10巻「法と立法と自由(3)自由人の政治的秩序」
別巻 「隷属への道」(1992年)

池田幸弘・古賀勝次郎・嶋津格・八木紀一郎(編集委員) 『ハイエク全集 第?期』(全10巻・別巻1、2009年1月より刊行) 1巻「致命的な思いあがり」
2巻「貨幣論集」(未刊行)
3巻「科学による対抗革命」(未刊行)
4巻「哲学論集」
5巻「政治学論集」
6巻「経済学論集」  
7巻「思想史論集」
8巻「資本の純粋理論(1)」
9巻「資本の純粋理論(2)」(未刊行)
10巻「社会主義と戦争」
別巻「ケインズとケンブリッジ経済学への反駁」(未刊行)


脚注 [編集]
1.^ Mises, L. (1920) ``Die Wirtschaftsrechnung im sozialistischen Gemmeinwesen," Archiv fur Sozialwissenschaften, 47
2.^ Lange, O. (1936) ``On the Economic Theory of Socialism: Part One," Review of Economic Studies, 4, pp. 53 - 71
Lange, O. (1937) ``On the Economic Theory of Socialism: Part Two," Review of Economic Studies, 4, pp. 123 - 142
およびLerner, A. P. (1944) The Economics of Control., New York: Mcmillan.
3.^ 晩年のランゲはコンピューターによる解の導出の可能性を信じていた。Lange(1936), Lange(1937)ではオークショニアが任意の価格からスタートし、経済主体の最適化行動の結果需給が均衡するまで価格の設定を繰り返すというワルラス流の模索過程を計算問題の解法として提案した。
4.^ Hayek, F. A. (1945) ``The Use of Knowledge in Society," American Economic Review, 35, pp. 519 - 530
5.^ Hurwicz, L. (1960) ``Optimality and Informational Efficiency in Resource Allocation Processes," in Mathematical Methods in the Social Sciences, ed. by K. J. Arrow., S. Karlin., and P. Suppes., pp. 27 - 46. Stanford: Stanford University Press
6.^ Hurwicz, L. (1972) ``On the Dimensional Requirements of Informationally Decentralized Pareto Satisfactory Processes," mimeo. Reprinted in K. Arrow and L. Hurwicz eds., Studies in Resource Allocation Processes Cambridge: Cambridge University Press, 1977.
7.^ Jordan, J. (1982) ``The Competitive Allocation Process is Informationally Efficient Uniquely," Journal of Economic Theory, 28, pp.1-18.
8.^ ここでいう進化は社会進化論の文脈による進化とは異なる。

参考文献 [編集]
西部邁「自生的秩序への途 - フリードリッヒ・フォン・ハイエク」『思想の英雄たち』所収、文藝春秋、1996年、229-243頁、ISBN 9784163509006

外部リンク [編集]
フリードリッヒ・フォン・ハイエク - Yahoo!百科事典

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