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開催終了民族と社会秩序-日系社会でのまなびと剣道交流-

詳細

2016年08月19日 00:06 更新

と き 8月24日(水)19:30〜
場 所 月ヶ瀬公民館2F 研修室
参加費 100円 
報告者 藤原 かつみ さん(月ヶ瀬小学校教諭)

1904年(明治41年)6月以降、第一次世界大戦までの100年間で日本人13万人が奴隷政策廃止となったブラジルに渡り、コーヒー農園などの労働に従事するようになった。高待遇や高賃金を期待しての移民であったが、現実は先の奴隷政策廃止による労働力の補充であり奴隷同様だったようだ。一方、それまで多くの日本移民を受け入れていた米国では、人種差別から排日運動が激化し、新規移民を禁止する日米紳士協約が成立していた。ブラジルの面積は約851万㎢(日本の面積の22.54倍)、人口は2億人弱で日本の1.7倍ほど。そのうち、世界でも飛び抜けて多い150万人の日系人がブラジルにいる。(日系人とは、日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人およびその子孫を指し、日系人は世界中で300万人と推定される。)
そんな歴史を持つ日本のほぼ真裏にあるブラジルのサンパウロの日本人学校で、藤原先生は3年間教鞭をとっていた。今回のテーマを決める折、藤原先生は「日系社会で本当に多くのことを学んだ」と言われた。一体何を学んだのだろう?ブラジル社会に溶け込み、マイノリティながら要職に就く多くの日系人。自らを日系人と「差別」しているのだろうか?2世3世となってまで日系人としてのルーツはそれほど重要なのだろうか?オリンピック開催中ということもあり、興味は尽きない。

コメント(1)

  • [1] mixiユーザー

    2017年04月26日 23:36

    第50回学習会報告
    携わっている分野や年齢層もバラバラの人々が集まるこの会では、話の内容もさることながら、人の心を掴む話術が大事だと感じる。今回の藤原さんは現役小学校教諭というだけあり、また見るからに“熱血”のオーラを放っていることからも、期待に反しない話をされた。身振り手振りを挟み表情豊かに、それでいて飄々と笑いも取る。そして別段、専門用語が出るわけでもない。わかりやすく、右脳で共感できる話であった。これは今書いているこの報告にも言えることだと思うが、わかりやすく的確に伝えることほど難しいことはない。また、念のために書き添えるが、直近の数回の学習会では大学院で学んだ方々のハイレベルな話を聞かせてもらったが、決してそれらが参加者に伝わらなかったわけではない。それぞれに深く感銘を受けた数名が居ることは、参加者の反応を見ていて確かである。
    さて、前置きが長くなったが、今回の藤原さんは2008年から3年間、文科省からの派遣教員としてブラジル・サンパウロの日本人学校に赴任した。きっかけは、ある日の昼食にラーメン屋で隣り合わせた学生時代の同窓生から、「南アフリカのヨハネスブルグの日本人学校から帰って来た」と聞いたことだそうだ。その様な職務には優れた人が行くものと思っていたが、自分と同じような旧友が派遣されていたのだ。当時の藤原さんは毎晩焼酎の4合瓶を空けながら、教師として勤める日々に何故か充足感を得られずにいたようで、「日本人学校に行ってみたい」と奥さんに打ち明けたところ、「行ってみたら?」と背中を押してもらい、文科省の指示でサンパウロ行きとなる。
    ブラジルには、住居からヘリで出かける裕福な家庭からホームレスまで、日本で言う“格差”とは次元の異なる“格差”がある。路上で見かけた光景だそうだが、ドレスを着た裕福そうな若い女性に、ホームレスが「タバコの火を貸してくれ」と言い、ごく普通に「OK、OK。」と火を点けてあげ、数言話をして別れた。そんな日本では考えにくい状況が日常化されている様に、“格差”がブラジル社会そのものであることを感じたそうだ。
    学習会では、ブラジルに渡った経緯から治安状況、学校規模、移民の歴史など、ご自身が関わった全般の話をしてくれたが、大きく時間を割いたのは、ご自身も有段者である剣道についてであった。
    藤原さんは、あるきっかけから三重県人会剣道部に入ることになる。この部は、木村三男という世界選手権の審判も務められた方が立ち上げられた。木村さんは、当時93歳という高齢のため稽古には壁に体を預けながら来られるが、一度竹刀を握れば背筋がピンと伸び、イメージが変わったという八段所持者。また、剣道の大会の後には木村さんの音頭で必ず「バンザイ三唱」をすることになっていたため、「バンザイ先生」と呼ばれていたそうだ。勤勉、礼節、団結力、そんな言葉を日系一世から、そして木村さんから学んだと熱く語られた。
    任期が終わる1か月前、結婚して10年間できなかった子どもに恵まれる。派遣の延長は1年できる規定で、ブラジルに残りたかった藤原さんはもちろん申請したが通らず、生後1か月の娘を現地調達した薪の籠に入れ、「航空機の背もたれについているテーブルに乗せて帰ってきた。」と苦笑いをしながら話をされた。
    話は遡るが、出国の折、奥さんのご両親から「頼むぞ」と手を握られ、「親不孝をしている」と感じたという。任期3年を経て、また他の地域の日本人学校へ行きたいと思うものの、「もう行かない」と決めているのだそうだ。終始、熱い話だった。  (西浦武男)
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  • 2016年08月24日 (水)
  • 奈良県 奈良市月ケ瀬尾山
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